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二章 黄昏を導く剣

 リティルの決断が理解できない。かといって、この手であの魔女に引導を渡すことも違う。取るべき行動がわからず、ノインは内心動揺していた。

リティルには、この動揺が見透かされてしまったのかもしれない。インジュに伴われ、城の一室に籠城していたシェレラがリティルの前に自ら立ち、処遇を言い渡されたあと、リティルは毎夜インジュと共にどこかへ行っているようだった。

応接間には副官のインファが居座り、一家の皆に目を光らせているようで、リティルのいない夜は居心地が悪かった。

リティルのみならず、親友のインファにさえも遠ざけられたのがわかった。

しかし、理由がわからなかった。

なぜ、風の城の中核を担う、四天王のうちの3人。風の王・リティル、雷帝・インファ、煌帝・インジュが、あの魔女を庇うのかも理解できなかった。しかし、不満を募らせていく一家の側にも、リティルの側にも付かず、中立を保っていた。それが、ノインにできる精一杯だったのだ。

ノインは風の精霊ではなかったが、関係的にはリティルの兄という立場だった。そして、風の王を殺せる至宝・黄昏の大剣を守護する、力の精霊だ。間違うことは許されない。

 ノインは、産まれが少々複雑だ。

蘇らされそうになった14代目風の王・インが、息子であるリティルを守るため、リティルと親子である記憶と名を捨てて、インファの守護精霊となることで産まれた、風の騎士・ノインが、さらに転成し力の精霊・ノインとなったのだ。

力の精霊となるさい、風の騎士だった記憶の一切を失ってしまったが、記憶は知識という形で受け継がれている。しかし、記憶の消去は経験の消去に等しく、ノインは、知識はあるがどこかアンバランスだった。それは自覚している。

「どうしました?ノイン」

夜の応接間で、1人読書をしていたインファのもとへ、ノインは思いきって行ってみた。

「リティルは、何をしている?」

「質問の意味がわかりませんね。ですが、インジュと出掛けていますね」

インファはニッコリと笑って、そう答えた。

「おまえも関わっているのか?」

「はい?何にですか?」

インファは表情を崩さないまま、膝に広げた本を閉じると、机の上に置いた。誰が、どこで、何をときちんと聞かねば、インファは答えてくれそうになかった。

「おまえに問いたい。おまえは、シェレラをどう思っている?」

「魔女ですね」

インファはシェレラですか?と興味なさげに、けれども一言で表した。

「王と王妃が許しているので、副官のオレが言うことは何もありませんよ。それに、彼女の身柄は補佐官が預かっています。オレの管轄ではないですね」

インファは、負の感情なく飄々としていた。

「怒りは、ないのか?」

「どうしました?ノイン?」

インファは首を傾げた。だが、ノインが口を閉ざしたために、フッと息を吐くと困ったように言った。

「正直、彼女に関しては何の感情もありません。選んだ結果、ああなってしまっただけです。父さんが処遇を決定した瞬間から、オレはそのように動くだけですよ」

「しかし……」

「理解できませんか?そうですか」

インファは高い高い天井を見上げた。そこには、豪奢なシャンデリアがぶら下がっていた。しばし、シャンデリアを見上げていたインファが視線を戻した。

「オレはあの時、シェレラを庇ったことに後悔はありません。あなたも、彼女を斬ろうとした父さんを止めましたよね?」

「あれは、リティルが斬るまでもないと思ったからだ」

「では、斬りたいですか?シェレラを」

「命じられればすぐにでも」

「父さんは、待っていても命じませんよ。斬るなら自分で行くのがうちの王です」

「リティルはなぜ……なぜ許せる?」

インファは意外な顔をした。ノインは、自分の何が彼にとって意外だったのかわからなかった。

「当時、ラスも、治まっていない者の1人でしたが、その問いに、こう答えるでしょうね。リティルは風の王だから。と。他の風の精霊も、おそらく同じ事を思っているでしょう」

1人、風の精霊でありながらそうでないものがいる。困ったものだが、感情はしかたがない。

「許せるモノなのか?」

「それが風の王です。しかし、15代目は少々寛大すぎますけどね」

風の王……その一言で、風の精霊達は納得しているようだった。ノインの妻であるリティルの守護女神も、シェレラには近づかないが、納得していた。

「あの時何があったのか、レジーナに記憶を見せてもらいました。ジュールには感謝しかありません。あの場で、インジュが飛んでいたらと思うとゾッとしますよ。息子は花の王の暴走を止めたでしょうが、その代償は煌帝・インジュの死だったでしょう。それを未だに理解していないのですから、困ったモノです。ジュールは、何が起こるのか知らないインジュを止め、花の王の縁結びの力を守り、花の王の責務に耐えられなかった彼女を殺すことで、解放してくれました。彼が1人でそれを行うには、少々荷が勝ちすぎてしまいましたが」

あの人にも困ったモノです。と、インファは当時を振り返り、苦笑していた。しかし、微塵も哀しみは見えなかった。

「”リャリス”のこと、惜しくはないのか?」

「冷たいことを言いますね。彼女は義理とはいえオレの妹ですよ?哀しくないわけはありませんよ。しかし、彼女の選択を、尊重せざるを得ません。あの場で、手の届かなかったジュールに手を届かせるには、彼女の力が必要でした。そして、自分の魂と至宝・蛇のイチジクを守るため、あの場にたまたまいたジュールの思い人を利用したんです。我が妹ながら、恐ろしいですね。リャリスは、智の精霊として、風の王の娘として、最大限の知略を巡らせたんですよ」

そう言って、インファはチラリとある方へ視線を投げた。視線を追うと、城の奥へ向かう扉のそばの壁に、新しく作られた扉が目に入った。あの扉の奥は、3代目智の精霊・リャリスの部屋だ。元は、2代目智の精霊・リャリスの部屋だった。

「戻ってきてくれましたね。果たせなかった恋も引き継がせて、2代目同様まだまだ目が離せませんが、先行きが非常に楽しみです」

インファは兄の顔で笑った。彼の瞳は、未来を見ている。ノインは唐突にそう理解した。彼の言葉も行動も理解できる。シェレラを責め続けても、起こってしまったことは変えられない。なくしたモノは戻らない。あの時、インジュ、ジュール、シレラ、そしてリャリスの選択を、ノインは見ていた。

――このままでは、ジュールお父様はお父様ではなくなってしまいますわね

暴走した花の王の力を押さえる結界を1人で張りながら、リャリスはそう呟いた。彼女の顔は見えなかったが、その声は前を向いていた。そして彼女は、シレラに、花の王の妻となり私の母になる気はないか?と持ちかけたのだ。シレラは、即答できなかったが、頷いた。シレラは聡い女だ。あの瞬間、ジュールを思い、世界を思い、迷いながらも愛する人と茨を踏む道となるかもしれない覚悟を決めたのだ。そんな未来の母に頷き返し、リャリスは、ノインを見た。

――あなたの不甲斐なさに感謝ですわね。今後、私が目を光らせられないのは不安ですけれど、お父様とお母様、そして、妹が、あなたを見張りますわね。ごきげんよう、ノイン

フフンッとリャリスは蔑むような瞳をノインに向けた。彼女には、最後まで認められることはなかったなと、ノインは智の精霊になりきれなかったのに、ノインよりもわかっていた彼女に思いを馳せた。

 あの言葉は、ただの嫌みだったのだろうか。

あの場で、力の精霊として、できることはあったのだろうか。

十数年経った今も、あの言葉が楔のようにノインの心に突き刺さっていた。

「ノイン、あなたが聞きたいことは、そんな終わってしまった過去の事ではないでしょう?ここ何年も、あなたからシェレラに対する感情は感じていませんよ?」

インファは、こんな拙い問答に、トコトン付き合ってくれるつもりだっただろう。けれども、その時はここで打ち切られてしまった。

件の扉が開き、リャリスが応接間に出てきたからだ。

 普段はしゃんとして知的で、隙のない落ち着いた女性なのに、今夜は様子が違った。明らかに動揺して、誰かに縋りたい目をしていた。その切れ長の瞳が、赤い。

「どうした?泣いていたのか?」

リャリスはまだ、成人して2年の若い精霊だ。精霊的年齢25とはいえ、経験が少なく、対処できないことも多いだろう。ノインは、自分のモヤモヤのことなどすっ飛んでいた。

つんと澄まして冷静なリャリスが、泣いているなど初めてだったのだ。彼女は2代目とは違い、常に妖艶に微笑んで周囲を牽制していた。それが素の彼女でないことは、ノインにもわかった。そして、そうせざるを得ない理由も察しが付いていた。蛇のイチジクは有象無象に狙われる。精霊の至宝の中で、原初の風に次いで注意が必要な宝だ。リャリスは至宝を守るため、怪しい雰囲気の魔女を演じているのだ。

そんな彼女の姿がいじらしくて、悪女を演じているシェレラも、構いたいのを我慢しているしまつだ。

そんな無防備な妖艶な魔女を、インジュが放っておくわけがない。2代目の影と何とか折り合いを付けたインジュは、さりげなくリャリスを守っていたわけだが、次第に虜になっていった。今では義務感ではなく、想いに従って行動していた。

「お兄様、ノイン!インジュが……インジュがついに、お父様に手込めにされてしまったかもしれませんわ!」

はい?

