第84話 命を繋ぐ帰還
# 第84話 命を繋ぐ帰還
Ariaの呼吸は続いていた。
浅い。
弱い。
今にも消えてしまいそうなほど頼りない。
それでも、確かに続いている。
胸が小さく上下するたびに、まだ命が繋がっていることを全員が実感していた。
白銀の翼のヒーラーは、額に汗を浮かべながら《リジェネ》を維持し続けている。
少しでも回復の流れを途切れさせれば、再び容体が悪化するかもしれない。
だから、一瞬たりとも集中を切らさない。
Aliciaもまた、Ariaの手を強く握ったまま離さなかった。
その手は冷たい。
だが、先ほどよりもわずかに温もりが戻っている。
助かった。
そう思いたくなるほどの変化だった。
しかし、Arcだけは表情を緩めなかった。
まだ終わっていない。
むしろ、本当の意味での時間との戦いはここからだった。
「まだ危険な状態だ」
その言葉に、全員の視線がArcへ集まる。
「出血は止めた」
「だが、失った血液は戻っていない」
「身体も限界だ」
ArcはAriaの容体を確認しながら続ける。
「少しでも負荷がかかれば、また崩れる可能性がある」
その言葉に、白銀の翼のメンバーたちの顔が引き締まった。
助かった。
そう思いかけていた空気が、一瞬で消える。
Arcが行ったのは、あくまで命を繋ぎ止めるための応急処置だ。
失われた血液が戻ったわけではない。
壊れた身体が完全に治ったわけでもない。
無理をすれば、再び出血が始まる可能性もある。
今のAriaは、かろうじて命を繋いでいる状態だった。
「安心するのは、地上へ帰ってからだ」
「……うん」
Aliciaが強く頷く。
彼女も理解していた。
ここはまだダンジョンの二十三階層。
安全な場所ではない。
治療設備もなければ、十分な休息を取れる環境でもない。
この場に長く留まるほど、危険は増えていく。
「地上まで運ぶ」
「それが今の最優先だ」
誰も異論はなかった。
討伐でもない。
探索でもない。
今の目的はただ一つ。
Ariaを生かしたまま地上へ連れ帰ることだった。
その瞬間だった。
ドォンッ!!
大地が揺れた。
離れた場所で、灼熱巨人が咆哮を上げる。
まだ終わっていない。
倒れていない。
巨人は、なおも暴れ続けていた。
もしここで戦闘が長引けば、その振動や衝撃だけでもAriaの身体へ負担がかかる。
時間をかける選択肢は存在しなかった。
「チッ……」
Cainが舌打ちする。
「長引かせる時間はねぇな」
その言葉に、誰も反論しなかった。
Ariaはまだ危険な状態だ。
出血は抑え込んだ。
だが、失われた血液までは戻っていない。
身体は限界に近く、いつ容体が悪化してもおかしくない状態だった。
ここで戦闘を長引かせることは、そのままAriaの命を危険へ晒すことになる。
「当然だ」
Arcは即座に状況を整理する。
必要なのは討伐ではない。
時間をかけた安全な戦いでもない。
最短で敵を排除し、一秒でも早く地上へ向かうことだった。
Ariaはまだ危険な状態だ。
出血は抑えた。
だが、失われた血液は戻っていない。
身体も限界に近く、いつ容体が悪化してもおかしくない。
ここで戦闘を長引かせることだけは許されなかった。
そのために必要なのは、いつもの連携だ。
役割を明確にし、無駄な動きをなくす。
誰か一人が無理をするのではない。
それぞれが自分の役割だけを完璧にこなす。
そうすれば、短時間で決着をつけられる。
Arcは迷いなく指示を飛ばした。
「Garm、五秒だけ止めろ」
「了解!」
五秒あれば十分だった。
灼熱巨人ほどの相手でも、Aegisなら連携次第で仕留められる。
必要なのは長時間の足止めではない。
攻撃の起点を作る、そのわずかな時間だけだ。
「Sia、弱点を露出させろ」
「任せて!」
硬い外殻をそのまま相手にする必要はない。
狙うべき場所を作り出せばいい。
どれだけ頑丈な魔物でも、必ず崩せる一点がある。
そこへ攻撃を集中させれば、巨体であろうと関係ない。
「Nova、熱を削れ」
「分かった!」
灼熱巨人の身体を覆う高熱は厄介だ。
近づくだけでも体力を奪われる。
だからこそ、接近する仲間の負担を少しでも減らす必要があった。
ほんの少し熱量を乱すだけでも十分だ。
その一瞬が、勝敗を分ける。
「Rain」
「うん」
「Cain」
「ああ」
Arcの視線が二人へ向く。
最後の役割だ。
作り出された隙を逃さず、一撃で終わらせる。
長引かせない。
追撃もしない。
たった一度の攻撃で戦闘そのものを終わらせる。
それが、今のAegisに求められている戦い方だった。
「一撃で終わらせろ」
二人が笑った。
「了解」
「任せろ」
Garmが前へ飛び出した。
巨大な盾を構え、灼熱巨人の正面へ立つ。
灼熱巨人はすぐに反応した。
侵入者を排除するように、巨大な腕を振り上げる。
次の瞬間、振り下ろされた巨大な拳をGarmが真正面から受け止めた。
ドゴォォン!!
