第三百九十二節 『試し斬り』
空中要塞の出発を四日後に控えたその日、レミリスは輸送車に乗り街から離れた場所へと向かっていた。
「お嬢様。間もなく到着いたします」
「わかった」
アリアが主の装備を着付け終えるのとほぼ同時に、輸送車が停止する。
タラップを使って降りると、ふたりの部下を伴った士官に迎えられる。
「お待ちしておりました、閣下」
「ご苦労。早速だが、例のもののところへ案内してくれ。本来ならついでに視察でもしたいところだが、王都へ向かうまであまり時間が残されていなくてな」
「承知いたしました。少し歩きますが、かまいませんでしょうか」
「ああ」
「ではご案内いたします」
士官を先頭に、レミリスとアリア、護衛の兵士たちの五人は歩き出す。
周囲には簡易的な軍事施設が点在し、出歩いている軍人も少なくない。
兵士の装いはさまざまだ。
ティファニア軍の制服を着用している者もいれば、バーンクライブ軍の装備に身を包んでいる者もいる。
さらには、両国とも異なる国の軍服を着こんでいる者、軍人とは思えぬ自前の具足を装着している者までいる。
ここは、ドラッジからもっとも近い絶対防衛線の後方基地だ。
以前、ここに駐留している兵士の半数以上はティファニアの軍人だったが、王都奪還作戦に参加するためその大半が引き上げ、代りに難民キャンプから募った義勇兵が数を増している。
「思ったより静かだな」
レミリスの呟きに、士官は即座に応じる。
「今は〝越流〟が収まっておりますので。魔獣が群れて押し寄せている時は、蜂の巣をつついたような騒ぎです」
「そうか。補充兵は状況に対応できているか?」
「当初想定していたより混乱などは起きていない印象です。連中も国を追われ逃れて来たわけですから、魔族や魔獣の恐ろしさは骨身に染みているはずです。それでも志願して来ているのですから、覚悟は決まっているのでしょう。それでも中には、逃げて来る間に植え付けらえた恐怖心からフラッシュバックを起こすような者もおりますが」
「なるほど。いずれにせよ対魔獣戦の経験は、今の貴様らとは比較になるまい。十分気を使ってやれ」
「心得ております」
五人は基地から離れ平野を歩いていく。
しばらく進み、小さな丘を越えたところで、それは唐突に現れた。
大きめの民家程もある半透明のドームに、複数の眼球と人の肛門のように窄まった器官のついた化け物だ。
「……あれだな」
「ええ。透喰蛞蝓です」
さらに近付くと、巨大な魔獣の体が大地から浮き上がり、周囲を紫がかった光に囲まれているのが確認できた。
「ご覧の通り魔導士部隊が動きを封じております」
「そのようだな」
魔獣の傍まで寄ると、周囲をとり囲んでいる魔導士たちの中から、初老の男が歩み寄ってきた。
「レミリス殿ですな? この場を預かっておるハマ・アザーと申します」
共用語の微かな訛りから、ハリストン人だとレミリスは察する。
ということは、義勇兵なのだろう。
この男はもちろん、その部下と思しき他の魔導士たちも、かなりの使い手のようだ。
透喰蛞蝓は闇地中深域の魔獣だが、成体の危険度は地龍種以上と認識されている。
それを、浮遊魔法と結界魔法で完全に動きを封じている。
「ご協力いただきかたじけない」
「なんの。これもあなた方の提供してくださった量産型耀晶器があってこそ。それに報いるためにも、この程度の協力なら惜しみませんよ」
男は先端に王耀晶の付いた杖を持ち上げてみせる。
「それで、こいつをいかがいたしましょう?」
「私が合図をしたら、解き放ってください」
「それはかまいませんが、まさか五人でこれの相手をするつもりですかな? 普通は魔導士部隊、それも中隊規模で討伐する魔獣ですぞ?」
「いいえ。相手をするのは私ひとりです」
「ほう、それは――」
ハマ・アザーと名乗った魔導士は、一瞬驚いた表情を見せると、白い無精髭の生えた顎を撫ぜ、ニイと笑う。
「見ものですなぁ」
男が部下たちに指示を出しはじめると、レミリスはアリアたちを遠ざけ、腰のケースから剣の柄を抜いて構えた。
柄にはブレードがついていないのに、王耀晶をふんだんに使って装飾が施されている。
凶悪な魔獣と、剣の無い柄を握って対峙する姿を、事情を知らぬ者が見れば、気でも違ったかと思われるだろうとレミリスは考える。
実際、男の指示を受けて魔獣から離れ始めている魔導士たちは、彼女に好奇の眼差しを向けている。
レミリスは男に視線を向け、小さく頷く。
男が部下たちに向かって声を張ると、透喰蛞蝓を覆う光が消え、その巨体がゆっくりと地上へ降りていく。
柄に魔力を込めながら、レミリスはこの耀晶器を受け取った時のことを思い出す。
「進捗はどうなっている?」
執務室に呼び出されたマリ・ジュヴィラメリンは、開口一番そう訊ねられ、クマの浮かぶ顔に微笑みを浮かべて頷いた。
「空中要塞内部の魔導機構のチェック、今朝方すべて完了したよ。これで後は、積み荷と兵員さえ載せれば、いつでも出発できる」
