#31 プレッシャーではない
休日一日を挟んだ月曜の練習日、僕はみんなの前でついに本命の発表をした。
「コンクールの曲が決まりました」
いつになく真剣に話す僕を前に生徒たちにも緊張が窺えた。
カツカツと音を立てて黒板にその曲名を書いてゆく。曲は二曲。ひとつは日本語だがもうひとつは外国語の題名だ。それだけで生徒たちがざわつく。はは、大丈夫だよ。歌うわけじゃないんだから。
「ひとつは課題曲。もうひとつは自由曲。今回は僕と美咲先生とで決めさせてもらいました。まあ知らない曲だと思うよ。コンクールってそういうもんだからね」
そう笑って「とにかく聴いてみて」とプレイヤーのボタンを押した。
一曲目は課題曲。このコンクールのために作曲されたという行進曲だ。行進曲とあって終始明るい雰囲気でクセもないいい曲だ。
二曲目は自由曲。こちらはストーリー性のある曲で、見せ場にクラリネットのソロがあるのが特徴。
試聴後、全員が纏う空気……それは『不安』。まあ仕方のないことだ。これまではそれなりにメジャーな曲ばかりを選んでいたから。『曲を覚える』ということが今回はじめて必要となるわけだ。
「むずそうじゃな……」
ナンプがそう呟くと全員が暗い顔で頷いた。
「……はは、大丈夫。まだまだ時間はあるから。ちゃんとできるようになるよ」
そう。本番が近づく頃には全員が細部まで鼻歌を歌えるほどになるんだ。言ってもまだ誰も信じないだろうけど。
楽譜を配って解散、その後は個人練習とした。廊下を歩いていると後ろから声をかけられた。振り向くとそこには珍しく慌てた様子の真知さん。来ると思っていたので「ああ」と微笑んで応えた。
「先生、無理やよっ!」
「はは、大丈夫だってば」
「無理! 絶対無理っ!」
なにか言うだろうとは思っていたがここまでの猛抗議が来るとは思わなかったな。
「無理やよ……ソロなん」
吹奏楽での『ソロ』がどういったものかは部員たちは先日のサマーコンサートでアマ高の合奏を観て初めて知っただろう。
想像そのまま『一人で吹く』ということ。厳密に言えば伴奏はつくけど。
「どうしたらええんですか……」
泣き出しそうになる真知さんに困り笑顔を向けた。
「真知さんは上手いよ。だからクラリネットソロのあるこの曲を選んだんだから」
「ええ?」
『プレッシャー』ではなく『信頼』。この機会に彼女にはぜひ大きく成長してもらいたい。そう思っていた。おそらくガキな部長副部長を影で取り纏めている『総長』のような存在の彼女には。
「壁にぶち当たってから、またおいで」
緩い笑顔を向けると真知さんは渋々頷いて個人練習へと向かっていった。
それから真知さんは悩みながらも熱心にソロの練習に励んでいるようだった。
うん。いい感じだ。だけど本人はそうは思っていないらしい。
「はいもういい。今は真知のための時間じゃないからそこは飛ばして次いきます」
迎えた初合奏の日。『指揮の僕』の厳しい言葉を受けた真知さんは解散後に相談にやってきた。
合奏後の僕の周りは悩める奏者で溢れる。順番待ちをしてようやくたどり着いてくれた真知さんに「ああ、さっきは本当にごめん」と眉を下げて決まり文句を述べた。
「ううん、当然やち思う」
今日のはほんまに、ひどかったもん。とまた泣きそうになるから「大丈夫大丈夫」となだめながらそのすぐ後ろに普段は見ない顔を見て驚いた。「あれ、久原くんも?」
『不真面目』を信条としている彼が僕のもとに相談に来たことはこれまで一度もなかったのだが。
不思議に見ていると「ああいや俺は付き添い」と手をひらりと振る。付き添い? って、真知さんの?
「つーかヒビノ、ええ加減『久原くん』なん寒気する呼び方やめ。合奏中みたいに『セージ』でええやん」
「ええ? それは僕には無理だってば」
「『梅吉』や『ナンプ』は呼べんのになんで?」
「梅吉やナンプは不良じゃないから」
「俺やってもうちゃうわい!」
「そういうとこだよ……」
指揮棒を持っていない時にどやさないでほしい。と、話題が逸れたことに不満らしい真知さんが口を出した。
「もう、邪魔せんとって。今は私の時間やしっ」
「ぷっ、『今は』な」
──今は真知のための時間じゃないからそこは飛ばして次いきます。
ぶは。なるほどこの二人は『そういう間柄』らしい。たしか幼なじみだとかって言っていたか。
「真知さんも久原くんも、なんかいつもと違うね。二人揃うと、ふは、おもしろい」
言うと久原くんは珍しく嬉しそうにはにかんだ。へえ、彼にこんな一面があったとは。対して真知さんはかなり嫌そうだが。
「真知とは家族以上の付き合いやからな。特別なんや。まあせやから絶対に恋愛対象にはならんけど」
「は!? キモいこと言わんといてっ!」
要は『典型的な幼なじみ』ということらしい。微笑ましく見ながら話をソロの件に戻した。
「ソロの件はアマ高の石川さんに一度相談してみるといいよ。僕も美咲先生もクラは吹けないから細かいところまで指導はできないからね。専門家に教わるのが最短ルートでしょ」
五月まで週二回ミト中に指導に来てくれていたアマ高生たちと彼らはもはや師弟関係のようになっているという。高校まで距離は少しあるが相談はしやすいたずだ。
僕の言葉を受けて久原くんが真知さんにドヤ顔を向けていた。はは、どうやら先に同じ話をしていたらしい。
そんな久原くんを横目に睨みつつ真知さんは「わかりました」と頭を下げて去っていった。




