星空とリュゼと
『青き竜』討伐を終え、アーリアとリュゼの二人は師匠の屋敷へと帰還していた。行きは大峡谷地帯まで《転移》魔術で瞬時に移動し、帰りは師匠が持たせてくれた《転移》の魔道具を使いこれまた瞬時に帰宅したのだった。
残念ながらアーリアの魔術レベルでは未だ《転移》魔術は使えない。暫く前に漸く《転送》を覚えた所だった。その《転送》もまだ未成熟で、小さな石ころ程度の物か手紙くらいしか跳ばせない。等級7と言えど魔導の世界に於いては発展途上の未熟者なのだと、痛感するアーリアだった。身近に息をするように魔術を扱う魔導士が居るので、その差は歴然と思い知らされるのだ。
師匠の屋敷に無事帰還したアーリアたちを師匠は笑顔で迎えてくれた。革張りの椅子に座る師匠は立ち上がることなく、自分の方へアーリアを促した。アーリアは休む間も無く報告を行うことになったのだ。
「二人ともご苦労さま。その様子だと『竜玉』、採って来れたみたいだね?」
「はい。リュゼも協力してくれましたので、竜の額から巧く『竜玉』を取り出す事ができました」
報告という手前、アーリアの口調も自然と改まったものになった。
リュゼはアーリアと師匠の目線を受けて、肩に担いでいた大きな麻袋を机の上に下ろした。その中から赤く輝く『竜玉』をいくつか取り出すと、その一つを師匠へと手渡した。
『竜玉』を手に取ると師匠は鼻にかけたモノクルを覗き込み、品質を確認し始める。暫くするとモノクルを外して満足そうにアーリアを見上げてきた。
「確かに『竜玉』だね。ちゃんと竜を半殺しにしてから取り出したみたいだし、品質は確かだよ?」
「竜の肉体を破壊する方が簡単でしたが、今回の依頼内容は『討伐補助』と『竜玉の回収』でしたので、そのように取り計らいました」
物騒な言葉の数々に、リュゼが少し引いている。
『竜玉』は竜が完全に死んだ状態では、玉に籠る魔力が半減してしまうのだ。魔物の体内から生まれる宝石もそうだが、宝玉は竜の命そのもの。生命力の強い竜は、ある程度の傷なら肉体を再生させることが可能なのは、この宝玉に多量の魔力を溜め込んでいるからなのだ。だからその竜を殺すのならば、肉体の再生スピードを上回るようなダメージを与える必要があるのだ。
しかし目的が『竜玉』の回収なら、竜を殺してしまっては意味がない。アーリアはその事を念頭に置きつつ数ある攻撃魔術の中から、火を用いたもの、半殺し程度に留められるもの、などに絞って扱う必要があった。
それをおいても、元来魔術とは守りよりも攻める方が簡単なのだ。的が大きければ攻め易い。周りの被害さえも気にしなくて良い環境だったので、攻撃魔術を扱うのにうってつけだった。だから『魔術の訓練』などと勝手に銘打って行う事が可能だったのだ。
「……で、どうだったの?『魔法』は使った?」
「魔法の訓練がしたかったんでしょ?」と師匠に問われたアーリアは、残念そうに首を横に振った。
「魔法は使いませんでした」
「それは何故?」
「精霊の濃度が濃かったんです。大峡谷で炎の魔法など使えば、きっと大惨事になっていました」
『青き竜』討伐に訪れた大峡谷地帯では、以前訪れた時より格段に精霊の濃度が上がっていた。水の枯れた川と岩と砂でできた大峡谷に何故これほどの精霊たちが居るのかと驚いたほどだった。
「……そう……やはりね」
「お師様、『やはり』ってどういう意味ですか?」
師匠の思わせぶりな言葉と態度にアーリアは即食いついた。師匠は組んだ手の上に顎を乗せると涼しげな目元を一層細めた。
「『青き竜』は凶暴化……つまり暴走していたんでしょ?それは『精霊の力を体内に取り込み過ぎていた』と言えるのではないかい?」
「ーーなるほど!」
竜族は妖精の一種という見解がなされている。妖精は精霊の力を体内に取り込んでその生命活動を活発化させ、魔法を行使するのだ。
だが精霊には人間が考えるような善悪という概念はない。求められれば求められる程、魔力という対価にその力を貸し与えるだろう。だがそのような過ぎた力は、自然界に大きな影響を与えてしまうのではないだろうか。
「……じゃあ、なぜ大峡谷の精霊の濃度が濃かったんでしょう?」
「う〜ん、それは私には何とも言えないね?私自身が大峡谷に行った訳でも、調査せよとお願いされた訳でもないしね〜」
師匠の言葉に「それはそうだ」とアーリアは納得した。魔導士などやっていると、やれ怪我を治せ、だの、やれ壊れた魔道具直せ、だの気軽に頼まれがちだが、こちらもそのような無償行為はお断りだ。タダで仕事を引き受けていたらご飯が食べられない。使える術があるなら何故それを使わないのか、と理不尽な言葉を投げかけられることもあるが、それは自分に利益がないからなのだ。
魔術の行使に必要な技術料を支払って貰えさえすれば、『依頼』や『契約』として見返りに合っただけの成果を出すだろう。それが魔導士というものだ。
