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マッド ファンタジア ・ カーゴ カルト  作者: 囹圄
第十章

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第三百九十節 『横槍』

 咄嗟(とっさ)に、シェジアが腕を横へ動かすと、ミツキの爪がめり込み、潰されるような力が全身にかかる。

 爪を振り抜かれると、シェジアは弾丸のような勢いで吹っ飛ばされた。

 眼下を動く大地、実際には彼女が飛んでいるのだが、に手を伸ばそうとするが、右腕の感覚がない。

 さっきの一撃で斬り飛ばされたのかもしれないとシェジアは思う。

 だが、ショックを受けている暇などない。

 このままでは練兵場を囲う石壁に激突し、最悪即死だろう。


「っぐぅ!」


 身を捩るだけで全身に激痛が走るが、構わず左手を地面に伸ばす。

 かつては〝龍骨鞭(バラウ・スケイラ)〟を自在に操った彼女の膂力(りょりょく)は、人間離れしている。

 だから、素早く大地に突き立てた指は、砂埃をあげて彼女の体の勢いを殺すことに成功する、かと思われたが、なかなか止まらない。

 すべての爪が剥がれ、何本か指が折れた感触に歯を食い締めて耐える。

 すると突然、指が地中の石に引っかかり、腕ががくんと引かれる。

 次の瞬間、全身を地面に叩きつけられると、何度もバウンドしながら練兵場を転がる。

 しかしシェジアはしっかりと目を見開き、間もなくぶつかろうとしている石壁を見据える。

 そして衝突の寸前で身を捻り、地面との摩擦で擦り切れ血塗れの左手を開いて叩きつけた。

 視界に星が散るような衝撃に続き、背中も石壁にぶつかる。

 ずるずると崩れ落ち、そのまま地面に沈みそうなのを、辛うじて膝立ちで堪えた。

 飛びそうになる意識を痛みに集中することで繋ぎ止めつつ、シェジアはがくがくと震えながら顎をあげ、一瞬前まで自分が立っていたあたりに視線を送る。

 ミツキは、シェジアを追わずそこに立っていた。


「あの状況で受け身を取るとはな。まったく大したもんだよ」


 ミツキは素直に賞賛した。

 絶影獣(ヴァルフェーン)の脚であれば、たとえ彼女が壁に激突するコンマ一秒前であろうと、余裕で追いつき受け止めることができた。

 だから、攻撃を喰らい、気絶するか、諦めて吹き飛ばされるがままになるか、明確に彼女の敗北が確定していたら、自ら助けて即座に治癒魔法をかけるつもりだった。

 しかし、圧倒的な実力差を見せつけられ、絶体絶命の状況に追い込まれてもなお、彼女は足掻くのを止めなかった。

 己がジャメサ達に身に着けてもらいたいと思っている、格上と相対しても勝利を諦めない執念を、彼女は既に持っているのだとミツキは確信する。


「とはいえ、さすがにもう戦えないだろ」


 ミツキは〝黒凱〟を解きながらシェジアに歩み寄る。


「すぐに治してやるよ」

「…………待て、や。なに勝手に、終わろうとしてるん、ですか」


 ミツキは足を止めると、眼前の光景に瞠目(どうもく)する。

 全身の傷から血を滴らせながらも、シェジアは立ち上がった。


「おい止せ。そんな体でなにができるってんだ。そもそもこれはただの模擬戦なんだぞ? 王都奪還作戦までほとんど時間もないってのに死ぬつもりか」

「うるせえ」


 シェジアは憤っていた。

 圧倒的な力を見せつけられ、為す術もなく敗北しようとしていることに対してではない。

 この期に及んで完全に手を抜かれたことが許せないのだ。

 視線を右下に向ければ、斬り飛ばされたと思った右腕はしっかり繋がっている。

 爪の斬撃を受けたはずの箇所には、四本の痣が刻まれていた。


 ミツキの爪は、手の内側に向かって刃物のように鋭くなっている。

 それをあえて手の甲側、刀で言えば峰にあたる部分を向け打ち掃われたのだ。

 しかも、親指を除く四本の爪が当たったことでかえって力は分散され、先程は痺れて感覚を失っていたが、どうやら骨さえ折れていない。


「こっちが命懸けで戦ってたってのに、まともに相手する気もねえってことかよ」


 シェジアは腰から愛用の手斧を抜いて構える。

 耀晶鞭剣(ヴェリスケイラ)は先程攻撃を受けた際に手放してしまった。

 だがそれは、勝利を諦める理由にはならない。


 彼女は幼き日に最愛の父を殺され、自分を連れて逃げた父の部下も失い、闇地で死のうとしていた自分を助け鍛えてくれた師も、魔獣との死闘に破れて絶命した。

 彼女は死者たちの無念を背負い、ただひとり絶望に抗い続け、師を殺した魔獣を仕留め、父たちを惨殺した仇への復讐を果たした。

 その後は傭兵となり無為に戦い続ける日々を送ったが、諦めることへの拒絶と、勝利への偏執的なまでのこだわりは、魂に刻まれたまま今も彼女を衝き動かしているのだ。


 まずいなとミツキは思う。

 これ以上は動くだけでも、彼女は寿命を削りかねない。