ノインに気遣われソファーまで来たリャリスは、インファの前に座るなりそう言って、ボロボロと泣いた。インファは絶句していたが、さすがは長く生きているだけのことはある。すぐに優しく問いかけた。

「何かありましたか?うちの愚息がついにセクハラでもしましたか?」

リャリスは、クスンと鼻を啜ると、顔の横にいる2匹の蛇のうち1匹の首を指さした。

隣に腰を下ろしたノインは「失礼」と断って、リャリスの真っ直ぐなサファイアブルーの髪に触れ、蛇の首がよく見えるようにした。蛇の首には、可愛らしい――大きさのことだが、ジッと観察しなければわからないようなチョーカーが巻かれていた。

「これは……婚姻の証?」

「昼間、インジュが魔物に襲われた私を助けに来てくれましたわ」

ああ、覚えている。応接間で、さて次の仕事はと書類を見ていたとき、突如、大型の魔物の出現を小鳥達がもたらした。その場所を把握するや否や、インジュが飛び出して行ったのだ。1人では!と、相棒のラスも後を追っていった。何事?と応接間は一時騒然としたが、シェレラの一言で、皆は納得した。「これ、リャリスがこのそばにいるわ」と。

ああ、リャリスかと、皆は納得した。そして、しばらくしてラスが1人で帰還し、2人とも無事で、魔物も狩ったと報告されていた。

「それで、私プロポーズされてしまいましたのよ。インジュは、お父様は関係ないと言っていましたのですけれど、いきなり、おかしいですわ!どう考えても、不自然ですわ!」

リャリスに同意を求められたが、ノインは困ってしまった。インジュは、口にこそ出さなかったが、リャリスに見とれるわ、隣に座りたがるわ、アプローチを開始していた。リャリスはというと、口にこそ出さなかったが、城に来たときからインジュが好きなんだろうなーと思える態度だった。いろいろすっ飛ばした感はあるが、鈍くてインジュが「好きだ」と告白したとしても、受け取らないだろうリャリスを想像し、形にするほうを選んだだけでは?とノインには思えた。

いや、それよりも確認しておきたいことがあった。

「君は本気で、気がついていなかったのか?」

「え?何をですの?」

リャリスは、キョトンと智の精霊らしからぬ瞳で首を傾げた。

うむ、これは暴露してもいいのだろうか?とノインが口を閉ざすのを見て、インファは遠慮なく微笑んだ。

「フフ、恋は盲目とは言ったものですね。リャリス、インジュは正常だと思いますよ?」

――お父さん!リャリスがですねぇ、可愛いんですよぉ!どうしたらいいですかぁ?

オレに聞くなと正直思った。そんなこと今更だとも。イシュラースの三賢者からは外れてしまったが、知識の使い方はまだインファの方が上だ。リャリスもそれをわかっているらしく、遠慮なく「お兄様」と言って頼ってくれていた。妖艶な同い年の可愛い妹だ。

インファは、いつまで経ってもな息子に、ぞんざいに「告白すればいいですよ?」と当たり前な事を言った。インジュは「そうですよねぇ……」と言い淀んでいた。

「そんなはずありませんわ!だって、インジュが私をなどと、考えられませんわ。絶対にお父様が絡んでいるはずですのよ?」

それでリャリスは、インジュが「おやすみなさい」と言って自室に引き揚げるまで、ずっとへばりついていたのか。とノインは納得した。インジュはリャリスがそばにいてくれるので、いつも以上に上機嫌で、シェレラに「気持ち悪い!」と辛辣に言い放たれていた。

あれはジュールが絡んでいると踏んで、魔法にかけられていないか、彼と接触しないかと監視していたのだろう。

「ああ、お父様……ついに魔法で操るところまでいってしまわれたのですわ……。お兄様!これ、どうすればよろしいのかしら?」

受け取れない!と2匹の蛇を両手で掴んだリャリスが、十代の少女に見える。インファはフフと吹き出していた。

「持っていればいいと思いますよ?インジュは年中春のような顔をしていますが、戯れにそんなことはしませんし、ジュールもそんな鬼畜な事はしません。あなたは、インジュを射止めたんですよ」

ノインは、リャリスの様子を固唾をのんで見守っていた。 

「そ、う、なのでしょうか……あ、あのお兄様、インジュにもう一度確かめたいのですけれど……」

寝ていますわよね?とリャリスはソワソワと落ち着きなく手を揉んだ。ああ、なんというか青春?とインファも思ったのだろう。優しく笑っていた。

「今からですか?そうですね……あなたも今夜は眠れそうにありませんね。では、行ってみますか?」

「あ、あの、お兄様、も、ご一緒に……」

立ち上がったインファに、あからさまに動揺して、リャリスはオロオロとしていた。ノインも、今からか?と自室に婦女子が押しかけていい時間ではないのでは?とインファを伺った。

「ええ、もちろんですよ。インジュは今、太陽の城ですから」

「太陽の城……?」

ノインは呟いていた。なぜ、太陽の城?そもそもなぜ、インファはここにいた?仕事が終わっているのなら、とっくに部屋へ引き揚げている時間ではないのか?本を読むなら尚更。

ノインが疑問を持ったその時、暖炉のそばの、白い石の扉が開いた。

「なぁにぃ?まだ起きてるの?」

ふわぁと大あくびをしながら、寝間着を隠しもしないでシェレラが出てきた。

「あら、リャリス?泣いてるの?」

「い、いいえ!そ、そんなことありませんわよ?」

リャリスはサッと涙を拭うと、妖艶に取り繕って微笑んだ。なぜかシェレラをライバル視するリャリスだ、それを知っているシェレラは何かスイッチが入ったらしい。

「ははーん?昼間インジュが上機嫌だったことと関係あるわけ?そういえばさっき、リティルに呼ばれたとかなんとか言ってたわね」

シェレラはインファの顔に、視線を送った。オレに乗れと?とインファは瞬時に理解した。

「ええ。眠そうでしたね。本当は、ジュールに呼び出されたのかもしれませんね」

あまり嘘はよくないが、リティルは先に太陽の城に行っている。というか、風の城に今日はまだ帰ってきていない。仕事のついでに太陽の城に寄ると連絡があったのだ。インジュ

は、今夜の秘密会議に参加するつもりだったが、リャリスの目があり半ば断念していた。結局行ったが。

それも、結構手が込んでいた。一旦自室に戻り、応接間で番人をしていたインファにコッソリ通信してきたのだ。「リャリスがいなくなったら、教えてくださいよぉ?」と。リャリスが自室に入ってしばらくしてから連絡してやると、インジュは窓から一旦外に出て、中庭からこの応接間に入ってきた。廊下からでは、廊下側にもあるリャリスの部屋の扉の前を通らなければならず、念には念を入れたようだ。

そんなに今日中にジュールに会いたかったのか?と思ったが、婚姻の証の事を聞いて、インジュの行動を理解した。

「へえ、婚姻の証……ジュール様って、耳聡いわね。それとも計画通り、かしら?」

シェレラはニヤァと笑った。煽り方を、よくわかっていますね。インファはシェレラに感心していた。そして、ノインをここに足止めしてくれる気なのだと感じた。

「お兄様、太陽の城に行きますわ」

リャリスの秘密会議入りはまだ、未定だった。だが、頃合いだ。これ以上インジュを不審がらせて、ノインと手を組んでしまったら反魂は行えなくなる。あれは、化け物を産み出してしまうだけではなく、術者の精神をも破壊して狂わせる。それをリティルが行うとしれば、ノインは当然阻止しに来るだろう。その必要性を説いても、今のノインには理解されない。リティルの身の安全を優先してしまう。風の王が、自分を犠牲にしてでも守り慈しみたい気持ちを、今のノインには、残念ながら受け取ってもらえないのだ。