衝撃が周囲へ広がり、足元の地面が砕け散る。
普通なら吹き飛ばされてもおかしくない一撃だった。
だが、Garmは退かない。
両足を踏み込み、全身へ力を込める。
そして、盾を押し込みながら巨体の動きを強引に止めた。
「こっち見ろ、化物!」
挑発するような声が響く。
灼熱巨人の視線がGarmへ向いた。
これでいい。
ほんの数秒でも注意を引きつけられれば十分だった。
その隙を、仲間たちは見逃さない。
その瞬間だった。
Siaの矢が飛ぶ。
「《ペネトレイトアロー》!」
鋭い一撃が空気を切り裂く。
狙うのは胸部。
先ほどの戦闘で判明した弱点だ。
矢は正確に突き刺さり、赤熱していた表面へ小さな亀裂を作り出した。
続けてNovaが杖を振るった。
「《契約》サラマンダー!」
足元へ赤い魔法陣が広がる。
複雑な紋様が輝き始め、熱を帯びた魔力が周囲へ溢れ出した。
次の瞬間、小さな炎の精霊が姿を現す。
サラマンダーだ。
全身を揺らめく炎で包みながら、Novaの指示に従って灼熱巨人へ向かって飛び出した。
灼熱巨人は常に高熱を纏っている。
普通の炎魔法では、その熱に飲み込まれ、十分な効果を発揮できない。
だが、相手が同じ炎を操る存在なら話は別だった。
炎の精霊は、炎そのものへ干渉できる。
熱の流れを乱し、均衡を崩すことができるのだ。
サラマンダーが大きく口を開く。
「ギャオオオオ!!」
次の瞬間、《火炎ブレス》が放たれた。
激しい炎が灼熱巨人へぶつかり合う。
炎と炎がぶつかり、周囲の熱が激しく揺らいだ。
赤く燃え盛っていた巨人の身体から、熱の流れが乱れていく。
身体を覆っていた灼熱が不安定になった。
ほんの一瞬。
だが、その一瞬で十分だった。
隙が生まれる。
「Rain!」
「もう行ってる!」
Rainは呼ばれるよりも早く動いていた。
風のような速度で灼熱巨人の懐へ潜り込む。
巨人の視線が揺れた。
そして。
Cainが2本の戦斧を握り直した。
深く息を吸い込み、視線を灼熱巨人へ固定する。
長引かせるわけにはいかない。
Ariaはまだ危険な状態だ。
一秒でも早く地上へ戻らなければならない。
だからこそ、この戦いはここで終わらせる。
「《狂暴化》」
次の瞬間。
赤黒い闘気が全身から噴き上がった。
筋肉が膨れ上がり、足元の床が砕ける。
《狂暴化》。
防御力を大きく犠牲にする代わりに、攻撃力を極限まで引き上げる危険なスキルだ。
強力ではあるが、長時間使えば自分自身が無防備になる。
普段なら、そう簡単に使うものではない。
だが、今は違う。
必要なのは安全な戦い方ではない。
最短で敵を倒し、全員で生きて帰ることだった。
Cainが大地を蹴る。
踏み込みは一瞬。
巨体との距離を一気に詰める。
灼熱巨人が腕を振り上げるよりも早く、その懐へ潜り込んだ。
そして、全身の力を2本の戦斧へ乗せる。
赤黒い闘気が刃へ集まり、重く、鋭く収束していく。
狙うのは、Siaが作り出した傷口。
Novaが熱を乱し、Rainが生み出した一瞬の隙。
仲間たちが繋いだ、その一点だけだった。
Cainが両腕を振り上げる。
「《重閃》!!」
轟音が16階層へ響き渡った。
圧縮された衝撃が灼熱巨人の胸部へ叩き込まれる。
赤熱していた胸部が、大きく裂けた。
巨体が大きく揺らぐ。
次の瞬間――。
灼熱巨人の胸部に走った亀裂が、一気に全身へ広がった。
赤熱していた身体から炎が弱まり、巨体が大きく揺らぐ。
支えを失ったように膝が折れ、そのまま前のめりに倒れ込んだ。
ドォォォォォン……。
凄まじい地響きが辺りへ広がり、床に積もっていた砂埃が舞い上がる。
先ほどまで暴れ狂っていた灼熱巨人は、もう動かない。
討伐は完了した。
だが、誰一人として安堵の息を吐かなかった。
今の目的は勝利ではない。
Ariaを生かしたまま地上へ連れ帰ること。
それだけだった。
戦闘が終わったからといって、危機が去ったわけではない。
Ariaは大量の血液を失っている。
出血は止めた。
だが、身体はまだ限界寸前だ。
一秒でも早く医療設備の整った地上へ戻らなければならない。
ここで立ち止まる時間はない。
Arcはすぐに口を開いた。
「撤退する」
迷いのない一言だった。
その言葉を聞いた瞬間、全員が動き出した。
誰も質問しない。
誰も勝利を喜ばない。
生き延びたことに安堵している暇はない。
今やるべきことは、一つしかなかった。
Ariaを生かしたまま、全員で地上へ帰ること。
そのために、一秒たりとも無駄にはできない。




