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双生の魔王〜下賤と蔑まれ追放された俺は、世界の理を書き換える「魔核」の持ち主でした〜  作者: 幻翠仁


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// 003 - 王の誤算



 王城は、夜を拒んでいた。

 城下の灯火が橙に揺れているというのに、城壁の内側だけは青白い光に包まれている。高い塔の窓には魔術灯が灯り、夜空の縫痕を淡く照り返していた。黒い光脈はまだ閉じていない。細い糸のように走り、星々を歪ませている。


 重い鉄門が軋み、外開きに開く。

 石畳を踏む音が、城内でやけに響いた。先頭を歩くのはスタン。鎧は煤を被り、肩当ての縁に細かな傷が走っている。臙脂の髪は汗に濡れ、束になって首筋に貼り付いていた。だが歩幅は揺れない。団長としての歩き方だった。


 その半歩後ろ、手枷を嵌められた白髪の男が歩く。

 カガンは首を竦めもせず、ただ天井の高い回廊を見上げた。磨き上げられた石柱。天井に描かれた建国神話。金箔の縁取り。鼻を掠める香木の匂い。


「……俺は王様と話す気はねぇんだが」

 低く、乾いた声。石壁に反響する。


「君の意思は関係ない。報告義務がある」


 振り返らず、スタンは答えた。

 歩くたび、胸の奥が僅かに疼く。だが、城門を越えた時点で、痛みは落ち着いていた。距離が保たれている。拍が揃っている。それだけで、胸の中で燻る熱も、夜空を割る縫痕も静かだった。


 やがて、重厚な両開きの扉が現れる。

 金の紋章が中央に刻まれ、両脇には近衛騎士が槍を構えていた。槍の穂先は月光よりも冷たく、鋭く光っている。


「王国騎士団団長、スタン・カルティエ。報告に参りました」


 扉が開かれる。謁見の間は、音を吸い込む空間だった。

 天井は高く、柱は細く長く、まるで空へ伸びる骨のようだった。床には赤い絨毯が一直線に王座へ続いている。左右には貴族たちが並び立ち、宝石の嵌め込まれた衣が灯りを受けて静かに瞬いていた。


 その視線が、一斉に白髪の男へ向けられる。

 嫌悪。警戒。恐怖。好奇。


 そして王座。段上に置かれた黄金の椅子に、一人の老人が座している。

 白髪は短く整えられ、皺は深い。だが背は曲がっていない。顎の線は鋭く、目の奥には未だ刃のような光が宿っている。


 イェレミア国王――ヴァルト・フォン・イェレミア。

 王の視線はまずスタンを測り、次にその隣の白髪へと落ちた。瞳は老いて尚澄んでいる。濁りはない。ただ計る。値踏みするのではない。秤に載せる。


 謁見の間の奥で、誰かが喉を鳴らした。

 スタンは膝をつき、剣を床へ置く。甲冑が絨毯の端に触れ、僅かな擦過音が走る。深く、頭を垂れる。カガンはそれを冷めた目で見たまま、面倒くさそうに立ったままだった。数瞬の沈黙。空気が重くなる。スタンの腕が、横合いに伸びた。白髪を掴む。躊躇いはない。指に絡むカガンの硬い髪を引き、強制的に頭を押し下げる。石床が視界いっぱいに広がる。冷えた匂いが鼻を刺す。


「……乱暴だな。女の扱いもこうなら、面白ぇんだが……」


 低く、揶揄する声。だが、抵抗はしない。

 王はそれを咎めなかった。視線を動かさないまま、短く命じる。


「報告せよ」


 怒鳴りはしない。

 だが、逆らうという選択肢を前提としていない声音だった。


 スタンは顔を上げぬまま語る。

 黒い光脈の発現。空の裂け目。異形の落下。騎士団による制圧。王都の脅威は現時点で排除されたこと。ですが――と声を落とす。


魔核(ダーケンモルグ)の痛みは顕著。不安定です。再発の可能性は否定できません」


 貴族列の一角が揺れる。

 宝石が衣擦れとともに小さく鳴る。


「また、私がこの男と接触した際、ダーケンモルグの痛みは消失。黒い光脈は縫い合わされました」


 その言葉とともに、ざわめきが生じる。

 偶然ではないのか、封印の共鳴か、といった声が波のように広がる。

 スタンは一瞬だけ顔を上げ、真っ直ぐに王を見る。


「推測ですが――この男は私と同じ魔核を分けた者。ダーケンモルグの所有者である可能性が高いと判断します」


 空気が、音を失った。誰かが息を呑む気配だけが、遠くで震える。宝石の首飾りが揺れ、微かな金属音を立てる。貴族たちの顔色が、灯火の下でゆっくりと変わっていく。好奇は消え、恐怖が濃くなる。恐怖はやがて、理屈を装う。


「魔王の核を分けた、だと……」

「封印は完全だったはずだ」

「ならばこれは、復活の兆しではないのか」


 言葉が重なり、謁見の間の天井へと絡みつく。

 王は動かない。ヴァルトの指先が、玉座の肘掛けを静かに叩いていく。一定の間隔。老いた手だが、震えはない。その視線は、膝をつく騎士団長と、無理やり頭を押さえられた白髪の男の間を往復する。