「了解しました。それでは行ってきますね」

インファはニッコリと、ノインを見た。そして、シェレラに目配せした。シェレラは「任せなさい」と小さく頷いてくれた。

「了解した。何かあれば知らせよう」

 ノインの言葉に「お願いします」と微笑んで、インファとリャリスは大鏡の向こう側へ消えたのだった。

「ノイン、寝ないの?」

紅茶を片手にシェレラはソファーに来た。そして、今し方までインファの座っていた、ノインの向かいに腰を下ろした。

「ああ」

「だったら早くいいなさいよね。お茶、1人分しか淹れてないわよ」

おい、見えるぞ?と諫めたくなるほどの仕草で、シェレラは足を組んだ。短いワンピースから、太ももが惜しげもなく晒された。

「構わない。君と夜のお茶を楽しんだと妻にばれると、何を言われるかわからないからな」

「それなのに、いるのね?」

シェレラは遠慮なく紅茶を啜った。

インファに言われた通りだ。ノインには、彼女への怒りはない。今、彼女に対してある感情はなんなのだろうか。

「感謝してるわ」

「何を?」

「わたしを、許さないでいてくれるからよ。ここにいると、わたしもいい人なのかと勘違いしそうになるのよ」

許さない?関わらないようにしていることが、彼女にはそう見えるのだろうか。

「ラスはわたしを許さないって言ってくれたけど、インジュの事丸投げしてきたりして、なんだかんだ、ここにいること、認めちゃってるのよね。風四天王、チョロいわよ」

そう言って、シェレラは困ったように愛しそうに哀しそうに微笑んだ。

「君は、魔女のまま逝くつもりか?」

「ええ、そうよ。ここで、ふてぶてしく堂々としててやるわ」

紅茶を飲み干したシェレラは、ジッとノインを見つめてきた。視線に気がついたノインは、なんだ?と平然としていた。

「黄昏の大剣。ノイン、あなたに恨みはないけれど、わたしは、その剣が憎いわ」

本来、魂を砕くという所業は、風の王とその血を引く者にしかできない。それは、魂の流れの管理を、風の王が任されているからだ。そして、世界の刃として、世界に仇なすモノを狩ることを許されているからだ。

力の精霊の証である、至宝・黄昏の大剣は、そんな風の王を完全に殺すことのできる、風の王の天敵だ。それは、ルディルが太陽王として立つまでは、風の王に対峙できる精霊がいなかったためだ。心があるのだ。風の王がいつも正しいとは限らない。もしもの時、風の王を討つ事のできる精霊として、力の精霊はいる。

「どうして、インティーガ様があんな目に?その想いが消えないわ」

ギロリと睨んだシェレラの瞳を、ノインは受け流した。

「だから、わたしのこと、許さなくていいのよ」

シェレラはフッと不真面目に微笑んだ。


 最近、風の城の中核が騒がしい。

ノインは、気がついていたが動けなかった。動いていいのか、わからなかったのだ。

「ノイン?大丈夫ですの?」

声をかけられ、ノインはハッとして顔を上げた。見れば、リャリスが寝間着にストールを肩にかけた姿で、心配そうに立っていた。

応接間には、いつの間にかノイン1人だった。どうやら、真夜中であるらしい。

「もう、遅いですわよ?おやすみになってはいかが?」

リャリスは糸のような切れ長の瞳に、気遣うような優しい笑みを浮かべた。

「君は……いや、無意味なことを聞こうとした」

リャリスは、ノインの隣にそっと腰を下ろした。

「ノイン、あなたは、今のままでいいのですのよ?」

落ち着いた声色で、まだ、経験の浅い新米精霊とは思えない安心感があった。

「何か、知っているのか?」

リャリスはフルフルと首を横に振った。

「いいえ。私がわかるのは、蛇のイチジクのことだけですわ」

「オレは……どう動けばいい?」

ノインには、焦りに似た感情があった。何を焦っているのか、それがわからなかった。

「何もする必要はなくってよ?」

「しかし……」

「きっと、なんとかなりますわ」

リャリスは、昼間とは違う、柔らかな笑みを浮かべていた。すべてを受け入れて納得しているような、諦めているような静かな笑みだった。

「だから、終わった後、皆様のこと、よろしくお願いいたしますわ」

ノインはリャリスの腕を掴んでいた。

「それではいけない!オレは、何を……忘れている?2代目に言われた。不甲斐なくて助かったと。オレを見張れないことが不安だと。君も、オレに思うことがあるのか?」

リャリスは、憂うようなそんな静かな笑みを浮かべたまま、ゆっくりと口を開いた。

「……あなたは、解放されたのだと思っていますわ」

「何から、解放されたと?」

「知る必要はなくってよ?」

「リャリス!君はまた――」

そこで、ノインは言葉を失った。自分が何を言おうとしていたのか、わからなくなった。

両腕を掴み、上から見下ろすノインを、リャリスは真っ直ぐに見上げていた。

「いいのですわ。背負う必要はなくってよ?」

「オレは、不完全なのか?」

「いいえ。この世界の者に、なったのですわ。私は、それが羨ましくもあり、同時に、お役に立てる今を、嬉しく思いますわ」

「君とオレは、何だというんだ?」

「智の精霊と、力の精霊ですわ。ただ、それだけですのよ?」

――私とあなたは、ここにはない遠い昔、小さな約束をしただけですわ

けれどもそれももう、無効。それでいいと思う。彼にももう、愛する人がいて、リャリスにも、その腕の中にいたいと想う人がいる。

なくしたことには意味がある。なくさなかったことにも……

1人であれに対さなければならないことは、怖い。だが、やらなければならない。

あの魔法を生み出してしまった責任が、この蛇のイチジクにはあるのだから。

「はあージュールさん、元気すぎですよぉ……って、あれ?ノイン、とリャリスじゃないですかぁ!」

 2人振り返ると、大鏡を越えてインジュが戻ってきたのが見えた。ジュールが何かと目をかけているが、もう十分だ。インジュは、十分なことをしてくれた。

婚姻の証をくれただけではない。彼は今現在も、リャリスの前では明るく笑って戯れ付いて、沈みがちな心を守ってくれている。

仮初めの私の夫。この世界が産んだ。美しい宝石。この私とは正反対の位置に立っている人だ。「おかえりなさいまし」とリャリスは、妖艶に微笑んで見せた。

リャリスの姿を認めて、嬉しそうにヒュンッと飛んできたインジュは、なぜか驚愕に目を見開いた。ノインは「なんだ?」と眉根を潜め、リャリスは首を傾げた。

「リャリス……!そんな恰好、ボク以外に見せちゃダメじゃないですかぁ!自覚、自覚ありますぅ?」

自覚?とリャリスはキョトンとした。

「ボクの妻って自覚ですよぉ!ノイン!手、放してくださいよぉ!」

ノインは、未だリャリスの腕を掴んだままだったことに気がついた。女性を上から見下ろして両腕を掴んでいる姿など、言い寄っているようで誤解を招く。「すまない」と謝り、ノインはリャリスから手を離した。すかさずソファーの背越しに、ずいっと間に入ってきたインジュの瞳が、ノインを射貫く。ノインは僅かに怯んだ。彼の瞳には、演技ではない敵意があったからだ。

なぜだ?インジュに睨まれる理由がわからない。

「妻……」

ポツリとリャリスが呟いた。そのつぶやきにリャリスを振り向いたインジュの背中が、傍目にもわかるくらい、ビクリと震えるのをノインは見た。どうした?とインジュの肩越しにチラリと覗くと、リャリスは俯いていた。淑やかに膝に重ねて置かれた手が、こぶしを握っていた。

「ひいい!ここで照れますぅ?可愛いんですけど!くっ!ノイン、邪魔です!」

キッと視線を戻して来たインジュに、再び先ほどより鋭く睨まれたが、その瞳に敵意はなかった。ノインは、何を今更……と思ってしまった。普段からベタベタしているだろう?と。

「あ……私、やすみますわ。ごきげんよう!」

リャリスはバッと立ち上がると、小走りにホールを横切り、自室へ飛び込んで行ってしまった。その後を、インジュは追わなかった。

 リャリスの後ろ姿を見送ったインジュは、はあーと深いため息をついて、ソファーの背に顔を埋めてしまった。

「反則ですよねぇ……」

あの容姿で、顔、赤らめるとかああ!とインジュは自分の頭を掻き混ぜるように、グチャグチャと爪を立てた。

「ああ、そうだな」

「あげませんよぉ?」

呪いをかけそうな瞳で上目遣いに、インジュはノインを睨んだ。ボサボサになった髪も相まって、凄みがあった。が、どうにも芝居がかっていて冗談であることがにじみ出ていた。

