番外編①ある日の午後の風景
暖かな日差しが差し込むある日の午後、アルヴァンド公爵家令嬢リディエンヌはその部屋で思わぬ風景を目にして、頬を赤く染めた。
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(リディエンヌ視点)
アルヴァンド公爵家には今二人の客人が滞在しておられます。
お一人は『東の塔の魔女』と呼ばれる年若い魔導士様。雪のように白い髪と陽に透ける程白い肌を持ち合わせた美しい女性。兄ジークフリードがお連れになったお方で、兄が大罪人サリアン公爵を断罪する為に共に旅されたお方でもありました。
もう一人は茶色く短い髪に切れ長の琥珀色の瞳が美しいスラリとした体躯の青年。父アルヴァンド公爵ルイスを囚われの身から助け、その信を買われたお方です。
お二人とも父ルイスと兄ジークフリードの命の恩人であり、叛逆者を討伐するのに一躍を担われた方々で、そんなお二方をお預かりするのは大恩あるアルヴァンド公爵家としては当然の事でした。
アルヴァンド公爵家ではこの二年、不幸が続いておりました。二年前にすぐ上の兄ジークフリードを王宮内の事件で亡くし、つい先日には父の突然の失踪を受けて、私は心身共に憔悴しておりました。
アルヴァンド公爵家は王と王家の盾にして剣、王と王家に忠誠を捧げ、その為ならば命をとしてお守りすることなど当然。ですが、理不尽な暴力は世の常でございます。そんなアルヴァンド公爵家を疎ましく思う方はいらっしゃるのでしょう。私はそのような暴力には決して屈せぬ心を持っておりましたが、時には不安に心が押し潰されそうになることもありました。
そんな時、仮の婚約者である第三王子リヒト殿下がお見舞いと称し、訪ねて来てくださったのです。
その日、私はリヒト殿下をお出迎えし、応接室でお茶をしておりました。リヒト殿下の優しい心遣いに心が温かく感じられ、心より感謝していた折、応接室の外から信じられない声を聞いたのです。
「ぼ、ぼっちゃま⁇……い生きておいでで……⁉︎」
引きつったような執事の声を耳にして、私は思わず応接室から飛び出してしまいました。
「お、お兄様⁉︎ 」
「なッ!ジークフリード殿か⁉︎ 」
応接室を出た先には、何と二年前に亡くなった筈の兄の姿があったのです。
リヒト殿下も私のそんな行為に呆れるでも怒るでもなく、私を追いかけてくださいました。私は公爵令嬢としてハシタナイ行為だと分かってはいても、兄の胸に飛び込まずにおれなかったのです。
「ジークお兄様!生きて……生きておいでで!」
生きていた兄の姿に私は喜びを抑える事ができなかったのです。ですが、兄はそんな私の肩を抱いて、優しい笑みを浮かべた訳ではございませんでした。兄はどこか苛立ちと焦りの表情を浮かべられ、こう仰ったのです。
「リディエンヌ……心配かけてすまない。だが、俺はこれからすぐに行くべき場所があるんだ」
兄の表情は二年前に見た時よりずっと逞しく、その瞳は鋭く熱い決意を込めておりました。
死んだ筈にされていた兄が二年を経て、何故このタイミングで屋敷に戻ってきたのか。疑問は尽きませんが、兄が言う『行くべき場所』とは『行かなければならない場所』ではないか。兄は自身を陥れ、この国を不安と混乱の渦に飲もうとする者に鉄槌を下すべき戻られたのだと、私は直感しました。
兄の言葉にリヒト殿下も私同様、すぐにその事に思いつかれました。そして兄に同行すると仰られたのです。
リヒト殿下は災難に見舞われた兄やアルヴァンド公爵家を悪しきざまに言う者には、これまでも憤りを見せ、その言動で庇ってくださっていました。兄はリヒト殿下の乗馬の師でもありましたので、リヒト殿下は兄に一方ならぬ信頼を持ってくださっていたのです。
だから突然戻った兄に対し、その言を疑う事よりも信ずる事にしたのだと思います。
それを見たお連れの騎士様たちが否定的な態度に出られた事は、私にとっても不審の一言でした。
主人であるリヒト殿下の言を否定する事自体、騎士として有るまじき言動。本来、信を置く騎士ならば、主人の言動を時に諌める事もございますが、彼らの言い分は政治の世界に身を置かぬ私でも思わず眉を潜めてしまった程でした。
怪しい言動をする騎士たちに対し、兄はリヒト殿下を守護するように動かれました。その咄嗟の行動は王家に仕える騎士として当然のこと。私も兄に見習いーー殿下の御前ではございましたがーー魔術の行使に踏み切ったのです。リヒト殿下はそんな私の行動に咎める事はなさいませんでした。
騎士たちを捕らえた後、兄はリヒト殿下と共に馬を駆り、王宮へと赴かれました。
そしてその夜、兄ジークフリードは白き髪の美しい女性をその腕に抱いてお帰りになったのです。
後に父アルヴァンド公爵ルイスにことの顛末をお聞きした所、昨今王宮内で起きた騒動の主導者サリアン公爵から父と兄は王家の皆様をお守りしつつ、公爵を断罪し、逮捕するに至ったのだそうです。
