二百九十九話 少女達の戦い
時は少し遡る。
キドコウタとサティアタ・リルフェンの戦いから離れた荒野の先。雪が降り積もるその道を、少女達を乗せた馬車が駆け抜ける。
聞こえてくるのは、ふわりと舞うほどに柔らかな新雪を踏む蹄の音と、馬車の車輪が回る音、そしてわずかに軋む床板の音。
息が詰まるような緊張感の中で、口を開くものはいなかった。
しかし、そんな馬車を貫くほどの強烈な音が振動と共に響く。
「⋯⋯っ、今の音。」
落雷とも錯覚するほどの重々しい衝撃音に、エイルは顔を上げる。
「⋯⋯コウタさんが、戦ってる。」
そしてそれに少し遅れてマリーが静かに呟く。
何か漠然とした不安が胸の奥から迫り上がる感覚を抑えて。
「⋯⋯コウタ。」
「心配いりませんわ。彼は負けません。」
マリーとエイル、二人の祈るような表情を見たセリアは、そう言い切ってみせる。
きっとあの少年は、自分を救った時のように、どんな逆境も跳ね除けると信じているから。
「そうだ。我々にはやるべき事がある。全員、ここからは警戒を緩めるな。」
手綱を握るアデルは、振り返ることすらもせずに指示を出す。
「⋯⋯うん。」
「⋯⋯見えてきましたよ。」
「⋯⋯っ。」
エイルは必死に感情を抑えるが、直後に響くマリーの声に、再び胸の中で心臓が跳ねる。
そして荷台の方から体を乗り出して前方の景色に視線を向ける。
前方に聳えるのは、地平に沿って真横に伸びる頑強な柵と、その奥にある巨大な建物。
ただの関所というにはあまりにも大きい。
「確か、このまま通って良かったんだよな?」
「うん、正門の旗が青色の時は内通者しか居ない時間だって。」
その言葉に、セリアは同じように顔を出してその建物を凝視する。
レンガ造りのその建物の中心にある両開きの門は彼女らを迎え入れるように開いている。
そして、その両脇に、僅かに風に揺れる旗が見える。
「⋯⋯青ですわ。」
そんな言葉に合わせて、アデルは手綱を握る手を強める。
「突き抜ける、全員捕まってろ!」
風に乗って突き進む馬車は激しく揺れる。
その中から外を眺めるエイルの心拍が少しずつ速度を増していく。
そして、彼女らは最高速のままその門を抜ける。
一瞬、馬車の中では沈黙が流れる。
外では馬が刻む足音だけが響く。
「⋯⋯案外、あっさりしていたな。」
異変もトラブルもなく、文字通り関門を抜けた事に彼女らは静かに安堵する。
しかし、そんな中で、前を見据えるセリアの目だけが静かに揺れる。
「⋯⋯っ、警戒!」
直後、彼女の言葉で馬車が急停止すると、中にいたエイルとマリーがバランスを崩して倒れる。
「わ、わっ!」
「⋯⋯敵です?」
二人を押し退けて前に出たセリアは、魔法の構えを取りながら顔を出す。
「いや、殺意は⋯⋯。」
夜の帷に隠れる気配に意識を向けながら、アデルは静かに答える。
誰かいる。
だが敵かどうかは確信できない。
そんな静寂の中で、闇から顔を覗かせたのは、どこか高貴な佇まいを見せる一人の女性であった。
その姿に真っ先に反応を示したのは、警戒をしていた二人ではなかった。
「⋯⋯っ、パメラ!!」
馬車の奥からエイルの声が響く。
「⋯⋯姫!」
そしてその顔を見た女性も、同じように目を見開いて飛び出す。
馬車から飛び降りたエイルを受け止めるように、女性は大きく両手を開く。
「パメラっ、⋯⋯パメラ!良かったっ、⋯⋯生きてて良かった。」
そして力強く抱きしめ合いながら、エイルは今にも消え入りそうな声で呟く。
「姫様も、よくご無事で⋯⋯。」
そしてパメラと呼ばれた女性もまた、目元を潤ませながら短く言葉を返す。
「パメラさんって⋯⋯。」
「ああ、エイルの付き人だ。」
マリーが不思議そうに呟く中、それを見ていたアデルはかつての彼女の話を思い出してそう呟く。
パメラ、エイルの付き人にして結界術師。そして、ラフカの騒動の際、彼女を逃すために殿を務めた女性。
エイルの話を聞いた時から、死亡した可能性は考えていたが、それはどうやら杞憂であったようだ。
「ご挨拶が遅れました、それで⋯⋯みなさんが、中立派の方ですか?」
