#40 奇跡を狙うのではない
未明の薄闇の中、敷布団に寝転がりながら夢うつつで美しい旋律を聴いた。コンクールの課題曲だ。華やかな高音と、丸く穏やかな中低音。ふたつの響きが重なって、溶け合って、じつに心地いい。
高音はフルート。たぶん芹奈さんだろう。だけど中低音は? これは、ユーフォニアムの音と思うんだが────。
明朝のラジオ体操に始まった二日目はアマ高とは分かれてそれぞれのコンクール曲を中心としたパート練習を組んでいた。
近くで高校生の練習を見る。聴く。それがいい刺激になると思ったのだが、ん? どういうわけか効果はマイナスに作用してしまったらしい。
「……えっ、なんかモチベーション下がってない!?」
夕方学校に到着後、解散前のミーティングで僕はみんなにそう訊ねた。
「アマ高……上手かったな」
ぼそりと呟くのはナンプ。なるほど、みんな意識だけは高いから。高校生との圧倒的なレベルの差に打ちのめされたというわけか。
「そりゃ高校生だからレベルは違うよ」
僕がそうフォローしても生徒たちの顔は晴れない。『全国大会』などと軽く言っていた自分たちが恥ずかしくなってしまったようだ。
「『差』を感じたのなら、それを埋める努力をするしかないよ」
僕は珍しく真剣にそう言った。そしてみんなに背を向けてチョークを持つと黒板にデカく文字を書く。
『コンクールまであと15日!』
「今日から毎日、カウントダウンしよう。どう? 『まだ15日ある』? それとも『もう15日しかない』?」
生徒たちの表情が一気に引き締まった。
「15日、約二週間だ。気持ち下げてる暇はないよ。どんな風に過ごしてもコンクールはやって来る。僕らに出来ることは、『悔いなくやること』。それだけだ」
焦るな。だけど、無駄にするな。
「で? どうなの? あんたの見立ては」
天ぷら屋にて美咲先生にミクさんの家の手伝いをしてくれたことを改めて労い、感謝を述べると案の定絡まれた。合宿に加えて帰りも怒涛の大型車運転ラッシュ、それに二校分の楽器搬入まで乗り越えて来てるんだ。いつもよりかなり疲れているんだから今日くらいそっとしておいてほしいものだが。
「聞いてどうするんですか、そんなの」
「今の部の状況を知りたいの。どうなの、実際」
「……言いたくないです」
モチベーションが下がってしまって軽く危機状態だなんて。
「はあ? なんでよ」
「言っても仕方ないですし」
「どういう意味!? 私じゃ力になれないって言うの?」
うるさいな、とはもちろん言えない。まだ死にたくはない。
「そんなこと言ってません。まだ二週間あるんだから、まだわからないってことです」
そう。部員たちにも言った通りだ。
「……そうだけど、それでもなにか考えてることはあるんでしょ? もおう、本当にじれったいな、これだから『ワタル』は嫌なの! 『タクト』と話させてよっ!」
「また……やりませんってば」
「え、美咲って『響木先生の方』と付き合おてるん?」
いきなり梅吉の声がしたせいで持っていた天丼のどんぶりをひっくり返しかけた。
「「梅吉っ、なんでここに!?」」
そして美咲先生と仲良く口を揃えてしまった。嫌でも顔が熱くなってしまいもっと嫌だ。
「ヒビノの『見立て』俺も知りたい」
慌てる僕たちをよそに梅吉は真剣な様子だった。教師である以前に大人としてひとつ咳払いをしつつどんぶりをテーブルに置いて居住まいを正す。
「さっき学校で言った通りだよ。二週間……今日は『残り僅か』みたいに言ったけど、実際二週間あれば全体の『音』はかなり変わる」
言いながらどんぶりの中のえび天を見つめた。ただのエビも大将の手にかかればこんなに美味いものになる。つまり正しいやり方さえ踏んでいけば、必ず成果は得られる。
「まだわからないよ」
すると梅吉は「んん」と唸って「そうじゃな」と呟く。そして少しなにかを考えるそぶりを見せてから「お邪魔しました」とぺこりと頭を下げた。
いや、邪魔は特にされてないんだがな。
おそらく梅吉も僕に「どうすればいいと思うか」を訊ねにきたんだろう。美咲先生同様に、なにか策はないのか、と。
正直なところ、策なんかない。モチベーションというのは気持ちだ。下がった原因が『下手の自覚』なら彼らにまだ伸びしろはいくらでもある。
早くそこに気づいて、前よりもっと燃えてくれ。顧問という立場の僕はそれを願うよりほかない。
翌朝のミーティングの最後に、久しぶりに部長らしく坊主頭が手を挙げた。
「練習始める前に、俺からひとつ話さしてください!」
僕を含めた全員の視線が梅吉に集まった。
「……はっきり言って、合宿の後からモチベーションは下がっとる。俺自身もそうじゃった。けどあと二週間や。二週間。『すぐ』と思うんも自分らやけど、『濃く』できるんも自分ら。今のままじゃ『金賞』は獲れん! だからこの二週間を『濃く』過ごそうや! 俺は、もっと上手くなりたい! もっともっと、上手くなりたい! そんでヒビノを……響木先生を、全国に連れて行きたい!」
潤むその瞳からは『悔しい』という気持ちが溢れ出ていた。今のままじゃ届かない。だけど努力次第であるいは。昨日の僕の『見立て』からそう思ったんだろう。
にしても。
キッカケとなったはずの『母校の名前云々』というのがすっぱり抜けているのに気がついたのは僕だけだろうか。
一体いつからみんなの目標はシンプルな『全国金賞』になったんだ? 母校ももちろん大切だろうが、今のみんなからはそれ以上の気持ちがビンビン感じられる。
『なんとしても獲る』そんな気持ちが。
「『奇跡』なんかを狙うんやない! ちゃんと『確信』を持ちたい!」
梅吉の言葉に、キョトンとしていたみんなの顔がみるみる士気を帯びていった。そして、ナンプが叫ぶ。
「ミト中『響木組』! 全国、行くぞ!」
──うおおおおおっ!
久々に、全員の雄叫びを聞いた。
……参ったな。
『響木組』には、さすがに参った。
……ちょっとしゃがもう。
「えっ、泣いてる!?」
「ないてない……」
「いや泣いとるでヒビノ」
「ないてないってば……はあ」
「ふふん。泣くのはまだ早いぞ」
「わかってるよ、……ありがとう」
「それもまだ早い!」
「ああ……そうだね。はは。……はあ、すごいよ、梅吉。すごいよみんな」
さあ。我ら『美音原中学吹奏楽部』は、ここから本領発揮だ!




