どこにでも現れて
街道が海沿いに面し海辺の街から内陸へと続いている。小高い丘には赤い大輪の花が彼方此方に咲いている。花弁がラッパのように開き、一つひとつが掌ほどの大きさがある。赤の他にも桃色や白色など、ちらほら混じっていて、目を楽しませてくれた。
街道から見える沖には沢山の小舟が浮かんでいるのが見えた。目を凝らして見ると船の上には人影がある。網を投げ入れる者や竿を振り上げる者など。漁をしているのだろう。
どんな魚が獲れるのかな?とアーリアが呟いた。
街道は人の手で開拓され整備されているようで大きな木も殆どなく、開けた丘を突っ切るように街へと道は伸びていた。しかし、山手側を見るとすぐそこから生い茂った草木がある。人の手が入らない場所は手付かずの山や森も多い。旅人の多くは山道より整備された道を行くのを好む。危険からは遠ざかりたいのは自然なことだ。
朝靄の中、花の街道を街に向かいながら下っていく大小の人影。一つは成人男性。平均身長より背が高く見え、またその体躯も大きい。もう一つは小さくて華奢なシルエット。遠目からは性別は分からない。比較対象が大きいので子どもにも見える。
大小の人影が朝日も上りきらぬ時間に街道を歩いている。二人ともマントのフードを目深に被っていて、その容姿は分からない。
二人の横を藁を積んだ馬車が行く。馬車を操る馭者座の初老の男は、はて?と首を捻った。
今の二人、大きい方のフードから覗く顔がまるで獣のような毛で覆われていた。いや気のせいに決まっている。ただ髭を蓄えた男性にすぎないだろう、と思い直した。
アーリアは馬車を見送ってから、ジークフリードに声を掛けた。
『……意外に平気みたいですね?』
「だろう?まあ、普通は自分の目を最初に疑う。人間というものは何事も自分の信じたい『常識』に当てはめたがるだろう?」
アーリアとジークフリードの二人はティオーネの街から10日掛けて、海岸線を南下して来た。そのうちの何度かこのように、人間の『常識』を逆手に取り人の心理をうまく突いてきた。
「アーリアも『常識』や『理屈』に囚われがちだろ?案外、それから外れて考えた方が新たな発見もあるし、楽な場合もあるんじゃないのか?」
『……。なかなか痛いところを突きますね、ジーク。師匠にも似たような事を言われました。そんなに堅いですかね?私の頭』
「変な所は楽観的なんだが……。確かに妙に堅いところがあるように思う」
『楽観的なところって?』
「……一人で逃げ切れると思っている所とか、その割に俺について来た事とか……」
『わ〜〜わ〜〜!!ヒドイ!初めっからじゃないですか!?そもそもジークに言われたくないですし!』
アーリアは両耳を両手で挟んでジークフリードからの言葉を遮ると叫んだ。
「だがまぁ、俺もそうなんだが、『常識』に囚われがちな所を何とかしないとな。俺たちの今までの行動は、常識的に考えていたから敵からも捉え易かったのだろうし」
『そ……そうですよね〜。お師様くらいぶっ飛んだ行動していないと、敵は巻けませんよね……。現に此の所、追手はいません。まさか私たちがこんな所をプラプラしているなんて思ってもいないでしょう?』
師匠はそれも狙っていたに違いない、とアーリアは思った。彼は理屈屋になりがちな魔導士の中では異質なほど、その思考と行動が自由奔放だ。それは魔術に於いても魔宝具職人としてもだ。理屈や常識に囚われない作品を多く世に出している。そのどれもが画期的と言われる物ばかりだ。
「次の街が見える所まで行ったら俺は山手へ入り、街の向こう側へ向かう」
『私は街の中で買い出しや宿の手配をします』
街道に面していないティオーネの街から街道まで山道を歩いてこの国を南下してきた。街道が見えてからも午前中は山中で身体を休め、陽が沈めば街道を歩くようにしてきた。これまでは街に寄るのは夜間のみとしてきたが、今日は陽が昇る内に別行動をとる事にしたのだ。
「離れている間、お互いの位置を《探査》で確認する」
『何か起こればコレで知らせますね?』