「……ダーケンモルグ。千年前、我が祖が封じた災厄の核、か」

 王の声は低く、乾いていた。


「千年もの間、同世代に双生が生まれることはなかったが……」


 ゆっくりと、ヴァルトは身を乗り出す。玉座の背後に垂れた深紅の帳が、僅かに揺れた。高窓から射す魔術灯の光が、王の頬の皺を深く刻む。


「二人を分離しろ。引き合わせれば、封印が解かれる」

「ですが、陛下――」

「我は可能性で判断を下す。異論は認めん」


 その一言で、謁見の間の空気が決まった。

 魔術師団が前へ進み出る。黒衣の裾が絨毯を擦り、杖の先に嵌め込まれた魔石が青白く灯る。床の大理石に、淡い紋様が滲み始めた。円。交差する線。重なる三重の環。千年前の封印術式と酷似した波形が、静かに広がっていく。


 胸が、鋭く痛んだ。鼓動が一拍、遅れる。次の拍で、倍に膨れ上がる。

 喉の奥が焼け、視界が僅かに揺らぐ。カガンの指が石床を掴む。硬い石に爪が食い込み、微細な破片が砕ける。口の端が歪む。


「おい……離れれば何が起きるか……」


 言い終えるより早く、鎖が引かれた。

 近衛の腕が、白髪の肩を強引に掴み上げる。手枷が鳴り、金属音が石壁に跳ね返る。赤い絨毯の上を引きずられ、距離が僅かに開く。


 ほんの数歩。それだけで、胸の奥が裂けた。

 視界の端が黒く滲む。肋骨の裏側から、鋭い杭が押し出されるような感覚。呼吸が途切れ、肺が空気を拒む。喉の奥で、血の味がした。視界の端でスタンの背が、僅かに揺れる。甲冑の継ぎ目が軋み、握った拳が白くなる。だが、彼は顔を上げない。王座に向けたまま、動かない。


 床の紋様が強く輝く。光が赤い絨毯の縁を越え、石の目地を走る。円が拡大し、三重の環が重なり合う。魔術師たちの詠唱が低く揃い、空気が振動する。その振動が、胸の奥と共鳴する。


 高窓の外、夜空の縫痕が、細く震えた。

 細い黒い糸が、僅かに広がる。天井装飾の一角に、音もなく亀裂が走る。金箔が粉となって落ち、絨毯の上に散る。ひと粒、ふた粒。落ちる音は小さい。だが、謁見の間の静寂がそれを大きくする。


 魔術師の詠唱が一段、強まる。杖の先の魔石が脈打ち、青白い光が床の紋様を走る。三重の環が完成に近づく。線と線が重なり、封じるための形が整っていく。その形に、何かが拒む。胸の奥で、拍がずれる。


 カガンの背が、僅かに反った。喉の奥から押し出された息が、白く砕ける。手枷が軋み、鎖が鳴る。近衛がさらに引く。距離が、また半歩、開く。


 空気が裂けた。高窓の縁に、黒い筋が走る。

 夜の色が、石の内側へと染み込んでいく。星の歪みが、謁見の間の天井に映り込む。細い、だが確かな縫痕。


 貴族の一人が後退る。

 絨毯の端で裾を踏み、よろめく。

 宝石の胸飾りが激しく鳴る。誰かが叫ぶ。


「術式を安定させろ!」


 魔術師の声が震える。詠唱の拍が乱れ、ひとりが言葉を噛む。

 青白い光が瞬き、床の紋様が一瞬だけ歪む。


 その歪みに応じるように、天井中央に縦の亀裂が走る。

 黒。細く、細く。だが確実に、開いていく。

 冷たい風が落ちてくる。夜の匂い。焦土の匂い。遠い異形の気配。


「陛下……これは、封印では、ありません」


 スタンの肩が、揺れた。

 膝をついたまま、拳を握る。甲冑の内側で筋が強張っている。だが、顔は上げない。命令に背を向けない。団長としての姿勢を崩さない。


「これは、再分割です」


 カガンの視界に、王座が映る。

 玉座の上の老人は、立ち上がらない。

 だがその瞳が、明確に見開かれている。


 空が、鳴った。裂け目の奥で、何かが蠢く。影か、塊か、形を持たぬ何か。縫痕の縁がざらりと揺れ、石の天井に黒い粉が降る。術式の円が、軋む。線が一本、弾ける。青白い光が火花となって散る。魔術師の一人が吹き飛び、柱に叩きつけられる。詠唱が途切れる。


 距離が、また僅かに広がる。

 その瞬間。黒い裂け目が、ひと息、深く開いた。


 何かが落ちる。

 影が、天井から、赤い絨毯へ。床が震えた。重い衝撃。石が割れ、紋様が砕ける。黒い塊が、謁見の間の中央に叩きつけられる。人間の四肢のようなものが痙攣し、床を引っ掻く。甲高い音が鳴る。異形。貴族の列が崩れる。悲鳴が重なり、宝石が飛び散る。近衛が槍を構えるが、足は動かない。


「チッ……! これだから騎士ってのは嫌いなんだ」


 近衛の腕が一瞬だけ緩んだ。その隙を、カガンは言葉より早く拾う。手枷の錠に、細い棒状の金具を回し込む。カチャリという音とともに金具が外れる。外れた輪が石床へ落ち、乾いた音が響く。


 次の瞬間、外套の内側で短い光が走った。

 隠し持っていた短剣。刃は細く、冷えた月のように薄い。


 異形が絨毯を爪で裂き、黒い粉を撒き散らす。

 近衛が槍を上げ直すより早く、白髪の影が走った。カガンの足が赤を蹴り、灰を巻き上げる。短剣の切っ先が、異形の胸奥へ一直線に吸い込まれていく。


 青白い光が揺れ、謁見の間の影が伸びる。

 その影の先で、刃が黒を割る音だけが、遅れて落ちた。



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