そんなやり取りをしていると、パメラはゆっくりとエイルから離れて深々とこちらの方に頭を下げる。
「いや、違う。⋯⋯話すと少し長くなるのだが⋯⋯。」
「⋯⋯場所を変えましょう、どこか安全な場所は⋯⋯。」
アデルが回答に困っていると、そこに割り込むようにセリアが問いを投げる。
「用意してあります。馬車をお借りしても?」
「⋯⋯どうぞ。」
その問いかけに、アデルは一瞬考えたあと、短く答える。
そうして広くなった馬車に、新しくパメラを乗せた一行は、ラフカ王国を目指す本来のルートからは外れた道のりを進んでいた。
しかし景色はそう変わらない。
ただひたすらに夜の荒野を雪をかき分けて進むだけ。
変わり映えしない景色と空間の中で、彼女らはゆっくりとこれまでに起きた事、そして、互いの情報を交換する。
「なるほど、逃げ延びた先で中立派と合流を⋯⋯。」
「はい、秘密裏で支援を受けていました。」
曰く、彼女はエイルを先に行かせた後、無事魔物使いとの戦闘から離脱して逃げ仰せたと。
そして、王国騎士からの逃亡生活の中で、月詠団が運営する港まで辿り着き、そこでディスゼルから支援を受けていた。
「⋯⋯でもなんでそんな大切な人が無事だって事、言ってくれなかったんですかね。」
しかし、話を聞いていたマリーは、漠然とした疑問を口にする。
「私からお願いしていました。私も姫様も、逃げ延びたとはいえ、常に監視の目が向けられていましたから。」
「エイルさんにラフカの監視が向かないように、ですか?」
「ええ、それ故、私から姫やその関係者に接触ができなかった。」
故に、彼女はこれまでの間、たった一人で王国の注意を引き続けるために行動を起こしていたのだ。
「途中何度かクラウド様からの襲撃も受けましたが、何度自前で回復できる職業であることを感謝したことか⋯⋯。」
そう言って彼女は笑ってみせるが、手綱を握るその腕には、痛々しい痣の数々が刻まれていた。
「パメラ⋯⋯。」
そんな姿を見て、エイルの表情が曇る。
「なるほど、主人に似て従者もまた無茶をする方なのですね。」
それを見たセリアはため息混じりに彼女に回復の魔法を施す。
パメラは小さく礼を口にすると、そのまま言葉を続ける。
「自覚はあります。ただ、無茶をしなければ何もできなかった。従者としての役目を果たすことすら。」
「しかし、そうか。それではそのクラウドとやらは敵であることが確定してしまったな。」
王国騎士団長にして、コウタと同じ勇者候補、クラウド・シャウン。
元よりメルディアは彼の不在を狙って今回の騒動を引き起こした。
それ故、彼もまたロイカが王国を統べる今の体制に反対する可能性に期待していた。
しかし、エイル側につくパメラを襲撃しているという事は、その線は限りなくゼロに近くなった。
「ええ、ロイカ様とメルディアだけではなく、クラウド様もとなると、相応の味方が必要です。」
「けどパメラ。数だけ揃えても⋯⋯。」
戦力的にも、思想的にも、今回の作戦に半端な味方はかえって足手纏いになりかねない。
その思考に、パメラは一度だけ首を縦に振って同意する。
「分かっています、こちらで対象は選んで、根回しはできています。」
「特に国内の騎士たちは、ロイカ様へ賛同するか否かで完全に二分されています。」
「反対派の方を味方につけるのですね。」
元々帝国を守るために騎士となったものならば、外部の存在よりも遥かに人となりが分かる。
必要以上に見極める必要もなく、何より敵の戦力を半減させることができる。
「ええ、なので一人目は騎士団の副団長、ブルーム様に話を通しています。彼女は元よりロイカ様の強引なやり方には疑問を持っていました。」
淡々と話をする中で、セリアは「一人目」という表現を聞いて質問を重ねる。
「他には誰が?」
「外部の力を借ります。」
「⋯⋯外部?」
その言葉に、エイルは眉を顰めながら首を傾げる。
「はい。これから会いに行くのは、冒険者ギルド・ラフカ支部、ギルドマスターです。」
そう呟くパメラの額には、じんわりと汗が滲んでいた。




