第三百七十四節 『凱旋式の夜』
アニエルたちによる魔族の追撃は、二日とかからずに終わった。
追撃を始めた翌日、西の空よりミツキが飛来し、散らばって逃げる魔族を上空から次々と狙い撃ち、半日とかけずに一掃してみせたからだ。
人類軍はマキアス東の要塞へと戻り、そこで負傷者の治療や回収した遺体の埋葬を行った後、ペーアへと凱旋した。
凱旋式は都市を挙げて大々的に行われた。
魔族の襲撃に備えた食糧庫の備蓄が解放され、難民にまで食事と酒が振る舞われた。
ミツキはすぐにドラッジへ帰還するつもりだったが、アニエルに強く引き留められ、参加することになった。
〝迷宮〟から脱出した後回収され、未だ要塞に留まっているフレデリカと彼女に付き添っているマリを待つ必要もあったし、早く帰らなければならない自分のために凱旋式を急遽執り行うことにしたと言われては、さすがに断ることも憚られたのだ。
「今日この日、我ら連邦は二度目の勝利を得た。未だ魔族の脅威から完全に開放されたわけではないが、それでも奴らの頭目を討ち果たしたことで、平和を取り戻すために大きく前進したのは間違いない。ただし、ここに至るまで魔族によって数え切れぬほどの民が犠牲となり、奴らとの戦いの中で夥しい数の兵が戦死を遂げた。勝利を言祝ぐその前に、いま一度彼らを悼んでもらいたい。どうかせめて安らかなる眠りを」
大統領府のバルコニーに姿を現したアニエルの声は、拡声魔法でペーアと近隣の都市、凱旋できなかった兵士が留まる東の要塞にまで届けられ、魔族の犠牲者に対して長い黙祷が捧げられた。
その後、一部の区画と建物を除き大統領府が解放され、兵たちを労う酒宴が催された。
アニエルは兵士たちに酒を勧めてまわり、自らも誰より飲んで、上半身裸となり歌って踊った。
遠巻きにその様子を見て、ミツキは以前ペーアへ向かう車両の中で、ヤネスが語ったこの男の魅力について思い出した。
たしかに、大統領にまで登り詰めた男が、末端の兵にも壁を作らず接している姿は、かつては階級制が徹底され、奴隷の売買が盛んだった連邦の民の心を強く動かすのだろうと納得できた。
「……にしても、羽目を外しすぎじゃないか?」
余程勝利が嬉しいのか、アニエルは泣き笑いの顔で片っ端から兵たちと抱擁を交わしている。
中には、抱えられた顔を濃密な胸毛に押し付けられ、顔を引き攣らせている兵士もいる。
あのスキンシップは勘弁願いたい。
そう思ったミツキは、まわりに気付かれないよう酒宴の席を抜け出した。
「姿が見えないと思ったら、こんなところでひとり飲んでいたとはな」
人気のない中庭の噴水の縁に腰かけ、酒瓶をラッパ飲みしていると、赤ら顔のアニエルがやって来た。
「酒宴の主役が抜けて来ていいのか?」
「このオレは主役ではない。兵士たちこそが今日の主役なのだ」
「そうかい」
「あるいは、貴殿こそ誰よりあの場で讃えられるべき人間ではないか」
「オレはただでさえ余所者だし、こんなナリだ。ああいう席で目立つのはちょっとな」
ミツキの存在は、あまりに異質すぎた。
マキアスをはじめとした連邦西部の人間にとって、神に等しい存在だった天龍を仕留めたと言われても、信じることなどできない兵も多いようだった。
あるいは、応援に駆け付けた際、自分たちが死に物狂いで引き付けていた魔族を、空から一方的に虐殺する様子を目の当たりにした者たちは、態度にこそ出さないがミツキを明らかに怖れていた。
将官の中には気を使って話しかけてくる者もあったが、ほとんどの人間からは感謝よりも、強い警戒の感情が伝わってきた。
ゆえに、酒宴を抜け出したのは、自分があの場で浮いていると感じたからでもあったのだ。
必死に戦った兵たちの勝利の喜びに、水を差したくはない。
