家路
街のメインストリート沿いには、本屋やブティック、スポーツ用品店、雑貨店、飲食店など様々な店が軒を連ねている。特に駅に近いこの界隈は、オフィス街も近い事もあり、人通りが多く賑やかだ。
慣れ親しんだ私の街―――。
自転車を停めて歩道に降り立った私の頬を吹き抜けた風が、髪を揺らしていく。
「―――あれ?」
何故だろう。
目の前の風景に違和感を覚える。
何故か…、何だか久しぶりの感覚。
なんで?
いま、自転車止めて降りたばっかり…だよねぇ?
思わず、自分の足もとを眺めた。
何故かわからないけど、なんだか足もとに不安を覚えたから。まあ、特に変わりはなかったけど。
顔を上げると、見覚えのある顔の男子学生と目が合った。
少年のあどけなさをほんの少しだけ残したその出立、そして日に焼けた肌にさらりと風に揺れる黒い髪。長い睫毛に縁どられた瞳は、私を見て何故か見開いている。
そんな顔をしても尚整った顔立ちに、通り過ぎる人が振り返っていく。
―――えーっと…?
「おい、何ぼーっと突っ立てんだ?」
「へ?」
話しかけられてもなんだか実感がわかない。確かにさっきまで誰かと会ってた気はするんだけど…。―――誰かって…、誰と?
「おい、しっかりしろ!美月!」
名前を呼ばれて我に返る。
「―――はっ!なんだ譲じゃない。何やってんの?」
久しぶりに見たからか、一瞬意識が飛んでたわ。
私は目の前にいる人物をやっと認識した。
彼の名前は佐々木譲。私が小学校の時所属していたサッカーチームで、チームメイトだった人だ。ちなみに中学校でも同じサッカー部だった。高校は男子の強豪校にスポーツ推薦されたのよね。
「何やってるって、そりゃあこっちのセリフだ。呆け~っとしやがって」
むっ。久しぶりに会ってそれかい。
相変わらず過ぎる。
「ってかお前、今、消えてなかった?」
身を乗り出して、私の腕を掴んでくる。
えっ!
掴まれたことにも驚いたけど、その言葉に疑問しか沸かない。
消えるって?
いや、何言ってんだコイツ。
「はあ?…アタマ、大丈夫?」
「大丈夫に決まってんだろう!それより確かに今、美月が一瞬消えたんだよ」
まだ言ってるよ。
「私はここにいるけど?」
「いや、だって…」
「それより、手…、痛いんだけど」
私の言葉と目線で、己の行動にやっと気づいたようだ。
「悪ぃ…」
慌てて手を離しつつ「でもよー」と、しつこい譲に逆に質問する。
「それより譲はどうしてこんなところに?デート?強豪校は余裕だね~」
私に話しかける嬢を隣で見つめつつ、チラチラと私に視線を送ってくる女の子を見た。うん、ちっちゃくって可愛い。
「ば、ばっか、違うよ!一年のマネージャーが、スクイズボトルケース買うのに店の場所知らないって言うから連れてきただけだ」
ふ~ん。そんなに真っ赤になって慌てなくてもいいのに。
「美月こそ何やてるんだ?」
「私?」
そりゃあもちろん………、もちろん……、ん???
「私は…、え~っと…」
困った。私、何しに来たんだっけ?
キョロキョロと自分の体と荷物を見回し、考え込んだ。
思い出せない。
「…私は、まあ、いろいろよ」
とりあえず、店に入って考えよう。
詳細を語らなかった私を訝しげに譲が見ていたけど、直ぐにその表情が変わった。
「キャプテン、あの、時間が…」
マネージャーの女の子が話しかけたからだ。
「お、悪い。そうだった。じゃあまたな、美月」
私も譲も、軽く手を挙げ挨拶した。
二人に遅れて店に入ると、譲が熱心にマネージャーの女の子にスクイズボトルケースの説明をしていた。素材がどうのこうのと…。
相変わらず道具に詳しいヤツだ。だけどその顔は…、説明しながら笑い合うその姿は、私の知らないなんだか大人びた笑顔の譲だった。
店内を見て回っているうちにやっと思い出した空気入れの針を購入し、私は店を出た。
なんか、すっきりしない。
さっきの譲の笑顔が浮かぶ。
見たことのない笑顔に、置いてけぼりをっくった感覚はある。
幼馴染が遠くに感じた。
それで…なのかな……?
