44 聖都周辺で何かがおかしい
――ゼルモア神聖教国。
占領下の聖都ゼーレル、その最奥にそびえ建つゼーレ教大神殿は、戦火で焼け落とされる事無くその姿を保ったまま静寂に包まれている。
「……聖女様……聖女リュシエンヌ様……」
「……泣くでない……ここに我が身尽きるも……全て主の思し召しである」
その最奥に位置する自らの寝室で、老婆は病魔に冒された身を横たえ、静かに最後の時を待っていた。
「……我が無力と不徳が……ゼーレ教団の道を誤らせ……魔族にこの聖なる祈舎を……蹂躙させた。……死して後主の審判に……この身を委ねるは……我が責務である……」
聖女リュシエンヌ。ゼーレ教団と光神ゼーレを結ぶ祈りの象徴、『聖女』の地位にあるこの女性は、大神殿の実権を握る実際のトップ『教皇』とは違う意味でゼーレ教信徒達から崇拝される、ゼーレ教団の精神的指導者だった。
「そんな!! 聖女様は誰よりもこの戦争が破滅に繋がると、開戦してはならないと、必死に訴えておられました!!」
「そうです!! その忠告に耳を貸さず、聖女様を療養の名目で神殿の奥深くに幽閉したのは、現教皇共ではありませんか!!」
「――『聖輝』からの神託もまともに聞き取れなくなった耄碌婆――などと!! ――あっ、すみません!!」
「ほほ……よいよい。……愚かな婆には違いあるまい。……我がもう少し賢かったならば……良策を練り……開戦を阻止できたであろう」
「……聖女様……」
「……何もできなかった事も……罪なのだ。……我無力の罪は……とても重い……」
ゼーレから授けられた祝福の証『聖輝』を額に宿し、教団と信徒達、そして人族領域の平和と安寧を祈り続けて来た聖女リュシエンヌ。
彼女は今、敗戦した信徒達の今後を憂いながら、自らの命が砂時計の砂が落ちるように尽きてゆくのを感じていた。
「――魔王陛下のおなりであります」
「――!」
そんな聖女の思考は、出入り口前に立つ魔王軍兵士の声によって遮られる。
「魔王……」
「邪魔をするぞ、聖女」
相対する聖女への礼儀を感じさせる、上品だが慎ましい装いの魔王がドアから入って来た。
「っ尊い女性の寝室に踏み込むとは無礼な!!」
「聖女様への狼藉は許しません!!」
異性なら目を奪われずにはいられない美貌の男に、だが聖女の傍に控えていた尼僧達は、激昂してその前に立ちふさがる。
「やれやれ……幽閉先にまで付き従った聖女付きの尼僧達は、気が強いな。悪いがお嬢ちゃん達、オジサンのご指名はそこの聖女様なんだ。お前達はちょっと外に出て、待ってな」
「誰がお嬢ちゃんですか!!」
「わたくし達は例え殺されても聖女様の末期を汚させは――きゃああ!! 離しなさい!! 離して!!」
騒ぐ尼僧達だったが、捕虜として魔力を封じられている身ではろくな抵抗もできないまま、魔王軍の兵士達に部屋の外へと連れて行かれた。
「……男を知らぬ乙女達に……乱暴はやめてもらいたい」
「しねぇよそんな事。姿はちょっと怖いが、俺の兵士達は紳士なんだぜ?」
「……魔族など、信用できるか」
「変わらねぇなぁ、そういう所。……ああでも、六十年前のバインバイン姉ちゃん時代なら、蔑みの言葉と同時に聖属性攻撃魔法が来たか」
「……もはや、その力も無い」
「……そうみたいだな。……全く人族ってのはむかつくぜ。……あんなにいい女だったのに、すぐに婆になっちまいやがって。やっぱ口説いとけばよかったかなっ」
「……ふん……よく言う……」
心の底から残念そうに言う魔王に、聖女は怒りと呆れと喜びが入り交じった複雑な感情を覚えながら、ため息をついた。
――そして自分がまだ若く無鉄砲だった頃、何度も敵として対峙したこの男に本気で口説かれたらどうなっていたかと、ほんの一瞬だけ思う。
「どうした?」
「……なんでもない。……教皇は数々の罪状を上げられた上で処刑なのだろう? ……我の事を処刑したいならば、早うせよ。……病に先を越されるぞ」
「戦争を止めようとして幽閉され、病気を悪化させたあげく遅効性の毒でジワジワ味方に殺されかかって、もうどうしようもないお前に、これ以上何かする気はねぇよ」
「……毒の事まで、知っていたか」
「魔王の国の情報収集能力なめんな」
「……なるほど、これでは勝てぬはずよのぅ」
聖女は自国の敗北を改めて悟る。
血筋で選ばれ、典礼と誇りで凝り固まり、戦場で取った首数のみを競う旧弊な聖騎士団は、実力で統率された魔王軍の組織力に散々玩弄され、そして殲滅された。
「……それならば」
――なにをしに来た?
