東の塔の魔女2
「……ええ。だから、この宿の部屋はもう一杯で、ご用意できるお部屋がないの。ごめんなさいね」
アーリアとジークフリードは宿屋を何軒か廻って、その全てに断られていた。
今週は街興しのお祭りが催されるようで、街の各所で催物などがあり、各地から観光客がたくさん訪れているのだ。特に今日が祭りの本番で明日が後夜祭と、一年で一番、人の出入りが多い。そんな日に予約もなく泊まろうとはムシが良い話。
アーリアとジークフリードは肩を落として宿屋の玄関を出た。せっかく街まで降りてきたのに、このままでは野宿になってしまう。
「もう何軒か廻っても部屋がなかったら、仕方がないが諦めよう」
アーリアは頷いた。こればかりは仕方がない。二人とも予期していなかった事なのだから。
祭りの喧騒は広場や公園から離れたここまで聞こえてくる。まだ宿屋街には人の出入りが少ない。祭りに参加している人が大半なのだろう。
「あ、はい。二名様一室でございますね?一部屋だけございますよ」
それは街の中心地に寄った場所にある、少し値の張る宿屋だった。建物の造りはモダンで、見た目からそこらの宿屋よりも敷居が高く感じる。玄関を入ると一階にはフロント、二階にはレストラン、三階からは宿泊施設があり、フロントには職員が常駐している。
「では、そこを頼みたい。他の宿はもう一杯だったので助かる」
「そうでございましょうとも。今日が祭りの本番ですからね。今日明日はどこの宿も満室でございましょうよ。この部屋もたまたまキャンセルが出たのですよ」
団体のお客様の一人が急遽来ることが出来なかったようでして、と職員の言葉が続いた。アーリアは声が出ないので、ジークフリードに全てを任せて、背後で黙って様子を見ていた。
スタッフはジークフリードから宿泊料を貰うと、部屋の鍵と専用の部屋着をジークフリードに渡した。この宿は珍しく宿屋専用の部屋着が付いてくるようだ。それだけで宿の高級感が伺えた。富豪や金持ちの商人などが泊まる宿なのかもしれない。
「明日の朝食はどうなさいますか?」
「部屋に届けることはできるか?」
「はい。ご用意しておきます。時間は追ってご連絡ください」
「頼む」
「では、ごゆっくりとお過ごしください」
ジークフリードは鍵と部屋着を持ち、アーリアはその後ろを追って客室まで向かった。
部屋の鍵は魔宝具の一種で、ジークフリードが鍵を扉のドアノブに近づけると魔力に反応してカチリと開いた。内向きに扉を開ける。普通の宿屋より部屋が広く、造りもゆったりしている。ーーがしかし、ここで問題が起こった。
「っーー⁉︎」
『わぁ〜〜!』
アーリアは感嘆の声を、ジークフリードは声なき戸惑いと怒りの表情を出した。
「あのヤロぉ……」
ジークフリードは先ほどのスタッフに対して殺意を持った。
部屋には大きな寝台が1つ。
そう、1つ。
確かに二名一室の部屋だろう。意味は合っている。ただ、それは訪れた客が恋人同士か夫婦である場合に限る。
何が「ごゆっくりとお過ごしください」だ。ゆっくりなど過ごせない。ジークフリードはアーリアに聞かせられない言葉の数々を心の中で叫んだ。
これまで他の街で宿屋に宿泊した時も、一部屋であっても寝台が二つある部屋だったので、状況を鑑みて、止む無く享受してきたのだ。それでも、ジークフリードとしてはかなり悩んだ末での決断だった。
ジークフリードにはアーリアを護る義務がある。だが元騎士であり元貴族でもある自分には、今もなお、なかなかに譲れない矜持があるのだった。
ーくそっ、どうする⁉︎ー
部屋は豪華な内装で、寝台の他にも書斎机と椅子、食事用の長机と椅子、大きなソファやドレッサーなども備え付けられている。左側の手前の扉を開けて見ると、中には浴室とトイレがあった。
問題の寝台は扉から入って右手、窓際に鎮座している。一人用の寝台の二つ分以上の大きさがある。木で出来た寝台には各所に見事な彫刻が施されている。敷かれている敷布やシーツも肌触りが良さそうで、見た目からして高級感が醸し出されている。
『わあ!こんな大きな寝台、初めて見ました!部屋着も付いてるし、この宿、本当に高級感がありますね?』
アーリアはマントを外し、肩にかけていた鞄や腰のポーチと共に椅子に降ろしながらジークフリードに話しかけたが、ジークフリードにはパクパクと口を動かしているようにしか見えなかった。
ジークフリードには何を言っているのかは分からなかったが、アーリアのその様子は『無邪気さ』のみで『危機感』というものがトンとなかった。単純に綺麗で豪華な部屋に喜んでいるだけだ。