「何を言っている?おまえの姉がオレの妻だ」

インジュはヒョイッとソファーの背を飛び越えると、ソファーに座り直したノインの隣にストンッと座った。

「知ってますよぉ!ラブラブごちそうさまです」

「おまえやリティルほどではない」

今は、シェラが体を動かせないため、見られなくなってしまったが、リティルは半分無意識に近いようだったが、隣にいるシェラの髪や手、肩にしょっちゅう触れていた。甘々か?と言われればそうでもないが、リティルに触れられるとシェラは、こちらも無意識だろうが、幸せそうに微笑んでいた。その笑顔に、皆は癒やされていた。この、戦いに明け暮れる城を、暖かく癒やす風の王妃。16代目花の姫・シェラはそんな人だ。

「そうですぅ?グラマーな女神に、後ろからハグされてるくせにぃ!まあ、本命ですもんねぇ。いいんですけどね!」

嫌みですかぁ?とインジュはジロッと睨み、フイと視線をそらして羨ましそうに言った。

「……本命?」

一瞬言葉の意味がわからなかった。インジュとリャリスは誰がどう見ても相思相愛だ。本命というのは、心にいるたった1人のことではないのか?本命という言葉を、拗ねたような口調で言ったインジュは、まるで、自分はリャリスの1番ではないと言っているかのようだった。

「ボクは、2番手です」

「何を言っている?リャリスの態度は素っ気ないかもしれないが、あれはどう見てもおまえしか、見ていない」

「あはははは!ホントにそうなら、よかったですよぉ!でも、リャリスの魂が求めてるのは、ボクじゃないんですよぉ?」

また、この瞳だ。遠慮なく睨んできたインジュの瞳に宿る敵意。

「いいんです。ボクは2番でもなんでも。今、リャリスの手を掴んでるのは、ボクなんですからねぇ!守ります。できることがないなんて、言わせませんよぉ!」

これは、宣戦布告?ノインはまた、焦りを感じた。ここを逃せば、取り返しがつかなくなる。そう思った。気がついたら、インジュの腕を掴んでいた。

「何を知っている?インジュ!おまえは何を知っている!」

「何も、知りませんよぉ?リャリスもジュールさんも、教えてくれませんからねぇ。ボクはまた、蚊帳の外なんですよぉ。あああああもおおおおおお!どうして!ボクじゃないんですかぁ!」

バンッとノインの手を払い、インジュは再び頭を掻き混ぜた。さすがに指が引っかかったらしい。インジュは円筒形の髪留めをスルリと抜いた。パサリと落ちた三つ編みに結った髪が解れて、インジュの横顔を隠した。

「リャリスの本命に……なりたかったです……」

フラリとインジュは立ち上がった。「おやすみなさい」と言ってトボトボ、城の奥の扉に向かうインジュを、ノインは引き留められなかった。

 どういうことだ?ノインは動揺していた。

不甲斐ないあなたに感謝すると言った、2代目。

あなたは解放された。だから、何もしなくていいと言った、リャリス。

どこをどう見ても相思相愛なのに、本命じゃないと落ち込む、インジュ。

オレの知らない何かがある。ノインの差し出した右手に、黒光りする鞘に収まった大剣が現れた。赤い陽炎のような力を纏った、禍々しくも見える大剣。黄昏の大剣だ。

この物言わぬ至宝のことを、知らなければならない。だが、どうやって?

「有限の星に聞いてみたら?」

暖炉の方から声をかけられ、ノインはそちらを向いた。

今夜は、入れ替わり立ち替わり、訪問者が多いな。ノインは、硬い表情で立っているシェレラを見たのだった。


 初代力の精霊・有限の星。シェレラの恋人を斬った、仇の名だ。

だが、それと同時に、魔女・シェレラの協力者だった。彼は、ルディルの前に太陽を司っていた精霊王の守護精霊で、精霊王が討たれたとき、道連れで初代智の精霊・無限の宇宙と共に散った。

「全部聞いてたわ。リャリスと話してるときからよ」

「君には、2人が言った意味がわかるのか?」

「わからないわ。でも、わかることもあるのよ。わたし、インジュに頼まれて、ジュール様が花の王を討った場面、見てきたの」

――あなたの不甲斐なさに感謝ですわね。今後、私が目を光らせられないのは不安ですけれど、お父様とお母様、そして、妹が、あなたを見張りますわね。ごきげんよう、ノイン

2代目智の精霊の声が蘇る。

「言葉を聞いたか?」

「言葉?」

「いや、いい」

視線をそらしたノインに、シェレラは言葉を続けた。

「あなた、本当に力の精霊なの?」

「意味がわからない」

「違うのよ。あなた、有限の星と全然違うのよ!」

それはそうだろう?ノインは思ってしまった。彼とオレは同一人物ではないのだから。

「精霊って、代が替わっても、根っこの部分は変わらないと思うのよ。リティルや、ルディル、ジュール様を見てると本当にそう思うの」

性格はまったく違う3人だが、皆、世界を慈しみ、命の行く末を見守る優しさを持っている。そして、リティルの言い出すことを、そこまでしたいのか?おまえは……と言いながら、否定するのではなく、それを叶える為にはどうすればいいのかと、すんなり手を貸している。まるで、おまえと心は同じだと言わんばかりに。

「わたしを見ても信じられないかもしれないけど、風の城が大事よ?きっと、シレラもレシェラも同じよ」

レシェラは、ルディルの妃だ。初代花の姫だった。

「あなた、リャリスを見て、どう思う?」

ジッと強い瞳で見つめられ、ノインは戸惑った。どう思う?とは、どう言えというのか、質問の意味がわからなかった。

「わたし、有限の星にも無限の宇宙にも会ったことあるわ。当たり前よね?2人がわたしを魔女にしたんだもの。2人はね、リティルとインファみたいだったわ。信頼してて、どちらかの窮地には絶対に駆けつけるって思える絆があったのよ」

――どうしましたの?ノイン?

2代目智の精霊の蔑むような瞳が思い出された。好かれてはいなかったと思う。だが、言動はトゲトゲしていたが、助けてくれようとしていた。リャリスも同じだ。今夜、ここにいたノインを心配して、わざわざ出てきてくれた。この行動は、普段、ノインを見ていなければできないものではないのか?

だが、ノインは1度も、彼女を注視したことはない。

互いの小さな心の機微に気がつく、リティルとインファ。王と副官を超えた絆が、2人にはある。

智の精霊と、力の精霊の関係は?元、同じ王に仕える守護精霊だった。いや、もっと以前から、創世を越えたそのずっと前から、2人は隣に立つ存在だった?

――ボクは、2番手です

そう言って、ノインを憎らしげに睨んだインジュ。リャリスを守るのはボクだと、そう宣戦布告のように言われた気がした。

なぜだ?リャリスを守るのは、初めからおまえではないのか?ノインには、妻がある。

リャリスにそんな感情は微塵も湧かない。

「リャリスが死ぬとき、あなたは動かなかったわ。断言できるのよ。有限の星だったら、無限の宇宙を助ける為に動いていたわ!」

あのとき、ノインにできることは1つしかなかった。縁結びの力を守るため、風の王だったという存在を捧げる覚悟を決めたジュール、そんな父が、風の王だったということ以外失わないように守ろうとしたリャリス。2人の想いを踏みにじり、花の王をノインが討つ。そうすれば、一時花の王の力が失われる事になっても、ジュールは風の王だったという存在を守られ、リャリスは命を守られた。

殺すだけなら、ノインには遠距離からそれができたのだから。

「動いてよ!ノイン!そうしないと、あの娘、何か大事なモノを失うわよ?」

お願いがあると、インジュに頼まれ、シェレラは記憶の精霊をインジュと尋ね、件の場面を見た。そしてインジュは、有限の星のことをしつこく聞いてきた。そして、あの場にいたのが、有限の星だったらどう動いたと思うか聞いてきた。

たぶん、ジュールに台無しだと怒り狂われても動いたと思う。そう答えると、インジュは一瞬、絶望したような瞳をした。そして俯いて「そうですか……」と呟いた。どうしたのかと問うたが、インジュは首を横に振って、次の瞬間には「スッキリしました!」と言って、いつもの明るい笑顔ですべてを隠してしまった。

風の城に戻ったインジュはいつも通りで、リャリスに戯れに「好きです」と言っては、冷たくあしらわれていた。

しかし、シェレラは唐突に思った。


この2人、壊れてしまうの?


