#41 サボりではない
「あかん、言うとるやろ!」
「いや……でもぉ」
「あかん! とにかく自主練残って!」
「だってぇ……」
「もう時間ないんわかっとるじゃろが! 朝に言うたやろ! あと二週間やで!? よそごとしよる暇なんないって! 咲良!」
「んんんんん…………梅吉くんの、わからず屋ぁっ!」
「はあ!? どっちがわからず屋や!」
なんだ、廊下が騒がしい。「ヒビノ先生、はやく」と手を引かれて来てみれば、梅吉と咲良さんが言い合いをしていた。珍しい組み合わせだ。
「だいたい咲良、合宿中も漫画ばっか描きよったらしいやないか! 花火もせんと!」
「花火は喘息あって苦手だし……あでも、音は聞いてたから。みんなの楽しそうな映像はバッチリ見えてたよっ……ほらっ」
言いながらカバンからごそごそ取り出すのはラフスケッチの描かれたノートだ。なかなか上手いが梅吉は更に顔を赤くする。
「やっぱ描いてばっかおったんやないかぁっ!」
ばしん、と梅吉がノートを叩き落としてしまった。咲良さんは「ひええっ」とそれをすぐに拾って泣き顔になる。
「……待って待って。二人とも落ち着いて」
わかると思うが僕はケンカの仲裁も得意ではない。案の定梅吉はほとんど僕を無視してなおも咲良さんに文句をぶつける。
「漫画なんかいつでも描ける! けどコンクールは今しかないんやぞ!? どっちが大事か、大事にすべきかなんて誰にでもわかるわ!」
「ちがう! 新鮮なうちじゃないとダメなのっ! 腐っちゃうのっ!」
咲良さんはノートを抱えて廊下にへたりこんだまましくしく泣き出してしまった。梅吉はナンプに押さえられてジタバタしている。ふう。
要は自主練をせずに帰ろうとする咲良さんを梅吉がとめて言い合いに発展、といったところか。基本的に自主練はその名の通り自主的にやるものだから強制はできないのだが、部の状況からして梅吉の言い分ももっともと言える。実際帰ろうとしているのは咲良さんだけのようだし。
いや、でも咲良さんは────。
「ねえ、梅吉」
「はん!?」
まだ鼻息が荒いキウイ坊主は僕に対しても落ち着きを見せないままだ。まあ梅吉の気持ちもわかるが、ちょっと冷静になってほしい。
「咲良さんの演奏、ソロで聴いたことある?」
「……え?」
僕も気がついたのはこの合宿の二日目からだ。それまではほかの奏者の演奏にばかり気を取られていてあえて気にする必要がなかったのが気づかなかった原因だろう。
そもそもこの生徒の演奏が練習不足と感じるような酷いものだとしたら普段から自主練に残らない彼女を『指揮者の僕』が野放しにしているはずがないんだ。
つまり彼女の演奏は。
帰るつもりで片付けてあった咲良さんの楽器、ユーフォニアムを再び出してきてもらった。
熱血漢の部長を納得させるには『聴かせる』のがいちばん効果的なはずだ。
「ヒビノ、どういうこと?」
梅吉はずっと怪訝な顔をしている。僕は「まあまあ」と微笑んで準備を終えた咲良さんと音楽室の隅で向かい合い指揮棒を取り出した。
「課題曲の主題フレーズ。フルートと合わせる一回目のところから」
「あ……はい」
ゆっくりと動く指揮棒に合わせて静かに鳴る、伸びやかなCの音────。そこからはじまる。
それはある意味で『怒涛』といえる演奏だった。曲調は知っての通り明るいマーチだ。だから『怒涛』なのは曲調ではない。彼女のその『技術』のほうだ。
軽やかに歌う。音の粒が丸く正しく踊る。作曲者の意図を汲んで曲をわかってちゃんと楽しむ。響きまでコントロールできている。その上でしっかり美しく鳴らす。聴かせる。この小さな身体のどこからそんなにも息が送れるのか。そうだ、そこ。指揮者の意図も汲めるとは。見事だ。
目を見開いたのは梅吉だけじゃなかった。おそらく教室にいた指揮者以外の全員だろう。
「うま……」
いつの間にか廊下に集まっていたほかの部員たちの中からそんな声がこぼれ出ていた。
合宿二日目未明の朝、たしかに聴いたユーフォの音。はじめはアマ高の誰かかと思ったが違った。
──愛してますから。ゾッコンラブです。
はは、参った。愛の力というのもたしかにあるのかもしれない。一体いつの間に練習をしていたのか、あるいは天性の才なのかは定かではないが、彼女の演奏は芹奈さんにも匹敵するほどのものだった。
「なんで……?」
すっかりマヌケづらになってしまった梅吉を見て微笑んでから、僕は咲良さんに向き直った。
「作曲者や指揮者の意図を研究したのは描くためだったんだろうけど。それをちゃんと『音』にできてるのは努力の賜物だと思う」
それから僕は梅吉のほうを向いた。
「自主練って基本的にはパートか個人でするものでしょう。それならひとり落ち着く場所で取り組むほうが効率的と言える」
もちろん仲間と駄弁ることも大事な時間とは思うけど。
「家とかで吹いてたってこと? それならそうと言えば」
「ううん! 曲流しながら描いてただけだよ。ほんとに。吹くのはたまに、行き詰まった時に癒してもらうためっていうかで……」
要は咲良さんの場合『描く』ということで合奏で感じたことや譜面を見て思うことが頭の中で自然と整理されたのだろう。その上でピンポイントで出来の悪い部分の練習を重ねる。それが早い上達に繋がったわけだ。描きながらプロが演奏したお手本を聴き続けていたのも大きいだろう。
当然意識して取り組んでいたわけではないのだろうが彼女にとって最良の練習法だったといえる。その上で楽器への『愛』が熱いからもはや彼女は無敵なわけだ。
「咲良さんだってちゃんと梅吉の気持ちはわかってると思うし、伝わってると思うよ」
ね、と見ると漫画家センセイは首が取れるかと思うほど深く大きく頷いて見せた。
「金賞獲れないと話になりませんからっ!」
「はは。そうだよね」
理由はどうあれ、気持ちはひとつだ。
すべてを理解して「悪かった」とボソボソ言う梅吉がなんだか妙に可愛く思えてその坊主頭をさりさり撫でてやった。
すると周りの生徒たちが噴いて笑って、あっという間に梅吉はみんなに囲まれて頭を撫でられまくっていた。
あはは、おいおい誰だ、どさくさ紛れに僕の頭までくしゃくしゃにしてくる奴は!
「ほらほらみんなっ! 練習しよう! 練習っ!」
ああ、楽しいな。こんな時間が、本当に愛おしくてたまらない。
コンクールまで、あと十四日。




