LV.031 俺の心は砕けました
「くくく……くはははは! 勝った……! あの憎き《霊媒師》に……我は勝った……!! くはははは!!」
高らかと魔剣を掲げ、勝利の雄叫を木霊させるルージュ。
ティアラが、消滅した――。
ティアラが、死んだ――。
「……アルルよ」
妖艶な笑みを浮かべたルージュは俺の名を呼ぶ。
俺は、俺は、本当に、これで良いのか?
精神が崩壊しそうだ。
俺はすがるような目でルージュを見る。
「くくく……良い顔だ、アルルよ。焦燥、絶望、混沌。やはりお前には素質がある」
一歩、一歩と俺に近づくルージュ。
もう、俺には彼女しかいない。
彼女と共に、憎き《命令士》を殺す道しか残されていない――。
ルージュの歩調に合わせ、俺も彼女に一歩、一歩と近づいて行く。
「ルージュ……」
彼女が俺の視線に気付き、優しく微笑み掛けてくれる。
ああ、やはり俺のパートナーは彼女だったんだ。
俺の絶望を救ってくれるのは彼女だったんだ。
この腐った世の中をぶっ壊してくれるのは、魔王ルージュなのだ。
俺は、彼女と共に――。
「アルルよ。今一度、問う。お前は、我の何だ?」
「……パートナー……」
彼女の言葉が脳内に響き渡る。
俺にはもう、彼女の声しか聞こえない。
「そうだ。我とお前はパートナーだ。今までも、これからも、永遠に」
「……永遠に……」
彼女の綺麗な顔が眼前に迫る。
俺は虚ろな目で彼女の瞳に魅入る。
「アルル。《盟約の証》を。我と、誓いのくちづけを――」
ルージュの細い指が俺の顔にそっと触れる。
俺は目を瞑り、彼女の思うがまま、彼女の唇にキスをする。
脳髄が蕩けそうな錯覚に陥る。
俺の全てを、彼女に捧げても良いとさえ思える。
……光……?
なんだ?
瞼の裏に、徐々に光が集結して――?
『――――《融合》――――』
「え――」
脳内にルージュの言葉が響き渡る。
世界が、反転する。
俺の身体が、心が、溶けて行く――?
いや、違う。
俺の身体に、心に、ルージュが溶けて行く――?
なんだこれ。
なんだよ、これ。
気持ち良い。
身も心も、ルージュと一つになれて。
こんなにも気持ちの良い事だったのか。
俺はずっと孤独だったんだと。
そう思わされる程の充足感。
ああ、気持ち良い……。
俺は永遠にルージュと一緒だ。
ずっとずっと気持ちの良いまま、永遠に――。
◇
『くくく……くくくくく…………』
ルージュの笑い声が聞こえてくる。
いや、俺の笑い声か?
もう、どっちでも構わない。
『遂に……遂に手に入れたぞ……。《命令の力》を……我が手に……!』
俺の掌をまじまじと眺めながらもそう呟くルージュ。
そうか。
彼女の目的はこれだったのか。
俺と融合を果たし、命令の力を手に入れる。
そして世界を変えるんだ。
俺達の力で、この腐り切った世界を――。
『くくく……それに……男の身体……。今までどれだけ欲して来た事か……! 我の魔力を十二分に引き出すにはオスの因子が必要不可欠……。そこに《命令の力》が加われば……我に抗える者などこの世には存在しない……!』
オスの因子……。
ルージュは男に生まれて来たかったのか。
自身の肉体を消滅させてまで欲した、男の身体。
良いよ。お前にやるよ。
俺はもう、疲れたんだ。
このまま永遠にお前の中にいて。
永遠に気持ち良くいられれば、それでいいんだ。
『くくく……笑いが止まらんわ……。おや?』
ルージュの視線が動く。
それに合わせ、彼女の中にいる俺の視線も動く。
あれは――。
「……アルル。これは一体どういう事だ……?」
ルージュの視線の先には、竜槍を構えたデボルの姿が。
恐らく先のティアラとの戦闘に気付き、急いで駆けつけてきたのだろう。
「おい……アルル。答えろ。どうして、シュシュが、こんな無残な姿に……!」
デボルが視線をシュシュの亡骸に向ける。
しかし身体はこちらに向けたまま。
警戒を怠らず、俺に竜槍を向けたまま。
『くくく……そうか。確かアルルは奴に《命令の力》を使っておったな……』
俺の声でそう呟くルージュ。
そして彼女は脳内で念じる。
これは……命令の解除?