反魂を行えば、2人は離れ離れになる。そう直感した。リティルにそれを訴えてみたが、リティルは「そうなるなら、2人が決めた事だ。オレは、突き進む」と言った。どうして?と問うと「続いて行くにはな、努力が必要なんだ。お互いの手を、離さねーってつかみ合う心だよ。何があってもな。それを貫けねーなら、遅かれ早かれ壊れる運命にあるんだ」重かった。

リティルとシェラがそうやって、今まで生きてきたことがわかった。今、体を動かせないシェラを心に住まわせ、一緒にいるリティルは、本当に何があっても、シェラを離さないだろうなと思う。

「助けて、ノイン。できるのは、きっと、あなただけよ!」

「しかし、何をすれば……」

インジュもリャリスも、ノインにとって大事な家族だ。助けられるなら、助けてやりたいと思う。だが、ノインには、何も思い浮かばなかった。

『動かなくていいんだぜ?』

声は、頭上からした。シャンデリアがカタカタと音を立てたかと思うと、金色の荒々しい風が落ちてきた。風が去ると、見上げた空中に小柄な風の王がいた。

本当に今夜は、訪問者が多い。


 リティルはずっと、オオタカに化身してシャンデリアのクリスタルに紛れていた。それも、今夜だけではない。リティルは知ったときからずっと、ノインを始終監視していたのだ。ここにリティルがいられないときは、リティルの目の役目をするカラスが、城の外では小鳥達が、ずっとノインを監視していた。

 ジュールもルディルも何も言わなかったが、ノインを気にしていた。

力の精霊は、死について知る唯一の精霊だ。智の精霊は知らないのか?と聞かれれば、知っている。では、なぜ唯一なのかというと、死を退けることができるらしい。その方法を、智の精霊は理解できないのだという。

反魂は、死に触れる儀式だ。死を知り風の王から死を遠ざけている力の精霊は、その儀式を許してはくれない。「死はどこだ!」と口にしただけで、インティーガは殺されてしまったのだ。絶対に妨害される。

だからだと思っていた。ジュール達がノインを遠ざけているのは。

しかし、違うかもしれないことを、インジュに愚痴られたとき思った。

――ボクは……リャリスを守れないんです……

はあ?何言ってんだ?こいつ。と、その言葉を聞いたとき本気で思った。リャリスに冷たくあしらわれすぎて、こんなときに落ち込んでるのかよ?と心底呆れた。

――2番手のボクじゃ、ダメなんですよぉ!

2番手?本命に断られたから、インジュでいいやって?おいおい、ジュール何考えてんだ?と、リティルの前では甘い笑みで翻弄してくる花の王を思った。

 ジュールを問い詰めると、彼はすんなり教えてくれた。

「あいつは、頭がいいのか悪いのかわからんな」

ジュールはため息を付いた。そして、軽率な言葉を使ってすまなかったと詫びられた。

彼曰く、初めからインジュが本命だったらしい。インジュを打ちのめすことになった言葉はこうだ。

「もう1人、この上ない適任がいるが、ヤツはリャリスと婚姻を結べないからな」

それは誰だと、問うと。ジュールは口を閉ざした。そして言った。

「解放されている奴を、昔でもないとうの昔に、引き戻すことはない。リャリスも同意見だ」

「昔でもない、とうの昔……それって、旧時代のことか?」

「おまえも、頭がいいのか悪いのかわからんな」

「これでも風の王だからな!前に言ってたよな?精霊の至宝は、作ったヤツがいるって。蛇のイチジクは旧時代の遺産だったのかよ?」

「そうだ。蛇のイチジクだけではない。黄昏の大剣もな。旧時代、蛇のイチジクは1人の化け物の女性だった。そして、黄昏の大剣は、彼女を救った男性だ」

「……黄昏の大剣は、旧時代を滅ぼしたって聞いたことがあるぜ?その男がやったのかよ?」

旧時代とは、今の、神樹によって3つの異世界が繋がっている世界の前にあった世界の事だ。今の世界は、その旧時代が滅んだことで生まれた世界なのだった。

「結果的にそうなったというべきだろうな。反魂という邪法は、蛇のイチジクが作り出してしまった魔法だ。それは、権力者によって悪用され、黄昏の大剣はそれに抗った。その結果、滅んでしまったというわけだ」

「そんな古い仲だったのか、あの2人」

「無限の宇宙と有限の星か?わたしが有限の星をやり込めると、無限の宇宙が出向いてきてな、散々やり返されたな」

「おまえが?信じられねーな。あのじいさん、そんなに凄かったのか。オレ、ほとんど会ったことねーんだよな」

有限の星は、赤い髪の将軍然とした、がたいのいい中年の姿をした精霊だった。

無限の宇宙は、腰の曲がった白髪と髭に顔が埋まってるような老人だった。

何やら、楽しそうな笑みで、ジュールに見つめられていることに気がついたリティルは、なんだよ?と視線を彼に戻した。

「おまえと、インファの様だったぞ?」

「ん?オレとインファ?有限の星と無限の宇宙がか?そんな仲良かったのかよ?」

「ああ、そうだ。無限の宇宙のほうがもっと嫌みったらしかったがな!」

「……なあ、この上ない適任って、ノインのことなのか?」

「そう聞こえたか?」

「ジュール!」

「ああ、すまんな。そういうことだ」

「なんだよ!それ!じゃあ、ノインは……」

「いいのだぞ?」

「いいわけねーだろ!」

「いいのだ。絆があったのは旧時代だ。新たなこの世界に、滅んだモノを持ち込むこともなかろう?」

「じゃあ、反魂の儀式もやらねーよ!」

「それでは、旧時代の遺産で殺されたインティーガは戻らんぞ?」

子供っぽいことを言うな。ジュールは困ったように笑った。

「死って、何なんだよ?」

「問うな。おまえを危険に晒すわけにはいかん。わたし達は風の王、おまえを守らねばならん」

「おまえはオレの家臣じゃねーよ!」

「違うのだ。透明な力を使う精霊は、風の王を支えるためにいるのだ。父上、わたしはあなたの息子なのだ」

ジュールは、インファがリティルにするように、片手を胸にゆっくりと深く一礼した。

「!」

「尊い至宝・原初の風。すべての命の両親だ。あの至宝には両親がいる。それは、風と花。父が子供達を守ることは必然。母が子供達を慈しむこともまた必然。その心が欠落すれば、滅ぶ。風の王が世界の刃である所以は、原初の風を産みだした父だからだ。花の姫が咲いたのは、そんな夫を助けるためだ。本来、蛇のイチジクと黄昏の大剣は、風の王と花の姫に委ねられるべき宝だった。それを、太陽が横取りしたのだ。少しだけ、ルディルが目覚めるのが遅かったという理由だけでな」

ジュールは、言葉を紡げないリティルに、フッと甘く優しい笑みを浮かべた。

「今、元風の王が転成しおまえを支えているのは、偶然ではないのかもしれんな。安心しろリティル、わたしは風の王兄弟の三男。おまえを父などとは呼ばん。おまえは可愛い末の弟だ」

花の王というわたしもまた、過去から解放されている。ジュールはフフと笑った。

「ノインを……どうすればいい?」

「似非次男には、次男としての自覚を持ってほしいが、似非は似非のままでもいいと思っているぞ。インにばかりいい格好させるのも、好かん」

「ジュール……なあ!ジュール!」

焦りがある。だが、解消法がわからない。ただ、このままではいけないという、風の王の勘だけが警鐘を鳴らしていた。

「大丈夫だ。リャリスは、インジュが守る。あれも、インジュに以外守られる気などないぞ。筋金入りに、インジュの事を好いているのだからな。ああ、腹立たしい!」

こんな時だが、リティルは呟いてしまった。

「おまえ……散々けしかけといて、今更それかよ……」

「インジュに不満などない!だが、あいつのあの脳天気な顔を見ていると、無償に腹が立つのだ!この……わたしの愛娘の心を奪い取った、にっくき男!とな」

鬼の形相で、絞り出すように言葉を紡いだジュールはコロッと態度を改めると、高笑いした。

 ありがとな、ジュール。オレは風の王らしく、導いてやるさ!

