第十九話 第十階層前夜
# 第十九話 第十階層前夜
第九階層から帰還した瞬間、探索者協会の空気は明らかに変わっていた。
ギルドホールへ入った途端、周囲の視線が一斉に集まる。ざわつきはすぐに広がり、酒場側で騒いでいた探索者たちまでこちらを見た。
「……帰ってきた」
「第九階層行ってた連中だろ?」
「侵食領域の……?」
特に《Fenrir》の探索者たちが一緒にいることで注目度は高かった。上位ギルドが動く案件。それだけで普通の探索者たちは危険度を察する。
だが、一番視線を集めていたのはGarmの盾だった。
黒い侵食痕。
赤黒い筋。
通常の損耗とは明らかに違う。
盾表面には細い線が血管のように広がり、わずかに脈動しているようにも見えた。金属の表面が腐食しているだけではない。まるで盾そのものへ、何か別の魔力が食い込んでいるようだった。
「本当に装備侵食されるのか……」
「第九階層やばくね?」
「侵食個体ってなんだよ……」
「俺たち十階層狙ってたけど、まだ早いんじゃ……」
探索者たちの不安が広がっていく。
第十階層。
中層。
そこへ挑もうとしている探索者は少なくない。中級探索者認定。企業案件。スポンサー契約。素材買取額の上昇。そこには金と名声がある。
だからこそ、多くの探索者が焦っていた。
だが、第九階層で既にこれだ。
空気は確実に変わり始めていた。
悠真は周囲を気にせず受付へ向かう。
だが受付嬢の表情が途中で固まった。
「……その素材」
視線の先にはDwarfが抱えている袋がある。
侵食魔石。
黒水晶片。
侵食狼の牙。
腐食した金属片。
普通の探索素材ではない。
特に侵食魔石は危険だった。袋越しですら赤黒い光が漏れ、周囲の魔力を微かに乱している。
「解析室借りる」
悠真が短く言う。
「許可は?」
「Fenrir側から通してある」
Fenが書類を出した。
受付嬢は慌てて頷く。
「す、すぐ準備します!」
周囲がさらにざわついた。
「Fenrirが動いてるのか?」
「そんな危険素材なのか……?」
「中層マジでやばそう……」
悠真たちはそのまま協会奥へ進む。
ギルド専用解析室。
防音、魔力遮断、簡易結界付き。上位探索者しか使えない特別室だ。
中へ入った瞬間、Mistが机へ侵食素材を並べ始めた。
「よし研究!」
「待て」
Rainが即座に止める。
「まず安全確認」
「分かってるって!」
「目が分かってない」
Dwarfも袋から素材を取り出した。
黒い狼牙。
侵食結晶。
腐食した金属片。
どれも普通素材とは違う。
「……本当に腐食してるな」
Garmの盾を見ながらDwarfが呟く。
盾表面は僅かに黒く変色し、金属光沢が失われ始めていた。通常の攻撃を受けた傷なら、磨けばある程度戻る。だが今回は違う。黒い筋が金属内部へ潜り込んでいる。
「普通修理で戻るか?」
Fenが聞く。
「表面だけならな」
Dwarfは盾を軽く叩く。
「だが侵食が深いと作り直しだ」
「面倒だな」
「中層以降は装備管理も攻略になる」
Rainが嫌そうな顔をした。
「お金飛びそう」
「飛ぶ」
即答だった。
「耐熱装備、耐侵食加工、予備武器、消耗品。中層からは全部必要だ」
Dwarfが指を折りながら説明する。
「普通の探索者はこの辺で脱落する」
「装備更新できないから?」
「ああ。強くても金が続かない」
Fenも腕を組みながら頷いた。
「中層からは“戦闘力だけ”じゃ足りねぇ。資金力、準備力、情報、全部必要になる」
Novaが小さくため息を吐く。
「急に現実的になってきたわね……」
「今までは入口みたいなもんだ」
Fenが椅子へ腰掛ける。
「十階層からが本番だ」
悠真も椅子へ座り、小さく息を吐いた。
第九階層の疲労がまだ残っている。
肉体より精神疲労が重い。
黒い空気を吸い続けたせいか、頭の奥へ霧が残っているような感覚が消えなかった。
「Arc?」
Rainが隣へ来る。
「大丈夫?」
「ああ」
そう答えたものの、頭の奥にはまだ違和感が残っていた。
《SYNC ERROR:同期異常》
《UNKNOWN SIGNAL:不明信号を確認》
あの赤文字。
そして人型存在。
「……アーク」
名前を呼ばれた瞬間を思い出す。
あれはただの侵食個体じゃない。
知性。
剣技。
そして、自分を認識していた。
「考え込みすぎ」
Rainが缶水を投げて寄越す。
「休める時休まないと倒れるよ」
「分かってる」
「分かってる顔じゃない」
悠真は苦笑しながら缶を開けた。
冷たい水が喉を通る。
少しだけ頭が冴えた。
その横ではMistが侵食魔石を眺めながら唸っていた。
「普通の魔石じゃないなぁ……」
「何が違う?」
Novaが聞く。
「魔力が濁ってる」
Mistは魔石を光へかざした。
黒い内部。
