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#79 若さはない

ここから9回にわたって個人指導編をお届けします。

好きな順に読むのもアリ!? 初回はナンプから!

「よろしくお願いします!」


「ああまあ堅くならず」


 『貫禄生徒』は音楽準備室で待っていた僕の返事を聞くと「えっ、なんやヒビノか」と失礼こきながら力を抜いた。指揮者の僕がいると思っていたらしい。


 どうぞ、と椅子を勧めると困惑しつつも腰を下ろした。


「まずは少し話そうよ」

「ん……ああ」


 なかなか堅さが抜けない気がして小首を捻ると「面談とかそういうん、苦手で」と意外なことを言ってきた。


 むふ。それならばと僕は立って、わざと机の隅に腰を降ろした。


「え、ヒビノ?」


 戸惑うナンプを見て微笑んだ。「じゃあ休み時間と思って。気楽に話してよ」


 キョトンとしていた顔は次第に綻んで「かなわんな、その懐こさには」となぜか親戚のおじさんのようなことを言われた。


 ナンプは椅子を大きく引いて僕の斜向かいの位置に座り、「なんの話するんじゃ」と先程よりもいくらかリラックスした様子で問うてきた。


 窓から差し込む西日が明るい。冬の日差しは柔らかで、包まれると心地がいい。


 僕はうん、と軽く頷いて話を始めた。


「ナンプはさ、トロンボーン、好き?」


 意外な話題だったのか貫禄生徒は「当たり前じゃろ」と答えながら怪訝な表情を見せた。


「ナンプの音、僕は好きだよ。けどナンプはなあ……」


 そこでニヤリと笑って僕が言葉を切ると、相手は「な、なんや」とたじろいだ。たまらずクスリと笑う。


 隣の音楽室で自主練をする生徒たちの奏でる音が幾重にもなって聴こえる。このくぐもった騒々しさは結構好きだ。


「僕としては『もっと低音』のイメージかな、と思ってね」


 ナンプはこちらをまじまじと見つめて「はあ?」と首を捻った。


 ずっと言ってみたいと思っていたことだ。言えばどんな反応をするだろう、と楽しみでもあった。


「もちろんナンプのやりたいものをやればいいとは思うよ。けどタイプで考えると、『低音』だよなと思うんだよね」


 数秒の間をおいて、おっさん顔の生徒はポツリとつぶやく。


「楽器を、替われちこと?」


 そう聞こえたか。でも微妙にちがうんだよ。


「いや。『ひとつにとらわれるな』ってこと」


 よくわからん、という顔をされた。


「弦じゃなくて……、管。それもやっぱ金管かな」


 『弦』というのは吹奏楽ではコントラバスのこと。『金管』というのはラッパ系の楽器、低音で言うとチューバなんかを指す。チューバとは……って、今更こんな基本的な説明語りをすることになるとは驚いたな。


「ナンプは『みんなを支えるのが上手い』からね。梅吉のことや後輩たちのこと、全体の空気もいつもよく見てくれてるし、アマ中の笠井くんたちのことも気にしてくれてる」


「いや……」


 褒められるのが苦手なのか慌てたように顔を赤くするからおもしろい。


「だけど木管、っていうタイプじゃない。ナンプって結構性格は大雑把でしょ?」


 今度はギクリと笑顔を固めた。ふは、百面相かよ。


「う……。ようわかってんやな」

「だから転向するならチューバあたりかな、ってね。前から思ってたんだ」


 どう? と笑いかけると「うーん……」と考え込んでしまった。


「もちろんすぐにじゃなくていい。頭の片隅にでも置いておいてよ」


「……わかった」


 西日がだんだんオレンジ色になってきた。床に映る窓の形もさっきと比べてずいぶん斜めに傾いている。日暮れが早いな。



「アマ中の笠井くんたちとは仲良くやれてる?」


 話したいことは多いが演奏指導の時間も取ろうと思うと長々と駄弁ってもいられないなと話題を変えた。


「まあそれなりには」


「プレッシャーかけるようで悪いんだけど、合併後の吹奏楽部の運命は正直、ナンプにかかってると思うんだよね」


 目を瞬かせて「ん?」と自らを小さく指さすのでコクリと頷いてやる。


「なんで俺? 部長の梅吉やなくて?」


 内側から見ていると意外とわからないものか。


「ナンプと梅吉ではタイプがちがうからね。たとえばナンプがアマ中を嫌がれば必ず梅吉も同調するでしょ。けどナンプがアマ中を毛嫌いしなければ梅吉がもし嫌がったとしてもナンプは梅吉を宥めて説得できる。ほかの生徒の場合でもそうだ。だからナンプが重要なんだよ」


 ナンプは一瞬キョトンとしてから眉間にシワを作って「はんはん」と頷き始めた。「たしかに、そうかもしれんな」


 ほんま、ようわかっとんな、と真剣に褒められてしまい笑った。


 ナンプは息をつくと、デカい尻を座面に滑らせて身体の向きを変えオレンジ色の窓を眺めた。僕もそれに倣ってみる。


 トンビか、カラスか。あれはカラスだな、と僕が判別したところで「大丈夫じゃわ」と小さく言った。


「笠井も案外ええ奴じゃ。よう知りもせんと『よそもんや』なん言い合うんはくだらん。ミト中やなくても、もう仲間や」


 うっかり、じぃん、としてしまって慌てて床や机に目を泳がせた。はは。


 気を取り直してべつの話でもしよう。


「ちなみにナンプの見立てでは次の部長は誰を推す?」


 ふいを突かれたのかナンプは「えっ……ああ、そうか」と驚いた反応を見せた。彼らも春からは三年生。受験生となる。


「三年生なん、なりたないなあ」


 おっさん顔に似合わない年相応の本音に笑った。


 そうじゃなぁと僅かに思案して、やがてナンプは、あるひとりの生徒の名前を口に出す。僕は小さく頷いた。


「よかった。僕も同じ意見だよ」

「あいつしかおらんじゃろ。まあ部長ちう雰囲気やないけどな」


「梅吉よりはいいよ」

「ぶは! それはそう。ほんまに」


「はは。……ナンプ。今後も吹奏楽部を、よろしくね」


 微笑みかけると、「やめろ、ち言うとるじゃろ、そういうんは」と叱られた。



「さてと。じゃ、演奏も聴こうかな」


 立ち上がって指揮棒ケースを取り出すと相手は「え、ちょ、待って」と勢いよく椅子を飛ばして立って慌てるので僕は「ふはは」と笑う。



 ナンプの音は真っ直ぐ真面目。だけど硬くはなく伸びもいい。いずれ『頼れる兄貴』に成長していくのが見えて嬉しくなった。



「はいおつかれさま。どうもありがとう」


 では次の人、いってみようか。




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