#91 西野さんではない
なんとか前半第一部を終えた僕は舞台袖に引っ込むと指揮棒を置く。途端にああ……生きた心地がしない。けれど震えている暇もない。
「響木先生、出番です。例の『顧問インタビュー』、お願いします」
ああ、ついに来てしまった……。こればかりは『タクト』で出るわけにはいかない。観念して指揮棒を持たずに舞台へと向かった。明るいライトに全身を照らされると、ジリジリと体感的な熱を感じる。
反響する拍手の中、深々とお辞儀をした。隣の西野さんを見るとマイクを両手でしっかりと握りいい緊張感を持ったにこやかな表情を見せていた。
『前半第一部お聴きいただきありがとうございました。恒例のトーク時間は冒頭挨拶に引き続き部長のわたくし、西野がお送りさせていただきます!』
ぺこりとお辞儀をするので合わせてお辞儀をした。西野さんは拍手がやむのを待ってマイクを構える。挨拶の時点で感じてはいたがこの生徒、ずいぶん舞台に慣れている。
『さて。実はですね、お気づきのお客様も多いかと思いますが指揮をしていただいているこちらの先生は……我が校の顧問の先生ではありません!』
ざわつく場内に苦笑いで応えた。
『我が校の本当の顧問の松阪先生、実は現在、なんとなんと、第一子出産中なのですっ!』
さすがにざわめきは大きくなった。
『そんな我が校の大ピンチを救ってくださったスーパーヒーローは……、お隣「美音原中学校吹奏楽部」顧問の響木先生だったのです!』
両手のひらをひらひらさせて輝きを示すジェスチャーをされまた拍手を頂戴したので今度は照れながらお辞儀をした。う、まいったな。やりづらいが仕方ない。
『というわけで今回の「顧問インタビュー」は急遽の無理な依頼を快諾してくださったこちらの「かっこいい」響木先生にいろいろと質問をさせていただきたいと思います!』
かっこいいって……、一体なにを訊ねられるのか。ほんのり嫌な予感がした。
『ではまずは質問の前にひとこと挨拶をお願いします』
はい、とマイクを受け取った。
『ええと、美音原中学校吹奏楽部顧問の響木です。今日は演奏会を聴きに来たはずが、どういうわけか指揮台に乗っています。人生本当にわかりません』
薄く笑いが拡がる。
『本当に本当にありがとうございます。響木先生にはのちほど全部員より厚く、焼肉とビールで御礼をさせていただきたいと思います!』
高二にしては返しが上手すぎるのだが。
『それでは早速質問させていただきます! まず……、響木先生はおいくつなんですか?』
いきなりの意外な質問に「え」と少々困惑しつつ答える。
『え……と、28です』
あ、お若いんですね!? と本心で驚いた彼女のリアクションに会場から笑いが起こる。老けて見られる自覚はそれほどないんたがな。
『では次、ご結婚はされていますか?』
ん、そういう質問なの? 伝統……?
『してませんよ』
『では彼女はおられますか?』
『あの……、西野さん?』
場内に笑いが起こるがこちらは笑えない。
『好きな女性のタイプは』
『ええっ……』
さすがに困ったが隣の演者はすっかりスイッチが入ってしまっている。
『休日はなにをなさっていますか』
『アイドルとかはお好きですか』
『彼女に作ってもらいたいおかずは』
矢継ぎ早に続く興味本位丸出しな質問には答えず苦く笑って呼びかけてみた。
『あの、西野さん……今日の演奏会の曲の話とか、しません?』
どかん、と会場が笑いに沸くのは嫌な気はしないが慣れてはいない。西野さんはまるで西野さんではないような不敵な笑みを浮かべるとたじろぐ僕にこう言い放った。
『まさか。会場のみなさんも曲の話なんかより、響木先生のこと知りたいですよね?』
拍手喝采。な、なるほど。そういう『伝統』なのか。松阪先生相手だったらどんな質問が飛んだのだろう。既婚者だから……などと野暮なことを一瞬想像しかけて自粛した。
『ちなみに私は……彼女候補になれますか?』
『ぅええ!?』
用意されたセリフだとわかっていてもこの近距離で上目遣いで公開告白などされたら赤面せずにいられない。僕の情けない声がマイクを通ってしまったことで恥ずかしさを助長する。最悪かよ。
咳払いをひとつして大人の対応を考えた。
『青春を思い出させてくれてありがとう。……この回答は控えさせていただきます』
降参の意を示して西野さんに向かって頭を下げると彼女は「ふふ」と笑って『響木先生、ありがとうございました。それでは後半も張り切ってゆきましょーう!』とまるでプロフェッショナルのように上手く締めた。
「はあああ緊張したあ」
舞台袖で自身のトランペットを手にしながらそんなことを言い出す西野さんに目を剥いた。
はは……。おもしろいな。掘れば掘るだけなにか出てくる。ミト中の時もそうだった。
教師ではなく部活顧問として接するからこそ見える生徒たちの姿がある。
ああ、そうだな。顧問は……楽しい。できることなら、すぐにでもまたやりたい。やりたいんだ、僕は。
吹奏楽部の、顧問がやりたい。
今日のこの幸か不幸かわからない縁に少しだけ感謝をして、後半第二部の舞台へと向かった。




