第三百四十七節 『信用』
椅子に座ったミツキの前で、カークスが正座している。
周囲の異世界人たちがいたたまれないといった面持ちでふたりを見守る中、フレデリカだけがニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる。
「カークスくんも椅子座っていいんだよ?」
「い、い、いぃえ、ぼぼ、ぼかぁ床でじゅじゅ、十分ですから」
「あ、そう? それで、キミは手から熱波を出せるんだって? すごいじゃない。ただの人間のオレにはとても真似できないよ」
「とと、とんでもねえこってす! 熱波っつっても、ちょっと標的に焦げ目付けられるぐれえなもんで、こんな能力しかねえ自分なんかじゃとても皆さんのお役にぁ立てねえっつうか」
「いやいや、自分の才能をそんな風に卑下するもんじゃあないよ。もっと誇りを持ちなさい」
「あ、あへへ、もってえねえお言葉で、恐縮ですぅ」
俯いたままへらへらと笑うカークスを見下ろしながら、圧迫面接かよとミツキは思う。
この怪人に話しかけたのは、みすみす離反するのを見過ごせないので説得するつもりだったからだ。
フレデリカに凄んでいた態度から、強烈に反発されると予想していたのだが、先程聞こえて来た声とは別人のように卑屈だ。
相手の魔力で強さを測り、態度を変えているのだろう。
あまり感心はできないが、今この状況においては好都合だ。
「それでカークスくんには、ぜひともうちでその能力を活かしてもらいたいわけだよ」
「いぃい、いやあ、やっぱぼくなんかじゃあ力不足なんじゃねえかなぁなんて」
「こらこら、自信持てって言ってる傍から随分弱気じゃないの。我が社としては、カークスくんみたいな人材に是非とも活躍してもらいたいと思っておるのだよ」
「えっと、ワガシャってなんすかね」
「それは気にしなくていい。キミが理解すべきなのはオレたちがキミを必要としているってことね? うちらも人材不足でさ。だからキミの才覚を見込んでこうやって頭下げて頼んでるんじゃない」
「あ、え? 頭とか下げられましたっけ?」
「んん?」
ミツキは笑みを浮かべたまま身を乗り出しカークスに顔を近付ける。
「お望みなら土下座ぐらいするけど?」
「めめ、滅相もねえ! むむ、むしろぼぼぼくが頭下げなきゃですよね!?」
「いやこっちがお願いしてんのになんでキミが頭下げんの」
人の良さげな笑みを浮かべながらミツキは首を傾げてみせる。
そんな仕草すら恐ろしいのか、カークスはひゅーひゅーと苦し気な呼吸音を漏らす。
肩は震え、顎先からは汗が滴り、髪の間から僅かに除く顔色は紙のように白い。
「とにかく、キミにはあの巻物に捺印してもらって、気持ち良く仲間になってほしいわけ」
「……いや、でも――」
「ん?」
「の、呪いかけて制約に違反したら死ぬなんてのは、さすがに……」
「理不尽だよな……わかるよ。オレもそうだったから」
「え?」
カークスは意外そうな表情を浮かべて顔を上げる。
「あ、あんたも?」
「ああ。オレの場合は召還されて目ぇ覚ました時には既に呪いをかけられてた。その後魔獣と戦わされて、さらに戦争に駆り出された。まあ魔法で自我を奪われ操られてたキミらもなかなかハードな境遇だとは思けどな」
カークスは愛想笑いを浮かべようとして、失敗する。
不自然に歪んだ顔が、みるみる赤らんでいく。
「……そ、そんなあんたが、今度は自分が呪う側にまわったわけか? 理不尽だとわかってて」
「まあ、そうだ」
「なんでだよ! 近い立場だっつうなら、こっちの事情や感情をもっと酌んでくれたっていいじゃねえか! 手下として使うにしたって、もっとやり方があんだろ!」
「いやダメだな。だっておまえらのこと信用できないもん」
そう言って、ミツキも表情を消す。
「さっきそこの蝙蝠ギャルが言った通りだよ。おまえらにとってこの世界の人間はどうでもいい。いや、勝手に召還していいように使われて、むしろ憎しみを抱いているかもしれない。そんな連中、保険をかけなきゃこっちも怖くて使えないよ。だからといって今のオレらは戦力不足でおまえらに頼らないわけにはいかない。要するにおまえらの協力も呪いも、全部必要なことなんだよ。ただ勘違いはすんな。オレらはおまえらの敵じゃあない。真面目に協力さえしてくれりゃ悪いようにはしないし、作戦が終ったら解放だってしてやる」
「死の呪いをかけようって相手を、信用なんてできるかよ!」
ミツキは少し考えると、フレデリカを指差す。
「あいつな、元は敵だったんだ」
「あ、え? なんの話――」
「当時はオレも今みたいに強くはなくってさ。普通に殺されかけた」
「……あの女に? あんたが? ウソだろ?」
「マジだよ。でもいろいろあってあいつをうちの軍で使うことになった。つっても当然信用なんてできない。だからしばらくは、おまえらが装着している制魔鋏絞帯をあいつにも着けさせてた。呪いはかけなかったが、それは呪うまでもなく、裏切ったりすればいつでも殺せる状況だったからだ」
