43 その後の魔王城④
魔属の者達を庇護し等しく慈しむ魔王の大結界と、彼らの敵に牙を向き屠る意志持つ黒森に守られた、魔王の国の首都。
平穏な活気で満ち溢れた城下町を見守るように、魔王の城は都の最奥で建国以来変わらない荘厳な姿を国民に見せながらそびえ立っている。
「さ――宰相閣……下……っ!!」
「バラス老?! 腰が抜けてるぞどうした?! とうとうギックリ腰か?!!」
王宮の魔王と魔王后共有私室の前を通りがかった、魔王の国宰相ローゼルフォートは、共有私室の開いたドアの前でへたり込み、侍女達に助けられている後宮大臣バラスを見つけ慌てて駆け寄った。
「ま……魔王陛下が……陛下が……」
「へっ陛下がいかがなされた?!! むしろ一体今度は何をやらかした?!!」
そしてバラスの口から出た、魔王という言葉に更に焦るが。
「――ふっ、無礼であるぞ宰相ローゼルフォート」
「――えっ? ――っっっっ?!!!」
「もう子供でもあるまいに、魔王たる余がこの王宮で、後宮大臣が腰を抜かすほど酔狂な振る舞いなどするはずもあるまい?」
部屋の中に在る魔王に、一瞬思考の全てを停止させて沈黙する。
「……」
「ふっふっふ……」
魔王は袖襟を華やかなレースで飾られた長袖のシルクブラウス。
ビロードの黒字に輝く金糸の刺繍が艶やかな丈の長い上着。
その肩で留められ後ろに流された銀豹毛皮のマント。
瀟洒な飾りボタン付き膝留めで彩られたズボン。
上部折り返しのつま先の尖った膝丈の竜皮ブーツ――を、全て隙無く身につけていた。
更に襟元や手首にはドワーフ特製の金銀細工が輝き、腰には宝玉で装飾された剣を差し、長く豊かな髪は丁寧にセットされ、頭部には改まった席以外では身につけない王冠の代わりに、上着と同生地の上品な帽子が乗せられている。
その装いは全て、堕天魔族の秀でた美貌を飾るに相応しい、絢爛豪華な一級品だ。
「全支度に服飾係の侍女達フル稼働で一時間以上。……面倒臭ぇ……ではなく、丁寧に手間暇かけたこの姿こそ、この国の君主たる余に相応しい姿であろう?」
得意げな顔でマントを翻し、魔王は言った。
「……確かに、見違えましたが……陛下」
そんな目の前の魔王を注意深く見ながら――ローゼルフォートは、やがて気付いた疑問を口にする。
「……先程から、何故あちこちの空間を、チラチラと視線を送って確認なさっているのですか?」
「……えっ。……だってほら……あれだよ。そろそろクーちゃんから、お礼の魔話術があっても良い頃だなー、と思ってよ……」
「……」
「騎士としての不名誉を恥じ、自決まで考えて裁定を求めた王庭騎士ハウルグに対して、生きて魔王女の旅を助ける事で、汚名を濯げと返して送り出してやった俺。――うん、我ながらナイス裁定だったと思うわけよ。クーちゃんはハウルグとも仲良かったからよ、『ハウルグさんに寛大なお裁きをありがとうございました』、みたいなお礼があってもおかしくねぇかなーとか……むしろそろそろ来そうかなーとか……」
「…………」
答えている間にもチラッ、チラッ、と視線をあちこちに送り、クーちゃんこと一人娘クローディからの連絡を待つ魔王。
「……まさか朝っぱらから着飾ってるのは……そのせいか?」
「い、いやーほらー、俺前回、前々回とちょっと娘受けしない恰好(全裸)だったじゃん? ここは一発気合いを入れて、魔王の国で一番かっこいいパパを娘に見せてやろうかなーとかー……お城のパパは本当はかっこいいんだぞーとかー……」
「………………」
そんな魔王に憐憫の視線を向けながら、ローゼルフォートは返した。
「……もう来たぞ」
「……えっ」
「魔王女殿下の、王庭騎士ハウルグに対するお礼なら、さっき来た。――魔王后陛下、お前の嫁の所にな。『魔王陛下に、お礼を伝えておいて下さい』という伝言を残して、魔王女殿下の魔話術は切れたそうだ」
「え……え――えぇええええええええええええええええええええええええ?!!」
自国の滅亡を目の当たりにしたような顔で、魔王は叫んだ。
「なんで?! なんでクーちゃん?! おとーさまの所に直接連絡くれないの?!!」
「……それは魔王后陛下も質問されたそうだ。あと、『魔話術の銀鏡を魔王の所まで持って行くから、お顔を見て挨拶したらどうじゃ』、とも」
「そ、それで?! それでクーちゃんはなんて?!!」
―……でも……また全裸で『お取り込み中』だったら最悪ですし……―
「――と拒否したそうだ」
「チクショォオメェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!」
謎の奇声を上げて、魔王は服をかなぐり捨てた。
「あぁあもったいないっ。折角の侍女達の労力だろうが、魔王らしかったし一日くらい着てろ!」
