物見台
それからアルマはジグルドを引っ張り回して全力で収穫祭を堪能した。
ジグルドは寄木細工を全部解体して店主を泣かせたり、射的を全部倒して店主を泣かせたりして、アルマにお説教されて言い値で補償していた。
支払いに渋い顔をしたので、ジグルドからすれば大した金額ではないだろうと叱責すると、今日はマークから予算を決められているのだとこぼした。イゾルデとクリスに土産を買うお金がなくなった。大爆笑だ。マーク、天才だな。ふたりにはこの笑い話を土産にしよう。
日が傾く頃、漸く城に戻る。
名残惜しかったアルマは、街の様子を見渡そうとジグルドを城の物見台に誘った。
久しぶりの物見台。ウィンターハーンに来たばかりの頃にマークとよく登ったことを思い出す。半年前のことが随分と昔のことのように感じた。
鋸壁の狭間から外側を覗く。
建物の犇く街の中心部を城壁が囲い、その向こうには地平線まで畑が広がっている。視線を落とすとさっきまでいた中央広場が見えた。
「楽しかったね!」
「そうか」
「ジグルドはどうだった?」
「よく分からない。疲れた」
「そっかぁ」
「………春の祭も、よければ、一緒に回らないか」
「えっ? ほんと? 楽しみ!
あっ、でも、ジグルドのお仕事が余裕あったらね?」
太陽が地平線に隠れ始め、空が薄紫から橙へと美しいグラデーションを作る。遠くにところどころに見える集落に、ぽつぽつと灯りが点り始める。
ふたりは暫くの間、空の変化を静かに眺めた。
「ここから見えない、ずっと先まで、ウィンターハーンなんだね」
「あの灯りのひとつひとつが、私の領民の命だ。できるだけ多くを守り、少しでも良い状態でクリスに継ぐ」
それがジグルドの望み。全てを賭けて叶えるべき使命。そのために、恋を諦めて見知らぬ女と結婚するほどの。
「―――あのねジグルド。平民のやり方だから、断ってくれても良いんだけど、つらいときはね、親しい人とハグすると元気がでるの。してもいい?」
ジグルドは少し驚いたようにアルマを見た。
「………あなたは、嫌じゃないのか」
「わたし? 嫌なわけないよ。ジグルドは大事な友達だもの!」
両手を広げて受け入れ体勢をとるがジグルドは応じない。
気が進まないのかな、と手を下げようとしたところで、ジグルドが躊躇いがちに聞いた。
「その、男の私でいいのか。嫌なことを思い出すんじゃないか」
どうやらアルマを心配して遠慮しているようだ。優しい。
「前にラウルにしてもらった時も大丈夫だったから、大丈夫よ」
安心させるために笑ってみせると、ジグルドは遠慮をやめてアルマを抱き込んだ。
一緒に街を回っていた日中、今日はいつもの香油をつけていないんだなと思っていたが、ハグをすると細い髪から仄かに香る。深いムスクの中に穏やかなサンダルウッドが溶けた甘い香り。
アルマが両腕をジグルドの背中に回すと、軽く添えられていたジグルドの手がアルマを捕まえるように身体に巻き付いた。
(―――えっ………?)
一旦放してもらおうと身体を捩る。離そうとした頭を捕まえられてジグルドの上着に押し付けられ、身動きがとれない。
大きな手の平が背中を伝ってアルマの腰を抱き寄せる。
えっ?
ちょ、待って、
やばい。
やばいやばい。
そういうんじゃない。
そうだ相手はジグルドだった。親愛のハグなんてしたことないのだろう。説明不足だった。娼館で女を抱きしめるのとは違うと、事前に言っておかなければいけなかった。
腰を掴んでいる力が強くなる。大きな手の指先が食い込むようにアルマの腰を押した。身体を甘い痺れが駆け抜けて、アルマは渾身の力でジグルドの胸を叩く。
「―――ジグルド、待って!」
アルマの真っ赤な顔を見たジグルドが、珍しく焦ってアルマの身体を引き剥がす。
「―――そういうつもりで触れたわけではない」
鋭い目つきに、ざっと血の気が引く。
アルマだって、そんなつもりはなかった。
ただ、元気を出してほしくて。
「わ、分かってるわ! これは、その、そう、しょうがないっていうか―――」
ジグルドの警戒した視線が刺さる。
いや、あの、あんたが腰を撫でるからよ……。
アルマだって一応女だ。
あんな風に触られたら赤くなるのはしょうがないじゃないか。
―――好きな男に、あんな風に触られたら。
「ジ、ジグルドみたいなイケメンにハグされたら、何とも思ってなくたって、誰だって赤くなるわよ!」
触り方がおかしいと指摘する言葉が喉に支える。女を触るようにアルマに触ったのだと、自覚されることが何故か怖かった。
「うっかり、してて、……変な反応して、ごめんなさい……」
「いや……すまない、やはり私は疲れている。先に戻る。風邪をひかないようにあなたも早めに戻れ」
アルマの方を見ようともせず、ジグルドは階段を降りていく。
アルマはその足音が聞こえなくなってから、へたりとその場に座り込んだ。
………ああ、わたし、ほんとにジグルドが好きなんだな。
気をつけよう。ほんとに気をつけよう。
いつからだろう。
わたしはいつから、こんな気持ちを持っていたのだろう。
マリールイーズを城から出してほしいと言ったわたしの提案は、本当に純粋な厚意だったのだろうか。どこかでこういう結末を望んでいたんじゃないか。
心のどこかで、マリールイーズとうまくいかなかったことに安堵している自分がいる。何もかもを我慢しているジグルドが望んだ、たったひとつのものだったかもしれないのに。
恋をするかしないかくらい、選べたら良かった。
そうすればこんな自分に嫌気がさすことはなかったのに。
師匠の嘘つき。恋なんて、やっぱり、ろくなもんじゃなかった。