赤い脈動。
普通の魔石なら安定した光を放つ。だが侵食魔石は違う。呼吸するように明滅していた。
「でも壊れてるわけじゃない」
「使えるのか?」
「たぶん」
「また“たぶん”」
「でも危ない」
「どっちだよ」
Lunaも静かに侵食魔石を見つめていた。
「深層側の魔力が混ざってる」
「深層側?」
「普通のダンジョン魔力と流れが違う」
Lunaは言葉を選ぶように続ける。
「……繋がってる感じ」
部屋の空気が少し重くなる。
Fenが腕を組んだ。
「やっぱ深層核関係か」
「可能性は高い」
悠真が答える。
「少なくともデプクロ知識とズレ始めてる」
「それが一番面倒だな」
Fenがため息を吐いた。
「お前の知識が使えなくなると攻略速度落ちる」
「完全に使えないわけじゃない」
悠真は黒水晶片を見る。
「でも変化してる」
「第九階層の人型も?」
「あんなのデプクロにはいない」
その場が静まった。
Fenですら表情を険しくする。
「……マジで別物になってきてるのか」
その時、Mistが突然立ち上がった。
「研究室欲しい」
「また始まった」
Rainが呆れた声を出す。
「絶対必要!」
Mistは机を叩く。
「侵食素材、黒水晶、侵食魔石! 全部未知素材!」
「落ち着け」
「落ち着いてられない!」
Dwarfが笑う。
「まぁ気持ちは分かる」
「でしょ!?」
「俺も鍛冶場欲しい」
「増えた」
Novaが頭を抱えた。
「このギルド研究バカしかいないの?」
「失礼な」
Mistが即答する。
「ちゃんと成果出してる」
「そこが否定できないの怖い」
だが実際、Mistのポーションは第九階層で役立った。
浄化ポーション。
侵食進行抑制。
あれが無ければ被害は増えていた可能性が高い。
「改良できるか?」
悠真が聞く。
「できると思う」
Mistは真剣な顔になった。
「侵食霧対策もしたい」
「マスク系か?」
「うん。あと長時間耐性」
Lunaも頷く。
「黒水晶使えば精度上がるかも」
「危険じゃね?」
Rainが聞く。
「危険」
Lunaは即答した。
「でも使わないと進めないと思う」
全員が少し黙る。
第九階層は通過点だ。
問題はその先。
第十階層。
そして中層。
Fenが椅子へ座り直した。
「十階層は?」
Fenが椅子へ座り直しながら聞いた。
解析室の空気は先程より少し落ち着いていたが、全員の視線は自然と悠真へ集まっていた。
第十階層。
中層目前。
ここから先の情報は、生存率へ直結する。
「中層境界だ」
悠真は静かに答える。
「巨大遺跡型フロア」
「遺跡?」
Rainが少し驚いた顔をする。
「ああ。今までの洞窟型とは構造が違う」
悠真は机へ簡易マップを書き始めた。
「広い中央空間。古代遺跡構造。複数通路。そして最奥に中層門」
Novaが腕を組む。
「つまりボス部屋一直線ってわけじゃないのね」
「むしろ逆だ」
悠真はマップへ印を書き込む。
「十階層は“選別階層”に近い」
「選別?」
「中層へ進む資格を試される」
Fenが少し笑う。
「ゲームっぽいな」
「実際かなりMMO寄りだ」
悠真は頷く。
「普通の突破力だけじゃ足りない」
「ギミック系か?」
Crowが壁際から聞く。
「ああ」
悠真は短く答えた。
「ボスそのものも強いが、それ以上に攻略理解が必要になる」
Dwarfが低く唸る。
「面倒そうだな」
「初見殺しが多い」
悠真は続ける。
「おそらく今回も多少変化してる可能性はあるが、基本構造は同じだと思う」
Rainがソファから身体を起こした。
「で、十一階層から火山?」
「そうだ」
悠真は頷く。
「十一階層から環境が変わる」
その瞬間、部屋の空気が少しだけ変わった。
今までは攻略情報だった。
だが、火山階層という言葉は現実感が違う。
「高熱、水不足、熱疲労」
悠真は指を折りながら説明する。
「長時間探索すると身体機能が落ちる」
「モンスター以前に環境が敵ってことね」
Novaが小さく息を吐く。
「そうだ」
悠真は即答した。
「だから十階層突破前に準備を終わらせる必要がある」
Dwarfが腕を組む。
「耐熱装備いるな」
「最低限必要」
「普通装備じゃ厳しいか」
「熱だけで金属劣化も進む」
「うわ……」
Rainが嫌そうな顔をした。
「またお金飛ぶじゃん」
「飛ぶ」
Dwarfが真顔で頷く。
「中層は準備不足を殺しに来る」
その言葉に誰も反論しなかった。
第九階層ですらあれだった。
環境変化まで加われば難易度はさらに上がる。
Mistは既にメモを書き始めていた。
「冷却ポーション……耐熱補助……水分効率上昇……」
「早いな」
「絶対必要だもん」
Mistは真剣だった。
「侵食階層と違って、今度は体力削ってくるタイプだよ」
Lunaも頷く。
