1,俺は静かに暮らしたい
生きてると、信じられないことがある。
とても珍しい病気だった。
余命は長くなかった。
宝くじが当たった。
ゲームに全部課金した。
あれ、なんだっけ。
あー、そうだ。
そういえば、もう死んだんだった。
息苦しさも痛みもない。
きれいさっぱり消えている。
それにとても静かだ。
死ぬのも悪くないな。
「ようやく覚醒したようだな」
唐突に声が響いた。
振り返ると、空間の境界が曖昧な場所に白い塊が浮いていた。
「誰、ですか」
驚きのあまり、ひび割れた声が漏れた。
「誰とは、こちらが聞きたいことだが。まあいい、お前はどこから来た」
偉そうな口ぶりだ。
初対面で「お前」と呼ぶやつは嫌いだ。
それに「まあいい」じゃないだろう、質問に答えろよ。
頭の中では文句が湧いてくるが、それを口にするほど俺の会話能力は高くない。
「どこから来た?」
今度の言葉には、肌を直接針で刺すような圧力が伴っていた。
たまらず、喉の奥から空気が押し出される。
「ち、地球」
「チチキュウか、聞いたことがないな」
チチキュウじゃない。
「さて、来てしまったものは仕方がない。この世界で暮らすといい。ただ、そのお前が身に着けてるものは駄目だ。エネルギーが大きすぎる。特にその人差し指の指輪は異常だ。すべて破棄させてもらう」
俺は初めて自分の姿を確認した。
両手の指輪、漆黒のローブ、腰の剣と杖。
死ぬ直前までログインしていたゲームのキャラクターの姿だ。
湯水のごとくリアルマネーをつぎ込んだ、課金の結晶。
特に右の人差し指の指輪は、アイテムを千種類収納できる上に、どれほど巨大なものでも一種類として放り込める。
実際、この中には城まで入っている。
これを破棄するなど、天地がひっくり返ってもありえない。
だって、死ぬほどかっこいいのだから。
「すべて破棄する、いいな」
俺は黙り込んだ。
「いいな」
強烈な圧力が全身にのしかかる。
手足が震えた。
だが、言葉は出ない。
俺は誰かと面と向かってコミュニケーションを取るのが、致命的なまでに苦手なのだ。
「なかなか強情なやつだな。いくら黙っていようと破棄することに変更はない」
世界のバランスと言われると多少マズい気もするが、交渉の言葉は出てこない。
「前に来たやつは力を願ったことがあった。お前にも一つ力を与えてやる。それでどうだ」
テンプレ展開だ。
俺は黙り続けた。
神のような存在なら、いっそ心を読んでくれればいいのに。
「私がこれほど譲歩しているのにだんまりを続けるつもりか」
ついに白い塊も黙り込んだ。
どれほど時間が過ぎたのか分からない。
気まずい。
そんな後悔に思考が沈みかけたとき、右手の指先が動いた。
いや、動かした覚えはない。
指輪が、勝手に反応した。
収納されていた装備が次々と実体化していく。
重厚な黒鎧が纏わりつき、兜が頭を覆い、大剣が腰に収まる。
両手の指輪が強烈な光を放ち、全身から何かが溢れ出す感覚がした。
捨てろと言うなら、せめてこれがどれだけかっこいいか見せてやろうと思っただけだ。
「……っ」
白い塊から声にならないノイズが漏れた。
同時に、全身を押しつぶしていた重圧が嘘のように消えた。
長い沈黙のあと。
「……好きにしろ」
静かな声が落ちてきた。
「ただし、その指輪が世界に影響を与えても私は関知しない。自分でなんとかしろ」
それだけ言い捨てると、白い塊は霧散するように消えた。
あ、行った。
言葉は一言も発していないのに、大きな勝負に勝ったような達成感がある。
かっこいい装備が神に認められたのだろう、悪くない気分だった。
───
気がつくと、足の下に湿った土があった。
泥の匂いと、青臭い植物の香り。
木々の向こう、西の方角に街が見える。
嫌だな。
東へ目を向けると、地面が低くなっていて湿った空気が漂っていた。
沼地だ。
人の気配がない。
俺は迷わず東へ歩き始めた。
───
湿地帯の中央、少し地面が隆起した乾いた場所で、俺は指輪に意識を向けた。
城があるはずだ。
頭の中でそれを外へ引き出すイメージを描いた瞬間。
地面が、悲鳴を上げた。
足元の土が激しく隆起し、沼地の水面が大波を立てて四方へ弾け飛ぶ。