リティルは、机の上空で化身を解くと、腕を組んでノインとシェレラを見下ろした。

「心、動かねーんだろ?」

「リティル!でも、いいの?」

「シェレラ、おまえ、好きでも嫌いでもねーヤツの為に、咄嗟に動けるのかよ?ノインは、リャリスを家族だと思ってくれてるけどな、インジュがあんなにベッタリじゃ連携のしようがねーだろ?」

「今からでも、あの娘と話し合えば……」

シェレラは邪精霊に堕ちたといっても、やはり花の姫だ。慈愛を持つ、シェラの姉妹だ。彼女の憂いは痛いほどよくわかる。実を結ばなくとも、想い合う2人の手が離れることを嫌がってくれる優しさを、今、シェラがいないこの城から失われないようにしてくれている。だが、信頼関係はそんなにすぐには育たない。

「リャリスは、望まない」

ノインの静かな声に、リティルは頷いた。

「にわかじゃ、間に合わねーよ」

「しかしリティル、オレは、助けられるなら助けたいと思う。それでも、おまえは否定するのか?」

リティルは腕を組んで2人を見下ろしたまま、言った。

「否定なんかしねーよ。ノイン、オレにも、どうすればいいのかなんてわからねーんだ。でもオレは、退けない。邪法・反魂で、インティーガを必ず連れ戻してみせる!」

反魂という儀式の名を口にしたリティルに、シェレラは驚いた。その名を、関わる精霊達は1度もこの応接間で口にしていないからだ。

「ノイン……」

「それしか、方法はない……。知っていた。オレが、力の精霊として取るべき行動は、風の王、おまえを全力で止めることだ」

リティルを見上げるノインの腕を、シェレラは押さえるように掴んだ。

「ノイン!待って!だったらわたしを斬って!風の王をそそのかしたのは、わたしよ!魔女・シェレラよ」

必死に言い募るシェレラを、ノインは見下ろした。

「おまえを斬る選択は、今もない。風の王を止める。オレの行動は間違っていないはずだ。だが、腑に落ちない」

「それでおまえ、動かなかったのかよ?おまえはどうしたい?ノイン。オレを斬りてーなら……相手になってやるぜ?」

金色の荒々しい風が渦巻く。リティルの両手に、2振りのショートソードが握られていた。ノインも、手にしていた黄昏の大剣を構えた。

 はは、オレ達にはこれしかないよな?リティルはフッと凶悪に微笑んだ。さて、始めようか?そうリティルが構えた時だった。

『やれやれ、勝手に始めないでください』

リティルの起こした強風に煽られたシャンデリアから、クリスタルの飾りが外れて落ちてきた。いや、それは金色のイヌワシだった。その金色を纏った輝きが、リティルの隣でパリッと雷を迸らせて弾けた。

「ノイン相手に、1人でどうするつもりですか?父さん」

「来ちゃったのかよ?インファ。この部屋、封印中だぜ?」

「当面の仕事は、この部屋の番人ですからね。抜け道くらい、用意していますよ。シェレラ、部屋の端にいてください。巻き込まれますよ?」

飄々といつも通りの調子で現れたインファは、ニッコリとノインの隣から動かないシェレラに微笑んだ。

いいの?これで。シェレラは、ノインのそばから離れることを躊躇った。

「大丈夫だ。オレ達には、これしかないからな」

何がこれしかないの?と思ったが、ノインの瞳には弟と大切にしているリティルと、剣を交えねばならない悲壮感はなかった。むしろ、少し楽しそう?ノインに腕を引かれ、広いホールまで退かされた。ノインはシェレラを庇って立つと、切っ先を下にして握りを逆手に握り、盾のように剣を構えた。

最初に仕掛けてきたのは、リティルだった。斬りかかってきた両手の剣を受け、ノインは離れろとシェレラを押した。ノインの邪魔になってはと、シェレラは壁際まで退くしかなかった。矢継ぎ早に繰り出されるリティルの剣を、ノインは大剣で受け続けた。素早い剣に、軌跡が金色を幾筋も描いていく。

「見逃せよ!ノイン!」

「おまえが死に近づくことは、阻止しなければならない」

防戦一方だったノインが、一歩踏み込んだ。切れ味は鋭いが軽いリティルの剣が弾かれる、その隙を見逃さず、ノインが体を捻り回転切りが見舞われた。

空中に放り出されたリティルの背を、インファが止める。追撃を見て取って、インファの突き出された手の平から、雷の矢が枝分かれして放たれていた。ノインは、矢を大剣で力任せに切り裂きながら床を蹴った。まだ、その剣は鞘から抜き放たれていなかった。見ると、鞘から抜けてしまわないように、鍔と鞘とが黒光りする鎖で幾重にも巻かれている。

まるで、封印されているみたいだ。シェレラは思った。

「ジュールとルディルの手で、父さんの身の安全は保証されています。術者の精神を狂わせる要因は、すでに取り除かれていますよ」

「その邪法を行うこと。それが、禁忌だ。見過ごすわけにはいかない」

インファはリティルを突き放すと、槍を構えノインを迎え討つ。

「リャリスが同意しています。あなた方はパートナーでしょう?違うんですか?」

ギリッとインファとノインは互いの武器で組み合った。

「わからない。彼女が知っていることをオレはしらない!インファ!リャリスを助ける方法はないのか!」

ノインの手に力がこもるのを見て、インファはフワッと逃れた。直後、剣から放たれた艶やかな黒い炎がインファを襲った。槍を水平に構えたインファの前に、煌めく色とりどりの宝石の輝きを纏った、金色の透明な盾が現れた。

「探した果て、たどりついたのが、インジュとの婚姻です」

黒い炎を防ぎきり、インファは顔を上げた。さすがはイシュラース最強精霊。凌ぎきるので精一杯だった。次の攻撃は、さすがに受け止められない。止められるだけの霊力が戻りきっていなかった。

「不十分だ!」

ノインが下段から剣を上に向かって振るった。軌跡に産まれた黒い刃が、体勢の立て直せないインファに襲いかかる。避ける事も防ぐこともできそうにない。だが、インファは余裕の表情だった。強がっているのではない。この、インファでさえ僅かに恐怖を覚えるこの力の前にも、怯まず飛び込んでくるとわかっていたからだ。インファは、残り少なくなった霊力を右手に集中する。

「インファ!」

飛来した金色の光に向かい、インファは魔法を放っていた。雷を帯びた風が、割って入ったリティルの両の刃に宿る。

「はあっ!」

気合いの声と共に、金色の風がすべてを飲み込むような、艶やかな黒とぶつかった。せめぎ合ったのは一瞬だった。ジャリン!と金属の上を金属が滑るような耳障りな音を響かせ、黒い刃は弾かれ、天井に突き刺さっていた。城が揺れる。だが、高い天井には僅かに傷が付いたのみだった。埃のように、天井の建材がパラパラと剥がれて降った。

「不十分だと、言い切りますか。インジュが落ち込むわけです。では、あなたにはわかるんですか?」

「わからない。あの2人を……原初の風に甘えるのは……」

インファの言葉に、ノインは苦しげに瞳を伏せた。彼の苦悩が伝わってくる。インファの心に、痛みが走った。当たり前だ。ノインは、ずっと昔から、彼が変わってしまう前から相棒であり家族だ。それは今も変わらない。

しかし、反魂を行うと決めたときから、距離を置くしかなくなった。なんだかわからないが、ノインは敵だと風の本能がいうのだ。血を分けた実の妹のインリーは感じていないらしく「どうしてノインを仲間はずれにするの?」と意地悪だよ!と咎められた。インファは、的確な言葉を返せないまま「これは風の禁忌に触れるものです。父さんの命に関わりますから、選択を誤れないんですよ」と父の命を盾に一方的に動きを封じるしかなかった。

その言葉は、風の精霊ではない一家の者にも牽制となり、幸いなことに誰一人不用意に動く者はいなかった。

「おまえも、原初の風が大事なんだな。わかったよ、ノイン。わかってるヤツに聞いてこいよ。それで、納得してから続きしようぜ?」

インファの前に立ちはだかったリティルが、構えを解かないまま提案した。

「有限の星にか?」

「それとインだ」

「イン?」

14代目風の王・イン。リティルの産みの親であり、力の精霊へ転成前のノインの元となった精霊だ。彼に、何か願いを託されたらしいが、今のノインはそれを知らない。

「会っといた方がいいぜ?父さんが、今のおまえ見てなんて言うのか、わからねーけどな。これ以上ここでやると、誰かにバレるからな。それに、オレももう、限界だぜ……」

リティルの息は僅かに上がっていた。それに気がついたインファが、小柄な王の体を支える。ここで戦う為に、リティルはこの部屋を封じた。それによって、この部屋に入ることはできなくなり、部屋の中での出来事は外には知られない。だが、ノインの力が強すぎて、天井への一撃が城を揺らしてしまった。誰かが起きてきてしまうかもしれなかった。

