人生ゲーム
ゲームの中の教室は、俺が通っていた高校と同じだった。
窓際から三番目の席も、黒板の日直の名前も、色褪せた文化祭のポスターも、忘れていた十七歳を画面の中から引っぱり出してきた。
中古屋で五百円だった。タイトルは『LIFE』
そのタイトルしか印字されていないパッケージになぜか惹かれ、面白半分で買ってみた。
画面には十七歳の俺がいた。懐かしいが、気味が悪い。制作者が俺と同じ高校だったとか? いや……ないか、そんなことは。俺っぽいだけだろ。
《放課後、蒼太から映画に誘われました》
《行く》
《断る》
「え?」
蒼太は俺の友達だった。なんでこのゲームに出てきているのか。そんな疑問を吹き飛ばすほどのフラッシュバックが脳内を駆け巡った。このクソみたいな人生にあるいくつもの後悔……ほとんどは忘れているが、これは覚えている。
あの日、俺は断った。ちょっとひねくれてて、人を遠ざけてたんだ。バカだった。今では友達はひとりもいない。友達は宝だ。
試しに《行く》を押す。
暗転。
背後で写真立てが落ちた。俺のアパートには、そんなものないのに。
拾って見ると、大学生の俺が蒼太たちと海辺で笑っている。
友達と海へ行った記憶はない。
スマホを見る。
『来月また集まろうぜ』
三日前の蒼太からのメッセージだった。俺の返信もある。テンション高いな。誰だよこれ。
次。
《内定通知を受け取りました》
今の会社だ。
《入社する》
《辞退する》
当然、辞退する。ロクな会社じゃない。この会社のせい(正確にはクズみたいな数人のせいだが)で悪夢の日々だ。
暗転。
ワンルームだった部屋が広くなり、窓の外には夜景があった。
タワマンってやつか? しかも、預金残高は一桁増えている。
「はは……は……あははははは!!!」
これはただのゲームじゃない。
俺の人生だ!
三十五歳。辞めたい会社。疎遠になった友人。出なかった父の最後の電話。十年前に別れた美月。
直したいことなら、いくらでもある。
俺は夜通し選び直した。
《父親から電話が来ています》
《出る》
《出ない》
あの夜、着信は三回あった。面倒くさくてスマホを伏せた。翌朝、親父はもう死んでいた。
《友人と喧嘩しました》
《謝る》
《放置する》
もちろん謝る。十年も意地を張るほどの喧嘩じゃなかった。
選ぶたび、見覚えのない時計や土産や写真が部屋に増え、それらは全部俺のものなのに、思い出だけが俺のものにならなかった。
そして、
《美月から別れを告げられました》
《別れる》
《引き止める》
俺は《引き止める》を押した。最大級の後悔だ。
暗転。
「パパ、まだゲームしてるの?」
振り返る。
美月と、小学生くらいの女の子がいた。
娘は莉央というらしい。
俺には初対面だった。
美月を抱きしめると、彼女は身体を固くしたあと笑った。
「なに、急に」
俺には十年ぶり。
美月には、いつもの夫だった。
二人が寝たあと、俺はまたゲームを始めた。
《今日は莉央の誕生日です》
《残業する》
《帰宅する》
家族優先だ。
《莉央が熱を出しました》
《会議へ行く》
《病院へ連れていく》
病院に決まってる。
家の中に、知らない幸福が増えていった。
三人の旅行写真。莉央の成長記録。冷蔵庫の家族予定表。
完璧だった。
ただ、写真の中の俺が笑っている理由を、俺は一つも知らなかった。
最後に画面が止まった。
《過去の選択の修正が完了しました》
《現在のプレイヤー情報は保護されています》
《人生を最適化しますか?》
説明が続く。
《最適化では、選択結果から最適な“現在のあなた”を再構築します》
《現在のプレイヤーは旧データとして退避されます》
《実行後は取り消せません》
《はい》
《いいえ》
俺は《いいえ》にカーソルを合わせた。
再構築……? 旧データとして退避? どういうことだ? 説明書はないし……
美月も莉央もいる。
金も仕事もある。友人もいる。
ただ、思い出だけがない。
「だけど……だけどさぁ……」
元の人生に戻れば、それすらない。
でも、《はい》を押したらどうなるんだ?
「パパどうしたの? ゲーム? りおも一緒にやる」
寝ぼけまなこの莉央が無邪気に話しかけてきた。
……こっちの方がいい。失いたくない。再構築ってことは、新しい自分になるだけだろ。きっと大丈夫だ。きっと……なによりもう、戻りたくないんだ。
俺は《はい》を押した。
《最適化中……》
身体の重さが消えた瞬間、椅子にはまだ俺が座っていて、俺はその背後から自分の後頭部を見ていた。
「な……」
動かそうにも、身体は動かない。
《最適化完了》
椅子の俺が立ち上がった。
俺によく似ている。
だが髪型も姿勢も違った。痩せていて、表情が柔らかい。
左眉の傷だけは同じだった。
そいつは美月の隣へ行き、自然に腰へ手を回した。
「明日、水族館何時に出る?」
「九時でいいんじゃない?」
莉央が笑う。
「パパ、絶対寝坊するじゃん」
三人とも笑った。
俺は叫んだ。
誰も振り向かなかった。
リビングの写真を見る。
美月と莉央の間に、そいつがいた。
何枚見ても。
どの写真にも。
俺はいなかった。
ゲーム画面が光った。
《旧プレイヤーが残っています》
選択肢が表示された。
《この人生から退出する》
《この人生から退出する》
俺はコントローラーに触れようとした。
手がすり抜けた。
画面が点滅する。
《この人生から退出する》
《この人生から退出する》
《この人生から退出する》
《この人生から退出する》




