第39話 信長の眼と、雲八の値段
信長の下での最初の一年は、嵐のようだった。
信長は矢継ぎ早に改革を進めた。城下の整備、商業の統制、軍の再編——それぞれが同時並行で動いており、雲八のような外様の武将は対応に追われた。
ある日、信長から呼ばれた。
「大島、弓衆の規模を倍にしたい。できるか」
「人員と矢の手配に、三月ほどかかります。できます」
「一月でできないか」
「一月では人は揃いますが、訓練が不十分になります」
「二月でやれ。ただし、品質は落とすな」
「承知しました」
弓衆の倍増は、予定通り二月で達成した。報告に行くと、信長はひと言「よし」と言った。それだけだった。
信長との関係は、業務的なものになっていった。呼ばれれば行く。命じられれば実行する。報告する。それを繰り返した。感情的なやり取りはない。しかし信長は、雲八の仕事を「使える」という評価で受け取り続けた。
この頃、弓衆としての実戦が増えた。
天正元年(一五七三年)の秋、浅井・朝倉の残党が越前方面から動いたとき、弓衆は山道の要所に展開した。残党の一団が山道に入ってきた。先頭が弓衆の射程に入った瞬間、雲八は命じた。
「先頭を狙え。旗手を狙え。指揮系統を乱す」
十五本の矢が飛んだ。先頭と旗手が倒れた。残党の一団がたまらず引き返した。
この戦法を信長の家臣の一人に見せると、「前線の兵を倒すより、指揮官を狙う方が効果的なのか」と聞いてきた。
「そうです。指揮官と旗が失われると、集団は次の行動が分からなくなる。一人の指揮官を失うことは、兵を十人倒すより大きな効果がある場合があります」
「……なるほど。弓衆はそういう使い方をするのか」
「私はそう考えています」
後日、信長がその話を聞いたらしく、「大島の考え方は面白い」という言葉が伝わってきた。
(続く)




