第三百二十八節 『未踏域の奇獣』
獅子面蜘蛛の群れとの戦いから四日後、アレルたちは〝摂政〟と呼ばれる魔族軍の次席が潜んでいる可能性が高いと予想される〝迷宮〟未踏領域へと侵入した。
遭遇する魔族の質が変化したのは、それから間もなくのことだった。
突出したゴドフロワが敵の群れの最後の一体を斬り払うと、深く息を吐いた。
援護を行っていたアレルも、魔素欠乏のため意識が朦朧とし、立っているのも辛いため近くの壁に寄り掛かる。
もっと状態が酷いのがカハンで、青褪めた顔で鉄壁にもたれている。
無理もない、とアレルは思う。
なかなか止まらぬ敵に押されるように後退しながら、彼女は足止めのために鉄壁を創り続けた。
さらにそれを乗り越えて来る敵は、床から突き上げた鉄柱で、天井との間に挟んで潰した。
あれだけ魔法を乱発すれば、魔素量の多い〝祝福持ち〟でなければ、とっくに体内魔素が干上がっているはずだとアレルは思う。
「くそっ! またあの魔族どもだ! どれだけここいらに棲息してるんだ!?」
アレルに並んで弓を放っていた仲間が、忌々しげに毒づいた。
弓兵の言うように、同種と思われる魔族の襲撃は、未踏領域に入ってから三度続いていた。
そのたびに、敵の生命力に苦戦を強いられ、後退を余儀なくされている。
「悪かったなアレル。オレたちはまったく役に立てなかった」
気まずそうな顔でそう口にしたのは、本来前衛を務めるはずの戦士のひとりだ。
しかし、未踏域の敵はゴドフロワの剣とカハンの魔法以外では止まらないため、彼をはじめとした戦士たちは前へ出て戦えず、アレルやカハンら魔導士の護衛か退路の確認ぐらいしかできることがなかった。
「気にするな。私だってあんまり役に立っていない」
アレルの返答に苦笑した戦士は、敵が来た方を見ながら呟く。
「しかし、なんなんだあいつら。オレも人並み程度には魔獣の知識はあるが、あんな奴らは見たことも聞いたこともない」
そう言って、その仲間は鉄壁を乗り越えると、胸から下と左肩の先を斬り飛ばされて倒れている敵に近付く。
離れた場所に落ちている下半身は、人のそれに近い見た目だ。
つまり、二足歩行ができていた。
顔には、斜めに大きく裂けた口が、頭部を半周している。
その中には、さまざまな形状の歯が、突き出る方向も滅茶苦茶に生えている。
これでは噛み合わせもなにあったものではないなとアレルは思う。
しかも、化け物の体には、顔以外にも全身に大小さまざまな口が確認できた。
それどころか、目や、鼻か耳の役目を果たすのだろうと思われる小さな穴も、無秩序に散らばっていた。
皮膚は陶器のように白く滑らかで、毛髪はまったく生えていない。
押し寄せた魔族の群れは、皆同じような特徴を備えた同種と思われたが、体構造については人型以外にも、四つ足の獣のような個体や、鳥馬のように巨大な二足の上に長首の体が乘っているもの、蛇のように手足を持たず体をくねらせ地を這うもの、数え切れないほどの長い手で移動するものなど、とにかくバリエーションが豊富だった。
「不気味な奴め」
戦士が顔を顰めて魔族を見下ろしていると、唐突にその手が動いて、彼の足首を掴んだ。
「なっ!?」
咄嗟に突き出した槍で胸を突くが、魔族は気にした様子もない。
それどころか、肉体の半分以上を喪失しているにもかかわらず、残された筋肉だけで上体を起こす。
「ひっ!?」
足を蹴り上げ振り払おうと試みる戦士だったが、逆に引き倒され、尻餅をつく。
魔族は手に力を込め、顔の巨大な口を開いて牙を剥く。
その口の中へ、巨大な剣が突き込まれる。
ゴドフロワが剣で口から後頭部まで貫いた魔族を持ち上げつつ、戦士の足首を掴んだ腕を踏み潰した。
骨が砕ける音が響き、さしもの魔族も手を放す。
ゴドフロワは大きく振りかぶると、鉄壁に魔族の頭を叩きつける。
首から上が完全に砕け散っても、残った上半身はバタバタと暴れ続けた。
ゴドフロワはそれを遠くへ蹴り飛ばす。
