二百八十八話 波は風へと
セリアを巡る災宵禍との死闘から数日、疲労感に包まれた船の上では、コウタとアデルの二人が剣を携えて構えていた。
「⋯⋯はぁ!!」
月明かりが水面に映る中、振り上げられたコウタの剣は、いつものように訓練相手であるアデルではなく、静かに夜の空気を切り裂く。
「⋯⋯⋯⋯っ、くそ。」
そんな言葉と同時に、船尾から続く水面がわずかに揺れる。
「⋯⋯無理か。」
少し遅れて、隣に立つアデルがため息混じりに呟く。
「上手くいかないですね。神御剣。」
夜の海を進む船の上で、見張りを任されたアデルとコウタの二人が行っていたのは、コウタがシュリア・ゼノンとの戦いで、極限の中で手にした〝第三の奥義〟の再現であった。
「やはり難しいか?」
その技を実際に目の当たりにしていないアデルは、聞き及んだ情報だけを頼りに相談役として様子を見守っていた。
「⋯⋯はい、あの時の感覚とは、なんというか、剣の〝重さ〟が違う。」
「また随分と抽象的だな。何かあの時と違うところは無いのか?」
しかし、珍しくまとまりのない情報だけを口にするコウタに対して、アデルはいつもとは違う方法で情報を引き出す。
「⋯⋯あの時は武器の数が違いました、夢中だったんで正確な数は把握してませんけど。」
「集中力の違いと武器の量の違いか。これ以上の武器を使ったのか?」
たった今コウタが振るった斬撃には、約五十本の武器の魂が込められていた。
それ以上、という言葉に、アデルは思わず目を見開いて問いを返す。
「あとは⋯⋯聖紋でしょうか?」
コウタは少し言葉を詰まらせながら、あの時との決定的な違いを口にする。
「⋯⋯リューキュウの時に出したアレか?」
「はい、アレと同じものが出てました、この辺りまで。」
アデルの問いかけに対して、コウタは額の上のあたりを指差して答える。
するとアデルは静かに眉を顰める。
「だが、アレはセリアの助力が必要なのでは?」
コウタの聖紋の詳細については、アデルもある程度話を聞いていた。
あの力はいわゆる神由来のもの。
つまり、聖人であるセリアから力を受け取ることで成立する力である。
リューキュウの時はコウタの持つロンギヌスとセリアの力が共鳴を起こしたことで発生したもの、と彼らは考えていた。
しかし、今回についてはそのセリアは捕えられていた。
「⋯⋯ええ、だから多分、あの聖紋の力は、災宵禍の聖人、ライラの力によるものです。」
「⋯⋯シュリア・ゼノンと戦う前に倒したという相手か。」
そんな会話の後、コウタは一つの結論を口にする。
「だから恐らく、あの技の発動に必要なのは、聖紋と極限の集中力、そして圧倒的な物量の武器、これらが最低条件だと思います。」
「という事はつまり⋯⋯。」
「ええ、恐らくあの技に再現性は、ない。」
アデルの問いかけに、コウタはハッキリとそう断言する。
その言葉を聞いたアデルは、一瞬だけ静かに目を細めた後、ため息をつきながら静かに笑みをこぼす。
「⋯⋯そうか。なら、やるべき事は一つだな。」
そしてコウタに手を伸ばす。
するとコウタも同じように笑みを返し、差し出されたその手に、召喚した木刀を手渡し。
「ええ、これからも、これまで通り。地道に一つずつ、強くなる。」
同時に召喚した剣を構えて二人は距離を取る。
「では早速。」
「ええ、今日の戦闘訓練、始めましょうか。」
そう言って二人が同時に地面を蹴った瞬間——
「——ふぁ、おはよーございます。」
そんなマリーの言葉が二人の間に割り込む。
「⋯⋯うおっ、と、と。」
「⋯⋯マリーか。早いな。」
ふらつきながらブレーキをかける二人は、同時に彼女に視線を向ける。
「もうそろそろ朝ですからね。ご飯は何がいいです?」
「「⋯⋯⋯⋯。」」
そんな無邪気でゆったりとした問いかけに対して、二人は同時に顔を見合わせて小さく苦笑いを浮かべる。
「⋯⋯パンがいいな。」
「⋯⋯僕なんか手伝いますよ。」
そしてコウタが召喚した木刀を消滅させると、二人は同時に表情を緩めてマリーに答える。
「⋯⋯パンですね、了解です!準備しちゃいますね。他の人起こして来てください。」
マリーはそう言って、鼻歌混じりに甲板にて準備を始める。
張り詰めていた空気がマリーの登場で一気に霧散し、甲板には穏やかな「日常」の気配が戻り始めた。
「⋯⋯結局、訓練はできずじまいですね。」
コウタがそう言って苦笑した、その時だった。
「⋯⋯あら、もう始めてたの?」
そんな言葉と共に、船室から上がってきたのはエイルだった。
