第31話 再集合
# 第31話 再集合
Aegisギルドハウス。
共同ホール。
部屋へ入った瞬間、
冷めたコーヒーとエナドリの匂いが鼻へ残った。
壁際には、
攻略資料が山積みになっている。
手書きの敵配置。
Heat Resist(耐熱付与)消耗速度。
熱霧発生地点。
熱殻蟲出現ルート。
帰還時間。
Heat蓄積推移。
全部、
Arcの字だった。
ホワイトボードには、
秒単位で攻略手順が書き込まれている。
《Heat Resist残存 8:32》
《接敵予測 +14秒》
《長期戦危険》
《Heat蓄積率上昇》
その横には、
古い攻略ログまで残されていた。
《Depth 87 CLEAR》
《First Kill》
サ終前の記録。
もう意味が無いはずだった記録。
だけど。
誰も外していない。
共同ホールの奥。
机の端には、
冷め切ったコーヒー。
開きっぱなしの端末。
Arcの画面だけ、
まだ攻略ログが表示されたままだった。
三日分。
Heat蓄積。
敵移動速度。
接敵秒数。
Heat Resist更新タイミング。
全部、
秒単位で整理されている。
机の横には、
寝落ちしたままの毛布。
空になったゼリー飲料。
積まれたエナドリ缶。
最近、
Arcはほとんど共同ホールから動いていない。
共同ホールの壁には、
古いスクリーンショットまで貼られていた。
百階層初到達。
深層ボス討伐。
ギルド集合写真。
全員、
今より少し若い。
その下には、
古びたAegisのギルド旗。
サ終後も、
誰も片付けなかった。
ソファでは、
Novaが半分寝転がっている。
Crowは昔と同じ壁際。
Garmは机へ突っ伏したまま動かない。
Rainは勝手に冷蔵庫を開けていた。
「またエナドリしかねぇ……」
「買ってこい」
Crowが即答する。
「なんで私!?」
「一番暇そう」
「今めちゃくちゃ重要な役割してるんだけど!?」
「冷蔵庫確認係か」
「違う!」
Novaが吹き出した。
少しだけ。
空気が緩む。
まるで。
昔の攻略部屋だった。
サ終前。
百階層攻略時。
深夜まで、
全員で攻略ルートを詰めていた頃みたいに。
キーボードを叩く音だけが、
静かに響いている。
「……火力足りねぇな」
Novaが椅子へ倒れ込みながら言う。
目元には疲労が残っていた。
「討伐時間長い」
Arcが地図を見る。
目の下には、
薄く隈が残っている。
昔からそうだった。
攻略前になると、
ほとんど眠らなくなる。
「長引くほどHeat Resistの消耗が増える」
Arcが資料へ視線を落としたまま言う。
「つまり?」
Rainが聞いた。
「火力不足」
短い返答。
共同ホールが少し静かになる。
誰も反論しなかった。
第十一階層。
境界域。
あれは今までと別物だった。
Heat Resistの光膜が、
時間経過で少しずつ薄くなっていく。
その瞬間。
肺へ直接、
灼熱を流し込まれるみたいだった。
呼吸する度、
喉が焼ける。
汗が止まらない。
皮膚の内側まで熱い。
それでも、
立ち止まれば死ぬ。
Heat Resistが切れれば、
三分持たずに熱死。
長引くだけで危険度が増す。
ダンジョンそのものが、
探索者を殺しに来ている。
しかも。
第十一階層から、
空気そのものが違っていた。
熱霧が脈打つ。
まるで、
階層そのものが呼吸しているみたいだった。
「索敵も欲しいねぇ」
Novaが続ける。
「熱霧のせいで視界悪過ぎる」
「擬態も厄介」
Crowが壁へ寄り掛かりながら言った。
「Arcの負担が大きい」
Arcは少しだけ黙る。
十一階層資料。
敵位置。
Heat管理。
霧流動。
全部、
一人で計算していた。
あと何秒Heat Resistが持つか。
どの位置なら最短戦闘になるか。
どのルートなら霧を避けられるか。
全部、
頭の中へ入っている。
普通の探索者なら、
もう撤退を考えている。
だが。
Arcだけは違った。
既に。
次の攻略手順を組み始めている。
Rainはその横顔を見る。
本当は。
少し怖かった。
Arcは止まらない。
攻略できる限り、
前へ進み続ける。
第十一階層へ入る度、
喉が乾く。
Heat Resistの光膜が薄くなる瞬間、
心臓が冷える。
それでも。
Arcがいるなら、
前へ出れると思っていた。
「また徹夜してたのか?」
Novaが呆れたように言う。
「癖だ」
Arcは端末から視線を外さない。
「サ終したのにまだ廃人やってんのかよ」
「終わってない」
「……は?」
Arcは静かに言った。
「俺の中では、まだ続いてる」
少しだけ静かになる。
誰も、
すぐには返せなかった。