アーリアはジークフリードに己の右手首に嵌るブレスレットを見せた。それは銀細工のように見え、細いシルエットの一面に模様が施されている。そしてブレスレットの中央に緑色の小さな石が嵌め込まれていた。
ジークフリードは頷いて自分の左手首を触った。そこにはアーリアのつけているブレスレットと対になる物が嵌められていた。
このブレスレットは一見装飾品に見えて実は魔宝具。ある驚きの機能が隠されている。
「昼ごろには一旦、街の外で合流しよう」
二人はお互いのマップで位置を確認する。
その後、朝が本格的に明ける頃には街の手前に着くと、二人はそこで一時解散した。
※※※※※※※※※※
日持ちのする食料と薬やポーションなどを補充したアーリアは、街の海岸沿いを歩いていた。そこには露店が軒を連ね、食べ歩きのできる軽食や土産物などが売られていた。露店前を歩いていると、薄紅色の綺麗な宝飾品が並んでいる店を見つけた。その薄紅色の宝石は種類も豊富で、小さい石はイヤリングやピヤス、少し大きな石はネックレスやブレスレットなどに加工されている。また原石のままでも商品として売られていた。
「お客さん、これが気になるかい?あ、内陸の人?旅人かな?」
店の店主は褐色肌の三十代の女性だ。赤褐色の髪を後ろで一つに束ねている。店主はイヤリングを一つに持つと、アーリアに差し出しながら見せた。
「これは血赤珊瑚だよ。海の中で採れる宝石さ!これは特に女性に人気があるよ。お嬢ちゃんも一つどうだい?」
店主の話では『珊瑚は美の女神と月の女神に結びついた宝石』らしい。その血のように赤い色から妊婦の厄除けとしても人気らしい。また船乗りにとっても海から採れる珊瑚は水難事故防止の厄除けとして漁師の間で使われるそうだ。
「珊瑚は海という偉大な自然が独力で創った宝石さ!私は真珠もいいけど、珊瑚の方がロマンチックだろ?」
アーリアもなるほどと頷いた。
珊瑚を磨いて光沢を出し、ペンダントトップに嵌めた物もあった。他のものより赤の度合いが濃く出ている。自然の作り出す物なので、同じ薄紅色でも色の濃淡があるらしい。一つとして同じ物がないのが逆に良いと言えた。
露店の物は安価な物もあるが、より美しい商品は貴族の子女やご婦人に人気があり、そちらへ卸されるそうだ。
アーリアはまだ加工前の珊瑚をいくつか安価で購入した。魔宝具職人としては、自身の力で加工してみたいと思うのは必然だった。
「こっちの加工した物はどうする?値段を言ってもらったらいくつか見繕うよ?」
アーリアは加工された商品をいくつか並べて見比べた。加工された物に直接魔術を込めて、即席魔宝具を作るのも良いかもしれないと考えたのだ。中には値の張る物もあるが、安いものはそうでもない。
「いくつか纏めて購入してくれたら、安くしてあげるよ?」
割引が可能だと聞いてアーリアは更に悩み出した。
アーリアは赤い涙の形に加工された珊瑚のイヤリングを手に取った。留め金も細かい細工があり、手元で珊瑚が小さく揺れてとても可愛らしい。
「じゃあ、それは僕が子猫ちゃんにプレゼントするよ〜〜」
きっとすごく似合うよ!と言っていきなり背後から声をかけて来たその人は、アーリアの手元にあったそのイヤリングをヒョイっと取った。
アーリアが振り向くとそこにはにっこり笑顔のあの人が。
『リュ……リュゼさん!?』
アーリアがあんぐりと口を開けて信じられないモノを見たかのような顔になった。
リュゼはそんなアーリアの顔に笑みを深めると、店員に向き直ってお代を支払った。
『な、なんで……?』
リュゼは驚くアーリアを無視して店員と話を進めると、さらにいくつかの商品をオマケに付けてもらい、アーリアを伴ってお店を後にした。
アーリアはリュゼに連れられて、教会のある通りまで来ると、教会のすぐ側にある公園の端まで来た。昼食前の時間でもあり、人の出入りも殆どないそこでリュゼが立ち止まった。
「もう!こんな所までノコノコついて来ちゃダメでしょ?僕がワルイヒトだったらどーするの?」
