第三百四十九節 『技師の仕事』
「やあ……久しぶりだね」
そう言って工廠の正門でミツキを迎えたマリは、目の周りに濃いクマを拵えていた。
この様子だと、少しでも早く任されたものを仕上げるため、連日徹夜で働いてきたのだろうとミツキは察する。
しかし、それでいて疲労した様子には見えない。
むしろ瞳は爛々と輝き、微笑を浮かべた顔は微かに上気さえしている。
久しぶりに遣り甲斐のある仕事を与えられ、技術者としての腕を遺憾なく発揮したことで、気持ちが満たされている、といったところだろう。
しかし、彼女に任せた仕事を鑑みれば、ミツキは複雑な気持ちを抱かずにはいられない。
そんな想いを察したのか、マリは気まずそうに目を伏せる。
「頼まれていたものは仕上がっているが、キミは見たくもないだろう? どうする?」
「そんなこと気にしなくていい。あれ自体は、オレの世界じゃ平時でも普通に使われているんだ」
「そうか。じゃ、案内しよう」
マリに続いて工廠の中へ入っていく。
アーチ状の屋根が張られた巨大な建物の中には、さまざまな魔導機器が置かれており、その合間をスタッフが忙しなく動きまわっている。
現代の整備工場さながらだとミツキは思う。
そして建物の中心部には、翼を備えた乗り物が二機置かれている。
「爆撃機を改修した航空機。起動実験までは済んでいるよ」
「おお」
まごうことなき飛行機だ。
現代日本の記憶が強く刺激され、ミツキは懐かしい気持ちになる。
一方で、意外にも嫌悪感はあまりない。
フィオーレを爆撃したものよりも、全長が半分近く短くなり、武骨で兵器然とした見た目も、流線型でスリムな、スタイリッシュなデザインに一新されているからだろう。
「改修といいつつ、随分変わったな。見た感じはほとんど別物じゃないか」
「爆弾は積まないってことだったからね。それに、魔族の中には空を飛ぶ種もいるんだろう? そんなのに追いつかれないよう、できるだけ速度も出せる機体にするべく設計から見直したんだ」
「そりゃ時間がかかるわけだな」
この航空機こそ、今回の作戦の要だ。
〝迷宮〟を護るために展開している魔王軍をアニエル率いるディエビア連邦人類軍が、天龍をミツキが抑えている隙に、フレデリカたちは航空機で〝迷宮〟まで飛び、パラシュートで降下して中へ侵入、巨群塊を討ち取るという手筈になっている。
当初は〝迷宮〟ごと爆撃するという案もあったが、それだと巨群塊の生死を確認できない。
というか、〝摂政〟ほどの魔族であれば、生き残る可能性の方が高いのではないかとミツキは予想した。
だから結局、人の手で直に斃さないわけにはいかないという結論が出たのだった。
「二機あるのはどうしてだ?」
「普通に使えそうな爆撃機が二機残っていたからさ。一機は予備ということで、二機とも改修したんだ。並行して作業を行えば、かかる手間も暇も大して変わらないからね」
「まあ、一機仕上げてもなにかのハプニングで使えなくなる可能性だってあるからな」
「天龍に発見されないよう、事前の飛行実験ができないから尚更ね」
天龍はフェノムニラ山脈の頂きから、連邦中の空を見わたせるのだという。
ミツキが飛行訓練を行えないのと同じく、航空機も先に飛行実験などすれば目論見を悟られるおそれがある。
そのため離陸から飛行まで、ぶっつけ本番となる。
「まあ、飛ばすのは過去にも成功させているわけだから問題ないだろう。それより、出発はいつになるんだい?」
「四日後だな。アニエルたちが敵に仕掛けるのと同時刻ぐらいに飛ばすのが理想だ。つまり、四日後の日の出とともにフレデリカたちを出撃させる。オレは前日の日暮れぐらいにフェノムニラ山脈へ向けて発つ。山裾までは日を跨ぐ前に着けると思うが、山を登るのは意外と時間がかかる気がする。重力に引っ張られるからな。それでも日の出ぐらいには登頂できるだろ」
「登山用の道具は……要らないか」
「ああ。身ひとつでいい。それよりもフレデリカたちの装備は用意してあるな?」
「もちろんだよ。人数分のパラシュートは、それぞれの体格に合わせた特注品さ。そしてフレデリカのための例の武器も、用意できている」