これまでの道中、アーリアはジークフリードと常に過ごし、野宿でもすぐ側で休んできた。ジークフリードに対して今更『危機感を持て』というのも難しい話だろう。だからこそ、ジークフリードはアーリアだけを一概に責めることはできないと思った。アーリアが『危機感』を抱き難いのは、自分にも責任の一旦があると。
ーだからって、これはマズイだろう⁉︎ー
ジークフリードの脳内は一人で焦ったり怒ったり悩んだりと、大変忙しかった。こんな所をアイツーーリュゼにでも見られたら、嬉々として揶揄ってくるだろう。
『あ、でも、ベッドが一つなんて困りましたね?あの人、二名一室って言っていたのに……』
アーリアはジークフリードに近寄ると、いつものようにジークフリードの腕にそっと触れた。話をしたい時の仕草だ。
『ジークさんがベッド使ってください。私はソファを使います』
「いや、それは……。お前がベッドを使えばいい」
『それはダメですよ!ジークさんの方が身体も大きいですし。私は身体が小さいからソファで充分です』
アーリアは本心からそう言った。
アーリアはあまり物事に頓着することがないので、雨露をしのぐことができて、人目を気にすることなく身体を洗うことができれば、それだけで幸せだったのだ。
「女のお前をソファで寝かせて、男の俺が寝台で悠々と休むなんてできないだろう?」
『そんなこと言われても、私はソファで充分ですよ?ーーあ!それなら大きなベッドだし、二人で使うというのは……』
「ダメだ!」
ジークフリードはアーリアの言葉を遮ると、強く肩を掴んだ。
「ダメだ。アーリア、お前はもう少し警戒心を持った方がいい。この間の街や公園でもそうだったが、男はだいたい若く可憐な女性に弱い。アーリアが絡まれ易いのはそれが原因だ。意味もなく声を掛けてくる男には下心があると思ってくれ」
『か、可憐?私がですか?』
「そうだ。リュゼも言っていただろう?」
『リュゼさんはいつも私を揶揄ってくるだけだから……』
「……。た、確かに巫山戯た野郎だ!だが、ヤツの言っている事は強ちハズレてはいない。だから、ああいう奴らには関わるな?分かったな?」
『はい。じゃあ、リュゼさんみたいな男性に気をつければいいんですね?』
「そうだ!」
『わかりました。じゃあ、ベッドは二人で使うという事で……』
「何でそうなる⁉︎」
『ええっ⁉︎』
意味なく声をかけてくる男+チャラい男=警戒すべき男
と言う方程式をアーリアは理解したようだったが、ジークフリードが伝えたかった事の半分も理解されていない事実に、ジークフリードは落胆した。
しかし、アーリアにしても今まで一緒に野宿してきた相手に対して、今更『警戒心』やら『危機感』など生まれない。何故、今になって急に責められているのかが理解できなかった。
「そうじゃない!い、いや、そうでもあるが……」
『え?じゃあどういう……』
「アーリア、お前が下心を持った男に絡まれたり触られたりする事を、俺は心配している。それを気をつけてくれ!」
『 下心ですか?』
「そうだ。今まで、誰かに『好きだ』と言われたり、好意を寄せられたりした事はないか?勿論親兄弟以外で」
『……ジークさん、私を好きになる人間なんて、いませんよ。可愛くなんてありません。私は醜い……ですから……』
この髪もまるで老婆のように白くて気味が悪いでしょ?と言うアーリアの言葉が、やけに静かに響く。
アーリアはそれまでの笑顔を消してジークフリードを真っ直ぐに見た。ジークフリードの、アーリアの肩を掴む掌の力が緩んでいく。目の前のジークフリードはいつになく困った顔をしていた。
アーリアはジークフリードから目線を逸らすとその表情を見ずに話を続けた。
どうせもう、知られている事の一つや二つあるだろう。ジークフリードは元騎士で国家機密である『東の塔の魔女』についても知っていたくらいだ。これまでだって、自身に掛けられた呪いの解呪の為にアーリアの側にあっただけ。親しくなったと思ったのは自分だけで、相手もそうだとは限らない。『好かれるかも』だなんて、ムシの良い話だ。
『私に親はいません』
アーリアは自分の出自について今更悩んだり他人を羨んだりはしない。しかしジークフリードを見ていると、やはり出自や出生、身分の差やなどに目が付くのだ。彼の望まれた生に。帰るべき場所がある事に。生きる世界が初めから違う事に。
『私の側にいてくれるのは、お師さまと兄さま、それに姉さまたちだけです』
「っーー!」
アーリアは無理矢理笑顔を作って顔を上げた。
ジークフリードを見上げて『いつも通り』に話す。ジークフリードは苦い顔をしているが、それは無視した。
