#32 騒ぎにはしない
翌週から合奏は水曜と土曜の週二回に増えた。水曜は放課後のため短いが、土曜は半日みっちり。真知さんが精神的にだんだんキツくなっているのは傍から見てもよくわかった。
「ソロんとこ伴奏だけでとりあえず」
『指揮の僕』はソロ奏者が最初の通しでヘマをするとその日の合奏でソロ部分はもう吹かせない。そんな厳しい指導に真知さんは泣いていた。
「ヒビノ先生……」
「大丈夫。良くはなってるよ」
「ほんまに? 響木先生は毎回『吹くな』ち言うやないですかあ」
自分が進歩しているのを自分で実感するのはなかなか難しい。
「まあ伴奏と合わせるにはまだ少し早いかなと思うんだよね。なにが足りてないか、自分でわかる?」
思いがけない質問だったのか戸惑った表情をした。緩く笑って教えてやる。
「自信だよ」
「え……?」
「それだけだと思うよ」
そうして「ちょっと吹いてみ」と指揮棒に手を伸ばした。「え、ちょっと待って!」と慌てる相手に構わず僕は瞬時に『指揮者』に変わる。
「早くしろ時間ねーんだ」
「う、はいっ!」
怯える暇も与えず確実に弱い部分を探し出し「そこ!」と突いていく。「もっかい」「もっかい」と五、六回通してコトンと指揮棒を置いた。
「うん。良くなったよ。あとは自信つけるには誰かに聴いてもらうのがいいかもね。正直な意見くれそうな……久原くん、とかに一度聴いてもらったら? はは」
「な……」
唖然とした顔に笑った。さて。どうなるかな。
翌朝出勤すると校門近くで「ちょい」と低い声の主に腕を引かれた。そのまま校舎裏の陰に連れられる。
「ほんまどうなっとるん。おたくの吹部は」
すっかり見慣れたクレーマーの中村先生だった。今度は一体なんのことだ、と考えを巡らせるが心当たりはない。
「いやっ……あの、なにか」
控えめに訊ねてみると盛大にため息をついてから教えてくれた。
「久原 誠司とたぶん柏木 真知。昨夜8時すぎに校内に『不法侵入』」
「不法侵入!?」
驚きで声がひっくり返った。慌てて口に手で蓋をする。
中村先生は「やっぱ知らんわな」と呆れ気味に目を細めた。
「保健室の大窓の鍵、破壊されとりました。久原の仕業やったら『器物損壊』」
「おお……」
立て続け発された物騒な言葉にたじろぐ。
なるほど、なんとなく全容が見えてきた。そうか。久原くんは真知さんをソロ奏者として育てるのに適役とは思ったが、あの生徒にはこういうリスクもあったわけか。
「それと柏木は学校の楽器持ったまま帰宅したはずです。やとしたら『窃盗』やわな」
「ちょ、そんな」
たまらず抗議すると眉を曲げ不機嫌に睨まれた。
「窃盗は言い過ぎですよ。学校の楽器は基本的には持ち出しは自由ですから。悪用するような生徒はいないですし」
「は。信頼、ちうのは裏切られんで。響木先生」
「な、よしてくださいよ」
いや、値が付くかも怪しいボロ楽器だし。
「とにかく。顧問なんやしあんたから二人に厳重注意、こってりお願いしますよ」
「えっ? えっと……いいんですか、そんな、それだけで。しかも僕からで」
てっきり教頭にも知れているものと思っていた。そういえば職員室ではなくわざわざこんな外で教えてくれたのもそういう理由か。
すると中村先生は少し照れた風に目を逸らして「いいも悪いも」と横目にボソリと言う。「こんだけ努力してこんなんで出場停止とかなったらアホすぎじゃろ」
おお、朝日を浴びているせいかいつもくたびれている中村先生が珍しく渋くかっこよく見える。
「けど二度目はないで。もし次があったらさすがに報告せんわけにいかん。そんじゃ」
気だるそうな背中にお礼を述べて深く頭を下げてから、眩しい朝日に向けてため息をついた。
「大窓の鍵壊したんは昨日ちゃうで。もっと前」
昼休みに呼び出した被疑者の態度は残念ながらこんな具合だった。
「……はあ。それは、どうして」
「住もかち思うて。家出しとうなった時、保健室に」
僕はふわりと天井を仰いでから目を閉じた。ちがう。そんな話が聞きたいんじゃない。
「くっはは。指揮棒持つ?」
「いや大丈夫」
そもそも不良は苦手だって前から言っている。それでよく中学教師が勤まるなと自分でも思うが。
「とにかく施錠後に無断で、しかも生徒だけで無理やり校内に侵入するなんて絶対にダメだから。犯罪になるからね? 今後は本当にやめてよ。久原くん個人だけじゃなくて、部の活動にも影響するから。ていうかコンクール出られなくなったらなにもかもおしまいだからね?」
一生懸命伝えたのに聞けたこたえは軽い「あーい」だけだった。はあ。舐められすぎだ。
ちなみに『窃盗』容疑の真知さんはやはりほぼ無実で、中村先生に見つかって慌てて逃げた久原くんに手を引かれるまま楽器を持って学校を出てしまったのだという。咄嗟のことで返しに戻ることもできず仕方なく昨日はそのまま持ち帰り、今朝いちばんに戻したんだそう。
「……じゃあつまり、二人は音楽室でソロの練習をしてたってわけ?」
「練習……ちうより、一回聴いてもらっただけやよ。『聴いてもらえ』ち、言うたやないですか、ヒビノ先生」
『自主練の時間内に』と付け加えなければいけなかったらしい。
「なんでまたそんな夜に」
「彼女とデートや言うて自主練残らんと帰りよるもん」
「はあ? おまえが『やっぱなんもないわ』ちて要件言わんからじゃろが」
「デートの邪魔したあかん思たからですう!」
「そんなもんすぐ済むんやし『ソロ一回聴いて』ちて言うたらその場で聴いたわい」
「だぁ、か、らぁ」
ああ、天井を仰いでいる場合じゃない。
「はあ……。で、どうだったの」
「……聞いてもらえますか」
言うや真知さんは立ち上がって隣の音楽準備室から自身の使うクラリネットを取り出してきた。
昼休みの今は部活時間外ではあるが、特例として向かい合って立つ。
──……
ああ。なるほど。
久原くんがしたり顔をしているのが視界の隅に入った。幼なじみとして真知さんを知り尽くしている彼は一体なにを助言したんだろうな。多少の予想はできたが言い当てるのはやめておいた。
「はは、そうだね。本番もそれでよろしく」