「まったく無茶しますね。事前に言ってくれれば、部屋の封印はオレがやりましたよ?母さん、そこにいるんですから、止めてください」

「はは、シェラはやる気だったぜ?けどまあ、今度ヤル羽目になったら、ルディルに盾になってもらうぜ」

「そうしてください。ノイン、死者召喚を許可します。鬼籍の書庫で初代力の精霊・有限の星と14代目風の王・インに会ってください」

インファはリティルを支えて、床へ舞い降りた。ノインもそれに続く。

「ノイン」

名を呼ばれ、ノインはリティルを振り向いた。その肩に金色のツバメが止まる。

「父さんとおっさんに、状況説明してやるよ。はは、その場に行けたら、2人に怒られただろうな、オレ」

「呆れられるだけですよ。2人とも、父さんが無謀なことは承知していますから」

インファの瞳が優しく笑う。そんな息子と顔を見合わせたリティルは、フッと吹き出して言った。

「それもそうだな」

ノインは、2人の隣に行きたいことをグッと堪えた。ノインが、力の精霊となったのは、リティルとインファの隣へ戻るためだった。それなのに、共にいられない。そんな今が、本当は死にたいほど苦痛だった。

リティルにもインファにも、動けないこの苦悩は知られていただろう。2人はいつもそうだ。自分の足で歩き出すことを待っている。

間に合っただろうか。

今、2人に背を向けたノインは、手遅れでないことを祈るばかりだった。

 ノインが部屋を去ると、リティルははあーと天井を仰いで息を長く吐き出すと、ズルズルとその場に座り込んだ。それを見たシェレラが、弾かれたように駆け寄ってくる。

「バカ力……勘弁してくれよ……あんなの抑え込めるヤツ、ルディルかインジュくらいしかいねーよ」

まだ腕の震えが止まらねーよ。と、リティルは力なく笑った。

「それをわかっていながら、1人で立とうとした父さんが信じられませんよ」

「はは。おまえとノインは相棒で親友だろ?頼めるかよ」

「相棒で親友だからです。ノインは戻ってくれるでしょう。あとは」

「ああ、間に合うかどうか。だけだな……兄貴……頼むぜ?」

リティルとインファは、ノインの言った扉を見やった。2人の様子からシェレラは、いよいよ反魂が行われることを知ったのだった。

「シェレラ、インティーガに逢わせてやるからな!」

「うん。ありがとう、リティル、インファ」

笑ってくれるリティルに笑顔で応えながら、ああ、彼等との別れが迫っているのだなと、シェレラは少しだけ寂しく思った。


 鬼籍の書庫。

初代風の王・ルディルの時代から、ずっと風の王に仕えている、2人の精霊の管理する部屋だ。15代目風の王・リティルの時代までは、召使い精霊のような位置づけだったが、リティルを生涯の主としたいと2人、無常の風、門番・ファウジと、無常の風、司書・シャビは懇願し、それを承諾したリティルは2人を精霊へと昇格させた。

それから、鬼籍の書庫は、この城有数の美しい部屋へと変化したのだ。

 冷たいらせん階段を降り、鉄の扉を開くと、ノインの前に、これまでの道程では想像できないような光景が広がっていた。

月のかかる星々に埋め尽くされた空。部屋に足を踏み込んだ途端に身を包む、桃の甘い香り。目の前には、花桃の咲き乱れる、緑の庭園が広がっていた。

この空は、疑似だ。外と同じく太陽と月が入れ替わるように魔法がかけられている。真ん中に睡蓮の咲く池まである、なんとも風変わりで桃源郷のような部屋だ。

宝形造りの屋根の乗った、六角形の水榭と呼ばれる、壁のない東屋があり、そこに、ファウジとシャビはいるはずだ。

「ノイン?何じゃ、こんな夜更けに」

満月をバックに舞い降りてきたのは、提灯を持った、ずいぶん逞しい精悍な顔つきの老人だった。ポニーテールに結った白髪をなびかせ、骨となったハゲワシの翼で舞い降りてきた。「ファウジ、突然すまない。死者召喚を頼みたい」

浅黒く灼けた肌のファウジは、訝しげに眉根を潜めたが、リティルか?と納得したようだった。

「リティルは昼夜問わずじゃな。寝ておるのか?あやつは」

無常の風は、滅多にこの部屋を出ない。彼等の仕事は、死者の一生を記した鬼籍の管理と、死して還ってくる魂の数の把握だ。しかし、ひとたび戦闘に出れば、鬼神のように強い。

「今回はオレの我が儘だ。14代目風の王・インと、初代力の精霊・有限の星に会わせてくれ」

「承知した。上のことは把握しかねるが、リティルは、また困難に直面していると見えるのう」

「……」

ノインは押し黙った。ファウジに、どう返答すればいいのか、迷ったということもあるが、それよりも、夜だとわかる風の集まった先に産まれた2つの気配に、緊張したのだ。

 ホワリと、どこからともなく、赤い紐を束ねた飾りの付いた提灯がいくつも周りに浮かんだ。その丸い明るい光の中、インと有限の星は召喚に応じたのだった。

 インは、長い流れるような金色の髪を緩く束ね、風の王の証である金色のオオタカの翼の間に垂らしていた。その顔は、彫像のように整い、無表情だった。若い外見。だが、30を過ぎているルディルより、少し年下。といったところだろうか。

いやいや、そんな観察はいらない。彼の姿は、聞いていたことだったが、ノインと瓜二つだった。オレは本当に、彼の肉体を持っているのだな?ノインは納得したのだった。

有限の星は、赤いサッパリとした短髪で、赤い髭を生やした中年の男性だった。逞しい体躯で、その逞しさは、ここいるファウジ、大男の太陽王・ルディルに匹敵する。さすがは、風の王と渡り合える力を持つ精霊だなと思えた。

 ノインは一歩彼等の前に足を進めると、声を張った。

「14代目風の王・イン、初代力の精霊・有限の星、貴殿らを呼び出した非礼、許せ。召喚の理由はここに、我が弟リティルからの伝言で伝える」

ノインの他人行儀な態度に、インは僅かに表情を動かした。本来なら、インとノインは会うことができないはずだ。それを、リティルが許し、魔法を使えるファウジが応じたことで、インは自分の知らない何かが起こったことを察した。

「リティルから?」

隣の有限の星が、表情を和ませた。リティルは、彼の心も救ったらしいなと、インは思った。インと有限の星は、犬猿の仲だった。それはもう、修復不可能なほどに。

「控えてもらおう、有限の星。それとも、我が息子の言葉、我が先に聞くことに不満があるか?」

「いや、ない」

無表情に一瞥され、有限の星は口元を一文字に引き締め、和んだ顔を正した。インは威圧感をそのままに、ノインからツバメを受け取った。

「ノイン、久しいな。リティルは息災か?」

気を取り直して、有限の星は親しそうにノインに話しかけた。ノインは、少し意外な気がしたが、包み隠さず今の現状を語ることにした。

「すまない。オレは記憶を失った。貴殿とは初対面だ。だが、リティルは元気だ」

「なに?いや、そうか……その精霊色素のこと、説明はあるか?」

「おそらく、リティルの伝言の中にあるとは思うが、今のオレは、力の精霊だ」

有限の星の瞳が見開かれ、その口が何かを言おうとした。それを見ていたノインは、突如風に襲われていた。咄嗟だったが襲ってきた長剣を辛うじて受けることができた。

「――その大剣……!そなた、それを授かってなお、リティルのそばにいるのか!」

襲いかかってきたのは、殺気を隠さないインだった。ノインの体の前、長剣を受けた鞘に収まったままの剣を見て、インはギロリと鋭い瞳で睨み付けてきた。

「イン!よせ!」

「有限の星、そなたもリティルからの伝言を聞けば、我の所業、目をつぶる気になる」

低い声。インの本気を見て取って、有限の星はツバメを呼んだ。

「……わかった。では、ワシが聞き終わるまで待て!それくらいの猶予、やってもよいだろう!」

「急げ」

インは、ノインを睨んだまま、短く低く告げた。

「イン、リティルがオレを斬れと?」

「我が息子は、どんな悪鬼も庇う。そして、斬らねばならないモノを誰かに押しつけたりしない。ノイン……よりにもよって……それだけではない。なぜ何もかも捨てた?」

感情を押し殺した声で、インはなおも詰め寄った。ギリッと押しつけられた刃が、黄昏の大剣の鞘に巻かれた鎖を鳴らす。

「オレは捨ててなど、いない。ノインは転成する折、すべてを知識として残してくれた」

「いいや、失っている。そうだろう?有限の星」

ギインッとノインは突き放されていた。同じ体型、同じ体なのに彼の攻撃は弾き返されるほどに重かった。

「はあ……なんということだ……あの問題王まで転成しているとは……」

「インラジュールのことなどどうでもいい」

「まあ、そうだろう。貴殿が晩年、リティルしか見ていなかったことは、リティル本人から聞いているのだ。末恐ろしいな、リティル。泣く子も黙る、赤き風の返り血王を骨抜きにするとは。目の当たりにするまで、信じられなかった。ノイン、リティルがインティーガを救うため、反魂に手を染めようとし、貴殿と敵対している。ということでよいな?」

