第6話
ラスト。急展開です。
マーシャ様からお茶会の招待状が届いた。ディナール家にお出かけ。あわよくばアシュリー様にお会いしたいけれど、アシュリー様はご婦人方が賑やかにされている席にはあまり顔を出さないからお会いするのは無理かもしれない。
「クリスティーナ様が魔女って本当の話ですの?」
早速マーシャ様に突っ込まれた。
「わかりませんわ。でも、夢の中で読んだロマンス小説ではそういう設定でしたわ。」
「クリスティーナ様自身の心が奪われてしまうかもしれないっていうのは危険ですわよね。」
「ええ。女性なんてか弱いものですから、すぐに攫われてしまったり、脅されてしまったりするものですものね。」
クリスティーナは美しい少女だからちょっと心配。特に男性にとって魔女はクリスティーナ一人だから、クリスティーナだけを警戒すればいいのかもしれないけれど、クリスティーナにとって自分の心を盗めるのは全ての男性が対象だ。誰を警戒していいかわからない。美しいクリスティーナを弄びたい悪い男がどれだなんてぱっと見じゃわからないし。
「ふふっ。聞いてください、クリスティーナ様。アシュリーの指が治ったのですわ。以前のように屋敷でバイオリンを奏でておりますの。やはりあの子は音楽の神に愛されてると思いますの。親ばかかしら?」
アシュリー様…指を怪我させられるかもしれないって言ってたのに…大丈夫なのかな?
「喜ばしいと思いますわ。私もアシュリー様のバイオリンが聞いてみたいです。」
その時どこからかバイオリンの音が響いてきた。聞こえてくる曲は『慈雨』の旋律。でもこれは…普通の梅雨の曲。パラパラと曇天から雨粒が落ちるような雑味のある音。慈愛の色がしない。
「このバイオリンはどちらの息子さんが弾かれているものなのですか?」
ご夫人の一人が質問した。
「ふふっ。クリスティーナ様当ててみて?」
マーシャ様が私に尋ねる。
「アルベルト様でしょう。」
アシュリー様=サミュエル様の仮説で考えるなら、サミュエル様がこんな音を出すわけがない。サミュエル様の音はもっと違う。一瞬で全身の毛穴が開くような素晴らしい音なのだ。その音を聴いた者は誰もがあの、私の描いた「恵みの雨を慈愛する水の精霊の姿」を像として結ぶ…そういう音を出すのがサミュエル様だ。
アルベルト様の『慈雨』の演奏が終わった…と思ったら、また別の『慈雨』が聞こえてきた。
ぶわっと全身の毛穴が開く。
これ!これだよ!慈しみが雫として一粒一粒丁寧に零れていくような…一つの音も無駄にしない完璧な『慈雨』!正直さっきの演奏と今の演奏じゃ、小学生がただ譜面通りに音を奏でているのと、一流音楽家が自分の世界を完全構築してるくらいに違う。
「アシュリー様…」
私が呟くとご婦人方が呼吸することをやっと思い出した…とでもいうようにほうっと溜息をついた。
「凄い…同じ曲なのに、こんなに違うなんて…」
令嬢の一人が呟いた。
「本当に『音楽の神に愛されてる』が大げさでも何でもないってわかりますわ。」
ご婦人方が納得の声を出す。
多分アシュリー様は、今、私に聞かせるつもりで演奏しているのだろう。わざわざアルベルト様と同じ選曲で。「自分こそサミュエルだ。」と。アシュリー様は「もしこのメロディを盗むことができても、その曲が描き出す像までは盗めない。」と言っていた。まさにその通りなのだ。「私の描いた絵画を見た」「確かな技術と才能のある」サミュエル様にしかこの音は出せない。この音こそがアシュリー様が、サミュエル様であるという証明。
「でも、同じ曲を演奏されてしまうと、アルベルト様が少しお可哀想ですわね。」
ぽつりと一人のご夫人が呟いた。アルベルト様はそれがどうしても我慢できなくて、アシュリー様の指を傷つけたのだろう。
『慈雨』の演奏が終わった。
「素敵でしたわ。」
「ええ、本当に。」
みんなが口々に演奏を褒めたたえる。マーシャ様も嬉しそうだ。
「クリスティーナ様は夢に出てきた愛おしい殿方を探してるって本当ですの?」
「ええ。」
もう噂が広まってるんだね。
「アシュリー様の事ではないかしら?と思ってるって伺いましたけれど。」
「まあ、私はアルベルト様のことだと伺いましたわ。」
そ、そこまで広まってるのか…!!みんなは興味津々。私の答えを待っている。そこへ一人の侍従がやってきた。
「クリスティーナ・クロフト様、アシュリー様が時間が取れれば会ってほしいと仰っていますが。」
ご夫人方が「まあ!」と歓声を上げた。私もドキドキしている。あの『慈雨』の後の呼び出しだもの。もしかして決定打が頂けてしまうのかも…とときめきが止まらない。
「あ、あの…マーシャ様…」
「ええ。行ってらっしゃい。」
マーシャ様は少しお顔が強張っていたけれど。どうしたのだろう?不思議に思いつつ、案内の侍従について行った。
「こちらのお部屋です。」と言われて、部屋に入った。黒髪の殿方が、私に背を向けて立っていた。周囲には3人の侍従が侍っている。
「アシュリー様…」
呼びかけると振り返ったのは…
「アルベルト様…」
アルベルト様だった。悪戯っぽい笑顔を浮かべている。
「びっくりした?」
「え、ええ…何故アシュリー様のお名前を?」
「最近君がアシュリーにご執心だって聞いて…そんなの切ないなって思って…」
「……。」
アルベルト様の灰色の瞳が切なく歪む。
「僕だって、君の夢を見てるのに…ティナ。」
どうして?どうして今その名で呼ぶの?私の夢?前世の思い出があるという意味?
