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第十九章:不純な動機の図書館員


「……ふむ。あのラドクリフが、家宝のように隠し立てする女か」


放蕩息子として名を馳せるヴィンセントは、退屈しのぎに王立図書館の門を潜った。

彼の目的はただ一つ。親友アルリックが独占して離さない婚約者、エラ・バーネットを「からかう」ことだ。


ヴィンセントは、アルリックのような重厚な色気とは対照的な、軽やかで華やかな魅力を持つ男だった。数多の浮名を流してきた彼は、密かにアルリックに対抗心を燃やしている。


「アルリックの色気に毒されて、判断を誤った地味な令嬢……。僕が少し優しく微笑めば、すぐにこちらへなびくのではないかな?」


そんな不純な動機で、彼は静謐な空気が流れる書庫の奥へと足を進めた。




第二十章:謎めいた沈黙


書棚の陰に、目指す影はあった。

エラは、分厚い革表紙の本を数冊積み上げ、熱心にページを捲っている。彼女の横顔は、確かに友人たちが言う通り「素朴」だった。派手な化粧もなく、光を反射する宝石もない。

だが、彼女が読んでいる本を見て、ヴィンセントは眉を上げた。

『中世帝国の歴史』『触媒の化学』……そして、一番上に置かれているのは、泥臭い装丁の『塊茎類の多収穫栽培法』。


「やあ、バーネット嬢。こんな場所で君のような淑女に出会えるとは、本の世界も捨てたものではないね」


ヴィンセントが極上の笑みを浮かべて声をかけると、エラはびくりと肩を揺らして顔を上げた。


「……ヴィンセント様? アルリック様の、ご友人ですよね」


「光栄だね、覚えていてくれて」


エラは警戒の色を見せたが、「アルリックの友人」という言葉に少しだけ表情を緩めた。

だが、ヴィンセントが彼女の手元にある農業の本に指を触れようとした瞬間、エラは慌ててそれを隠した。


「何を読んでいたんだい? 歴史かな、それとも……熱烈な恋愛小説?」


「……ええと、その。あまり、人にお話しするようなものではございませんので」


エラは言葉を濁した。

アルリックから「ジャガイモの話を他の男にするな」と、理由は不明だが厳命されていたからだ。

だが、その「かわし方」がいけなかった。


困惑して頬を微かに染め、湿り気を帯びた瞳で視線を逸らしながら、秘密を守るように本を胸に抱きしめる。その仕草は、ヴィンセントの目には「他人には言えない秘め事」を持つ、ひどく艶めかしい女性の姿に映った。


(……ほう。ただの地味な女かと思っていたが、この拒絶の仕方は……そそるじゃないか)


ヴィンセントの狩猟本能に、火がついた。




第二十一章:甘い制裁


ヴィンセントは距離を詰め、エラの耳元に顔を寄せた。


「隠されると、余計に中を覗きたくなるのが男というものだよ。アルリックには内緒で、僕にだけ教えてくれないかな?」


彼の軽薄な囁きに、エラは気が気ではなかった。

ここは王立図書館。周囲では司書たちが目を光らせ、他の利用者もチラチラとこちらを盗み見ている。このままヴィンセントが騒がしく口説き続ければ、自分だけでなくアルリックの顔にまで泥を塗ることになりかねない。


(どうしましょう。早く黙っていただかないと……!)


焦ったエラは、無意識に、そしてあまりに唐突な行動に出た。

彼女はすっと顔をヴィンセントの唇のすぐ近くまで寄せると、自分の白く細い人差し指を、自らの唇にそっと当てた。


「……っ」


ヴィンセントの思考が停止した。

至近距離で放たれる、石鹸の香りと、彼女の柔らかな吐息。

エラは潤んだ瞳で彼をじっと見つめ、熱を帯びた声で、震えるように囁いた。


「……しー。ヴィンセント様……。ここでは、声を殺して。……静かになさってくださいませ」


彼女の意図は単純だった。「静かにしてほしい。お話なら外でお茶でも飲みながら(他の方と)すればいいのでは」と言いたかった。

だが、その「声を殺して」という響き。そして唇に指を添え、懇願するように見上げる眼差し。それは、どんな熟練の娼婦よりも深く、ヴィンセントの心臓を撃ち抜いた。


「……ああ……そんな……」


ヴィンセントは、不覚にもその場で膝をつきそうになった。

彼は今まで、華やかな色香には慣れていた。だが、この「素朴な皮を被った、底知れない妖艶さ」の不意打ちには、何の免疫もなかったのだ。


(なんだ……この女。アルリックが独占したがる理由が、今、分かった。……これは、劇薬だ。一度味わえば、もう戻れない……!)


ヴィンセントは、顔を真っ赤にして立ち尽くした。

親友への対抗心など、どこかへ吹き飛んでいた。ただただ、目の前の地味なはずの令嬢から放たれる「上品な毒」に、完膚なきまでに叩きのめされていた。




第二十二章:魔王の気配


「……ヴィンセント。僕の婚約者に、何か用かな?」


背後から、氷点下まで凍りついたような声が響いた。

アルリックだ。彼はエラが図書館にいると聞き、案の定心配になって駆けつけたのである。

アルリックの放つ、凄まじいまでの「嫉妬の色気」が図書館の書庫に充満する。


だが、ヴィンセントはいつものように軽口を叩くことができなかった。彼は魂を抜かれたような顔で、アルリックを仰ぎ見た。


「……アルリック。お前……ずるいぞ。こんな、こんな最高な……」


「黙れ。帰れ。二度と彼女に近づくな」


アルリックはヴィンセントの襟首を掴んで引き剥がすと、エラの肩を抱き寄せ、縄張りを主張するように強く抱きしめた。

エラは、何が起きたのか分からず、ただアルリックの胸に顔を埋めてホッと息をついた。


「アルリック様。ヴィンセント様、急に黙り込んでしまわれて……。どこか体調が悪いのかしら」


「……彼はただ、君の『毒』に当てられただけだよ、エラ」


アルリックは、エラの指先を取り、彼女が自分の唇に当てたその場所に、熱いキスを落とした。

その独占欲に満ちた仕草。

素朴な容姿に、無自覚な魔性を宿した令嬢。

そして、彼女を守るために、ますます色気の猛獣と化していく伯爵。


ヴィンセントという「死屍累々」の一人を加え、二人の恋路は、今日もまた周囲の男たちを狂わせながら、激しく、甘く加速していくのだった。


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