「魔力消費も増えると思う」
「熱で集中力落ちるからな」
Fenが椅子へ深く座り直す。
「つまり十階層突破した時点で、攻略スタイル変える必要あるわけだ」
「ああ」
悠真は静かに言った。
「ここから先は“長期攻略”になる」
その言葉にRainが少し眉を寄せる。
「キャンプとか?」
「視野に入る」
「マジでゲームみたい……」
「元からだろ」
Novaが呆れた声を出す。
だが、その空気は少し悪くなかった。
恐怖だけではない。
攻略前の緊張。
準備。
未知階層への期待。
それが少しずつ混ざり始めていた。
悠真はマップを書き足す。
「十階層ボスは中央守護型の可能性が高い」
「ゴーレム系か?」
Garmが聞く。
「たぶん近い」
悠真は頷いた。
「高耐久。広範囲。複数ギミック」
「うわぁ面倒」
Rainが嫌そうに言う。
「でも逆に言えば、攻略法分かればいける」
「それを見抜くのがお前の役目だな」
Fenが笑う。
「……プレッシャー重いな」
「今さらだろ」
Crowが珍しく小さく笑った。
その時。
悠真の視界へ再び青白い文字が浮かぶ。
《STATUS UPDATED:ステータス更新》
《Deep Signal:深層反応》
ノイズ。
一瞬だけ視界が揺れる。
そして。
赤黒い巨大門のイメージ。
その奥。
燃えるような赤い空。
「……っ」
悠真が僅かに目を細める。
「Arc?」
「いや……」
今のは何だ。
未来視ではない。
ゲーム知識とも違う。
深層反応。
あの人型存在と接触して以降、明らかに何かが変わり始めていた。
だが。
今は考えるべきじゃない。
「明日は十階層探索だ」
悠真は全員を見る。
「中層へ行くための最初の壁になる」
Fenが立ち上がった。
「なら今日は休むか」
「賛成」
Rainは再びソファへ倒れ込む。
「もう身体動かしたくない」
「お前戦闘中元気だっただろ」
「戦闘中だけ」
「それ完全に探索者脳だな」
少し笑いが起きる。
だが全員疲れていた。
第九階層の侵食空間。
精神疲労。
未知存在。
気付かないうちに消耗していた。
解析室の外へ出る頃には、協会の外は完全に夜になっていた。
探索者たちは減っていたが、それでも協会周辺はまだ明るい。
装備修理。
素材買取。
簡易屋台。
中層到達目前という空気が街全体へ広がっている。
悠真は少しだけ空を見上げた。
その時。
遠くで低い警報音が鳴る。
協会全体へ響くサイレン。
「……?」
Rainが顔を上げた。
直後。
協会上空へ巨大な赤文字が投影される。
《EMERGENCY NOTICE:緊急通達》
《FLOOR 10 GATE ACTIVATION CONFIRMED:第十階層ゲート完全起動確認》
探索者たちが一斉に空を見上げた。
ざわめきが広がる。
「起動した!?」
「マジかよ……!」
「中層解放来たぞ!」
だが。
次の表示を見た瞬間、悠真の表情が変わる。
《MIDDLE LAYER ACCESS CONDITION UPDATED:中層進入条件更新》
「条件更新……?」
Fenも眉をひそめた。
「ただ門開くだけじゃねぇのか」
嫌な予感がした。
ダンジョン側が変化している。
第九階層。
侵食。
深層反応。
そして中層解放。
全部繋がり始めていた。
Rainが小さく息を呑む。
「明日、行くんだよね?」
「ああ」
悠真は赤文字を見上げたまま答えた。
「第十階層を突破する」
巨大遺跡。
中層門。
そして門番。
ここから先は、今までよりさらに危険になる。
それでも。
止まる理由はなかった。
悠真は静かに呟く。
「……ここからが本番だ」
読んでいただきありがとうございます!
今回は中層突入前、
第十階層についての情報整理と準備回でした。
今までは“探索”や“侵食”が中心でしたが、
ここからはさらに、
・環境
・装備管理
・資源管理
・長期攻略
なども重要になっていきます。
特に第十階層は、
ただ強いだけでは突破できない“中層境界”として描いていく予定です。
また今回から、
罠やギミック、役割分担など、
レイド攻略らしい要素も少しずつ増やしていこうと思っています。
そして十一階層からは、
ついに火山地帯へ。
今までとは空気感も攻略法も大きく変わっていきます。
また、少しずつ増えている
《Deep Signal:深層反応》や、
ゲーム時代とは違うダンジョン側の変化も、
今後かなり重要になっていく予定です。
もし面白いと思っていただけたら、
ブックマークや評価などしていただけると励みになります!
次回からはいよいよ、
第十階層ボス編開始です。
明日の19時に、
第十階層ボス編をまとめて投稿予定なので、
ぜひブックマークをして見逃さないようお願いします!
次回、
第二十話『中層門番』