「聴いたでしょう。君に捧げた『慈雨』」
何故そのタイトルを知って…アルベルト様がサミュエル様だったというの?
「先ほどの演奏…アルベルト様がされたのは1度目の演奏ですか?2度目の演奏ですか?」
「勿論2度目の方が僕だよ。」
じゃあ、アルベルト様が…?
「あ、もしかしてアシュリーに僕がアシュリーの指を傷つけたと言われたのではない?アシュリーは気を引きたい人の前ではいつもそう言うのだよ。」
そうなのかな?あれはアシュリー様の噓だったというの?私にはアシュリー様とアルベルト様、どちらを信じていいかわからない。でもさっきの2回目の演奏は絶対にサミュエル様のものだったと思う。あの演奏をされたのがアルベルト様なら、アルベルト様こそ私のサミュエル様…
「夢のことを忘れないでいてくれてるなら、僕に愛を誓って?ティナの心が欲しいんだ。他の誰かに奪われる前に。」
アルベルト様が愛おしそうに私の髪を撫で、頬を撫でた。
サミュエル様…ごくりと喉を鳴らした。サミュエル様に…アルベルト様に、愛を…
……。
……。
ふと思い立った。
「アルベルト様、私、去年セモナ美術大賞で佳作をとりましたの。とある青年の寝顔を描いたものでタイトルは『S.R』というのです。アルベルト様は『S.R』と聞いて、私がどなたの寝顔を描いたと思いますか?」
アルベルト様がきょとんとした顔をした。
「ちょっと絵を見ていないからわからないけれど…」
「ピンときませんか?」
なんだか、アルベルト様の言葉が急に胡散臭く感じてしまう。
「待って。当てるから…『S.R』『S.R』…『セント・ロビン』だ!どう?当たったでしょう?」
セント・ロビンは去年話題になった劇に登場する妖精の名前だ。ドジな青年妖精のセント・ロビンは、行く先々で騒動を起こしてしまうが、どこか憎めない、という…サミュエル様とは全く関係のない劇だ。
はあ、と溜息が聞こえた。
「『サミュエル・ロンソワ』でしょう?兄さんは詰めが甘い。『慈雨』のタイトルまで盗んでおいて、こんなところでこけるなんてね。」
部屋の扉付近の所にアシュリー様がいらっしゃった。
「なっ、アシュリー!どこから入った!?」
「勿論扉からだよ。」
「おい、お前たち!アシュリーを押さえつけろ。」
侍っていた侍従たちがアシュリー様を押さえつける。
アルベルト様は机の上から鋏を手に取った。そして刃と刃の間にアシュリー様の指を挟んだ。
「ティナ。僕に愛を誓って!誓ってくれないならアシュリーの指を鋏で切り落とす!」
「そんな!」
もしアシュリー様がサミュエル様だったとしたら…サミュエル様から音楽を取り上げる…そんなの絶対にダメ!