そんなミツキの想いを察し、アニエルは嘆息して頭を抱える。
「このオレとしたことが。自分で貴殿を誘っておきながら、かえって気を使わせてしまうとは」
「べつにいいって。実際、天龍まで喰って、オレはもうほとんど化け物だ。怖がられるのは当然だろ」
アニエルは顔を顰めると、ミツキの隣に腰を下ろし、酒瓶をひったくると、一気に飲み干した。
虚を突かれたミツキは、さすがにはなじろむ。
「いや、なにすんだよ」
「ふん、こんなジュースでは貴殿は酔えまい。これを飲むがいい」
そう言って、アニエルは尻のポケットから取り出したスキットルをミツキに差し出す。
蓋を開けて煽ると、強烈な火酒が喉を焼いた。
「……いい酒だな。惜しむらくは、あんたのケツに密着してたから温くなっていることだ」
「ふはは、それは気付かなんだ!」
アニエルはふたたびミツキの手からスキットルを奪うと、口をつける。
そうして、ふたりでひとつの酒を回し飲みした。
「そういや酒宴の席に、ヤネスがいなかったな」
「あ奴なら要塞の方の兵たちを任せてきた」
アニエルの表情が微かに曇る。
「どうした?」
「ヤネスには酷なことをした。クロゼンダが戦死したと聞いて、ひどく落ち込んでいた」
巨群塊討伐隊に参加していたクロゼンダ・マニハは、〝迷宮〟に侵入する直前に、自分たちを追ってきた魔族を足止めするため、自ら留まったのだという。
後に発見された遺体は、周囲の魔族諸共に凍り付いており、回収部隊によって持ち帰られた。
ヤネスとクロゼンダは、ディエビア連邦との戦いの後、ダイアスに派遣され、異国の地で互いを支え合ってきたはずだ。
相棒の死は相当にこたえているだろうと、ミツキにも想像ができた。
「討伐隊は、結局三人だけしか戻らなかったんだろ?」
「うむ。しかも、生還した中でカブラカンという異世界人は、瀕死の重傷だったとのことだ」
「あの岩巨人みたいな奴か」
「クロゼンダの他に戦死したのは、カークス、エリュニス、ナ・キカ。最後のひとりが裏切ったため、ふたりが犠牲になったのだとか」
そういえば、あのタコ頭だけは、なにを考えているのかわからなかったとミツキは思い出す。
それでも、呪いで行動を縛れば問題はなかろうと判断したのだが、どうやら甘い考えだったようだ。
「カークスとエリュニスは、けっこう話せる奴らだった。オレはカークスには嫌われてたけどな。でも残念だ。召喚されてすぐに魔法で支配されて戦わされ、負けた後は檻に入れられて、作戦から生還したらやっと自由になれるはずだったのにな」
そこまで言って、アニエルにあらためて確認する。
「生き残ったふたりは、自由の身になるんだよな?」
「無論だ。既に呪いも解かれたと報告を受けている。治療が終ったら、ふたりの行動を縛るものはなにもない。とはいえ、あの異形では助けもなく人にかかわって生きるのは容易ではあるまい。望むのであれば、国で召し抱えることも可能だとふたりには伝えるつもりだ。もちろん、強制ではない。先の戦争で革命軍側として戦った異世界人のコミュニティがあるので、そこの世話になるという手もあるだろう。あるいは人界を離れて生きていくという選択肢もある」
「……そうか」
カークスたちばかりでなく、勝手に召喚された挙句、理不尽に命を落としていった異世界人を、ミツキは多く目にしてきた。
かつて敵対したブシュロネアやブリュゴーリュの異世界人も、ごく一部の例外を除けば、彼ら自身の意思で戦ったわけではなかった。
自分と仲間たちは、どうにか生きて人並みの扱いを受けるようにはなったが、未だ先行きの見えぬ戦いから解放されてはおらず、明日をも知れぬ命だ。
だからこそ、ついに自由を勝ち取ったふたりの未来が明るいものとなることを、ミツキは心から祈った。