サリアン公爵は裏で天糸を引き、闇の魔導士と手を組んで様々な犯罪に手を染めておいでだったそうなのです。それに巻き込まれた兄ジークフリードは獣人へその身を変える呪いを受け、同じように獣人となった者たちに『東の塔の魔女』様は追い回され、殺害されそうになっていたそうなのです。
サリアン公爵の目的は大それたもので、なんと、それは王位の簒奪だったのです。
その為に邪魔な者たちを獣人に変えた末、国の叛逆者として追放し、その者たちを意のままに操り利用し、邪魔者を殺害させ、更にはその罪を被らせたのです。そして計画の一部として『東の塔の魔女』殺害まで企てたのです。
遂には国王陛下の暗殺まで企み、三人の王子さま方の殺害を『不幸な事故』と隠蔽する為に、獣人たちを王宮で暴れさせたそうなのです。
悪逆非道とはこの者の事を指すのだと、私はこれまでに感じた事のないぐらいの憤りを感じました。
それに対抗したのが兄ジークフリードと『東の塔の魔女』アーリア様、父アルヴァンド公爵ルイスでございました。
なんと兄は獣人とされて尚抵抗を続け、地道に証拠を集め、それらを密かに父へと送っていたのです。父も兄の証拠を元にサリアン公爵に探りを入れて、断罪の為の準備をしておいでだったそうなのです。
そしてついに先日、サリアン公爵は捕らえられ、兄と父の念願は叶いました。
兄はあの夜、高熱を出して倒れられたアーリア様を連れて屋敷に戻られました。アーリア様は疲労によって衰弱されておられ、高熱が何日も続きました。
兄にお聞きした所、闇の魔導士にアーリア様は捕らえられ、そこから命かながら逃げた先で誘拐され獣人とされた父と出会い、父とリュゼ様と共に脱出なされたそうなのです。更には、国王陛下に直訴に向かう最中で王宮内の事件に遭遇し、国王陛下と殿下方をお助けなされたそうなのです。
その間、随分ご無理をされたのでしょう。
アーリア様の何日も続いた高熱に、兄ジークフリードは大変心配したご様子でした。兄はアーリア様に付きっ切りで看病しておられました。兄のアーリア様を見るその瞳は今まで妹である私も見たことのない、優しく穏やかなものでした。
そして今日………
「アーリア様、お待たせしました。……あら?」
その部屋に入るとソファの背に兄の背は見えますが、アーリア様の姿は見えません。部屋の中へ入り兄の座るソファの方へ向かうと、兄はソファの背越しに振り向いて、その唇に指を押し当てました。
「……?」
「リディ、本をありがとう」
お兄様は小声で私に話しかけると、私の持ってきた本を預かってくださいました。兄の側に寄ると私は兄の先ほどの行為に納得がいきました。
アーリア様は兄の肩にもたれかかり、小さな寝息を立てていらっしゃったのです。そのお姿は陶器の人形のように美しく、お兄様と並ぶとまるで絵本の中から飛び出してきた王子と姫のようでした。
アーリア様はまだお身体が本調子ではないのでしょう。熱が下がられてからも、そのお顔は少し火照って見える日がございましたから、私たちを心配かけまいと、無理をなさっておられたのかもしれません。
私に兄はアーリア様を起こさぬよう、小声で話しかけられました。
「すまないな、リディ」
「お気になさらず」
兄の謝罪に私は笑みが溢れました。
兄は屋敷に戻られてから、二年前とは違いその所作が驚くほど柔らかかったからです。理想の騎士を体現したような兄は、その理想はそのままに、物腰に柔軟さをお持ちになりました。
お話を伺う限りでは、この二年間はよほどお辛い日々だったと、私には想像することしかできません。しかし、絶望や死すら考えた兄のお心を救ったのがアーリア様だったのだと、兄の所作から感じることはできました。
兄ジークフリードのアーリア様を見つめる瞳と、兄ジークフリードを見つめるアーリア様の瞳とは、とても似通っておいででした。お互いを尊重し、慈しんでおいでのように見えました。
アーリア様にと持ってきた魔術に関する本をお兄様は机に置くと、アーリア様のその雪のように白い髪を愛おしそうに梳いて、ゆっくりとアーリア様をその腕に抱き上げながら立ち上がられました。そして、眠るアーリア様を起こさぬように、アーリア様を寝室へと運んで行かれました。
美しい精霊女王に優しく寄り添う精霊王のような二人の男女を見留めて、思わず私の口から息が漏れるのでした。
そして苦難にあったお兄様とアーリア様に『願わくばこのような幸せな時が少しでも長く続きますように』と私は心から祈るのです。
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番外編第1弾です。
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