轟音が同心円状に広がり、木々が根元からしなって葉が嵐のように舞い上がった。
地平線の向こうまで、大地が震えた。
その震動の中心に、黒い城が出現した。
光を吸い込むような城壁。
鉛色の空を突き刺す尖塔。
どこからどう見ても魔王の城だ。
まあ、そういうキャラなのだから当然だ。
城を見上げながら、小さく息を吐いた。
悪くない。
その直後、沼地の魔物たちが一斉に動いた。
水面が割れ、茂みが揺れ、泥が跳ね上がる。
あらゆる方角から、あらゆる種類の魔物が、我先にと沼地の外へ向かって逃げ出していった。
誰も俺には目もくれない。
ただ、全力で逃げている。
───
北の街道。
商人が荷車を止めて南の空を見た。
地平線の向こうが揺れていた。
次の瞬間、街道の脇から魔物が飛び出してきた。
一匹、二匹、十匹、二十匹。
様々な種類が、北へ向かって我先にと走り抜けていく。
こちらには一切目もくれない。
護衛の男が剣の柄に手をかけたまま、蒼白な顔で呟いた。
「逃げろ」
───
ファルネイスの城壁都市、外れの安宿。
旅装束の若い男が、ベッドの上で目を開けた。
揺れを感じたわけでも、音を聞いたわけでもない。
ただ、何かが変わった気がした。
男は起き上がり、南の空を眺めた。
しばらく眺めてから、独り言のように呟いた。
「……南か」
その横顔に、困惑とも苦笑ともつかない複雑な色が浮かんだ。
───
バイサーヤ教の神殿、深夜の礼拝堂。
瞑想中の神官が目を開けた。
震える手で羊皮紙に書き殴った。
「南に、何かが目覚めた」
───
城門が軋み音を立てて開いた。
三つの人影が歩み出てくる。
白髪の老執事。
大きな瞳のメイド。
そして、俺と全く同じ装備をした何か。
老執事が深々と頭を下げた。
「お帰りなさいませ、カキンオー様。長らくお待ち申し上げておりました」
その声が、直後にピタリと止まった。
老執事の目が、俺の姿を上から下まで確認する。
黒鎧も大剣もマントも、どこにもない。
少し痩せぎすの、ただの青年が立っていた。
「……これは」
メイドが大きな瞳をさらに見開いた。
「カキンオー様……ですよね?」
俺は黙って立ち尽くした。
老執事が素早く表情を戻した。さすがというべきか、驚きを飲み込む速度が尋常ではない。
「失礼いたしました。長旅のご疲れもおありでしょう。どうぞ中へ」
メイドが胸の前で手を組み、深く頭を下げた。
「ご主人様……! ご無事で何よりでございます。どのようなお姿であろうと、私はいつでもご主人様のお傍に……!」
顔を上げた彼女の目には、大粒の涙が浮かんでいた。
俺は黙っていた。
どう反応していいか分からない。それ以外に何ができるというのだ。
老執事が、一瞬だけ目を伏せた。
「……なるほど」
何がなるほどなんだ。
「お言葉は不要、ということですね」
違う。
老執事が滑らかな口調で続けた。
「カキンオー様のお力ならこの地の支配はすぐに終わります。まずは城の方へ。中は常に整えてあります」
それも違う。
だが、ありがたい。
主人が不在の間も、業務をこなしていたのか。
「地下のお部屋はいつでもご用意しております。どうぞごゆっくりお休みください」
地下の部屋。
その響きに、俺の心が強く反応した。
窓がない。
外の光も、風の音も、人の声も、何一つ届かない空間。
病院でも、ゲームの中でも、ずっとそういう場所を求めていた気がする。
俺は三人の間をすり抜け、ひんやりとした城門の奥へと歩き出した。
背後で、城門が静かに閉じた。
───
俺は、地下への石段を一歩一歩降りていた。
石造りの壁が、外の音を完全に遮断していく。
足音が、静かな空気に吸い込まれていく。
地下室の扉を開けると、ひんやりとした暗闇が出迎えた。
窓はない。
物音もない。
誰の声も届かない。
俺はベッドに腰を下ろし、薄暗い天井を見上げた。
静かだ。
完璧に、静かだ。
とりあえず、ここで暮らせそうだ。
それだけで、十分だった。
カキンオー、始まりました。
無口な主人公が何もしないまま世界に恐れられる話です。
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