「そうか。ご苦労だった」
マリはディエビア連邦より戻ってから、ほとんど不眠不休で空中要塞の準備を進めてきた。
さすがに疲労の色が顔に濃く現われている。
「やれやれ、ようやく肩の荷が下りたよ。今日はもうゆっくり寝させてもらうからね」
「貴様に任せていたのは空中要塞だけではなかったはずだが?」
「わかっているさ。これだろ」
そう言ってマリは、白衣の内から剣の柄を取り出し執務机の上に置く。
「あなたの専用武器、対魔戦式耀晶刀弐型だ」
レミリスは手に取ってしげしげと眺める。
「装飾過多ではないか?」
「その王耀晶はただの飾りじゃないよ。まあ説明するより、早速使ってみたらどうだい?」
レミリスが柄に魔力を込めると、鍔元から光の刃が発生し、柄の周囲まで光がナックルガードのように覆う。
「これは……注文通りだな」
対魔戦式耀晶刀弐型は、ミツキの壱型とはまったく異なる仕組みで純粋魔素の刃を発生させる対魔族戦用兵器だ。
といっても、つまるところレミリスが元から持っていた光の剣を発生させるペンダントの魔道具の強化発展型だ。
「使用していても、ほとんど疲労を感じんな」
「当たり前だよ。私に言わせれば、そのペンダント型の魔道具は欠陥品さ。使用者の魔素を垂れ流しにするなんて、命を削るようなものじゃないか。弐型の、そのごてごてした王耀晶は、刃に供給する魔素を補いつつ魔力媒体としての役目も果たす。一日使い続けても魔素欠乏には陥らないし、光の剣の魔力も元の数倍に跳ね上がっているはずさ。しかも、魔力操作によって刃を長く伸ばすこともできる」
「それは便利だな」
これが期待通りの威力を発揮するなら、王都奪還作戦における己の切り札となるはずだとレミリスは思う。
ただ、実際に使ってみないことには、評価はできない。
「アリア、至急、絶対防衛線に連絡を取り、今から指定する条件に合う魔獣を調達するよう伝えろ」
それから少し時間を置き、レミリスは己が指定した条件を満たす魔獣を捕獲したと、絶対防衛線のティファニア軍より連絡を受け、こうして出向いたのだ。
透喰蛞蝓が地面に降りると、小さな窄まりだった口を大きく開き、体を蠕動させレミリスへと向かってきた。
脚もないのにかなりの速度だ。
黙って突っ立っていれば、五秒と待たずに呑み込まれ、時間をかけてゆっくり消化される羽目になる。
逃げようとしたところで、敵の方が移動速度に勝る。
個人の魔法で斃せる相手ではないし、そもそも詠唱する暇がない。
無論、剣でどうにかできる魔獣でもない。
しかし、レミリスの心に動揺はない。
この程度の危機、昔闇地を彷徨った時に何度も経験していた。
それに、大切な人の死を経て以降、どんなに世界が乱れようとも、彼女の心は凪の海のように動かない。
柄に魔力を込めると、閃光が奔り、透喰蛞蝓の体を光線が貫いていた。
そして光線は、半透明の魔獣の身の内にある核石をも捉えていた。
魔獣はその動きをピタリと止める。
一瞬の間を置き、ドーム状の体がぼこぼこと波打ち、泡のように膨らんだかと思うと、弾け飛んだ。
ゲル状の破片が周囲に降り注ぐ中、レミリスはたしかな手応えを感じる。
かつて、レミリスの光の剣を使いこなし、サルヴァは理性を失ったトリヴィアに挑んだ。
猛烈な攻撃を凌ぎ切った彼は、彼女の体を光の剣で貫くことに成功したという。
しかし、汚染魔素に絶大な効果を発揮するはずの光の剣は通じず、彼は反撃を受け腹を貫かれた。
バーンクライブ軍の士官からその時の話を聞いたレミリスは、あの男の敗因は、敵の膨大な体内魔素に対し、光の剣の魔力量が微弱すぎたからだと察した。
そしておそらく、相手が魔王などではなくその側近だったとしても、己が光の剣で刺したところで、サルヴァの二の舞になるとレミリスは予想した。
だから、マリにこの対魔戦式耀晶刀弐型を作らせたのだ。
彼女が相手をする金泥は、不定形魔獣の一種という情報が判明している。
ゆえに、同じ不定形魔獣のなかで上位種に位置づけられる透喰蛞蝓を、試し斬りの相手に選んだ。
「これなら、〝近衛〟だろうときっと仕留められる」
レミリスは、飛び散って顔に付着した粘液を拭いながら確信を得る。
この対魔戦式耀晶刀弐型を手にし、瞳に〝魔視〟の彫紋魔法を付与した今の己なら、中距離から核石を狙った光の剣による刺突一発で、ほとんどの魔族を仕留めることができる。
たとえ相手が魔王の側近であろうとも、なにもさせずに瞬殺してしまえば、被害をゼロに抑えられるだろう。
だからこそ彼女は、トモエとフレデリカを他のチームに譲り、最低限の人数で〝近衛〟に挑むことを決めたのだ。
魔獣の残骸に背を向け歩き出すと、アリアが近寄って来て、粘液塗れの主を気遣う。
「お嬢様、お召し替えを」
「かまうな。それより、すぐにドラッジへ戻るぞ」
歩調を速めながらレミリスは言葉を継いだ。
「これで戦いの準備は整った」