一方の戦士は、ゴドフロワに助けられた礼も言わず、呆然自失といった様子でへたり込んだままだ。
だいぶ顔色の良くなったカハンが駆け寄り、屈み込んで戦士を気遣う。
「大丈夫ですか?」
「え? あ、ああ」
「立てそうです?」
「い、いや、足首を、痛めたようだ」
カハンが触診すると、戦士は痛みに表情を歪める。
「骨は折れていません。このまま治癒魔法をかけます」
「すまない、頼む」
詠唱を始めたカハンを手伝うべきか窺うアレルに、弓兵ら仲間が話し掛ける。
「やっぱり普通じゃないぞ、あの魔族。生命力が異常すぎる。あんな状態でまだ動くなんて」
「槍で突いたり弓で射たところで、まるで効いた様子もない。うちの隊でどうにか対抗できているのは、ゴドフロワとカハンぐらいだ。なあリーダー、一度引き返して仕切り直した方がいいんじゃないか?」
「……仕切り直す?」
仲間の提案に、アレルは厳しい視線を返す。
「装備でも新調するのか?」
「いや、そうとは言わないが……」
「そうだ、隊員を新しく加えるというのはどうだ?」
「私たちは国内屈指の実力者集団だ。そこらの冒険者や傭兵を雇ったところで足を引っ張られるだけだ」
「なら他の二チームと合流してはどうだ?」
「拠点に戻って呼び戻すのか? どうやって? 迷宮の奥に潜った者に連絡をとる手段なんてない。だから前任のパーティーも行方知れずなのだろう」
「しかし、現実問題としてあの魔族共に対抗できていないんだぞ!?」
「だがまだ犠牲者は出していない。ゴドフロワたち頼みとはいえ、三度の襲撃を凌いだ。なら任務は継続できるということだ」
「裏を返せば、ふたりのどちらかを失えば、そこから一気に全滅ってこともあり得るってことだぞ!」
「危険なら最初から承知のうえだっただろうが!!」
アレルの剣幕に、ふたりは気圧される。
他の仲間達も、言い合いに注目する。
「今、外では連邦のどの国も魔族の侵攻に必死で耐えている! 私たちはそれをどうにかするためにここへ来たんだぞ! 命ぐらい懸けて当然だ!」
「だが、全滅したら意味ないだろう!」
「この未踏領域へ来てから奴らは現れだした。それがどういうことかわからないのか?」
仲間たちは顔を見合わせる。
「つまり、ここまで辿り着いたパーティーがいたとしても、あの魔族の群れに襲われて全滅したと考えるのが妥当だろう」
「だったら尚更――」
「そんな強力な魔族が護っているということは、つまり、その先になにかがあるってことだろう!」
仲間たちはハッとして互いに視線を向け合う。
「我々の任務は戦いじゃなく〝摂政〟の発見だ。ならば先程の魔族たちを我々に嗾けている奴を見つけ出すまでは、未踏領域を進むべきだ」
黙り込んだ仲間に、さらに言葉を継ぐ。
「それに、私たちがここまで来られたのは、今まで犠牲になった前任者や冒険者、傭兵が、時には命と引き換えにしてまで情報を残してくれたからだ。それなのに我々だけが、危険だからという理由で引き返すというのか?」
仲間のひとりが、それ以上のアレルの発言を遮ろうとうするように、両手を軽く上げ、溜息を吐く。
「……わかった。あんたの言う通りだ」
「強敵との連戦で気弱になっていたな。士気を下げるようなことを言って悪かった」
アレルは他の仲間達にも視線を巡らせる。
「聞いての通りだ。それが探している目標かはわからないが、遠くないうちになにか見つけられるだろうと私は予想している。それまでは皆、どうにか踏ん張ってくれ」
戦士の治療が終わると、一行は探索を再開した。
その場を後にする直前、アレルは地面に落ちている魔族の死体に視線を向けた。
マキアスの副大統領、ラジイの情報によれば、〝摂政〟はたくさんの目や口を有し、絶対に死なないのだという。
やはり複数の目や口を有して異常な生命力を誇るこの魔族と共通する点が多いのは、偶然とは思えない。
遠くないうち、目標を発見できるだろうという確信にも似た期待を、アレルは胸の内に覚えていた。