『ジークさん、私に気を使わなくても大丈夫です。無理しないでくださいね。あ、それと、《契約》はキッチリと果たすのでご安心くださいね!』
「……」
『だから、そんな私に下心なんて誰も持ちませんよ?心配してくださってありがとうございます』
「ーー!」
頭を下げたアーリア。ーーがその時、アーリアはジークフリードにいきなり抱き上げられた。そのまま寝台の上まで運ばれると、そこに些か乱暴に落とされた挙句、無言で覆い被されてしまった。
『じ、ジークさん⁉︎』
「俺は、アーリアが醜いとは思わない」
狼狽するアーリアの額に、ジークフリードは優しく唇を落とす。
「っあ!ジークさ……」
ジークフリードはアーリアの脚を自分の脚で挟んで動けなくすると、暴れるアーリアの両手首を片手だけで拘束し、身動きを取れなくした。そして自身の唇でアーリアの額から顳顬を触れ降り、瞼、そして透き通る白い頬をなぞり、その小さな耳元では吐息がかかるほど近くで優しく囁いた。
アーリアの背筋に今まで感じた事のないゾクゾクとした震えが起きる。同時に、今まで感じたことのない恐怖で身体が動かなくなるのを感じた。まるで獰猛な肉食獣に追い詰めされた仔ウサギのように、恐怖心がアーリアの心を満たす。
『〜〜〜〜! や、止めてくださいっ』
「アーリア、お前は美しい。可愛いとも思う」
『!』
「アーリア、自分の鼓動が速くなっていくのが分かるか?』
『っ! は、ハィ……だ、だからもう……』
「……。これが男の下心。わかったか?」
『はぃぃ……』
アーリアはジークフリードに押さえつけられ、初めてジークフリードに、『男性』というモノに恐怖を覚えた。
逃亡の旅を初めてからもう幾日もジークフリードと共に過ごし野宿もしてきたが、その時には何の恐怖心も感じてこなかった。
ジークフリードは実に紳士的で、真面目で、アーリアを傷つけることは一切なかったのだ。その為、アーリアはいつの間にかジークフリードを完全に信用していた。安心仕切っていたとも言える。
だからこれは、アーリアに男の下心と危険性について理解させることだと察した。アーリアに男に対してもっと危機感を持って欲しいという事だろう。だからアーリアにはジークフリードの行動の意味が頭では理解が出来た。だがその身体はそうはいかなかった。
『っ……』
アーリアはそのまま身体を震えさせながら、瞼を閉じた。肩が震え、瞳に涙が溜まって溢れ、頬を伝う。
ジークフリードは拘束を解いてアーリアの上から退くと、そのアーリアの様子を横からすまなそうに見つめた。その目には先ほどまでの危険な雰囲気は最早ない。
「その……すまない。お前を傷つけるつもりはなかった。ただ、分かって欲しかっただけで……」
『……はぃ……』
「すまない。でも、これからはもう少し気をつけて……」
『……はぃ』
「こんな風に男と二人っきりとかはマズイからな?こういう所には信用ある男とだな……」
ジークフリードはアーリアの様子に焦り、アーリアの瞳から溢れる涙を拭ってから頭を優しく何度も撫でてあやした。アーリアに危機感を植え付ける為とはいえ、流石にやってしまった感があった。リュゼあたりに知られたら、『女の子泣かすなんてサイテー』とか言われそうだ。もしも言われたとしても否定は出来ないし、文句も言えない。
「リュゼみたいにチャラチャラしたのはダメだ」
『じ、ジークさん……その言い方、兄さまみたいです……』
「アーリアの兄上もきっと心配している」
『だと、いいなぁ……』
ジークフリードが暫くアーリアを宥めていると、アーリアは泣き疲れてそのまま眠ってしまった。ジークフリードは呆れながらもアーリアの身体に掛け布を掛けて、その上からそっと抱きしめた。
「……アーリア。お前はもう少し自分を認めてやれ」
アーリアは美しい。それは見た目だけではない。何事にも立ち向かおうとするその心が美しいのだ。ジークフリードはアーリアの健やかな寝顔に苦笑しながら呟く。
ー自分の下心も大概だな?ー
そう、ジークフリードは一人で盛大に反省したものの、理性が本能に負けて、そのままアーリアの体温を感じつつ隣で眠るのを選んだ。
ーー次の朝。
アーリアと共に朝を迎えたジークフリード。
アーリアから『じゃあ、ジークさんは安全ってことですよね?』と言われ、ロクな否定も出来ずに頷いたのは、ジークフリードにとって旅が終わった後にも残る苦い思い出の一つだという……。
お読みいただきありがとうございます!
ブクマ登録、感謝感激です!
ありがとうございます!
ジークフリード、アウト〜〜!!
師匠や兄弟子、姉弟子にヤられることが確定しました!