PCファンの音だけが、
共同ホールへ響く。
サ終前。
深夜三時。
誰も喋っていなかった。
それでも。
誰もログアウトしなかった。
意味の無い雑談。
次にやるゲームの話。
おすすめアニメ。
どうでもいい話。
終わると分かっているのに、
誰もログアウトしなかった。
「昔お前、
七十二時間起きてたよな」
Rainが苦笑する。
「百層前だったな」
Novaが思い出したみたいに笑う。
「狂ってんだろ」
「お前も付き合ってただろ」
「固定だったからな」
Crowが小さく鼻で笑った。
「最終日、
お前途中で寝落ちしてただろ」
「……あれは目閉じてただけ」
「寝てた」
「いびきうるさかった」
「嘘つけ」
少しだけ笑い声が広がる。
Arcは今でも覚えている。
ギルドチャット。
VC。
最後の街。
最後のBGM。
サービス終了の瞬間。
画面が落ちた後。
何度も、
無意味だと分かっていて攻略サイトを開いた。
もう更新されない情報。
もう追加されないボス。
もう誰も攻略しない深層。
それでも。
毎日見ていた。
サ終後。
VCサーバーだけが残っていた。
誰も入らないまま。
フレンド欄も、
少しずつ灰色へ変わっていく。
ログイン履歴が止まり、
固定PTの時間だけが終わっていった。
だから。
もう二度と、
この空気へ戻ることは無いと思っていた。
「……あいつら呼ぶか」
一瞬。
Rainが固まる。
「え」
「マジ?」
Arcが頷く。
「そろそろ必要だ」
Garmが腕を組む。
「誰だ?」
「元Aegis」
Arcが答えた瞬間。
Novaが目を丸くした。
「あ、例の古参組?」
「お前らずっと話してた奴?」
Rainが頭を抱える。
「あー……」
「絶対うるさくなる」
「知り合いなの?」
Mistが聞いた。
「元メンバー」
Rainが疲れた顔で言う。
「しかもかなり濃い」
「お前が言うのか」
Crowが即座に返した。
「いや、私よりヤバいよ」
「片方めっちゃうるさいし」
「もう片方は索敵中だけ怖い」
「なんだそれ」
Novaが笑う。
Mist達は少し黙っていた。
Arc達が話す“昔のAegis”は、
どこか別世界みたいだった。
百階層攻略。
サービス終了まで、
世界で唯一到達したギルド。
伝説みたいに語られていた連中。
世間では、
第五階層到達だけでニュース特番になる。
SNSには、
毎日こんな投稿が流れていた。
『第三階層で探索者死亡』
『第四階層のゴブリン強すぎ』
『初心者PT救助要請急増』
『第五階層とか無理』
夜になると、
避難放送だけが街へ響く。
閉店したコンビニ。
止まった電車。
人の減った駅前。
世界は少しずつ壊れ始めていた。
そんな世界で。
Arc達だけが、
第十一階層攻略を前提に話している。
Mistは少し息を呑む。
この空気。
この会話速度。
これが。
百階層を攻略した固定PT。
他の探索者が恐怖している領域へ、
この人達は当然みたいに進もうとしている。
普通なら撤退する。
でも。
Arc達は違う。
攻略できるかどうかで判断している。
その感覚そのものが、
既に最前線だった。
Arcは端末を開く。
古いフレンド欄。
灰色の名前が並ぶ。
もうログインしない名前。
引退した奴。
別ゲーへ行った奴。
消えた奴。
その中で。
『Cain』
『Sia』
その二つだけが、
まだ記憶の中で鮮明だった。
Arcの指が少し止まる。
——また固定が揃う。
その事実だけで、
少しだけ胸が痛かった。
もう二度と、
このメンバーで攻略することは無いと思っていたから。
Arcは無表情のまま、
フレンド欄を閉じた。
だけど。
指先だけが、
少し強く端末を握っていた。
「……出るか?」
通話ボタンを押した。
◇
一方その頃。
協会ロビー。
大型モニター前。
《第十一階層 熱反応上昇継続》
「……あー」
Siaが頭を掻いた。
「これ絶対Arcたちでしょ」
短弓を背負った少女。
茶髪。
軽装。
立ち方は軽い。
だが。
視線だけが鋭い。
索敵職特有の目だった。
その横では。
巨大な大斧を担いだ男が豪快に笑っていた。
「だろうな!」
「相変わらず無茶してんなアイツら!」
長身。
重装。
傷だらけの鎧。
威圧感だけなら完全にボス側。
なのに声がデカい。
Cainだった。
ロビーの探索者達が、
少し距離を空けている。
立っているだけで、
最前線探索者だと分かる。
「境界域まで行ったなら、そのうち火力不足で詰まる」
Siaがモニターを見る。
「索敵も欲しくなるね」
「つまり?」
Cainがニヤッと笑う。
「そろそろ連絡来る」
「だろうな!」
その瞬間。
端末が震えた。
二人が画面を見る。