さすがに抜かりがないなとミツキは思う。
彼女が優秀なおかげで、かつての戦では煮え湯を飲まされたわけだが、味方になるとあらためて頼りになると実感する。
「パラシュートの使用には少しコツもいると思うけど、出発までまだ時間があるなら、十分な説明とある程度の訓練もできそうだね。あとは、彼女らがいつ頃こちらへ到着するかだけど」
「オレがペーアを発つ前には、こっちに向かったとアニエルから聞いた。だからそれほど時間は――」
ミツキは一旦言葉を止めると、建物の外に視線を向ける。
「どうしたんだい?」
「丁度到着するみたいだ。思ったより早かったな」
ミツキの言葉に、マリは怪訝な顔になる。
「ん? 来た感じはしないけど……」
「すぐ着く。迎えに行くか」
「あ、ああ」
マリは戸惑いながらも、ミツキを迎えたばかりの工廠の正門へふたりで向かう。
しかし、そこには守衛が立っている以外には、誰もいない。
「なんだ、やっぱり到着して……ん?」
工廠へと続く一本道の向こうに広がる地平線に、土煙が立っているのにマリは気付く。
「え? ほんとに来たのか? でも、あんなに遠いじゃないか。よくわかったね」
「まあ、いろいろ感覚が敏感になっててな」
言葉を交わす間にも、輸送車はみるみる近付いて来る。
「……随分スピードを出してないか?」
「アニエルの部下の運転じゃないな。もしかしたら……」
程なく、近くまで迫った輸送車は急ブレーキをかけると、地面を滑ってからふたりの目の前で静止した。
ミツキたちが輸送車の運転席を見上げていると、乱暴に開けられたドアから見慣れた人影がとび出す。
「フレデリカ……やっぱあいつの運転だったか」
ミツキが呆れながら呟くと、フレデリカは梯子の両端を掴んで滑るように降りて来る。
「よおミツキ! たぶんテメエもこっちに来てると思ったぜ!」
「早い到着だな。アニエルから聞いた感じじゃ、明日ぐらいでもおかしくはなさそうだったが」
「アホ抜かせ! これから待ちに待った戦争だってのに、モタついていられっか! それをあのケツアゴの部下がチンタラ走りやがるから、オレが運転を変わってやったんだよ!」
ミツキがふたたび上に目を向けると、おそらくは助手席に座っていたのだろうアニエルの部下が、ドアを出たところで蹲りえずいている。
余程の乱暴運転だったのだろうと察しながら、上から吐瀉物をかけられてはたまらないと思い、ミツキとマリは車体から距離をとる。
「んなことよりも、マリ! 例のブツは仕上がってんだろうな!」
「さっき彼にも聞かれたけど、用意してあるよ」
「ナイス! 案内しな!」
「待て待て! うっきうきのとこ水差すようで悪いが、ひとりで来たわけじゃないだろ! 他の奴らはどうした?」
ミツキに問われ、フレデリカは面倒くさそうに舌打ちし、車体の後ろに視線を向ける。
「心配しねえでも居住スペースに乗せて来たよ」
そういう間に、車体後方のドアが開き、異世界人たちがふらつきながらタラップを降りて来る。
その先頭の赤髪が、フレデリカに向け弱々しい声を発する。
「うぅ、姉さぁん! あんなに揺れるなんて聞いてないっすよぉ! オレぁもう吐きそうで……って、げっ! な、なんであいつが、ここに」
熱波の怪人カークスが、ミツキに気付いて足を止める。
その背にぶつかり、後ろのセイリュウが迷惑そうに顔を顰める。
「……なんだ姉さんって?」
ミツキに問われ、フレデリカは不快そうに眉を吊り上げる。
「なんだじゃねえよ。テメエのせいだぞミツキ」
「え? なにが?」
「オレがテメエを殺しかけたとか吹き込みやがったから、テメエにびびってるあいつが変にオレをリスペクトして〝姉さん〟とか言うようになったんだ!」
なるほどとミツキは思う。
カークスに対してわざと実力を見せつけ脅したうえ、フレデリカをそんな己に対抗する実力者だと教えることで、彼女の株を上げようと試みたのだが、どうやら薬が効きすぎたようだ。
「ははっ……〝お母さん〟の次は〝姉さん〟か。家族ができたんだな! やったねフレちゃん!」
言った瞬間、フレデリカの鉄拳がミツキの鼻面を撃ち抜いた。




