僕だけの君に、キスを。
知らなかった。
知らなかったんだ。
君と僕が結婚したのはお互いの家の為。
生まれた時から結婚は決まっていた。
僕にはそれが窮屈で、堪らなく苦痛だった。
無条件に向けられる期待
当然の様に求められた完璧
君が僕に向ける想いも、全てがお互いの家の為だけに思えた。
だから僕は逃げた。
僕は君からの純粋な想いから逃げ、幼馴染と共に駆け落ち同然に家から逃げ出した。
その行いが君をどんなに辛く、悲しませる事に繋がるとは知らずに。
なのに、それなのに、僕は勝手だった。
それまでとの全てが恵まれていた生活とは違い、全てが初めてで、これまでの自分の全てを否定され、蔑まれる生活。
そんな日々の中、僕の心の中にいたのは、手を取りあって逃げた幼馴染ではなく、いつも僕の後ろを歩き、時には傲慢に振る舞う君の姿。
そうして自分の本心さえも判らなくなった頃、僕は再び幼馴染を連れ、逃げ出した筈の家に戻った。
当然だった。
そうなる事を願っていた筈だった。
望んでいた筈だった。
なのに、それが認められなかった。
どこまでも勝手な僕に、君は笑った。
いや、嗤った。
花の女王の様に微笑んでいた君は消え。
完璧だった君も消え。
数年ぶりに再会した君は、僕が知らない君に為り果てていた。
快楽と酒に溺れた君。
僕を顔も名前も知らない他人だと言った君。
婚約者なんていないと言い切った君。
泣いているのに、泣いていなかった。
変わり果てた君の隣には、僕ではなく、僕のすぐ下の弟がいた。
それが堪らなく我慢出来なかった。
不愉快で堪らなかった。
君と家から逃げたのは僕の方だったのに、裏切りだと思った。
抵抗する君を何度も抑え。
僕を見ようとしない君を苛立ち紛れに抱き。
抑え切られない怒りを、全て君のせいにした。
それがどんなに愚かな事なのかを理解しないまま、僕は弟から奪い取る様に君を手に入れた。
結婚すれば、全てが元通りになると思っていた。
結婚さえしたら、君は僕を見てくれると思っていた。
結婚さえすれば、君は僕から逃げないと思っていた。
でも君は僕の思いとは裏腹に、外に意識を向け始めた。
昔は僕だけを見ていた。
昔は僕の後ろだけを歩いていた。
昔は僕だけを好きだと言ってくれていた。
その日は偶然だった。
偶然時間が空いて、店で休憩をしていた。
そこに君は弟と笑顔で入ってきた。
僕の知らない、君の晴れやかな笑顔。
幸せに輝く君の笑顔。
はにかみ、羞恥に赤くなる君の笑顔。
指には僕の見覚えのない指輪をはめ、弟に甘く微笑む君。
その日の夜、僕は感情と酒の酔いに任せ、君を酷く抱いた。
嫌だと泣き喚く君を組み敷き。
離してと懇願する君を抑え、僕は君を朝まで抱き続けた。
料理なんて出来なくても良い。
爪だって綺麗にしていて良い。
服装だって変えなくて良い。
靴だって、髪の形だって、君の好きにして良い。
僕はありのままの君がいつだって眩しく、誇らしく、愛おしかった。
許してくれなんて言えない。
許して欲しいとも言えない。
ただ、僕をもう一度正面から見て欲しかった。
温かい涙が僕の頬に落ちる。
温かくも冷たい、君の涙と言う思いが落ちてくる。
『さようなら、玲茨・・・。』
君の悲しみに満ちた声が聞こえる。
君の諦めに満ちた声が聞こえる。
今、目覚めなければ。
今を逃してしまえば、君は僕の前から消えてしまう。
どんなに詰ってくれたっても良い。
どんなに我が侭を言ったっていい。
だから、だから。
君に許しを乞うキスをしよう。
君に僕の愛を伝えるキスを贈ろう。
君だけを愛すると誓うキスを贈ろう。
意地っ張りで、泣き虫で、それでも誰より愛しく優しい、僕だけの君にキスを贈ろう。
「稜子、愛してる」
ほら、こんなにも僕は君を愛している。
君は僕がいなくても生きていけるだろうけど、僕は違う。
僕は君がいなければ、呼吸さえ満足に出来ない。
だから僕の傍にいて欲しい。
キスを贈ろう。
僕だけの愛する、運命の君に、とびっきりの甘いキスを贈ろう。
君だけを愛すると誓うから。
もう君以外を見ないと、愛さないし、触れないと誓うから。
だからキスをしよう。
幸せになる為にキスをしよう。




