// 011 - 覚悟の顔
シュナイド大森林は、何時までも終わらないように思えた。
夜明けの光が、濃い枝葉の隙間から細く落ちている。湿った空気が地面を濡らし、腐葉土の香りが纏わり付く。踏み出すたび、乾いた音が沈んだ。
スタンは黙って歩いていた。
剣は背にある。だがその重さは、昨夜までとは少し違っていた。
視界の奥で、朝靄がゆっくりとほどけていく。
鳥の声が遠くで鳴き、すぐに森の奥へ吸い込まれていった。背後から落ち葉を踏み締める、軽い音がする。
「……おい」
カガンの声だった。
僅かに振り返ると、白髪を風に揺らしながら気怠そうに歩いている。外套の襟を指で引き上げ、欠伸を噛み殺した瞳は、重たげに灰がかっていた。
「見るに耐えねぇ顔だ……反吐が出る」
スタンは答えない。ただ前を向いたまま、歩幅を変えずに進む。
カガンはスタンの横に並ぶと、肩を鳴らした。
「……辛気臭く歩いたところで、森は短くならねぇよ」
僅かに気遣ったような、酷く軽い声だった。
腐葉土が柔らかく沈む。枝葉の隙間から差し込む光が、ゆっくりと濃くなっていく。森は、深くなるばかりだ。カガンは小さく鼻を鳴らした。
「今生の別れでもねぇだろ。生きてりゃ、そのうち会える」
「……次に会うときは、互いに剣を向けるときだ。何が違う」
カガンの足が止まった。
落ち葉が一枚、遅れて踏み潰される。垂れた白髪を掻き上げ、スタンの背を凝視する。そして、ゆっくりと眉を顰めた。
口元が歪む。
それは笑みではない。露骨な嫌悪だった。
「何も違わねぇよ。だがそんなこと考えなくても分かるだろうが……その程度の覚悟もねぇまま決断したんなら……つくづく、めでてぇ頭だ」
スタンは歩みを止めない。
ただ、低く言った。
「……覚悟はある」
「ハッ……本当に覚悟がある奴ってのは、黙ってやるもんだ」
カガンは吐き捨てるように言った。
靴先で落ち葉を蹴り上げる。乾いた葉がくるりと回り、腐葉土へ沈んだ。数歩遅れて、再び歩き出す。白髪が肩口で揺れた。
「覚悟だの、決断だの……そんな言葉をわざわざ口にする時点で、もう半分は自分に言い聞かせてるだけだ」
鼻を鳴らす低い音。
カガンの言葉のあと、風が枝葉を揺らした。濡れた葉が擦れ、森の奥で小さな音が連なっていく。枝が顔の前に垂れている。カガンは指先でそれを押し退ける。濡れた葉が擦れ、冷たい水滴が外套へ落ちた。
スタンは黙って前を向いたまま歩く。
腐葉土が靴底で沈む。
靄がゆっくりと薄くなり、朝の光が少しずつ地面に広がっていく。
「本当に覚悟がある奴はな。そんな顔しねぇんだよ」
スタンの肩が、ほんの僅かに動いた。
カガンは続ける。
「決めたなら決めた顔になる。人を斬るなら斬る顔だ。今のお前は――どっちでもねぇ。ただ後ろ見て歩いてるだけだ」
足元で小枝が折れる。乾いた音が森の奥へ吸い込まれていった。
鳥が一羽、頭上の枝から飛び立った。羽音が一瞬だけ森を震わせる。
「……君に、何が分かる」
「分からねぇから言ってんだ」
枝葉の隙間から、少し強い光が落ちてくる。
森の奥が、僅かに明るい。
カガンは顎で前を示した。
「俺はお前の事情も、騎士の誓いも興味ねぇ。ただ、その顔で同行されると、隣にいるこっちまで湿る……」
スタンを横目で見る。
カガンは短剣の柄を指で弾く。退屈そうな癖だった。
「森だけで充分だろ。これ以上じめじめされちゃ、やってられねぇ」
カガンは歩きながら外套の襟を引き上げた。
森の湿りを嫌うような仕草だった。
スタンは何も言わない。ただ歩く。やがて、足元の感触が少し変わる。腐葉土の柔らかさの中に、小石の硬さが混じり始めていた。カガンがふと空を見上げる。枝葉の密度が、ほんの少しだけ薄くなっている。
「……そろそろだな」
独り言のように呟く。
スタンも気付いていた。森の匂いが変わっている。湿りの奥に、乾いた石の匂いが混じり始めていた。カガンは口元を歪める。
「森を抜けりゃ、今度は山だ」
足元の落ち葉を踏みしめる。
白髪が朝風に揺れた。
「景色が変わるぜ……まあ、お前の顔は知らねぇがな」
腐葉土の柔らかな感触が、少しずつ消えていく。
足元の落ち葉が減り、小石の硬い音が混じり始めた。光が地面を洗う。朝の空気が、僅かに乾いていた。
振り返れば、森はまだ深い。だが、足元にはもう腐葉土がない。
小石が、二人分の乾いた音を返していく。
歩き続けるその背を、山の風が、静かに撫でていった。