「うっせー!! お前に娘に嫌がられた父親の気持ちが判るかー!!」
「……ふっ、確かにそれは判らんな」
ポンポンと何故かある脱衣籠に服を放り込む魔王を一応止めながら、ローゼルフォートは鼻で嗤う。
「我が愛娘は、未だ『あたくちは、おとーしゃまと、けっこんしゅるのー♪』と言ってくれるからな♪」
「声真似きめぇ!! ってか今だけだろ得意になってんじゃねー!! どうせそのうちお前も、『父様と同じ水で洗濯しないでっ』とか言われんだよー!!」
「ありえんな!! 我が愛娘は成長してもお父様大好きっ子だ!! 世界一可愛い!!」
「なにぃ!! 世界一可愛いのは俺の娘クーちゃんに決まってんだろ!!」
「我娘だ!!」
「俺の娘だ!!」
「現実を見ろ!!」
「あぁ?! やんのかてめぇ!!」
結局いつも通りのパンツ一枚姿になった魔王と、一触即発で怒鳴り合う宰相。
「はいはい親馬鹿親馬鹿。どっちの姫君も世界一で良いではありませんか。……ふむ……ワシにももし子がいれば、この熱意が理解できましたかのう……?」
そんな二人を制止しながら、妻子の無い老ドワーフバラスはのんびりと首を傾げ――人生の選択によってはいたかもしれない、可愛いドワーフ娘を想像してみたのだった。
――約十分後――
「……それで結局、王庭騎士ハウルグの暴走は、大まかな意味では不問に処したのですね陛下?」
「ああ、問題ねぇだろ? なぁバラス爺?」
「左様にございますな」
仕切り直した魔王と宰相と後宮大臣は、閉じられた私室の中で語り合っていた。
「魔王陛下の寵臣たる高貴な騎士様が、無実の一兵卒達を救うため命懸けで騎士の不名誉を犯し、その心に打たれた美しき姫君が、救いの手を差し伸べる。……下々の者達を楽しませ、魔王家と騎士達の人気を上げる話題としては、中々でございましょう」
ヒゲをさすって鷹揚に答えるバラスに、魔王も笑って頷く。
「だよなーっ。こっそり見に行ったら、もう城下町で吟遊詩人が歌を作ってたぜっ。やたらハウルグが清廉潔白な『騎士様』にされてたのは笑ったけどなっ」
「魔王がこっそり城下に行くな。……とはいえ……この件がやたら広まるのはあまり感心せんな。……魔族の上級貴族達の耳に入れば、厄介な事になります」
一方、それを聞くローゼルフォートは少々難しい顔で発言する。
「……ああ、ハウルグもそれを心配して、裁定を求めてきたんだ」
そんなローゼルフォートに返した魔王は、面倒そうにため息をついた。
―……王庭騎士のように地位と力を与えられた特別な魔獣族は、支配者階層である魔族の有力貴族にとっては忌々しい存在。……今回の件が公になれば俺だけでなく、それを口実に仲間の王庭騎士、そしてその主君である陛下へ、攻撃の矛先が向くやもしれませぬ―
「……『だからその前に、この首一つで収めていただきたい。位を剥奪される前ならば、その価値はあるはず』――と、ハウルグの馬鹿野郎、ぬけぬけと言いやがった。……まったく、騎士見習いの頃から育ててきたガキに心配されるほど、俺は頼りなく見えるか?」
「まぁパンツ一枚男には頼りたくないでしょうが」
「おい」
「今更ですね」
肩を竦めたローゼルフォートは苦笑する。
「ハウルグ卿はただ陛下と同僚、それに一兵卒達が大切で、守りたかったのでしょう」
「左様。ハウルグ卿はあれでなかなか情が深い方でございます。……そのために御自分が無茶しがちになるのが、欠点でございましょうがな……ほっほ、お若いお若い」
「ちっ……そんな気遣いいらねぇっての。……悪ガキの無茶に頭を悩ませる方が、死なれるよりずっとましだぜ」
忌々しげに自分の頭を掻いきながらぼやく魔王に、ローゼルフォートとバラスは視線を交わし、少し笑う。――ハウルグを育てた魔王もまた、身内への情が深い事を二人は判っていた。
「何笑ってんだよ? ……とにかくだな、ハウルグの行動は、疑いをかけられた者達の無実を証明し、大隊司令が冤罪を処断するのを防いだ。魔王軍に大いに貢献したんだ。間違ってなかったんだから、魔族の大貴族達にも文句は言わせねぇ」
「だが、魔王直属の騎士にあるまじき暴走をしたのも事実。……実際貴族達が規律を盾に攻撃の口実にする可能性はありますぞ?」
「ふん、――そうなったら、もっと盛っちまえ」
「……とおっしゃると?」
ローゼルフォートの問いに、魔王は挑発的に口角を釣り上げ応える。
「貴族風情には口出しできねぇ『役者』の役割を、派手にしちまえばいい」
「……魔王女殿下ですか」
そうだ、と肯定した魔王は、得意げに純白の羽根を揺らめかせる。