そして辛い事に、世の中の世知辛さの波をモロに受けているのが魔導士とも言えるのだった。
「……まあ、これは私の予測でしかないけど、大山と大峡谷とが地理的に繋がっている事が原因の一つではないかな?これから冬に向かい北の大山から風が流れ込んでくる。その風の流れと共に精霊たちもシスティナに流れ込んできているのかも……」
「……風向きに伴いエステルからシスティナへ『吹き抜ける風の通り道』が出来上がっている。それが『精霊の通り道』とも重なっている、というのがお師様のお考えですか?」
師匠の言葉を受けて導き出したアーリアの考察に、師匠はその表情ににっこりと笑みを讃えた。そして師匠はアーリアをチョイチョイっと手を振って自分の近くまで呼び寄せると、その頭をナデナデと撫でた。
まるで『初めてのお使い』に成功した幼な子にするような所作に、さすがのアーリアも微妙な声を上げた。
「あの〜〜お師様?これは……?」
「スポンジみたいな頭が少しは賢くなって良かったなぁ……って」
「ーーなッ!ヒドイ……」
「ヒドくなんてないよ?私は君の成長を心から喜んでるんだから」
そんな師弟のやり取りを放って、弟子その1はリュゼから『竜玉』を全て預かると何処かへと運んでいく。
リュゼは師弟の仲の良さに微笑ましい気持ちになりながら机に寄りかかって、ぼぉっと眺めていた。例えアーリアと師匠の二人の間に血の繋がりなど無くても、そこには確かな絆があるのだと思えた。
アーリアを見ていると、リュゼの乾いた心が少しだけ暖かくなる瞬間があるのだ。しかし、なんとも言えないその気持ちを言葉に表すことは決してないだろう。
「リュゼ君もこちらにおいで!」
ぼんやりと師匠に構われて嬉しそうにしているアーリアを見ていたリュゼは師匠に手招きされた。リュゼはそれに軽い調子で師匠へと近づいて行くと、なんと師匠はリュゼの頭もナデナデと撫でたのだ。
「……あの〜〜お師匠サン?……コレってどーなの⁇ 僕、これでも成人男性だよ?」
「えーー?な〜んか羨ましそうにしてたからさ〜〜」
さすがのリュゼも二十歳も越えて子どものように頭を撫でられるとは思ってもいなかった。師匠の手を払いのける事はしなかったが、笑顔はそのままに眉を寄せた、かなり微妙な表情をした。それはいつも笑顔を貼り付けて他人から距離を置いているリュゼにしては珍しい光景だった。
リュゼは『長い物に巻かれる』性格をしていると自己申告しているが、正確には誰にも心を許さず適度な距離を置いてそれ以上近づかないようにしているのだ。靡くようで靡かぬその性質からは、彼のこれまでの生き方を想像することはできない。リュゼには孤独や絶望など、生への諦めも見え隠れしていた。
そんなリュゼもアーリアとその師匠には弱い。リュゼにもその理由が何故か分かっていないのだが、特に師匠の言動からは拒否できぬ何かがあるのだった。
暫く両手でアーリアとリュゼの頭を撫でていた師匠は、満足するとその手をスルリと下ろした。
「さてアーリア、話は変わるが等級試験に行っておいで」
「……えっ⁉︎ 今からですか?」
「今からじゃないよ?さすがに私もそんな非道じゃない」
アーリアは師匠の突然の命令に、思わず声を上げた。「今から行ってこい!」と問答無用で《転移》させられるのかと思い、アーリアは反射的に身構えてしまったのは仕方がないだろう。前回の試験時にそのように跳ばされたのだ。今回も前回と同じようにされるのだろうか、と考えてしまっても仕様がないではないか。
「秋季の等級試験が明後日からあるそうだから、送ってあげるよ!」
「そうですか〜〜それなら……って明後日⁉︎ 」
「そう!明後日。だから今日、明日とゆっくり休んで試験に備えてね?」
「……わ、わかりました」
アーリアは了承するしかなかった。師匠の笑顔が本気度を表している。嫌がろうがゴネようが問答無用で王都の試験会場まで送られてしまうのは目に見えている。それに今回は今すぐ跳ばされないだけまだマシだ。そうアーリアは思うことにした。
「リュゼ君には悪いんだけど、またアーリアについて行ってくれる?」
「勿論ですよ〜〜。寧ろ護衛がシゴトなので」
「そう……じゃあ二人とも、明後日の朝にまたココに来てね」
師匠の言葉にアーリアは乾いた笑顔で、リュゼはニヤついた笑顔で頷いたのだった。
※※※※※※※※※※
師匠の屋敷から自宅への帰り道、坂道をとぼとぼ歩いていると、眼下にラスティの街並みが見えてきた。家に点る灯りや街灯の灯りなどがポツポツと見える。夜が更けゆくにはまだ時間がある。街の中心部に行けば食堂街や酒場などは、人々で大いに賑わっているだろうが、この街外れにはその喧騒も灯りも届いては来ない。
アーリアは畦道を歩きながら夜空を見上げた。