 こうなれば、後ろに回って絞め落とすか。

 そんなことを考えていると、シェジアが己に怪訝(けげん)な顔を向けているのに気付く。


「ん? どうし――」


 パリッ、という音が足元で鳴り、ミツキは視線を落とす。

 すると、足や手先と地面の間に、小さな稲妻が走っては消えているのに気付く。


「これは、まさか――」

「〝紫震電雷(ゼース・ヴォイテス)〟」


 練兵場が閃光に包まれ、ミツキの全身に衝撃が駆け抜けた。

 轟音が鳴り、光が収まると、体から煙を噴き上げたミツキは、膝から(くずお)れる。

 さすがに唖然としていたシェジアだったが、すぐに剣呑(けんのん)な視線を見物の兵たちの方へ向け、大声を張り上げた。


「ファン! テメエなにしてくれてんだ!」


 ガラの悪い〝血獣(ラヴィ・ヅィーヴェ)〟の団員たちの中で、ひとりだけ青白い顔色をした痩せぎすの女が、ビクリと身を震わせた。


「う、うぅ……だって(かしら)が、頭が負けるなんてこと、あっちゃならねえんです。わ、私は、悪くねえです」


 彼女の手には、一冊の魔導書が乗せられている。

 マリ・ジュヴィラメリンが開発した耀晶器(ヴェリスヴェイプ)の試作品にして最高傑作、耀晶典籍(ヴェリスルテラン)だ。

 王耀晶(ヴェリスティザイト)製の頁に、既存の魔導書の頁を転写することで、無詠唱でその魔法が使えるという、魔導師であれば誰もが手に入れたいと思うであろう魔道具だ。

 この時代の魔導文明を覆しかねない代物ゆえに、王都奪還作戦が成功した後には、封印されることが決まっている。

 優れた魔導士の少ないティファニア軍で、〝血獣〟の幹部という立場ゆえに託されたファンは、かつてシェジアの襲撃を受けて焼け落ちた実家へ帰省し、父親が地下の隠し部屋に遺した魔導書のコレクションを写すことに成功した。

 今使ったのも、本来ファンが習得していない強力な二級魔法だ。

 二級といっても、単体に対する威力は、普及している攻撃魔法の中ではトップクラスだ。

 かつて、サルヴァ・ディ・ダリウスは、ブリュゴーリュの異世界人〝鉄騎蟲〟に対してこの魔法を使い、あらかじめミツキが避雷針として突き刺しておいた耀晶刀(ヴェリスサージュ)によって威力を大幅に増幅させたとはいえ、どんな攻撃も通じなかったその体を内から焼き尽くし、硬い外殻以外を炭化させた。

 要するに、強力な魔獣や異世界人相手にも十分通用する魔法であり、人に使うなどオーバーキルにも程があった。


「ば、馬鹿おまえ、だからってミツキさん殺っちまうなんて!」

「これじゃ作戦も中止するしかねえぞ! いやそれどころか、下手すりゃオレたちゃ反逆罪で全員極刑だ!」

「うぅうるせぇです! だいたいテメエらがとっとと頭に加勢しねえのが悪いんじゃねえですか! このウスノロどもが!」

「こいつ無茶苦茶だ、知ってたけど。頭もぼろぼろだしどうすりゃ――」

「べつに問題ねえよ」


 狼狽(うろた)えていた兵士たち、特に〝血獣〟の団員たちのざわめきが、そのひと言で止む。


「ジャメサ達だって四人がかりだったし、同じく揃って〝近衛〟の相手をする〝血獣〟なら、まとめて掛かって来てもオレは気にしないよ」


 ミツキが、焦げた服を気にしながらも立ち上がる。


「こ、こいつ、なんであの雷撃を喰らって立ち上がれるんですか!? マジもんの化け物じゃねえですか! だったら今度はとっておきのギャン!」


 耀晶典籍を捲っていたファンは、〝屑星(くずぼし)〟を胃のあたりに撃ち込まれ、その場にひっくり返る。


「不意打ちは気にしないが、()()()ってのはいただけない。一応オレ等は軍人で、おまえはオレより下の階級だろ。目上の人間への礼儀は弁えろ。あれ? でもオレ、この体になってから、自分がどういう肩書きなのか知らないな。まあいいか」


 ファンは反吐をまき散らすと、あまりの苦痛に胃液の泡を口の端から(こぼ)しながら見悶えている。

 彼女を案じ、〝血獣〟の仲間達がまわりを囲んで様子を窺う。


「お、おいファン! 大丈夫――」

「ンギ、ギモヂイイィ!!」

「うわっ、気持ちわる!」


 吐瀉物(としゃぶつ)に塗れながら、恍惚の表情を浮かべているファンから、仲間たちは遠ざかる。

 そういえば、破滅的なマゾヒストだったなとミツキは思い出す。


「おいテメエら!!」


 シェジアの大喝で、〝血獣〟の団員たちは身を(すく)ませる。


「そっから動くんじゃねえぞ。これ以上手ぇ出すようなら、テメエらでも容赦しねえ」


 たじろぐ団員達から、ミツキへ視線を戻す。


「すみませんミツキさん。うちのバカが」

「べつにいい。今言ったけど、まとめてかかってきたってかまわなかったしな」

「それじゃあ私の気が済みませんよ」


 シェジアはあらためて手斧を構えなおす。


「決着はつけてもらいます」

「仕方ない」


 ミツキは嘆息すると、徒手で身構えた。

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