#08 会ってはいけない
「この前の話のつづき」
おかみさんは微笑んで言いつつ「入ってもええかしら」と僕に訊ねた。
もちろん。と答えてどうぞ、と促すと、廊下からそろそろと屈んだまま部屋の中に移動してきて隅にちょこんと正座をした。
「美咲ちゃんはねぇ、会えんのよ、セリナちゃんと」
その『セリナ』がおそらく三年の『石本 芹奈』さんのことだとは先日初めてあった三年生の音楽の授業でわかった。残念ながら本人は欠席だったが。
僕がおかみさんの言う「会えない」という言葉の意味を考えていると、彼女は更に続けた。
「せやから『全校生徒』に参加させたい、ちいうあんたの案には乗れんのや」
「……どういうことですか? だってこの間は『戻りたい』って」
訊ねるとおかみさんは「うん」と頷いてそろり、と僕のトランペットケースに目をやった。
「あん時は新年度になってから芹奈ちゃんが登校せん、ち言い出したって聞いたから、あんな行動に走ったんやろね」
「えっ……どういう」
──美咲先生のいない学校なんて私行かない。
「会えん約束にはなりよるけど、なんとかあの子を学校に来させたかったんよ、美咲ちゃんは」
「芹奈さんと美咲先生の関係って」
訊ねるとおかみさんは、じ、とこちらを見てその口を開いた。
「美咲ちゃんの別れた旦那さんは……、芹奈ちゃんのお父さんなんよ」
「……え?」
一瞬混乱したが、なんとか思考を追いつかせる。つまり、生徒の父親とそういう仲になった、ということか。母親はもとからいなかったのか、あるいは……いや、邪推はよそう。
「役場仕事の、男前の人でね。そらもうお似合いやったんよ二人。結婚生活こそ短かったけど、付き合い自体は二年くらいで」
「二年、ってことは、芹奈さんと関わる前から知り合っていた、ってことですか?」
「ほぼ同時期やわね。出会いの細かいところまでは私も知らんけど、お母さんが出ていってすぐやったみたいで」
「はあ」
「芹奈ちゃんとも、親子ちうかまあ姉妹みたいやったけどそれなりに関係は上手くいきよったんよ。あのその、『ふえ』?」「フルート」「ああそう。それを美咲ちゃんが芹奈ちゃんに教えるようんなってね。『スジがいい』ち言うて。熱心にやっとったわ」
「……それが、なんで」
なんで離婚という結果になって、なんで芹奈さんと会えなくなったんだ。
「うん。……お母さんが、戻ってきたんよ」
「えっ!」
さすがに予想しないことだった。
「もともと、『夢を追いたい』ちて突然出ていった、なん聞いてたんやけどね。その人がまた気まぐれに戻ってきて、今度は『復縁せんか』ちて……」
「そんな勝手な」
「勝手やね。芹奈ちゃんと美咲ちゃんの気持ちを思うと……つらい。けどお父さんは決めてしもたんよ。復縁を」
おかみさんは当時を思い出しているのか苦々しげに続けた。
「相当ショックやったんやろうね。いつもあんな強気やけど美咲ちゃん、そん時はさすがにしばらく寝込んで……ずいぶん痩せたもんね」
美咲先生も並の人間ということか。あ、失敬。
「芹奈ちゃん自身はかなり迷うてたらしいよ。もともと気の合おた美咲ちゃんとついに『親子』になれたとこやったもんね。懐いてたんはほんま。せやけど小さい頃のええ思い出もたくさんある実の母親……今さらどっちか選べ、言うのも酷な話やろう?」
選べない。だから結局父親が選んだ『元母親』に軍配があったというわけか。
「いっぱい慰謝料もろた、ちて無理やり笑いよったけどね。ほんでもその代わり……芹奈ちゃんとはもう会わんといてくれ、ちて言われてしもたんよ」
理由はもちろん、お母さんが嫌がったんだそう。今さら『先生と生徒』だけの関係に戻れないだろう、それならいっそ『絶縁』してほしい、と。
「酷い」
「そやね……。けど仕方ない、ち言うてた。芹奈ちゃんのことを想えばそれが一番ええ、ちて……泣いとったわ、美咲ちゃん」
ふむ。それで協力はできない、と言うわけか。
にしても「会うな」「会えない」って……。
そこには芹奈さんの気持ちはひとつも汲まれてないんじゃないか。大人たちがそれぞれの都合で勝手に決めていることじゃないのか。
春に来たばかりの僕がこの複雑な話にどこまで首を突っ込んでいいものか悩ましい気はしたが、『全校生徒』で部活をやりたいと言った以上は関わらないわけにもいかない。
『芹奈さんの問題解決』
やることリストの上位に加えた。