カークスは赤い髪の隙間からフレデリカに視線を向けている。
さっきまでとは見方が変わっただろうとミツキは察する。
「でもあいつは命懸けで働いた。だから今では拘束具も外し、仲間として認めている。つまりなにが言いたいかっていうと、信用ってのは実績を積むことでしか得られないって話だ。お互いにな」
そう語るミツキの顔を見てカークスは、不気味に光る義体の目よりも、生身の瞳の冷たさに背筋を震わせる。
「むしろおまえらは感謝するべきだ。信用がないのを補うため、呪いって担保をこっちから用意してやったんだからな。本来穴倉の隅で朽ちていくだけだったおまえらが、自由な世界で生きられる最後のチャンスだぞ? 命ぐらい賭けない道理があるのか?」
カークスは理解する。
自分が突き付けられている理不尽な賭けとやらに、この男やフレデリカは勝つことで生き延びてきたのだと。
ならば己がどれだけその不条理を訴えたところで、こいつらからは妥協も譲歩も引き出せるはずもない。
この期に及んでなお拒絶をすれば、この男は躊躇なく己を見限るだろう。
「…………わかったよ」
そう言って立ち上がったカークスは巻物の置かれた机に向かう。
気付けば牢獄に入れられ、誰にも自分の声は届かなかった。
その絶望に比べれば、己の腕次第で未来が開けるこの状況は、たしかにだいぶマシではあるのだろう。
そう己に言い聞かせ、ナイフで親指に傷をつける。
「くそったれ……オレは死なねえぞ」
呟きながら、カブラカンの巨大な指紋の下に、血の滲んだ親指を押し付けた。
「手間ぁかけさせたな。だがおかげで面倒を避けられた。カークスもあのままじゃ殺さねえとならなかったかもだしな」
クロゼンダに異世界人たちを任せ、フレデリカはミツキを送り出すため砦門まで出向いた。
「いいって。手前勝手な異世界人をまとめる苦労はオレもよくわかる」
まあおまえもそのうちのひとりなんだけどな、とフレデリカと向かい合うミツキは思う。
「アニエルは大軍勢の戦支度を進めてるようだが、これでそっちもなんとか頭数を揃えられたろ」
「そうだな」
カブラカンが血判を押した後、ロゼッタを除く三名も呪いの契約を結んだ。
ナ・キカについては何を考えているのかよくわからないが、セイリュウとエリュニスは、ミツキがカークスに言った言葉に何かしら感じ入っていたように、フレデリカには見えた。
「それに、テメエとマリには得物も用意してもらったからな。ここまでお膳立てされたんだ。オレもあの化け物殺すのに死力を尽くしてやるさ」
「化け物……魔族軍の〝摂政〟のことだな? 言い忘れてたが、あれの呼び名が決まった」
〝摂政〟については、アニエルが集めた魔獣研究の専門家数名に〝迷宮〟内の映像を見せたところ、どうやら新種らしいと判明していた。
ただ新種の魔獣は決して珍しくない。
一説には、大陸の闇地内に棲息する魔獣で人類に把握されている種は、全体の三パーセントにも満たないのだという。
「〝巨群塊〟ってのがあんたの標的の名だ」
「鈍そうな名前だぜ」
「あれは今もあのだだっ広い空間から動かずにいるんだろう。その意味じゃたしかに鈍いと言えるかもな。だが、とんでもなくタフで破壊力も凄まじい。あんたが闇地外縁部で狩ってきた魔獣とは比べ物にならないはずだ。十分に気を引き締めて臨んでくれ」
フレデリカは難しい顔で少しの間考え込む。
「……どうした?」
「ミツキ、前から思ってたが、テメエ、オレをトモエよりも下に見てんだろ?」
「は? なんの話だ?」
「とぼけんな。たしかにあいつは圧倒的なフィジカルと技倆でそこいらの魔獣や魔族なんざ目じゃねえ。テメエみてえに人間やめたわけでもねえのに、異世界人の中でもかなりのもんだ。そこいくとオレは、兵卒としちゃあ、せいぜい早撃ちと精密射撃ぐれえしか取り柄はねえ。まあその分、銃兵の指導や指揮で貢献してきたつもりではあるがよ」
この女がトモエをライバル視していることは知っていたが、己がふたりをどう見ているのかまで気にしていたということを、ミツキは意外に思う。
では実際にはどうだったかといえば、剣士とガンナーでは評価基準から異なるとはいえ、たしかに、たった今フレデリカが自分で言ったような意識が無かったとは言い切れない。
「だがな、あいつはジョージェンスや北部諸国連合の連中と束になってかかったってのに、〝摂政〟を仕留めんのに多大な犠牲とテメエ自身の光を代償に払った。オレはもっとうまくやるぜ?」
フレデリカはハットの下からミツキに挑むような目を向ける。
「テメエはさっき、信用は実績を積むことでしか得られないっつったよな? オレは今回の任務、無傷で生還してやるよ。そしたらトモエよりも上等な実績になんだろ」
そう言うとフレデリカは身を翻し、門の外から要塞の中へ歩きだす。
「作戦が終った時、テメエん中のあいつとオレの評価は逆転してるはずだ。楽しみにしときな」
ひらひらと手を振るフレデリカの背を見つめ、ミツキは微笑しながら呟いた。
「頼もしいじゃないか」




