無限ホール(ムゲン hole)2
『お前は一体誰なんだ……?』
死に際にウィリアムが残した疑問。玲は冷めた目で彼の死体を見ていた。
私が誰か、だって? つまらない質問をするのね。あなたのこと、結構頭のキレる人だと思っていたのに。心底、残念よ。
私は私。鈴であると同時に鈴でもあるの。『玲』っていうのは、博士が勝手につけた名前。
確かに僕たちは双子だよ。でも、君たちは目に見えるものしか信じていなかったんだ。私が『玲』で、僕が『鈴』だと思い込んでいた。
だけど本当は違うの(違う)。私(僕)たちが『鈴』なんだ。
君は僕の一部であり、君は私の一部でもある。僕たちは二人で一人なんだ。どちらが欠けても私たちは『鈴』になれないのよ。
『鈴』。
それが僕(私)たち共通の名前―――。
「彼が悔しいと言うなら私も悔しい」
いつだって君は私を庇ってくれた。博士の標的だった私を救ってくれたのは君。そのせいで博士の標的になってしまったのも君。私は、君を放っておくことなんてできなかった。
「彼女の感情が欠落しているというならそれは僕だって同じだ」
いつだって君は僕を助けてくれた。絶望という底から僕を救ってくれたのは君。そのせいで心を痛めて感情を失ってしまった君。僕は、君を放っておくことなんてできなかった。
「私は彼のために博士の死体を冒涜し、キリエを殺したのよ」
「僕は彼女のために博士を殺し、邪魔者たちを殺したんだ」
「だって、私(僕)たちは二人で一つの存在だから」
「何だよ、それ。狂っている。それだけで人を殺していいと、本当に思っているのか?!」
クリスは混乱した。たったそれだけの理由で、沢山の人間を殺すなんて―――。
「そうね」
レイは囁くように言う。
「私たちは狂っているのかもしれない。僕たちは常識を知らない。私(僕)たちは一人の人間ではなく、博士の実験台だった」
スズは不気味な笑顔を浮かべていた。
「僕は自分の年齢を知らないと言ったけれど」
「大体のめやすはついているわ。私たちは多分、17歳くらいよ」
クリスは驚愕した。どう見ても、10歳辺りにしか見えないのだ。そんな心情を悟ったのか、リンは言う。
「さっきも言ったじゃないか。僕たちは博士の実験台だったんだよ」
「彼は『ココロ』を研究していた。それと同時に、『成長』についても研究していたみたいなの」
「僕らは日の当たらないこの家にずっと閉じ込められていた。ヒトには、体内時計と言うものがある。日の光を浴びないと、体内時計は狂ってしまうんだ。僕らは次第に眠ることができなくなった。最低限の栄養補給と睡眠。それらを繰り返しているうちに、僕らの成長は止まった」
「迷惑な話だわ」
老いていく博士、そしてキリエ。彼らの外見は日に日に変わっていくというのに、僕(私)たちの外見は変わらない。そのことが何よりも恐ろしかったのだ。だから、
「殺したのよ。自由になるために」
レイは視線をリンに移す。
「ありがとう、リン」
その瞬間、ズサッと何かが沈む音がした。
「え……?」
リンは音のした方に目をやった。腹部にナイフが突き刺さっていた。そこを中心として、赤い何かが広がり始める。リンはがくりと膝をついた。
「ど、どうして? 姉さん……」
信じられない、というようにレイを仰ぎ見る。彼は驚きに目を見開いていた。それは、クリスも同じだった。
「好きだから」
レイはぽつりと言った。
「え?」
「好きだからよ。……自由になったら、あなたはきっと私から離れて行ってしまうわ」
「そんなわけないじゃないか……」
リンの呼吸は浅く早くなっていく。
「人は平気で嘘をつく。私はそれを知っている。あなたのその言葉がどこまで本当なのか、私に知る術はない」
「ぼくたちは二人で一人なんだろ……? ぼくは、なにがあっても、きみを裏切ったりはしないよ………」
「私はあなたも殺すつもりよ。それでも私を信じて、逃げないで死んでいくと言うの?」
―――そうか、そうだったんだ。
博士は、僕のことを信じていたんだ。自分の言葉が僕に届くと信じて、逃げなかった……。
博士は僕たちのことを嫌っていたんじゃない。ただの実験台だと思っていたわけじゃない。どんなに的外れでも、あれが博士の不器用な愛情表現だったんだ―――。
「……うん。ぼくは、きみがぼくを殺さないって、信じてる……」
「―――え」
リンはどさりと倒れた。レイははっとして自分の手を見た。真っ赤に染まっている。これは、リンの―――。
「り、リンっ」
レイはリンに駆け寄った。彼が呼吸するたび、ヒュウヒュウと音が鳴る。
「リンっ!!」
どうしてこんなことになってしまったんだろう。私が自由を願ったから? 彼を、信じることができなかったから―――?
「ごめんなさい……」
涙が頬に伝わる。拭っても拭っても消えてくれない。これが、『ココロ』?
「これが、私が理解できないと言った『悲しい』という気持ちなの……?」
喪失、絶望、虚無、愛情。それらが一斉に彼女に襲い掛かってくる。
「ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
謝っても取り返しがつかないのだ。彼女には謝るということしかできなかった。ただ一つ、彼を助ける術があるとするなら。
「取り返しのつかないことをして……ごめんなさい。私がしたことは許されない。私がしたことを許さなくていい。だけどリンは違うっ! 彼は悪くない、私がリンに命令したのっ、みんなを殺してって!!」
「ここまでやっておいて、よくそんなことが言えるね……」
クリスは額から流れる血を何とか服の袖で拭った。
「お願い、します……。リンを、助けてください………」
レイはクリスに懇願した。
「大切な人たちを失ったのは、僕も同じだ。僕が彼を見殺しにすることはできる」
「ええ……。そうね」
レイは絶望的な気持ちになった。彼は、リンを助けてはくれない―――。
「だけど。彼を見殺しにしてしまったら、僕は君たちと同じ過ちを犯すことになってしまうんだ。……人を殺すという事がどんなに罪深い行為なのかを、君は理解できたかい?」
レイは顔を上げた。クリスは困ったように笑っていた。
「もうすぐメグリヤが救援を連れてここに来る。その時に彼も手当てしてもらえばいい」
「え? だって、彼女は―――」
「彼女を殺したと思っていたのかい?」
レイは頷く。
「残念だったね。彼女は、君たちが犯人だということを見抜いていた。だから君たちが殺しにやって来た時、本当に殺される前に死んだフリをしたのさ」
「だって、血が」
「あれは血ノリだよ。僕らはこれでも一国の兵士だからね、そういう時に備えてちゃんと準備しているんだ」
なんてことだ、とレイは途方に暮れた。殺したはずの彼女は、なんと生きていたのだ。
「じゃあ、他の人は……」
クリスは首を横に振る。
「残念ながら、彼らを助けることはできなかった。真相を知っていた彼女が真っ先に標的にされてしまったし、そのことを僕が伝える前にみんな死んでしまったんだからね」
僕がメグリヤの遺体―――だと勘違いしていたんだ―――を運ぼうとした時、生きていた彼女はこう囁いたんだ。
「犯人は、あの双子よ」