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双生の魔王〜下賤と蔑まれ追放された俺は、世界の理を書き換える「魔核」の持ち主でした〜  作者: 幻翠仁


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// 004 - 双生逆理



 謁見の間は、秩序のために造られている。

 高天井。細く長い柱。左右対称に並ぶ貴族列。赤い絨毯は寸分の狂いもなく王座へ伸び、王の足元で終わる。全ては視線を集めるための構造だった。


 その中央に、黒が落ちた。

 衝撃が石を震わせる。円環の術式が砕け、青白い光が火花となって散る。魔術師が柱へ叩き付けられ、詠唱が途切れた。近衛の槍が僅かに揺れるが、呆然としていて踏み出す足は一向に出ない。


 異形は、形を持ちきれていなかった。

 四肢のようなものが石床を引き裂き、関節の位置が定まらず、肉と影の境が曖昧なまま痙攣している。胸部に当たる箇所が膨らみ、拉げ、内部で何かが脈打っている。焦土の匂いが謁見の間に広がっていく。


 悲鳴が遅れて起こる。装飾が弾け、裾が絡まり、貴族の一人が転ぶ。

 赤の上に黒い粉が飛散し、金箔が混ざる。


 イェレミア国王――ヴァルト・フォン・イェレミアは立たない。

 王座の肘掛けに置いた指先だけが、止まった。視線を中央へ向ける。距離を測る。落下地点。近衛の配置。出口までの動線。王座までの直線距離。


 異形が頭部らしき塊を持ち上げる。

 裂け目の奥と同じ色の空洞が、ゆっくりと王座の方へ向いた。

 近衛の一人が半歩退く。


 その瞬間――白が動いた。赤絨毯を蹴る音は小さい。だが一直線だった。手枷は既に床へ落ちている。乾いた音が、遅れて耳に届く。外套の内から、月光のように細い刃が引き抜かれた。余計な構えはない。躊躇もない。


 白髪の男は、異形と王座の間に入った。刹那、刃が一閃する。空気が裂け、黒い粉が弾け、影の輪郭が歪む。異形の頭部に走った線が、遅れて深く割れる。内部の脈動が露わになり、濁った黒い炎が噴き出した。


 ヴァルト王は、僅かに目を細めた。

 守ることを想定した騎士の剣ではない。力で押さず、正面から受けない。核を探り、削ぐ。抉り、捩じ込む。処理の動きだった。


 異形が腕を振るう。柱が欠け、石片が飛ぶ。

 だが白髪の男は半身で躱し、足を滑らせるように間合いを詰める。二撃目が入る。三撃目は、王の目には殆ど見えなかった。


 黒い塊が崩れ、赤を汚す。

 黒い灰雪が舞い、白髪に降り積もる。


 謁見の間の中央に、静寂が落ちる。

 青白い術式の残光が、ゆっくりと消えていく。縫痕はまだ天井に細く残っているが、先ほどのような拡張はない。王は、初めて呼吸を整えた。


 黒い残滓が、赤を穢したまま沈黙する。

 白髪の男は、刃先についた濁った炎を軽く振り払った。

 黒い粒が散り、絨毯の繊維に絡み付き、じわりと色を奪っていく。息は荒くない。肩も上下しない。その男が、ゆっくりと振り返った。


 視線は扉を一瞥し、僅かに右へ逸れる。

 膝を付いたまま動かない騎士団長。スタンの甲冑はひび割れた術式の残光を反射している。胸当ての隙間から、荒い呼吸が白く漏れた。拳は固く握られ、指の節が蒼白に浮いている。そこに、白髪の男が歩み寄る。


 灰が舞う。足が踏み込むたび、赤の上に黒が擦れ、細かな音が立つ。

 近衛の穂先が僅かに動く。だが、誰も声を出さない。


 白い手が、鎧の腕を掴んだ。

 鉄と革が擦れる低い音が、やけに大きく響く。ヴァルト王はその音を聞き分ける。力任せではない。引き剥がすのではなく、選択肢を奪う握り方。


「……逃げるぞ。走れ」


 低く、短い。抑揚もない。だが、中央に落ちたその声は、術式の残光よりもはっきりと形を持っていた。スタンの喉が動く。


「待て……私は……」


 鎧の奥で、忠誠が軋む音がする。

 団長としての義務。王への責。騎士としての姿勢。

 王は、続きを想像しない。想像する必要がない。


 白髪の男は答えない。掴んだ腕を引く。膝が絨毯から離れ、赤の繊維が解放される。鎧が重く揺れ、床に残った灰が舞い上がる。その瞬間、謁見の間にいる全員が理解する。今、距離が縮んでいる。だが、縫痕は拡がらない。