『Arc』
一瞬。
Siaが苦笑する。
「ほら来た」
Cainが笑った。
「相変わらず分かりやすいなアイツ!」
◇
Aegisギルドハウス。
数十分後。
扉が開く。
重い足音。
巨大な影。
共同ホールの空気が止まった。
誰も、
すぐには喋れない。
サ終以来。
本当に、
久しぶりだったからだ。
Cainが立っている。
昔と変わらない笑い方で。
Siaが、
少し困ったみたいに笑っている。
その光景だけで。
終わったはずの時間が、
戻ってきた気がした。
Rainは少しだけ息を呑む。
サ終した時。
固定PTは終わった。
そう思っていたからだ。
Arcを見る。
無表情。
だけど。
少しだけ、
肩の力が抜けていた。
Rainは少し驚く。
Arcが、
こんな顔をするのを久しぶりに見た。
「おー!!」
Cainが笑う。
「久しぶりだなお前ら!!」
数秒。
誰も喋らない。
そして。
「うるさ……」
Crowが即座に言った。
「Crow生きてたか!」
「お前もな」
「Garm! まだそのクソ硬ぇ盾使ってんのか!」
「うるさい」
「Novaもまだ爆発魔法好きか!」
「誰のせいで火力厨になったと思ってんの?」
共同ホールの空気が一気に変わる。
昔の空気。
ネトゲ時代の空気。
「で、俺は何を割ればいい?」
Cainが斧を肩へ担ぎながら笑った。
「熱殻蟲の外殻」
Arcが即答する。
「硬いぞ?」
「硬い方がいい。割り甲斐がある」
「変わってねぇなぁ……」
Siaが呆れたように笑った。
Arcはホワイトボードへ近付く。
ペンを走らせる音。
「前衛はGarmとCain」
「熱殻蟲の突進をGarmが止める」
「外殻展開直後、
Cainが破壊」
「了解」
「Siaは熱霧内の擬態個体を拾え」
「任せて」
「Rainは遊撃」
「Novaは範囲火力」
「Crowは背面処理」
全員が自然に頷く。
まるで。
数年ぶりではなく、
昨日も一緒に攻略していたみたいだった。
Mistは少し呆然としていた。
速い。
会話が。
Heat。
ヘイト。
秒数。
位置。
射線。
全員が同じ景色を見ている。
これが。
百階層を攻略した固定PT。
「今、外に三人いる」
ふと、
Siaが呟いた。
「え?」
Rainが振り返る。
「廊下右に二人。
左に一人」
「足音違うから探索者」
「……怖」
「ほら、こういうとこ」
Rainが引いた顔をする。
「索敵中だけ怖いって言ったろ」
「褒めてる?」
「半分」
Cainが笑った。
「昔からあいつだけ耳おかしいんだよ!」
「お前がうるさいだけ」
「ひどくね!?」
共同ホールへ笑い声が広がる。
誰も言わない。
だけど。
またこのメンバーで攻略できるなんて、
思っていなかった。
第三十一話「再集合」でした。
今回はかなり、
“ネトゲの空気”
を意識して書いた回でした。
戦闘回というより、
「終わったはずの固定PTが、
また集まる話」
です。
サ終したゲームって、
やっていた人ほど、
妙に記憶へ残ると思うんです。
灰色になったフレンド欄。
動かなくなった攻略サイト。
誰も入らなくなったVC。
最後のログイン画面。
「また明日」
って言ったのに、
その明日が来なかった感じ。
今回のAegisは、
そういう空気をかなり強めに入れています。
Arc達は、
ただの最強集団ではなく、
“終わったネトゲに取り残された攻略勢”
として描いています。
だから共同ホールも、
ただの拠点じゃなく、
ほぼ“帰る場所”みたいな扱いです。
エナドリ。
寝落ち。
固定席。
深夜の攻略会議。
サ終後も片付けられていない空間。
あの、
MMO廃人特有の空気感を、
少しでも出せていたら嬉しいです。
あと今回は、
Arcの危うさもかなり強めに書いています。
普通の探索者は、
危険だから撤退する。
でもArcは、
「まだ解析が終わってない」
から進もうとする。
Heat Resist残量。
接敵秒数。
最適化。
攻略。
彼はかなり、
攻略へ依存しています。
だからこそ、
再集合したAegisが、
Arcにとってどれだけ大きいのかも、
今後描いていければと思っています。
そして。
ついにCainとSiaも合流。
Aegis全盛期メンバーが、
少しずつ揃い始めました。
ここから先は、
固定PT感もかなり強くなっていくと思います。
ただ。
世界の方も、
少しずつ壊れ始めています。
第五階層ですら危険扱いされる世界で、
Aegisだけが第十一階層を見ている。
この“温度差”も、
今後さらに描いていく予定です。
次回から、
十一階層攻略が本格的に進みます。
引き続き、
楽しんでもらえたら嬉しいです。