夜空には満点の星空。夏が去り、秋の夜空は澄んでいて爽やかな風が吹き抜ける。
「……リュゼ、ありがとうね?」
アーリアは隣を行くリュゼの横顔を見ながら呟いた。リュゼはそれにいつもの笑顔で振り向いた。
「……ん?何が “ありがとう” なの?」
「……一緒に居てくれて……」
リュゼはいつもの笑顔を貼り付けたままその琥珀色の瞳をやや細めて、アーリアの顔を不思議そうに見下ろした。
アーリアが足を止めると、リュゼも足を止めアーリアへと向き直った。
「……バルドから逃げた後、本当は凄く怖かったの。分かってはいたけど、自分が道具なんだ、人間じゃないんだって……改めて事実を突きつけられて辛かった。兄さまに『自分が自分を認めてあげることが大切』だって教えてもらって、その時は私もそうだと納得したけど、それでもやっぱり人間の生活の中に混じるのは怖かった……」
アーリアは両手を重ねて握ると、リュゼから視線を逸らしやや目を伏せた。リュゼがアーリアの事情を知っているとはいえ、改めて言葉にするのには勇気が必要だった。自分で話し始めた事なのにそれらの言葉は口の中で苦いものに変わり、口から出すには己を傷つける痛みを伴った。
アーリアの話をリュゼは何も言わず聴いてくれた。アーリアはそのリュゼに甘えてそのまま話を続けた。
「……そんな私の所へリュゼは来てくれた。側に居てくれた。そしてラスティまで来てくれて、今も一緒に居てくれている。それがリュゼの仕事だとは分かっているけど、私にはどちらでも同じことなの。だから……」
アーリアはリュゼのその夜空の星のように美しい黄金の瞳を見つめて、心からの気持ちを伝えた。
「ありがとう、リュゼ」
清涼な風が吹き抜け、二人の髪を揺らす。アーリアの白く長い髪が月に照らされて白金の光を帯びる。
リュゼはアーリアへと近づくと、アーリアのその髪を梳きながらスルリと耳へ掛けた。
「……子猫ちゃんが僕に礼なんて言う必要はないんだよ?僕は僕のしたいようにしているだけ。シゴトもツイデなの。僕が子猫ちゃんの側に居たいから居るだけなんだよ?」
「……うん。それでも私がリュゼにお礼を言っておきたかったの。だって、リュゼはココに飽きたら、またどこかへ行ってしまうでしょ?それがいつか分からないから、言える時に言っておかないと……」
リュゼは気儘な猫のような人間だ。人間には靡かず、好きに歩き回り、気に入りの場所で休む。その場所は決して一箇所ではない。
リュゼの心はリュゼのモノ。アーリアにリュゼの心を縛ることなどできはしない。
リュゼはアーリアの頬に手をそっと置くと、その猫のような金の瞳を優しく細めた。
「子猫ちゃんに黙ってどっかに行ったりしないよ?」
「うん……」
「出かける時は必ず声をかけるからね?」
「うん……」
「それに今はまだ子猫ちゃんの側に居たいから、暫くはココにいるよ。心配しないで」
「うん……」
リュゼの優しい声掛けにアーリアの虹色の瞳は潤み、今にも涙腺は決壊しそうになった。
アーリアはジークフリードにも執着心を持ってしまった事を後悔していた。そのジークフリードとも離れ、一人の生活に戻ると思ったていた時、リュゼはひょっこり現れた。そしてそのまま猫のように居着いてしまったのだ。
リュゼはアーリアの中には決して踏み込まない。アーリアもリュゼの中には踏み込まない。
この関係がアーリアにはとても居心地が良く、このままでは今度はリュゼに依存してしまうのではと考えた。
だけど彼は気儘な猫。好きな時に好きな場所へ旅行く。明日居なくなってもおかしくない。分かってはいても、それは余りに寂しいではないか。
リュゼはアーリアの頭に手を添えると、そのまま自分の胸へと押し当てた。逆の手を背中に回してギュッと抱きしめる。
「子猫ちゃんの側にいるよ?君は僕のトクベツだからね。……君が僕の本当の姿を知って嫌いになっても離してあげないから……」
耳元で囁くその声はアーリアの身体に甘い震えを齎した。リュゼの柔らかな唇がアーリアの耳に微かな熱を残していく。そしてリュゼの柔らかな熱を耳から首筋へ感じてアーリアは小さな悲鳴を上げた。
アーリアは温かなリュゼの胸の中で、リュゼの本当の姿が何であれ嫌いになる筈がないと思うのだった。それはリュゼがアーリアの本当の姿を知って尚、共にいてくれる理由ときっと同じだから。
リュゼの熱い吐息を受け、胸の高なりと共に涙も奥へ引っ込んだアーリアは、この後暫く、リュゼの腕の中から抜け出せずに苦心するのだった。
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魔女と北国の皇子3話です。
ジークフリードの存在が遠くなっていきますが、まぁ仕方ありませんよね?
第2部はアーリアとリュゼを中心に新しいキャラが登場していきます。
次話もどうぞご覧ください!




