第三百二十三節 『迷宮』
ディエビア連邦の中西部に位置する国、プリシスの首都近傍に巨大な要塞がある。
当初、首都防衛の要として作られたその要塞は、革命戦争の勃発に伴い、反乱軍による侵攻を恐れた王によって、防衛力強化のため国中の奴隷を投入した増改築が急ピッチで進められた。
だが結局、反乱軍が別方向より攻めて来たたことで王族は首都を放棄して逃亡。
首都は呆気なく陥落したのだが、王命はその後も生き続け、反政府側から顧みられることもなく、要塞の増築は続けられた。
ダイアスの陥落後、各国に新政権が樹立してからようやくその存在が顧みられた時には、もはや要塞と呼べるのかも疑わしい、ただ肥大化することだけを目的に肥大化するという、手段が目的と化した、化け物染みた構造体となっていた。
プリシスの新政府は元要塞に兵団を派遣し、事業を停止させようと試みるも、もはや誰が責任者なのかもわからなくなっていた。
しかも、内部には都市すら内包し、そこで生活する大量の奴隷たちを解放、解散させようにも、受け入れ先を用意することもできない。
最終的に要塞を解体するという計画は頓挫し、要塞内部に前政権の残党が潜伏している可能性を危惧した政府は他の都市との交通を完全に封鎖。
孤立した要塞は資材を地下や近くの山、あるいは森を切り拓くことで確保し、その後も肥大化し続けた。
やがて魔王による侵略が開始されると、首都を落とした魔族は元要塞にも攻め寄せ、内部を占拠した。
アニエル・ブロンズヴィーを筆頭に据えた元ディエビア連邦人類軍は、とある理由からその元要塞に人員を派遣し、彼らが雇用した冒険者によって無数のパーティーが結成され探索が試みられた。
しかして彼らの多くは、広大にして複雑な内部構造に迷い、闊歩する魔族の餌食となり、探索が難航する中、いつしか元要塞は、〝迷宮〟と呼ばれるようになっていった。
奴隷の売買を手広く行ってきたかつてのディエビア連邦では、商品に等級を設定していた。
何の教育も施しておらず、年齢的にも労働力として使えるピークを大きく過ぎている者は六級。
同じく教育は施していないが、労働力として期待できる成人や、子どもは五級。
さらに、身につけている教養や技能、あるいは容姿や潜在魔力などによって、細かく評価され六段階の等級に振り分けられる。
そして最上級である一級ともなれば、その育成にかけられる資金と手間暇は莫大なものとなる。
上位等級商品の育成を目的とした訓練施設では素養に応じ、貴族家の養子となるための教養、国家の中枢を担う魔導士となれるだけの魔法知識、将官として即時戦場で活躍できる武力と軍事能力等々、さまざまな教育が施される。
しかも、出荷にあたっては、魔法による奴隷紋の隠蔽と捏造された経歴まで用意され、購入先が望めば奴隷という身分を隠すこともできた。
王族の伴侶や、英雄とされてきた軍人が、その死後、ディエビア連邦から購入した奴隷だったと判明するというケースもめずらしくはない、という風説さえあるほどだった。
だから、訓練施設で最上の評価を受けた者となれば、購入に必要な資金は国家予算規模、大質量の王耀晶にすら匹敵した。
そんな訓練施設が反乱軍によって解放された時、その男は自らの意志で反乱軍に加わった。
自分たちを魔法で従わせ、地獄のような訓練を強制した国と連邦に復讐したいという気持ちもあった。
ただそれ以上に、施設でも突き抜けた成績を誇り、十年に一度の逸材とまで言われた己が、組織の中でどれだけの力を発揮できるか試してみたいという思いが強かった。
実際、彼は反乱軍の中でめきめきと頭角を現し、ひと月と経たず、当時組織のトップであったアキヒトから重用されることとなる。
順調に身を立てていった彼は、革命が成功したあかつきには、自分はその立役者のひとりとして名を残す大魔導士になるだろうと期待した。
しかしその自信は、ひとりの女によって打ち砕かれた。
エリズルーイ・フラン。
反乱軍の参謀にして魔導士の筆頭であり、アキヒトのもっとも信頼する人間のひとりだ。
カルティアから亡命して来たという異色の経歴を持つ女は、彼が想像したこともないような魔法技術を自ら開発し、それを反乱軍の作戦に組み入れることで、各地の戦場で勝利に大きく貢献していた。
知識量も凄まじく、作戦立案に際しては彼女の意見が採用されることも多かった。
おそらく、彼女がいなければ革命は成功していなかったのではないかとさえ彼は考えている。
そんな稀代の魔導士に比べ、己は先達の知識をなぞってきただけの凡夫に過ぎない。
そう思い知ったことで、彼は革命後、引き続きアキヒトがトップを務める連邦宗主国ダイアス新政府で身を立てることを諦めた。
どう足掻いたところで、エリズルーイの引き立て役にしかなれないからだ。
幸い、アキヒトの下から別の国や組織に移っていく者は珍しくなかった。