予想はつく疑問を視線に込め、聖女は魔王を見上げる。
魔王は聖女の予想通り、聖女を見下ろしながら静かに言う。
「……聖女、『聖輝』を渡せ」
「……それは、無理な命令だな」
どこか余裕なく、真剣な表情の魔王に微かな嘲笑を浮かべ、聖女は返す。
「……もっとも、いかなる命令であろうと……ゼーレの聖女が……敵である魔王に従う訳にもいくまいが……」
「聖女、俺は真剣に言っている。……これはお前が望む、ゼーレ信徒達の平和と安寧にも繋がる話だ」
軽口めいた聖女の言葉に対し、話を逸らさせない真剣さで、魔王は言葉を続けた。
「代々の聖女に受け継がれる光神の御印『聖輝』。……あんたの額にあるその輝きは、ゼルモアの残党達が再起するのに、恰好の旗印になっちまう。……ようやく終結した戦争を再燃させるわけにはいかない。だからこそその危険物は、俺がもらってきっちり封印する」
聖女はじっと魔王を見つめ、弱々しく言葉を吐く。
「……我の力では、どうしようもない事だな。……この『聖輝』は、高位神官数十人がかりの複雑な儀式によって継承され……一度継承してしまえば……聖女の死によってしか……その身体から離す事はできぬ」
その儀式すらできない今となっては、『聖輝』がどうなるかは判らない。
死の床に伏せる老女の声は悲しげで、聞く者の憐れを誘う。
「――嘘だな」
だがそれに心動かされる事無く、魔王は真剣に言う。
「……なんらかの儀式で継承させるってのは本当だろう。……だが、『一度継承してしまえば、聖女の死によってしかその身体から離す事はできない』ってのは、嘘だ聖女」
「……何故そう思う?」
どこまで内情が知れているのか判らない聖女は、静かな声で慎重に尋ねた。
魔王は答える。
「――お前が一時、『聖女』でなくなったからだ――別の女に『聖輝』を継承させた。――でもその数時間後には、再び聖女に戻っている」
「――っ」
「……そしてその『数時間だけ聖女だった女』は、死んでない。……少なくとも、生きている状態で『聖輝』を身体から離したのは事実。――だろう?」
――それは、大神殿でも最も厳重に隠蔽された機密だった。
流石に驚き声を失った聖女は、やがて険しい目を魔王に向け、確かめるように言う。
「……大神官位以上の、誰かかから聞いたか。……助かるために、ようも敵にベラベラと話したものだ。……恥知らずが」
「そこに関して言えば、同意だけどな。……一体何があったんだ聖女? どうしてその女は、御印を継承してすぐそれから離れたんだ?」
「……何も話すことはない」
激昂を押さえこむように静かに返した聖女は、魔王から視線を逸らして閉じた。
――……リュシエンヌ様……――
その脳裏に浮かぶ少女に、苦い哀切を感じながら唇を噛み締める。
魔王の言う通り、リュシエンヌはかつてその少女に聖女継承の義を行った。
『……あの……憐れな娘に……』
――いや、命令に逆えず行わされた。
「……例えお前が聞いた通りだったとしても……魔王、お前に『聖輝』は渡さぬ」
その感傷を殺し、聖女は魔王の申し出を静かに拒否する。
「……逆らえば、お前の側付きの尼僧達が、悲惨な目に遭うって言ってもか?」
「……らしくない事を言うな……魔王よ」