信号待ちの間自問自答する。
―――何か、大事なことを忘れている気がする。
心にポッカリと穴が空いている感じが……。
ポツッ
冷たい。
頬に落ちてきたそれを、手で拭う。見上げた空は、厚い雲に覆われて鉛色をしていた。
ポツッ
ポツッ
パタッ、パタタタタ―――ッ
え、嘘っ!降ってきた!
信号が青になると、立ち乗りで自転車をこいだ。
ちょっとぉ―――っ、お願い~、あと10分だけもって~~~!
急いで自転車をこいだ。
緩やかな上り坂を一気に登りきる。次第に強くなる雨足に、前方の空を見つめた。
―――ああ、絶望だ…。
ビルの合間に見えた家の方角の空は、鉛色を通り越して真っ暗だった。
これは、パンツまで濡れるコース確定だ。
それでも急いで、自転車をこぎ、最後の上り坂を登った。
「ただいま~」
と言っても返事はない。兄は大学生となり、寮生活を送っている。母親はまだ仕事の時間だ。
「や~もう、びっちゃびちゃだよ~」
急いでサッカーボールとスパイク、アップシューズを取り出し、雑巾で拭いていく。
「こんな時、魔法が使えると便利だよね~」
思わず出た言葉に、私は固まった。
何言ってんだ?
大丈夫か?私。
立ち尽くす私に悪寒が走る。
「さむっ」
玄関先でタイツを脱いで、急いでお風呂場に向かった。脱衣所で、リュックの中の荷物を確認する。教科書やノートはとりあえず濡れていなかった。少しホッとして濡れたリュックからそれらを取り出す。
あとは濡れた制服を―――、まあ、後でいいか。とりあえずシャワーで温もろう。ジャケットとスカートを洗濯籠に入れ、リボンを外す。ブラウスのボタンを外そうと、悴んだ指先を懸命に動かした。
「―――え?」
洗面台の鏡に映った自分の姿に、戸惑った。
透き通った、緑に輝くネックレス。
それが首元に煌いている。
「な…に?…これ?―――」
胸騒ぎがする。
知らないけど知っている。
分からない。でも、何かがおかしい。
違和感、不安、―――違う。
胸の鼓動が跳ね上がりそうなくらい激しくなる。
震える指先で、緑の宝石に触れる。
「――――――――っ!」
身体中を電気が走ったような気がした。
「あっ……、ふっ………」
胸が痛い。
溢れる泪に視界がぼやける。
「うっ、あっ、あああああああ―――――――」
胸が張り裂けそうだ。
南の海を思わせるエメラルドグリーンの瞳が、揺れる金の髪が、私を包んだ逞しい胸が脳裏に蘇る。一緒に過ごした時間が、溢れ出る記憶がとめどなく流れる泪のようで…。
握りしめた宝石に届かぬ想いを込める。
「――――ルーク!」
嫌だ、嫌だ、なんで――――。
堪らず浴室に飛び込んだ。
シャワーの栓を全開にする。
溢れる泪も慟哭も、全て流したい。
悲痛なこの叫び声を消してしまいたい。
自分で聞くのも耐えられない――――。
どうして、一瞬でも忘れていたのか分からない。それよりも只、ここにルークがいない事が何よりも辛かった。
もう、触れることも叶わない…。
分かっていたはずなのに…、――――分かってなかった。
嫌、嫌だ。嫌――――!
「ああああああああ―――――――」
激しく振り注ぐシャワーの下で、力なくしゃがみこんだ。
―――ドンッ
浴室の床を叩いても何も変わらない。
ドンッ、ドンッ、ドンッ――――
それでも、それを止めることは出来なかった。