「切り落としたければ落とすがいいよ。」
「サミュエル様!」
「ティナ、いいんだ。」
サミュエル様が微笑む。
「兄さん。兄さんは欲張りだね。恵まれた容姿、家督、父の愛情、怪我のない身体、僕の作った数々の曲。全て持っているのにその上ティナまで望むの?僕はティナだけでいいのに。容姿も、家督も、父さんからの愛情も、怪我のない身体も、作曲家の名誉も、音楽も、何もいらない。ティナだけあればいい。」
「うるさいうるさい!ティナ、早く愛を。こいつの指を切り落とされたいのか!」
「わ、私はアルベルト様をあ、愛…」
「ティナ、悪い子だね。そんなに僕に壊されたいの?」
サミュエル様の顔が意地悪く歪む。私がアルベルト様に愛を誓ったらサミュエル様は今度こそ私を壊す。どんな手を使っても…知ってる。そんなの知ってる。その執着も愛していたから。私はサミュエル様が好き。誰よりも好き。だから私は…
「サミュエル様、ごめんなさい。私はサミュエル様の指を選びます。だから…ちゃんと壊してくださいね?」
泣きながら笑った。
「私はアルベルト様を愛しております。」
ころりと胸からサファイアのように青く、それでいて濁ったブルーの石が出てきた。人差し指の爪くらいの大きさの石だ。
「アハハ!やったぞ!これでティナは僕のものだ!」
アルベルト様が鋏を放り投げて、喜んで石を拾った。アルベルト様…なんて愛しい人…アルベルト様を見ていると不思議な多幸感に包まれる。
うっとりとアルベルト様を眺める。
「兄さん、ところで僕はさっき、扉から入ったと言ったはずだけれど、どうして扉から入れたのかとか、聞かないんだね?」
喜ぶアルベルト様にアシュリー様が水を差した。アルベルト様がぴたりと止まった。
扉が開いて、怒りに燃えるディナール伯とぐしゃぐしゃに泣いているマーシャ様、厳しい顔をした私のお父様、侍女、侍従、ご婦人方が入ってきた。
アルベルト様が狼狽した様子を見せる。
「この、ばかもんがあっ!!」
ディナール伯が真っ直ぐにアルベルト様に突っ込んで、勢いよくアルベルト様を殴りつけた。
「アルベルト様っ!!」
愛しい人の危機に思わず体が動いて、駆けだそうとした私の手をお父様が引き留めた。
「クリス、我慢しなさい。」
「でも、アルベルト様がっ!」
「ディナール伯が溺愛しているご長男だ。殺されやしないよ。クリスは、もう夢の殿方はいいのかい?」
夢?
何かすごく大切なことを忘れている気がするけど、思い出せない。頭に厚い靄がかかっているようだ。
「ティナ…もう僕のこと、忘れちゃった?」
解放されたアシュリー様がこちらに来た。
解放されたサミュエル様がこちらに来た。
「ティナは僕のものだ。誰にもあげない。」
アシュリー様がほの暗く笑って私に口付けた。
サミュエル様がほの暗く笑って私に口付けた。
「今度こそ君を壊すよ。」
そんなセリフなのに声ばかりはいやに優しいアシュ…
そんなセリフなのに声ばかりはいやに優しいサミュエル様が私の頬を撫でた。
「さみゅ…えるさま…わたしを…こわして…」
自分が何を言ってるのかわからない…只反射的に口が動いてるとしか思えない。
「うん。」
サミュエル様がマーシャ様から金槌と、私の胸から出たアルベルト様が持っていたはずの石を受け取って、勢いよく石を叩き割った。
粉々に砕けた石は水のように液体になったかと思うとふわっと気化して消えてしまった。
厚く頭にかかっていた靄がスーッと消える。
「サミュエル様!」
私はサミュエル様に抱き着いた。サミュエル様にぺちっとおでこを叩かれた。
「もう、馬鹿なことして。僕の指なんて本当に要らないのに。指は所詮二番目。一番大切なティナだけあれば僕は十分なのに。」
「だって…」
サミュエル様は苦笑して私にキスした。
「そんなティナにだから惹かれてしまうのかもしれないけどね。」
嬉しくてにへらっと笑ってしまった。
「はい、そんな可愛い顔しない。その顔は僕の前でだけして。」
「はい。」
素直に頷いた。
「ねえ、僕の証明は名前だけで大丈夫なの?」
「え?」
「僕が僕である証明を、ティナが…クリスティーナがクリスティーナであると同時に、システィーナであるという証明をしよう。」
サミュエル様はアルベルト様の持ち物であろうバイオリンを手に取った。そしてイントロを弾き始める。
私が、システィーナがサミュエル様とアンジェリカ様とアラン様とともに歌った『君の呼び声』。
私は立ち上がって姿勢を正すと、切ないほどに苦しい思いの詰められた『君の呼び声』を歌い上げた。サミュエル様とシスティーナの証明。