「ああ、好きなやり方じゃない。だが必要なら、躊躇わない」
そして目を開けると真剣な目線を逸らさない魔王へまた視線を戻すと、意識して嫌な薄笑いを浮かべ、返す。
「……そうなったならば……彼女達にはあの世で詫びるとしよう。……我が主の御印『聖輝』を……悪用させるわけにはいかぬ」
「そんな事はしねぇ!」
「……信用できぬ」
「――っ」
「……お前が約束を守っても……お前の子、孫、子々孫々の魔王を……我は信用する事ができない……魔王」
それは悲しい本音だった。
聖女は魔王を、信用に足る男だと理解できていた。――だがそれはあくまで魔王自身への信用であり、魔王の次代、そして魔領域の者達全員に対してではなかった。
「……儀式無く我が死ねば……この御印がどうなるかは判らぬ。……だが我は……お前よりも……主の思し召しを信じる。仮に継承されたならば……継承した新たな『聖女』を……我は信じる。……それが……信徒達の平穏に繋がると……信じておる……」
「聖女……」
――聖女はあくまで人族であり、ゼーレ教徒であり、そして魔族を敵として認識する、聖職者だった。
民の平穏を望む者同士、相通じるものは確かに感じながら、聖女と魔王の間には、深い溝が存在していた。
「……ぐ……ぁ……げほ……うぐ……」
「聖女っ!」
聖女の喉から、微かな呻き声と共に苦しげな咳が吐き出された。
再び目を閉じ浅い呼吸を繰り返すその顔色は、明らかに悪い。
「くそ!! 医師を呼べ!! 死ぬな聖女!!」
聖女の口が何かを呟き、閉じられる。
医師達に囲まれていたその小さな老婆には、もはや話す力は残されてなかった。
「陛下、患者の集中治癒に入りますが……もはや時間の問題でしょう」
「……判ってる。……覚悟してる女だ。……ゴーストになってその辺を彷徨く事もあるまい」
医師の一人の報告を受けながら、小さく魔王は首を振った。
「……お前が約束を守っても……か。……俺とお前の友情だけじゃあ、どうしようもねぇんだよな。……リュシエンヌ」
魔王の脳裏で、目元のきつい美女だった若き日のリュシエンヌが浮かび、そして消えた。
「聖女様!! 聖女様ー!!」
「魔王!! 貴様何をしたー!!」
部屋に飛び込んで来た尼僧達が、兵士達に取り押さえられながら泣き叫ぶ。
「……陛下……いかがしますか?」
念のため拷問の用意をさせていた側近の一人が、魔王に問う。
「……そこの頑固婆が、死なせたくない娘達に何かを伝えてるとも思えないな。……尋問はしろ。だが決して乱暴はするな」
「御意」
冷静な口調に戻った魔王に、やはり側近は冷静に返し頭を下げた。
やがて周囲の者達が慌ただしく各自の勤めを果たし始め、それを見回した魔王は部屋から出て、皆に判らないよう秘かに舌打ちする。
『くそ……時間が足りなかったか。……リュシエンヌの体調が少しでも回復してから聴取を、と考えたのが裏目に出た』
魔王の国の最新医術を駆使しても、病魔と毒に侵された聖女の体はどうする事もできなかった。無理にでも事情聴取すべきだった、と後悔しながら、魔王は今後の事を考える。
『……光神ゼーレの御印『聖輝』……強力な魔力は感じるが、歴代の聖女がその力を使ったって記録は、実は全く無いんだよな。……得体が知れない分、きちんと回収したかったんだが……実際リュシエンヌが死ぬと、あれはどうなるんだ……――っ?!』