「敵対と、リティルは言ったのか……」

シュンとしたノインに、有限の星は思わず慌てた。

「すまん。そうは言っていない。共闘していいのかわからないと、リティルは伝えてきている。イン、そこまで思い詰めることか?ノインはノインに見える。継承できなかったことを継承できれば、いいのではないか?」

「インティーガを、反魂でなければ蘇らせることができない状態にした貴様を、信用できない。他にやりようがあっただろう」

インが険悪なのは、それを知ったからだ。インは、他の王がどうやって死んだのかを知っている。13代目が有限の星に斬られたことを知り、斬った本人に詰め寄ったのだ。インティーガの最後については、箝口令が敷かれ、記憶の精霊に記憶を見せてもらうことができなかったのだ。その頃まだ、シェレラの協力者だった有限の星は、真実を言えなかった。

風の王を斬ったという事実だけで、何の申し開きもできなかったのだ。そして、インに警戒され、孤高の王だったインと決別してしまったのだった。

リティルからの伝言の中に、それが解決したことが語られていた。

真相を知ったインが怒るのも無理はない。彼は、インラジュールに次ぐ賢者だ。ますます信用をなくしてもおかしくはなかった。

「……そうだな。無限の宇宙にも呆れられた。ワシのしでかした間違いが、主からの解放へ、無限の宇宙の心を動かしてしまった。ノイン、花の乱のこと、それは我々の解放のため、無限の宇宙が仕掛けたことだ。その前に、リティルがルディルを解放し、伝えることができぬまま、我々は眠りにつかねばならなくなってしまった」

主――とは、初代太陽王のことかと、ノインは知識を呼び覚ました。確か、乱心の王とか呼ばれていた。

「花の乱は、本来どう起こるモノだったのだ?」

ノインは問いかけた。

「我らが健在のまま起こっていれば、その時の不運な風の王を操って当時の太陽王を討ち、我らは風の王の手に渡るはずだったのだ」

有限の星の言葉に、インは嫌悪を露わにした。

「貴様ら、我らをまだ利用するつもりだったか。無限の宇宙のことだ、シェレラを利用するだけ利用して殺すつもりだっただろう?」

「彼女はもう、邪精霊だった。討ってやるのが情けだろう?」

無限の宇宙にそそのかされ、体を失い魂だけだったシェレラはどんどん邪精霊へと堕ちていった。インティーガを黄昏の大剣で殺してしまった有限の星には、それを止めることはできなかった。

「フフフフ。そこまで開き直られると、いっそ清々しい。だが、リティルが貴様らの予想外の方法で事を平らげたのだな?」

無表情なインの笑いは凶悪だった。しかし、それにも怯まず有限の星は平然としていた。

「そうなる。花の王のことは救えなかったが、リティルは最大限救ってしまった。それには、インラジュールの功績も大きいが……。……イン、ノインを責めるな。リティルの話によれば、ノインを力の精霊にしたのはインラジュールだ。ヤツのことだ、ノインと言うよりも、貴殿に目を付けてのことではないか?」

有限の星の言葉に、インは押し黙った。言葉の意味を考えているようだった。

「イン、おまえは蛇のイチジクの甘言に乗らなかった王だと、ジュールから聞いた。そのことを、無限の宇宙は満足げだったともな」

口を挟むのは。とも思ったが、ノインは口を開いていた。その言葉を聞き、インは忌々しげにだが無表情に呟いた。

「……インラジュール……我を、蛇のイチジクの中から見ていたということか」

「インジュは賢魔王だ。リティルを気に入っているようだし、力強い味方だとワシは思うが、どうだ」

「インジュと呼ぶな。我の知るインジュは他にいる。だが、異論はない。ヤツも風の王だ。だが、だとしたら、ノイン、我は貴様を捨て置けない。リティルに軽蔑されようと、2度と笑いかけてもらえなくなったとしても、我が貴様を乗っ取り、力の精霊となった方がマシだ」

インから放たれた風が、彼の長い髪を浮き上がらせるほどに荒れ狂った。そんな彼の様子に、ノインは愕然とした。

「それほどなのか……」

「待て、イン。それならば、ワシからも言うことがある。智の精霊の危機に動けぬ力の精霊は力の精霊にあらず。リャリスを見殺しにしたノインの所業には思うところがある」

これは、有限の星の助け船なのだろうか。だとしたら、乗らなければならないなとノインは覚悟を決めた。

「オレを取り合うな。オレとしては、2人ともオレに寄越せと言いたいが?」

ノインは、切っ先を地面に突き刺して、ズイッと黄昏の大剣を突きつけた。

「覚悟はあると?確かに、そなたはノインだな」

「貴殿の息子、2人揃って潔すぎる」

有限の星は、やれやれと首を横に振った。

「リティルには自重してもらいたが、ノインはそうでなくては困る。リティルを支え守るため、我が我を作り替えた。ノイン、そなたは捨て駒だ。故に許してはおけない。貴様は、リティルの道を切り開く者。道を塞ぐ者と成り果てたのならば、我は清算する」

インの怒りは相当だ。それほど、彼がリティルを大事にしていたことを感じて、リティルからの伝言を聞いても、反魂を止めようとしない2人の様子に、ノインは決定的な欠落を理解した。

「ハッキリ言う。だが、理解している。リティルはその捨て駒を惜しいと、オレに力の精霊となることを強要した。だが、最低限しか与えられていなかったオレには、そんなモノ、継げるはずもない。オレが大切なモノを失ったなら、それは代償だ。イン、有限の星、おまえ達の理想に、オレを作り替えろ」

「はあ……弟が弟なら、兄も兄だ。イン、ワシはノインに賭けるが、貴殿はどうだ?」

「……出来損ないを、リティルのそばに置いておくことはできない。途中で音を上げるな?不出来な兄を、我は許さない」

「父上は弟に甘いな。了解した。愛する弟のため、兄は耐えてやる」

ノインは、ずっと顔を隠していたその仮面を取り去った。その下から現れた、インと同じ顔。ノインはインだ。リティルの手を離しきれなかったインがとった、苦肉の策。偶然が味方したが、魂が違っただけで、ノインとインは別存在を許されただけだ。そうでなければ、完全に蘇りだ。風の王が許しておけるはずがない。インが対価と称して差し出した記憶の消去で、多少性格が異なったことも幸いだった。インを知っていた者も、ノインの振る舞いに次第にノインをインの影から解放した。と、そんなところだろう。今のノインには憶測でしかない。なんせ、生きてきたすべての記憶がないのだから。

 ノインにとってリティルは、目の離せない大事な弟だ。

ノインには、その心の事実だけで十分だ。だから、過去の一切の記憶はいらない。

用済みとなったこの存在に、新たな人生をくれたリティルに、前しか見ないとそう示すつもりで記憶には一切触れなかったが、それが裏目に出た。まだ、リティルのそばにいられる道があるのなら、それを手に入れる。ノインには、迷いなどなかった。

「イン、認めてやれ」

「我々の改造に耐えられたなら、出来損ないとなじったこと訂正する」

「相変わらず、自分に厳しい。そういう所を、インラジュールが惚れたのだろう」

「虫唾が走る。出会えないことが幸運だ」

無表情に言ってのけながら、インの瞳が「覚悟はいいな?」とノインを見据えた。

「父上、有限の星、始めてもらおう」

リャリスを守るのはボクだ!と、宣戦布告してきたインジュには悪いが、もっとも確実な手があるのなら、しないわけにはいかない。

――リャリス、不甲斐ない力の精霊とは、今日限りでおさらばだ

ノインは、脳裏に現れた、蔑むような妖艶な美女に声をかけた。彼女は満足そうに頷いて、そして、妖艶ながら優しい笑みをくれたリャリスの姿に移り変わった。

同じ土俵に立ってやる。ノインは、14代目風の王・インと初代力の精霊・有限の星を見据えたのだった。


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