余りにも美しく切ない楽曲にご婦人方、侍従、侍女が涙している。
「ティナ…システィーナの君も、クリスティーナの君も、愛してる。」
ポロリとサミュエル様の胸から石が落ちた。人差し指の爪くらいの大きさの、黒い石。
「私も、サミュエル様も、アシュリー様も、どちらのあなたも愛しています。」
私の胸から石が落ちた。人差し指の爪くらいの大きさの、眩いばかりに輝くようなダイヤのような透明な石。
お父様が二つの石を拾い上げた。
「その恋心が二度と消えない覚悟が出来たら、クリスがアシュリー君の石を、アシュリー君がクリスの石を飲みなさい。そうすればもう二度と石は出てこないから。僕もカリーナとそうした。魔女の血は不安定だ。連続して現れることもあればぷっつり現れないこともある。石のことはクロフト家の記録としてきちんと残しておく。」
家伝書かな?貴族家には置いてあることが多いと聞く。
私は侍女さんに水を入れてもらって、サミュエル様の石を飲み込んだ。サミュエル様も同じように私の石を飲み込んでいる。
「ところで僕はティナをティナって呼ぶからあんまり意識してないけれど、ティナは僕をサミュエルと呼びたいの?」
「んー…じゃあ、アシュリー様とお呼びします。マーシャ様やディナール伯にも失礼ですし。」
「そっか。まあ、好きに呼んでくれて構わないよ。」
アシュリー様が微笑んだ。
アルベルト様はディナール伯に連れてかれてしまったようだけれど、マーシャ様に、お父様に、ご婦人方、侍女、侍従が勢ぞろい。考えてみると不思議なメンツだ。
「どうしてお父様はここにいらっしゃるの?」
「それは随分な言い草だね、クリス。」
「ご、ごめんなさい!そういう意味じゃなくて…」
居たら悪いみたいな言い方になってしまったかとアワアワする。
「ふふ、わかっているよ、クリス。僕がここにいるのは勿論アシュリー君に頼まれたからさ。今日のことは全てアシュリー君が張った罠だからね。」
アシュリー様が…?不思議そうな顔でアシュリー様を見つめると溜息を吐かれた。
「ティナ。君、お茶会の席で夢の殿方を探しているだとか、アシュリー様が彼なのかしら…と疑っているだとか、魔女の能力の詳細までぺらぺら喋ったらしいね?噂を耳にしてから兄さんはティナを騙すつもり満々で、情報収集してたよ。ものすっごい危なっかしかったから、こっちから挑発して仕掛けることにしたんだ。僕の指のことを明かしたのも挑発の一環。兄さんは絶対焦って仕掛けると思った。」
な、なんだと…!このしっかり者と噂(自称)のティナさんが「危なっかしい」扱い。
「だ、騙されませんでしたよ…?多分。」
アシュリー様もお父様も首を振ってる。ほんまや、ほんまにわいは騙されへんで?
「私は、アルベルトが罠に引っかからないでくれますように…って毎日お祈りしてたのだけどね。」
マーシャ様が悲しそうに言った。そうだよね。息子が詐欺まがいの方法で女性を手に入れようとするところ見るのなんて嫌だよね。しかもそのあと脅迫までしたし。
「ごめんなさいね、クリスティーナ様。アルベルトがあんな暴挙に出てしまって…私が謝っても仕方ないのだけれど、夫もアルベルトへの再教育はきっちりすると言っていたから…。アルベルトを許さなくてもいいけど、アシュリーのことは貰ってやってね?」
「も、勿論です!!」
力強くうなずくとマーシャ様は少しだけ笑ってくれた。
「ふふっ。ティナ。今度はどんな指輪にしようか?」
アシュリー様が笑って私の左手の薬指に口付けた。ご婦人方がその様子を見てキャッキャと喜んでいる。アシュリー様は露骨にそっちは見ないようにしてる。相変わらず賑やかな女性陣は苦手なんだね。
「アシュリー様にお任せします。」
「…あんまり適当なこと言うと金の髑髏がついた指輪を贈るよ?」
「す、すいません!ちゃんと考えます!!」
私が慌てて言いなおしたのでみんなが笑い出してしまった。
し、しっかり者のティナさん像をこれ以上壊さないで、アシュリー様っ。
でもアシュリー様が笑ってくれて、お父様が笑ってくれて、マーシャ様やご婦人方が笑ってくれるって、なんか嬉しい…
ティナは今世もちゃんと幸せになれそうです。
何となく収まりが悪いですがこれにて終了です。
最後まで、お付き合いいただき、ありがとうございました。
Q.なんでご婦人が方がいるの?
A.お茶会の延長でなんとなく付いてきてしまったから。
どうでもいいことですが突っ込まれそうな予感。