火焔山2
「人間が頂上に行くことは簡単なんだ。大人のクロゥテルの鱗を煎じて飲めば、一日くらいは火焔山の気圧に耐えることができるからな。だが、問題は人間嫌いのクロゥテルが鱗を提供してくれるかどうかってことなんだよ。そこで、だ。俺がお前たちに鱗を提供してやる代わりに俺の頼みごとを聞いてくれないか?」
「頼みごと?」
「ああ。俺は武器商人でな、本当は隣の国―――光の楽園―――に行きたいんだよ。イハウェル王国は残念なことに平和主義な国だから、中々武器が売れなくてね。火焔山を通ることが一番の近道なんだ」
確かに、と僕は思った。火焔山は、イハウェル王国と光の楽園を行き来するには最短のルートとなる。だが僕はクロゥテルの鱗を持っていなかったから、四日間かけてイハウェル王国に行ったんだ。
「だが火焔山の頂上はウェンクドリアンが支配している。最短距離である火焔山の頂上を通らないと、元々身体が小さい俺たちは餓死してしまうんだよ。さすがに一カ月以上の荷物を持つことはできないからな」
鱗をやる代わりに俺を光の楽園へ連れて行ってくれ。それがシュンエイの願いだった。
「分かった。よろしく頼む」
ゼロはいつの間にか地図をたたみ、再び出発する準備をしていた。シュンエイは嬉しそうに頷き、彼らと共に行動することになった。
「カイ、お前もいい奴らと出会えて良かったな」
シュンエイは快活に言う。カイもにっこりと笑い、「うんっ!」と答えた。
クロゥテルの鱗が煎じられている。鱗は元々鈍い緑色をしていたが、煎じることによって鮮やかな色へと変化した。それはまるでエメラルドのようだった。鱗が透き通っている。
「人間どもは、これが目当てで俺たちを皆殺しにしていたんだ」
シュンエイは苦々しい思いを吐き捨てた。だが、クリスたちが人間であることを思い出し、慌てて言い繕う。「もちろん、お前たちはそんな奴らじゃないって分かってるぜ?」
「でも、事実は事実だもの。憎しみは憎しみを生む。それと同じで、差別は差別を生み出すの。それだけよ」
玲はどこか遠くを見ながら言った。彼女が何を思ってそう言ったのか、誰にも分らなかった。けれど、シュンエイはそれを深く受け止めたようだった。「そうだな」と言ってそれきり黙ってしまう。
『こわい』。彼はそう切実に訴えていた。
消えたくない。生きていたくない。誰かに見つけてほしい。誰にも関わってほしくない。不変でいたい、だけど不変は嫌だ。逃げたい、逃げたくない。逃げれない。
自分を不幸だなんて思ったことはないのだけれど。……本当に不幸せなのは、私じゃないのかもしれない。
あの日。彼が、外に出ることに協力しようと言った日。彼の何かが変わった。私は、何か間違っていたのだろうか。
彼の優しさは嘘だ。―――嘘? ううん、そうじゃない。あれは決して嘘ではない。だけど、ただ私のために思って行動しているわけではないというのは分かる。
今以前の問題だ。彼が本当に変わってしまったのは、あの日から。
私は物心つく前からここにいた。昔、一度だけ外に出してもらえたことがある。当時の私は喜ぶことを、悲しむことを知らなかった。その様はまるでロボット。
「君は、なんていう名前なの?」
「メグリヤ?」
僕が声をかけると、メグリヤははっとしたように周囲を見渡した。……どうやら何か考え事をしていたらしい。
「大丈夫かしら」彼女は唐突に言った。
「何がだい?」
「私、ウェンクドリアンと戦えるのかな」
「大丈夫だよ」
そう言うと、彼女はふふっと笑った。「お気楽な人ね」
「それ、前にも聞いたよ」
「そうだったかしら? 私は覚えていないわ」
メグリヤは僕のことをまったくのオプティミストだと信じている。先のことはあまり心配しないし、まあ何とかなるだろうという態度を取っているから仕方のないことなのかもしれないけれど、しかし、本当はそうじゃない。僕は僕自身の中に深いペシミズムが横たわっているのを知っている。
あれは、七年前のことだ。
光の楽園。僕の母国。だが、僕がこの国にいることは滅多になかった。なぜなら僕は当時、『デスぺラード王国』―――イハウェル王国の前身の国―――を監視するスパイだったからだ。正式に言えば違うのだけれど、簡単に言ってしまえばそういうことになる。
滅多に帰ることができない母国に、僕は帰って来た。三年間現地で任務を行っていたため、暫く任務は回ってこないだろう。その予想通り、長期休暇を得ることができた。と言っても、実際に休日を満喫できるのは一週間ぐらいだ。残りは大体、この三年間に溜まった雑務をこなすことになる。
正直、故郷へ帰るのは憂鬱だった。『幻想の星空』出身、『過去の荒波』育ち。それが僕だ。
『過去の荒波』は国内で一番貧しい村であり、今はもう滅びてしまった集落―――タタンの国―――の民の多くが生活している。そう言えば聞こえは良いが、悪く言ってしまえば、『過去の荒波』は光の楽園の植民地だ。
それと正反対に位置するのが『幻想の星空』。そこは全てが金色に包まれている帝都で、夜には満天の星空が広がり、誰もが住むことが可能なところだ。しかし、あまりにも維持費がかかるので、結果的に金持ちしか住むことができない街。そんなところからやってきた余所者が、『過去の荒波』で歓迎されるはずもない。多分僕は、わずかな休日でさえ、城に残してきた雑務をこなすことになるだろう。
そんな時、僕は彼女と出会った。
「本当にいいの?」
彼女は申し訳なさそうに言った。「私を逃がしたら、あなたの立場は悪くなるわ」
立場なんて。そんなもの、元々あってないようなものだ。
「気にしなくていいよ。君は、自分のことを案じていた方が身のためだ」
「お気楽な人ね」
メグリヤはそう言って溜息をつく。
「ねえ。あなたが持っているその地位は、あなたの何を示すの?」
「そんなこと言われても困るな。強いて言うとするなら、何も示してないんじゃない?」
「逃げることができないんじゃない。そもそも、『逃げる』という考え方が間違っていたのよね。私は逃げるのではなく、自由になるための努力をすべきだった。そんな大切なことを教えてくれたあなたが、どうしてそんなに哀しそうな顔をしているの?」
「……さあね」
哀しそうな顔、だって? ……そんなことはない。僕は僕の神を見つけたはずだ。悲しむことなんて何一つない。
割り切っていたつもりだった。どこに行ったのかも知れない奴のことを思い出すなんて、僕もどうかしていると思っていたかったんだ。
僕にとって大切なことは―――。