彼もさまざまな国の新政府から国の中枢に誘われたが、最終的には四大英雄のひとりとして名を上げたアニエル・ブロンズヴィーが頭首を務め、大統領制を敷いたマキアスに移った。
アニエルの下で力を尽くせば、将来的には自分が大統領となる目もあると踏んだのだ。
魔法省の幹部として働いた彼は、アキヒトが兵を率いてブリュゴーリュへと侵攻し、敗北したうえ戦死したと知った。
その際、あのエリズルーイも行方不明になったという。
己の選択は正しかったと思う一方で、去っていなければなにかできたのではなかったかという後悔が彼の心に残った。
やがて魔族が跳梁し、連邦も他の国々と同じように大きく乱れた。
アニエルが他の大国との連合締結に向かった直後、副大統領のラジイ・ミールに呼び出された彼は、プリシスにあるという魔族の拠点のひとつ、通称〝迷宮〟の探索を依頼されることとなる。
「敵の〝摂政〟が潜んでいる可能性が高いのです」
どうして自分がそんな使い走りのような真似をしなければならないのかと問う彼に、ラジイは感情のこもらぬ声でそう説明した。
なるほど、と彼は思った。
他の国では魔族軍の次席の行方は大した調査を行うまでもなく判明していたようだが、ディエビア連邦では事情が異なっていた。
というのも、他の大国は、首都やそれに準ずる大都市を魔族が占領、拠点化しており、〝摂政〟と呼ばれる個体はそこで軍の指揮を執っていた。
しかし、複数の国家を内包する連邦においては、そもそもその〝摂政〟がどこに拠点を構えているのかが判然としなかった。
当初は連邦の元宗主国であるダイアスの首都キューレットに潜んでいると考えられていたが、人類軍が偵察部隊を送り込んだ結果、〝摂政〟の不在が確認された。
そのため、ディエビア連邦人類軍はここまで、撃破目標を持たずに、対症療法的な戦いを強いられてきた。
ゆえに、連邦中の〝摂政〟の潜伏先と目される都市や施設に対し、調査部隊を送り込んでいた。
「〝摂政〟を発見できれば、戦況を覆すことが可能かもしれませんね」
そう言いつつ、彼は自分の表情が曇っているのを自覚する。
己ほどの人材に調査を命じるということは、そこに〝摂政〟が潜伏している可能性は高いのだろうが、同時に調査が難航しているのに間違いないと推察できたからだ。
「現地の調査員が次々と消息を絶っていることから、冒険者や傭兵を起用したパーティーでは手に負えないと判断しました。よって精鋭で構成された調査隊を派遣することになったわけです。隊にはあなたの他にも革命戦争で実績を残した者たちの参加が決定しております」
そう言ってラジイが名を挙げた者の中には、彼とともにアキヒトの下で戦っていた異世界人や祝福持ちの魔導士の名もあった。
「大盤振る舞いですね」
「それだけ状況は逼迫しているということです。このままでは連邦全土が完全に魔王軍の手に落ちるのは時間の問題でしょう」
たしかに、と彼は思う。
魔族が発生した当初、各国は個別にその対応にあたっていたが、ハリストンやジョージェンスのような列強でさえ手に負えなかった相手を止めることなどできるわけがなかった。
アニエルが各国に呼びかけを行い、連邦一丸となって魔族に対抗するため人類軍を結成したものの、その時には既に完全に機能を停止した国も複数あった。
そして今に至るまで、魔族に対して有効な手を打てずにいる。
だからこそ魔族軍で実質的に命令系統のトップである〝摂政〟を見つけ出すことが喫緊の課題とされているのだ。
だが、そうとわかっていても彼は、調査隊の参加に躊躇せずにはいられない。
革命軍の主戦力のひとりとして場数を踏む間に培われた勘が、ヤバい任務だと警鐘を鳴らしていた。
「受けていただけるのであれば、次期魔法省トップの座を約束しましょう」
副大統領の提案に、彼は息を呑む。
「……あなたに、そんな権限があるのですか?」
「今は戦時ですが、この動乱が収まれば、いずれ次の大統領選が開かれることになります。そして、大統領は二期連続で務められないと決めたのは、他でもない現大統領アニエルです。つまり、次期大統領にもっとも近いのは、この私です」
「なるほど。大統領任命権ですか」
彼は、現魔法省長官の顔を思い浮かべる。
金とコネを持っているという以外になんの取り柄もないボンクラだ。
革命を経てもなお、ああいう人間が重用されるという現実には心底失望したものだった。
一方、目の前の副大統領は、前政権の時代からマキアスで官僚を務めるやり手だ。
カリスマで周囲を引っ張って来たアニエルとは対照的に、純粋な能力の高さで登り詰めた叩き上げであり、この男の下で国作りに尽力するのも悪くないと思えた。
「……わかりました。引き受けましょう」
彼の返事を聞くと、ラジイはやはりニコリともせず、メガネのブリッジを中指で持ち上げつつ伝えた。
「頼みましたよ? 元革命軍次席魔導士、アレル・アーシヤ殿」