 王は視線を上げない。ただ、肘掛けに置いた指先で、僅かな間合いを測る。玉座から二人までの歩数。出口までの直線。天井に残る黒い筋の細さ。


 近衛の一人が足を踏み出しかける。

 だが、隣の騎士の手が無意識に鎧を掴み、制止する。言葉はない。

 それでも、恐怖は共有されている。


 再分割すれば、落ちる。距離を開けても、落ちる。

 誰もがそれを見た。


 白髪の男は王を見ない。

 背を向ける。外套の裾が翻り、灰が弧を描く。赤絨毯の中央を、白い影が逆走する。スタンは一瞬だけ振り返る。ヴァルト王と視線が合う。そこにあるのは反抗でも、哀願でもない。ただ、決断だけだった。


 次の瞬間、足音が重なる。

 軽い足取りと、鎧の重い響き。

 石床に反響し、回廊へ吸い込まれていく。


 貴族たちは立ち尽くす。裾を握ったまま、宝石を握りしめたまま、口を半ば開いたまま。魔術師は砕けた術式を見下ろし、杖を握り直すこともできない。近衛は槍を構えた姿勢のまま凍りついている。穂先に付着した黒い粉が、僅かに震え、床へ落ちた。甲冑の隙間から滲む汗が、冷えた鉄を鈍く光らせる。誰もが、己の足裏と天井の縫痕の距離を、無意識に測っている。


 広間の奥。

 扉の向こうへ消えていく足音が、石の回廊で反響し、やがて遠ざかる。


 重い鎧の響きと、軽い外套の擦過音。規則正しく、確かに生きている音。

 その音が消えたとき、謁見の間は、初めて本当の静寂を得た。青白い残光が床を這う。砕けた術式の線が、焦げた蜘蛛の巣のように赤の上へ広がっている。円の一部は黒く炭化し、溶けた石が冷え固まって歪な突起を作っていた。焦土の匂いと、焼けた金箔の甘い匂いが混ざり合い、空気を重くする。


 ヴァルト王は、玉座に身を預けたまま、視線を動かさない。赤絨毯の中央に残る、黒い崩落の痕。灰をまとった足跡が、一直線に出口へ続いている。あの背が去ったことで、縫痕は拡がらなかった。だが、閉じてもいない。


 天井の高みで、細い黒の筋が、まだ震えている。

 夜空の歪みが石へ映り込み、柱の白を淡く侵食する。

 縫い目は、未完成の傷のように残ったままだ。


 貴族の一人が、震える指で胸元の宝石を押さえた。

 金具が触れ合い、小さな音を立てる。その音が、やけに大きく聞こえる。


「……陛下」


 誰かが、声を絞り出す。それは問いでも、進言でもない。

 ただ、助けを求める響き。ヴァルト王は答えない。肘掛けに置いた指先が、ゆっくりと動く。石の冷たさを確かめるように、木目をなぞる。


 分けたはずのものは、縫い合わせた。

 封じたはずのものは、共鳴している。


 封印という思想が、裂け目と同じように、ほころびを見せている。

 王は、静かに息を吸う。焦げた空気が、肺へ入る。


「……片付けよ」


 低い声が、広間の沈黙を引き裂いた。

 それだけで、凍りついていた時間が、僅かに動く。近衛が槍を下ろし、魔術師が砕けた術式へ近付く。貴族は互いの裾を払い、崩れた姿勢を直す。だが、誰の視線も、完全には戻らない。皆、扉の方を見ている。赤絨毯の果て。そして消えた二つの背中。ヴァルトは、ゆっくりと天井を仰いだ。


 縫痕は、なおも細く脈打っている。

 黒い糸のような裂け目が、夜の奥から何かを吸い込み、何かを吐き出すように、微かに明滅する。石の天井に描かれた建国神話の壁画が、その歪みに引き伸ばされ、英雄の槍先が僅かに曲がって見えた。


「双生……」


 千年前。初代がこの地に立ち、核を封じ、王国の名を刻んだとき。

 この空は、裂けていなかった。封じたはずの災厄は、歴史書の中でのみ呼吸する存在であるべきだった。だが今、ダーケンモルグは呼吸している。


 焦げた匂いの中に、僅かに湿った夜風が混じる。裂け目の奥から落ちてくるそれは、遠い荒野の気配を運ぶ。乾いた土と、焼けた血のような匂い。


 ヴァルトは、肘掛けに置いた指を止める。


 引き裂けば落ちる。近づけば縫われる。

 ならば、王国とは何か。秩序とは何か。


「部隊を編成しろ。二人を追え」

 ヴァルトの声は低く、波紋のように広がった。

 老王の瞳に、硬い光が戻る。


「根を断つ。我ら王国に、それ以外の道はない」


 その言葉は怒りではない。絶望でもない。

 千年を背負った者の、冷えた決意だった。


 灰が静かに沈み、謁見の間は再び秩序の形を取り戻していく。

 だが、赤の中央に残る黒い痕だけは、消えなかった。



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