世界が、反転する。
白黒の世界が、元に戻って行く。
「…………!! そうか……! 魔剣ニーベルング……! アルル……貴様、魔王ルージュに……!」
記憶が戻り、事態を飲み込んだのか。
デボルは竜槍をしっかりと握り直し、臨戦態勢へと入る。
彼女の記憶。
魔王の愛剣である魔剣ニーベルングの記憶。
それを俺が手に持つという意味――。
『丁度良い。この新しい身体を試すには絶好の相手だ。槍撃士デボル・ラグナロク――。《竜の力》をその身に宿す貴様の力、我に見せてみるがよい』
魔剣を構え、そう答えるルージュ。
デボルに勝ち目などある筈が無い。
《魔王の力》と《命令の力》――。
もはやこの世の行く末は決まった様なものなのだから――。
◇
「闇落ちなど、馬鹿な真似を……!」
デボルが竜槍を構え突進して来る。
俺にはその動きが手に取る様に分かる。
まるでスローモーションの様だ。
こんなにも力の差があったのか。
難なく竜槍をかわすルージュ。
「アーシャやミレイユにはどう伝えるのだ! ローサやナユタやシュシュを殺したのもお前なのか!」
猛攻を繰り広げながらも俺に質問を飛ばすデボル。
まだレムの死には気付いていないのか。
彼女の魂は天に届いたのだろうか。
しかし、俺が彼女達を殺した訳じゃ無い。
殺したのはもう一人の《命令士》だ。
俺はそいつをルージュと共に殺すのだ。
それが俺の使命。俺の『願い』――。
「目を覚ませ、アルル! 魔剣に正気を奪われ、これ以上罪を増やすな!」
『くくく……お前、少し五月蝿いよ。黙れ――』
世界の時が静止する。
白黒になる世界。
「!!!」
突如言葉を発しなくなったデボル。
《命令の力》が発動したのだろう。
事態を上手く飲み込めずに、一旦その場から飛び退くデボル。
「《竜化秘奥義》!」
パリン、と空間が張り裂ける様な音が辺りに広がる。
そして徐々に竜化していくデボル。
『ほう……。《竜の力》で命令を解いたか。やはりお前が一番の大敵だったか。くくく……』
何十倍もの大きさの竜へと変化を遂げるデボル。
しかし、それも無意味な事。
既に以前の戦いで易々とルージュに敗北したのだ。
無駄な戦いは止めて、お前も俺と一緒に来い。
世界を、変えよう。
この偽りだらけの世界を――。
「グルルルル……!!」
デボルの竜口に炎が集まって行く。
全てを焼き尽くす《竜の炎》。
彼女の奥の手。
俺達パーティの、最後の手段。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
灼熱の業火が俺を襲う。
しかし魔剣を地面に突き刺したルージュは、難なくその炎を防いでしまう。
勝てる訳が無い。
力の差があまりにもあり過ぎる。
『くくく……。今度はこちらから行くぞ。《シルバー・レイン》」
軽く魔剣を一振りする。
デボルの周囲の空間から銀の刃が無数に出現。
それら刃がデボルの全身を切り刻む。
「グアアアアアア!!」
悲痛な咆哮を上げるデボル。
そして徐々に収束していく身体。
《命令の力》など、彼女には必要無い。
あまりにも、桁違いに違いすぎる『力』――。
「うぅ……」
全身の鎧が砕け散り、ボロボロの半裸状態で人化するデボル。
そして無情にもその顔を足で踏みつけるルージュ。
『理解したか? 我との力の差を?』
俺の声でそう告げるルージュ。
もう降参しろ、デボル。
お前に勝ち目なんてある筈が無い。
「……そが……」
『ああ?』
「くそ、が……! お前はな……弱すぎるんだよ……!」
弱い?
俺が、弱い?
何を言っているんだ、デボルは……?
「くっ……お前は、な……! ただ魔王ルージュに……利用されているだけ、だぞ……!」
『……』
利用されている?
馬鹿な事を言うな。
俺は自らの意思で、ルージュと盟約を交わしたんだ。
この腐った世界を変える為に。
偽りの世界を正す為に。
「ふふ……。昔に、出会った頃のお前の方が……まだ幾分かマシだったのかもな。お前の心を腐らせてしまったのは……私達の方なのかも、知れないな……」
俺の脚を掴み、何とか立ち上がろうとするデボル。
それを冷ややかな目で見つめるルージュ。
俺の心……?
俺の心、は――。
「アルル。アルル・ベルゼルク。お前は……無能ではないぞ」
よろよろと立ち上がり、無防備にも俺の全身を包容するデボル。
彼女の傷ついた身体から温もりを感じる。
俺の心――。
俺の心に、何か――。
「だから、負けるな。力の誘惑に……。魔王の陰謀に……。負け――――」
デボルの言葉が止まる。
俺の手が、何かを貫いている。
温かい物が、俺の腹部を濡らす。
『……くだらん戯言だな。興をそがれたわ』
そのまま大きく腕を振り、デボルの身体を引き剥がすルージュ。
そして動かなくなったデボルの身体。
殺した――。
俺が、殺した――?
どうして――?
彼女は《命令士》では無かったのに――?
そしてこの瞬間。
俺の中で、何かが弾け。
完全に俺の『心』は、砕けてしまったのだ――。