「⋯⋯ふぁ、おはようございます。」
その後ろには、まだ少し眠たげな表情のセリアも続いている。
「いえ、今終わったところです。」
「そ、いつもより静かでよく眠れたわ。」
エイルの声は、いつも通り落ち着いたものだった。
けれど、彼女はそれ以上言葉を続けることなく、真っ直ぐに船首へと歩み寄る。
エイルだけが一人、遠くの水平線を見つめていた。
「⋯⋯エイルさん。」
コウタが呼びかけるが、彼女は振り返らない。
その背中は、以前よりもずっと小さく、けれど決して折れない鋼のような硬質さを纏っているように見えた。
うっすらと水平線の奥から陽の光が昇り、コウタは目を細めながら彼女の背を見つめる。
静かで、ゆったりとした時間が流れる中、少しずつシリウスや中立派の面々も目を覚まして、船の上は少しずつ生活の音が増え始める。
そんな中、彼女の背を視線で追うコウタの眼は、その先にある水平線に移る。
「⋯⋯っ、あれって。」
そんな言葉と共に、コウタの視界の奥には、水平の上に浮かぶ大地を捉える。
それは長い旅の目的地。北の大陸であった。
「⋯⋯間違いないね。あそこがゴールだよ。」
モエの言葉が、一行の目を覚まさせる。
旅の目的の達成、到達点。
それはつまり、旅の終わりでもあった。
「⋯⋯やっと、帰れる。」
小さく、小さく呟いた直後、エイルはゆっくりと振り返って仲間達に視線を移す。
「⋯⋯ありがとね。みんな。」
安堵したような、身が引き締まるような、そんな複雑な表情のまま、エイルは照れ臭そうに声を上げる。
「短い間だったけど、あなた達と仲間になれてよかった。こんなこと言うのも変だけど、あなた達と居た時間、ちょっと楽しかった。」
天邪鬼が形を成したような彼女の、珍しい素直な言葉に、一同は目を丸くして驚く。
「「⋯⋯⋯⋯。」」
しかしその中で、コウタとセリアだけは、静かに目を伏せて黙り込む。
「⋯⋯仲間、なのに。手伝ってとは言ってくれないんですか?」
コウタがどこか悲しそうな笑みで呟いたのは、素直な彼女が言ってくれた〝仲間〟という言葉に対する答えだった。
「⋯⋯っ。」
心臓を掴まれるように息を呑む彼女の表情はどこか辛そうに歪んでいく。
「⋯⋯薄情な方ですわ。命懸けで助けてくれたのに、私達にそれはさせてくれないのですね。」
その姿を見たセリアは、くすりと笑った後に態とらしく言葉を選んで問いを投げる。
「⋯⋯っ、だって、これは私の国の問題だから。」
その言葉に、エイルは言葉を詰まらせながら必死に答える。
その目は、少しだけ潤んでいた。
彼女が辛い思いをしていることなんて分かっている。
どうしようもなく苦しんでいて、助けを求める先すらないのは分かっている。
だからこそ、コウタは手を差し伸べたかった。
だからこそ、セリアは救われた恩を返したかった。
「⋯⋯そうだ。私たちは仲間なんだから。」
二人に続いて、アデルは堂々とそう宣言する。
「だから、一人にはさせま、せん!」
そして最後に、最後尾から駆け抜けてきたマリーが、彼女の胸へ飛び込んでいく。
「⋯⋯⋯⋯バッカじゃないの。」
僅かにふらついた後、エイルは静かに顔を逸らして震えた声で呟く。
「馬鹿ですよ!だって私達は冒険者なんですから!」
「無茶な冒険は何度だって超えて来ましたから。」
マリーとコウタは堂々とその言葉を受け入れる。
「⋯⋯⋯⋯ありがと。」
そして、エイルはそんな言葉と共に、マリーの身体を抱き返す。
少女の鎖された心が静かに解けていく。
「⋯⋯結局、こうなるよね。」
それを眺めていたシリスは、この展開を予想していたかのように呆れたようにため息をつく。
「⋯⋯。」
「貴方は良かったの?」
そして、彼女の横で黙り込んでいたシリウスへとそんな問いを投げかける。
「良いも何も、多分あいつら最初からこうするつもりだったろ。」
「俺は付いてくよ。あいつらの選択に。」
彼女らを眺めるシリウスの表情も、どこか柔らかく解けていた。
「⋯⋯誰がどこに行くかは別に口出ししないが、ここはまだ海の上だよ。気を抜くんじゃない。」
そんな雰囲気の中で、モエだけは両手を打ち鳴らして場を引き締める。
「⋯⋯ええ。」
コウタの返事と同時に、彼らの表情は切り替わる。
「⋯⋯さぁ、旅の終わりだ。総員、上陸準備!」
「「⋯⋯はい!!」」
大海原を駆け抜けた彼らの旅は終わり、舞台は新たな大陸へと移る。
三大国の一つ、火山国家にして世界一の軍事大国ラフカへあと僅か。