「――こういうのはどうだ? 『この一件の事件解明は、全て次期魔王クローディが導いた事だった!! 彼女はリリエの街に着いて事件を知ると、神憑り的な慧眼によって一瞬で全ての真相を見抜き、部下達を救おうとしているハウルグを呼び寄せ、力を合わせて解決に当たったのだった!!』」
本人が聞けば全力で否定しそうな事を、魔王は活き活きと語った。
『……あの魔王女殿下が? ……ないわー』
『……無いでしょうなぁ』
と内心で思いながらも、ローゼルフォートとバラスは、魔王の与太話の利点にすぐに気付く。
「……つまり、魔王女殿下に全功罪を背負ってもらおう。ついでに魔王女殿下の英雄神話もでっちあげようという事ですね、魔王陛下?」
そういう事だ!! と魔王は断言した。
「これなら貴族共も文句は言い辛いだろ!! 古来から王族の修行の旅といえば、偉業が付きものだからな!! ここは次期魔王の英雄伝説その①として、あちこちに流布してどんどん盛り上がっちまえ!!」
本人が聞けば転げ回って嫌がりそうな事を、魔王は計画していた。
「……まぁ、確かに下手に隠蔽するより、派手にぶち上げた方が真相が誤魔化せるか……」
「ふむふむ、公式に肯定も否定もしなければ、あくまで『巷間の噂』で通せますしのう……」
そしてその魔王を、宰相と後宮大臣も止める気はなかった。
「ついでに『魔王の威容に触れ自分の過ちに気付いた高貴なるエルフが、その後執政官として努力を重ねバース連合国の復興に貢献した』――とかいう後日談も付けておけば、魔王の国有力貴族の血筋である、エアノール大隊司令の評判も悪くはならねぇ。――どうだ、これで貴族側のメンツも立つだろっ?」
魔王の計画を聞いていたローゼルフォートは、ふと眉根を寄せて口を挟む。
「……お待ちを、まだエアノール卿が立派な執政官となるかは判りませぬ」
「なるだろ、あの生真面目な若造なら。あいつは少々視野が狭いが、努力家で自分の過ちと向き合う勇気もある。これから下の者達の忠告をきちんと聞いて経験を積めば、きっと良い為政者になれるさ」
「……」
「……自分の甥が心配か?」
「っ――し、私情はありませぬ!」
図星を突かれたローゼルフォートは、慌てて誤魔化した。
ローゼルフォートの愛妻はラーシュエルフ族長の娘であり、ローゼルフォートはその兄の息子だった。
――実はエアノールを魔王女の後宮に送る手駒候補の一人として考えていたローゼルフォートとしては、現状は中々悩ましい。
「そっか? ……まーあの坊主は王配候補としては小粒だが、見込みはある。今はがんばり所だと、応援してやれ」
「……おおせのままに」
すっかり見透かされていた事を苦く思いながらも、エアノールは取り澄ました顔で頷き、魔王に応じた。
「――にしても、エアノールの執政官官邸に雇う人族の数が少ないのは、少々問題だな。執政官の手元で召し抱える人族、特に教育する予定の子供は、エアノールの将来の手駒、行政官候補だぜ。柔軟で優秀な子供達を、今の内一人でも多く得ておかねぇとなぁ」
「……あれは人族嫌いですから。……逆に、少数でも雇ったという事は、その数少ない人族を、エアノールが見込んで信用したという事です」
「ほっほ、少数精鋭も、信頼関係を築くという意味では案外悪くないやもしれませんな。……なんにしろ、人と魔の溝はそう簡単には埋まりませぬ。共存を臨むならば、気長にやっていく他ないでしょう」
「――よし!! そのためにも英雄伝説だ!! 英雄伝説!!」
そして真面目な方向に流れそうになった話題をブツ切るように、魔王は立ち上がって叫ぶ。
「人と魔の狭間で起こる惨劇を、次期魔王とそのお供達が華麗に解決!! この噂が大陸全土に広まる事で、魔王の国が決して人族の敵ではない事も伝わっていくだろう!! ――ってわけで、吟遊詩人だ、吟遊詩人達を呼べ。あ、あと旅芸人と役者と踊り子達もだなっ」
「なるほど、ネタの投下ですな。行商人達を通じて、人族領域にも伝えさせましょう」
「……こうやって、実像とはかけ離れたスーパー英雄像が、各地で一人歩きし始めるのですね……」
こうして本人達が知らない場所で、楽しく歪んだ情報配信は開始される。
「――ひぃっ?!」
「ど、どうしたキョウ姫っ?!」
「な……何かとんでもない悪寒がしたような。……具体的には……国の頂点に立つ裸男が……何がとんでもなく迷惑な事を始めたような……」
「……それはまた、本当に具体的だな……」
「ど、どうしましょうザイツさんっ?! 直接確かめた方がいいんでしょうか? ……でもまた全裸だったらやだしなー……本当に隠さないからなー……」
――魔王女一行にその迷惑が届く事になる日は、遠くない。
魔王「結末をちょっと変えた限定版も配信しとこーぜっ♪」
大臣「お供達のスピンオフもよいですの~♪」
宰相『……子馬、かわいいな……娘に買ってやりたい』