魔王軍の結界で幾重にも守られていた聖女の部屋から、周囲を吹き飛ばすような強力な衝撃が発せられたのは、まさにその時だった。
「陛下!!」
「――ああ、大丈夫だ」
咄嗟に壁になる兵士達に頷き、魔王は制止される前に聖女の部屋へと駆け込んだ。
「まっ魔王陛下お待ちを! 危険でございます!」
「悪ぃ。――でも確かめねぇと」
部屋はまるで台風でも襲ったようにメチャクチャになり、部屋主の人柄を思わせる上品な家具は、無惨にも破壊されていた。
「――っ」
怯えて兵士に助け起こされている尼僧達の横をすり抜け、聖女が横たわっている寝台を覗き込んだ魔王は、息を飲む。
『……リュシエンヌ……お前の命と共に……』
聖女は事切れていた。
――そしてつい先程まで聖女の額に輝いていた光の宝玉は、無くなっていた。
「誇り高き聖乙女……せめて安らかな眠りを」
爆風で乱れた寝具を直し、聖女の両手をきちんと組ませた魔王は、跪いて自分が信じる神の一礼で弔意を示すと、すぐに立ち上がり側近に命令を下す。
「王宮に戻る。猫を――各国に放った忍の元締め達を呼べ」
「御意!」
冷静な魔王の声には既に、後悔も感傷もなかった。
―数時間後―
古びた聖堂で祈る一人の尼僧は、異常な高ぶりを身体に感じながら、目の前で輝く小さな宝玉に打ち震えていた。
「……ああ……主よ……我ら人族の守り主よ……我が祈りをお聞き届け下さったのですね」
年の頃は十六、七か。尼僧は柔らかそうな鳶色の髪と澄んだ翠瞳を持つ、育ちの良さそうな美少女だった。
瑞々しい白い肌を清楚な尼僧服に包んだその姿は、本来ならば見る者に庇護庇護欲を抱かせるような、儚げな愛らしさがあっただろう。
「……このわたくしに……憎き魔領域のバケモノ共を皆殺しにせよとおっしゃるのですね。……ああ……お任せ下さいませ……必ずや……聖都を汚したあいつらクソ魔族を引き裂いて突き刺して吊して燃やして溺れさせて埋めて潰してすり潰して削いで切り刻んでねじ切って搾り取って溶かして殺して蘇生させてまた引き裂いて突き刺して吊して燃やして溺れさせて埋めて潰してすり潰して削いで切り刻んでねじ切って搾り取って溶かして殺して蘇生させて必ずやその大罪を思い知らせてやります……ふふ……うふふふ……」
だがその目に宿る狂信的な光と恍惚とした口調は、その姿をどこか禍々しく、凄惨にしていた。
そしてその少女に応えるように、一際大きく輝いた宝玉――『聖輝』は少女の額に宿りその身体を聖光と強大な魔力で満たす。
「あ……あああああ!! 我が主よ!! わたくしに語りかけて下さったのですね!! わたくしは信徒を導き魔領域を滅ぼすため、見出されたのですね!!」
それは少女にとって、まさしく神託だった。
「……ねぇ……貴方もそう思いますよね? ……早くわたくしの力になっていただきたいのに……貴方はどうしてお返事を下さらないのかしら……ザイツ?」
――そしてどこかの小狡い人族(♂)にとっては、逃れる事のできない女難の前触れだった。
「へっくしっ」
「風邪ですかーザイツさんー?」
「そうかな……なんか、すげー寒気が……」




