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2

「へえ。あの人と初めて話したんだ。私はここに住んでるから会うのは土曜日くらいだけど」

「土曜日?」


 私は休憩時間、貴調さんと話していた。彼女は白袴で、私よりも偉くて年上。確か私より二つ上。


「あの男性、怖い人かと思っていたんですけど、今日話してたら意外とそうでもなかったです。寧ろ優しいお父さんみたいな」


 貴調さんは、うんうん、と頷いていた。


「そうねえ。私が小さい頃からいる人だから、私にとってもお父さんみたいな人かも」

「え、でも土曜にしか会えないお父さんってどうなんですか?」

「まあそれもおかしいね」


 貴調さんは歯磨きをすると言って、洗面台の方に向かっていった。彼女が立ち上がってすぐ、使用人の方が「貴調さん、お仕事です」と襖を開けて現れた。


 私は、「貴調さんお呼びですよー」と洗面台の方に向かって言った。「ふあーい」と濁った返事がすぐに返ってきた。流しから流水が聞こえ、その後、洗面台の隣の扉から外に出て行った音がした。


 私は、机の上に置いてあったマドレーヌを一つ手に取る。座敷の上に溢さないようにと、丁寧に口に咥えた。


 貴調さんは、私の憧れでもあった。あんなに美人で、胸も大きくて、身分も高くて、そして私にも他の人にも優しくて、謙虚さを忘れない、何一つ欠けたところのない理想の姿だった。寧ろ、粗探しする方が難しいのだ。


 私も貴調さんみたいな何一つ欠けていないダイヤモンドみたいに輝いている人だったら――恋愛もできるのだろうか。小笠原の言葉が思い出される。また、歪の顔が浮かぶ。


 もう少しここで頑張ってみようと思った。生きるために働いているなんてなんだか少し寂しい。少しぐらい充実したものを手に入れたいと思えてきた。


 もし、私が白袴を着て歪の前に現れたら、彼は何と言うだろう。彼もまた偏見を私に向けるだろうか。いや、そんなことはない。学校で私に父親がいないのを知っているのは先生と歪ぐらいだ。彼はそれを知っても、何一つ変わらない態度で接してくれている。


 そう考えると、歪もまた、貴調さんみたいな人だった。基本無口。話さない。話しかけるとちゃんと優しく答えてくれる。容姿も悪くない。


 あ。


 彼女いるんじゃないか。一番重要なところだった。自分があれだけいいと思っている人を学校の女子が放っておくとは思えなくもなかった。私より後に目をつける人がいるだなんて傲慢も烏滸がましい。


 明日聞いてみよう。そう思った。


 襖がすっと、開いて誰かが入って来た。


「あれ、貴調さん」

「なんか怒って帰っちゃったみたい」


 目尻に皺を寄せてそう苦笑いしているが、おそらく嘘だろう。貴調さんほどの人が客を怒らせるはずがない。誰に対しても謙虚としきたりを忘れない。たとえそれが、汚らわしいことでも。彼女はそれを我慢して表に出さない力がある気がする。


 気がするだけなのだが。


「貴調さんって恋愛とかしたことあります?」

「恋愛? 私そういうの疎くて。菜月ちゃんは誰か好きな人でもいるの?」

「いるって訳じゃないんですけど、明日告白しようかなって思ってて」


 それを聞いて、貴調さんは「ええーすごーい」と目を開いて手を叩いていた。


「こんな仕事していますし、さっき小笠原さんに『恋愛できるのも今ぐらいだぞー』って言われたこともあって、感化されたというか。ちょっと私も頑張ってみようかなって思いまして」


「へえー。あの人とそんなこと話すんだ。私まともに話したことないよ」と貴調さんは笑っていた。でも加えて、


「でもね、菜月ちゃん。こんな仕事なんて言っちゃダメだよ。どんな仕事にも辛いはつきものなんだから、誇り持ってやらなくちゃ。置いてかれちゃうよ」


 少し、貴調さんがすごく遠くの人のように思えた。


「まあ、こんな外の世界も知らない私が何言っても説得力ないんだけどね」

「そんなことないです。すごく勉強になります」


 やっぱり私の憧れは、理想は、貴調さんだ。それを再確認できた。


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