実際イイヒトではないリュゼに言われたくない一言だ。
だがアーリアはその言葉を無視して、リュゼの顔を指差した。
リュゼの顔は人間のソレだったのだ。
太陽が燦々と降り注ぐ日中にあっても変わらぬその姿。獣人としての呪いを受けたその身は夜にしか元の姿には戻れないはずであるのにも関わらずだ。
何故『東の塔』より北の街で別れたきりの彼が、こんな南西の街にいるのかーーという問題よりも、なぜ日中においてもその姿が人間の姿のままなのかという問題の方が、アーリアにとっては大きなものだった。
『リュゼさん、その顔……』
「はぁい!子猫ちゃん。元気だった?どうイケてるでしょ?僕の顔」
イケてるかイケてないかで言えばイケてるのか?いや、そう言う事ではない。
『おヒゲは?モフモフお耳は?長くて素敵な尻尾は!?』
「え……と。子猫ちゃん、何を言ってるのかな?」
アーリアは獅子姿のジークフリードのようなつるりと伸びた尻尾も好きだが、猫姿のリュゼのしなやかで毛並みの良い尻尾の方が好きだった。このような個人的趣味など、理解はされないだろう。本人たちは獣人になりたくてなっている訳ではないのだから。勿論そんな失礼なことを言ったことなどない。
いや、今はそのような事を考えている場合ではない、とアーリアは思考を切り替えた。
何度瞬きをしても、どれだけ目を開いて見てもリュゼの顔はヒトのソレ。
「ちょ、ちょっと!?近い近い!まじまじ見過ぎだからっ」
『リュゼさん、呪いが解けたんですか?』
アーリアは勢い勇んでリュゼの胸倉を掴むと、問い掛けた。いや、問い詰めた。アーリアはリュゼより身長が頭一つ分ほど低いので、半分リュゼにぶら下がるような姿勢になった。アーリアの行動に慌てたリュゼは両手を頭の上に上げて、降参のポーズをとる。
「な、なんで僕がカツアゲされたみたいになってんの!?子猫ちゃん意外に力強いし!」
『どーなんですか?』
「わかったから!教えるから!」
リュゼはアーリアの勢いに降参とばかりに、前屈みになる。そして自分の胸倉を掴んでいるアーリアの両腕をやんわり掴むと、アーリアの両手を自分の顔へと持ってきてその頬に触れさせた。
『え……!?』
「そう。わかった?」
アーリアの手がリュゼの頬に触れた。掌に伝わる感触はヒトのソレではなかった。サワサワと触ると短く柔らかな毛の感触がする。両手でリュゼの頬から耳、鼻を撫でるように触って確かめた。
(目に見えている物と手で触れている物が違う……)
「呪いは解けていないよ。ただ、人の目にそうと映らないようにしてあるだけ……」
リュゼの深い緑の瞳が陽の光に照らされキラキラ輝く。その双眸には静かな諦めが浮かんでいる。アーリアはその瞳を見て、少し胸が締め付けられた。
アーリアはリュゼの顔から手をそっと外して、リュゼから二、三歩距離をとった。
「やーだなぁ?子猫ちゃん。僕のことそんなに心配してくれてんの?ひょっとして僕のこと、好きになっちゃったのかな〜?」
リュゼは途端におちゃらけた態度をとり、いきなりアーリアに抱きついてきた。ーーとその時、アーリアの身体が咄嗟に動いた。
「えーーーー!? な、なんでーー??」
リュゼの身体は宙を舞い、反転して地面へと倒れ込んだ。リュゼは『訳がわからない』といった表情をしている。自分の身に起きた事が理解できないようだ。地面に倒れたまま、空をーーアーリアの顔を信じられないモノを見るかのように見上げてくる。
そのリュゼの間抜け顔に、アーリアはにっこりと笑った。
『私の勝ちかな、今日の私はひと味違いますよ?』
(ジーク先生!やりましたよぉーー!)
アーリアはそう言い放つと手首のブレスレットをぎゅっと握った。
(たまには優位に立ってもいいよね?)
アーリアは久しぶりにスッキリした気分だった。
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猫の人が現れました〜〜
どこにでも出没しますね?




