レポート009 白いパスタ ― 浸食
冒険者パーカーが、その村、いや、村と呼ぶには少し過大な、十棟程の集落を見つけたのは、
予定していたよりも帰路に就くのが遅くなり、野営を視野に入れていたタイミングだった。
あぜ道のような街道が霧に包まれ、見通しが悪くなり始めた頃、
道を少し外れたところに、小ぶりな家々から明かりが漏れているのを偶然見つけた。
地図にはない。地図に書く程の大きさではないと判断されてきたのだろう。
夜盗の類に見られると思ったが、入口にいた村人はニコニコとしていた。
「こんにちは、きょうはいいてんきですね。」
「すまない、村の方。」
「なにかおこまりですか?」
「街まで戻れなくなり、できればこちらで一晩過ごしたいのだが。
ちなみに、この村は、なんという名だ?」
「サパトのむらへようこそ。めいぶつのしろいパスタがおすすめだよ」
少し歩いたところに、宿屋と思しき建物を見つけ、中に入る。
「やどへようこそ。ひとばん8ゴルドですが、おとまりになりますか?」
返ってくるのは爽やかな笑顔と挨拶。
一部屋借り、村唯一の食事処で勧められるままに「名物」を注文した。
「じまんの、しろいパスタですよ。うちたての、しんせんなやつです」
運ばれてきたのは、透き通るように白く、まるで生きているかのように瑞々しい、
目の錯覚を疑う程の、見事なパスタだった。
一口食べた瞬間、パーカーは驚愕した。
これまでにない、弾力のある歯ごたえ。爽快感あふれるのど越し。
(……なんだこれは、旨すぎる。こんなの、王都でも味わったことがないぞ!)
彼は無我夢中で皿を空にした。
翌朝。
パーカーは、朝食に出てきた、昨夜と同じ白いパスタをぺろりと平らげると、
腹ごなしに集落を散歩していた。
ふと、外れにある井戸の傍で、一人の男がバケツを持って立っている姿が目に留まった。
男は時折、バケツを井戸に投げ入れ、引き上げる動作を繰り返す。
だが、バケツは空だ。
「……あんた。何をしてるんだ?」
不審に思い、男の傍へ近寄る。
井戸を覗き込むと、ひび割れた土が見えるほど乾ききっている。
それでも男は満足げに、空のバケツを抱えて家へと戻っていく。
「おい、待て」
男はゆっくりと振り向いた。相変わらずの、貼り付いたような笑顔。
「こんにちは、きょうはいいてんきですね」
パーカーは不審に思い、腰の剣に手を掛けながら男に近寄る。
至近距離で男の瞳を覗き込み、心臓が跳ねた。
男の網膜のすぐ裏側で、無数の小さな、糸のように細く白い線がうごめいていた。
それらは、瞳孔を形作るように密集し、うぞうぞと脈動しながら、
男の「視界」そのものを形成しているように見えた。
「なにかおこまりですか?」
口の端から、同じ生き物がにゅるりと出てくる。
「あ……ぁ……」
パーカーは後ずさり、逃げるように宿屋の自室へと駆け込んだ。
急いでこの村を離れなければ。
荷物を手に取り、部屋を出ようとした瞬間。
ふと、喉の奥から、何かがせり上がってくる感覚があった。
耐え難い異物感に、思わず洗面所に駆け込む。
そして、鏡に映った自分と目が合った。
昨夜と今朝の、あの「名物」を思い出した。
今までになかった、あの独特の歯ごたえ。
噛み締めた時に弾けた、あのみずみずしい液体の感触。
あれは、麺のコシなんかじゃなかった。
何かを、生きたまま噛み潰した時の……
瞳の端から、一本の白い糸のようなものが、するりと顔を出していた。
続いて、口からも。
それは意志を持つかのように左右に振れ、パーカーと視線を合わせるように首をもたげた。
「こんにち……は。きょうは……いいてんき……ですね……」
自分の声が、自分のものではない「誰か」の合唱と重なって聞こえた。
* * * * *
「パーカーさん、探しましたよ。こんなところにいたんですね」
「こんにちは、きょうはいいてんきですね。」
「……パーカーさん?」
「なにかおこまりですか?」
「ギルドから捜索願いが出てますよ」
「サパトのむらへようこそ。」
ホリィは、目の前の男をじっと見つめた。
そして、静かに眼鏡を外す。
世界の輪郭が、わずかに揺れる。
青白くなった視界の中には、「村」など存在しなかった。あるのはただの不毛な荒れ地だ。
パーカーの衣服の隙間、皮膚の下からは、数万本の細く白い糸が血管のように浮き上がり、彼の肉体を中から動かしていた。
風もないのに、彼の足元から周囲一面にかけて、白く細い「虫の群れ」が波のようにゆらゆらと揺れている。
ホリィは即座に眼鏡を掛け直した。
ただの「草むらに佇むパーカー」がいるだけだ。
「めいぶつのパスタがおすすめだよ」
「……わかりました。パーカーさんはここに残られるのですね。用は済んだので、失礼します」
彼女は一度も振り返らず、その場を離れた。
* * * * *
ギルドの資料編纂室。
ホリィは、パーカーの捜索報告書にペンを走らせていた。
デスクの脇には、出かける前に淹れて、完全に冷めきった珈琲が残っている。彼女はそれを一気に喉へ流し込み、口の中に残る不快な緊張感を強引に洗い流した。
「……それで、パーカーさんは見つかったのですか?」
「いいえ、痕跡も見当たらなかったわ。遠いところに行ったのかもね」
エドの問いに、ホリィは事務的に答えると、報告書に「捜索終了」の判を押して、立ち上がる。
「そろそろお昼ね。食堂に行きましょう。エドは?」
「ご一緒していいですか?今日のおすすめはパスタだって聞きました。ホリィさん、お好きでしたよね」
「……さぁ、どうだったかしら。大丈夫だと良いけど。」
「何がですか?」
「わからなくて結構。さ、気合を入れて食べましょう」
報告書を引き出しに入れ、埃っぽい部屋を後にした。
見なければ、何も問題はない。たとえ今日のランチの麺が、妙に白く、瑞々しく蠢いているように見えたとしても。




