第117話 火を宿す斧槌
# 第117話 火を宿す斧槌
赤く脈を打った斧槌を握り直し、Cainは低く笑った。額には、本人が気付いているのかいないのか、細い汗が浮かんでいる。
「助かる」
誰に向けた言葉かは分からない。Arcか、Novaか、斧槌へ宿ったサラマンダーか。あるいは、この武器を作ったDwalfかもしれない。
けれど、その一言だけで十分だった。
Cainが踏み込む。
「《疾駆》」
床が鳴り、白銀竜人との距離が一瞬で消えた。斧槌の槌頭には、サラマンダーの火が沈んでいる。表面で燃えるのではなく、白銀輝鉱の芯を通って奥へ潜り込んでいる。
白銀竜人は反応した。
左腕を逃がす。
速い。
盾を砕かれることを、白銀竜人はもう理解している。外殻盾をCainの軌道から逃がそうと、肩を捻り、足の重心まで変えてくる。
Rainが右側へさらに踏み込み、白銀竜人の視線を引き戻す。Crowの鎖が踵を押さえ、Garmの盾が大剣を床へ流したまま押し込んでいる。Siaの矢が残した細い傷は、Cainの目に白い線として映っていた。
全員で作った一秒。
けれど、その一秒すら、白銀竜人は削ってくる。
白銀竜人の左肩が沈む。
Cainの斧槌が、狙いから外れた。
Arcの喉が詰まる。
ずれた。
このままでは、浅い。
斧槌の槌頭が外殻盾の端を掠め、白い火花だけを散らす。Siaの傷へ届かない。せっかく作った一秒が、空振りに近い形で消えかける。
Rainがさらに踏み込んだ。
大剣の風圧が頬を裂き、細い血が一筋だけ流れる。それでもRainは下がらない。白銀竜人の視線を、ほんの一瞬だけ右へ引き戻す。
Garmも盾を押し込んだ。
床へ流した大剣を、さらに半歩だけ押さえ込む。盾の裏で腕が悲鳴を上げる。だが、押す。ここで戻せなければ、Cainの一撃は終わる。
Crowはもう何も言わなかった。
鎖を握る手に血が滲む。黒い光はほとんど残っていない。それでも、踵だけは離さない。
その時、Cainが笑った。
「上等」
踏み込んだ足を、さらに半歩沈める。普通なら体勢が崩れる無理な踏み込みだった。だが、新しい斧槌は腕だけで振る武器ではない。白銀の芯が衝撃を足元へ流し、Cainの全身を一つの重さへ変える。
Cainは斧槌の軌道を、力任せではなく身体ごと押し替えた。
「《破断》」
低い声だった。
叫びではない。
踏み込み、腰、肩、腕。そのすべてを斧槌へ乗せる。槌頭の奥でサラマンダーの火が膨らみ、白銀の筋を通って衝撃の中心へ集まっていく。
ガギィッ!!
最初の音は、砕ける音ではなかった。
止められた音だった。
白銀竜人の外殻盾は、Cainの一撃を受けても割れない。表面が歪み、Siaの傷がわずかに広がるだけで、まだ形を保っている。硬い。冗談みたいに硬い。
Cainの腕に重さが返る。肩が軋み、掌の感覚が一瞬だけ薄れる。それでも、以前の斧槌とは違った。衝撃は腕で暴れず、白銀の芯を通って足元へ落ちる。Cainは一歩も退かない。
「まだだろ」
Cainが歯を食いしばる。
サラマンダーが吠えた。
斧槌の奥で、火がもう一段深く沈む。Novaの表情がわずかに歪み、Arcの《マナヒール》の光がそれを支える。シルフが羽を震わせ、火が外へ散らないように風を細く絞った。
Garmは盾の裏で低く息を吐き、大剣を床へ押し付け続ける。Crowの鎖が最後の黒い光を散らし、Rainは右側から離れない。Siaの矢が残した傷が、白い線の奥で震えた。
ピシ。
小さな音がした。
Cainの目が細くなる。
届いた。
だが、そこで終わらせない。
Cainは斧槌を引かなかった。叩き込んだ衝撃を抜かず、外殻盾の内側へねじ込むように押し込む。足元の石床が砕れ、靴底が沈んだ。
ピシ、ピシ、と亀裂が広がる。
白銀竜人が初めて左腕を引こうとした。
間に合わない。
バキィッ!!
外殻盾が砕けた。
白銀の破片が空洞へ散る。薄い板のように割れた外殻が宙を舞い、洞窟の淡い光を反射して白く瞬いた。Cainの斧槌はその中心を抜け、白銀竜人の左腕を大きく弾き飛ばす。
一拍、誰も動かなかった。
水滴の音だけが落ちる。
砕けた破片が、石床へ遅れて降った。
カラン。
白銀竜人の左腕から、外殻盾は消えていた。
それは勝利ではない。
ようやく一枚、剥がしただけだ。
Rainが「開いた……」と小さく息を吐いても、Siaは弓を下げなかった。Crowは鎖を引き戻しながら、苦々しそうに手首を回す。Garmは盾を構えたまま一歩も退かないが、盾の裏の腕はまだ震えていた。Novaの肩では、サラマンダーがCainの斧槌からふわりと戻り、疲れたように小さな火を揺らしている。
Cainは斧槌を肩へ担ぎ直そうとして、すぐにやめた。
腕が重い。
補助契約の火力を通した反動が、身体の奥へ残っている。息も少し荒い。それでも、笑みは消えなかった。
「壊せたな」
Arcは頷かない。
白銀竜人が、まだ倒れていないからだ。
白銀竜人は砕けた左腕を見た。
次に、Cainの斧槌を見る。
最後に、Novaの肩のサラマンダーを見た。
痛みを確かめているのではない。
原因を記録している。
その仕草に、Arcの背筋が冷えた。
砕かれた左腕をゆっくり下ろし、白銀竜人は大剣を右手から両手へ持ち替えた。盾を失ったはずの姿勢に、迷いはない。むしろ、余分な重りを捨てたように、剣先が静かに上がる。
空洞の空気が変わった。
さっきまで剣と盾へ分かれていた白い光が、今度は大剣だけへ集まっていく。刃の輪郭が濃くなり、床に落ちる影まで鋭く伸びた。
盾は砕いた。
第一段階は越えた。
だが、終わりではない。
白銀竜人の黄色い瞳がCainを見て、次にNova、最後にArcへ向く。まるで、誰から崩すべきかを選び直しているようだった。
Garmが盾を上げる。
Cainも重い腕で斧槌を構え直す。
大剣を両手で握った白銀竜人が、一歩前へ出た。
その一歩だけで、石床が白く軋む。
Arcは静かに息を吐いた。
「第二段階だ」




