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第19節 紗南ちゃん、暗躍する

「洗い物を片付けるから、客間のほうにご案内してね」


お屋敷の敷地に戻るなり、彩乃は紗南ちゃんに言った。


「後片付けくらい、あたしたちも手伝うって」


夏希が申し出るが、彩乃は小さく首を振る。


「ううん。ふたりは今日お客様なんだから、じっとしていて」


「いや、それくらいするって。なんか悪いしさ」


すると紗南ちゃんが割って入ってきた。


「すみません。今日のところはお姉ちゃんの好きにさせてあげてください。むしろ自分一人でやってしまいたいって性格ですから」


紗南ちゃんにそう言われてはそれ以上言えず、通された和室で彩乃が戻るのをぼんやりと待つ。ここもさっきの部屋と同じくらいに広い。書の掛け軸なんか、いかにも高そうだ。


「それにしても、広い庭よねえ。バスケコート何面分くらいあるんだろ?」


夏希は少しだけ開いた障子の隙間から見える景色を眺め、独り言のように言うと立ち上がり、障子を大きく引いて廊下に出る。


「すごいね。なんか旅行にでも来たみたい」


「ま、実際俺たちからすりゃ、ここは別世界みたいなもんだからなあ」


夏希は外を見つめたまま「大丈夫?」と聞いてきた。


「は? 大丈夫ってなにがだよ?」


いきなりの問いにわけがわからず聞き返す。


「これからも、あやのんとやっていけるのかって聞いてるの。あんた、向こうが本物のお嬢様だからビビってるんでしょ?」


むっ、バレてる。俺が夏希の思考をだいたい読めるのと同じで、夏希もまた俺の考えなどお見通しだ。


「……ビビってて悪かったな。俺なりになんとか頑張ってくつもりだよ」


「ふーん。だったら、無理してそんな格好つけたりしないことね。すぐボロが出るから。ふつーにしてるのが一番よ。だって、あんたは“ふつー”なんだから」


こいつは励まそうとしているのか、おちょくっているのか。たぶん両方。


「ふつー、ふつー言うな」


夏希はへへっと笑った。


トトトと反対の廊下のほうから元気のいい足音が聞こえてくる。襖を引いて入ってきたのは紗南ちゃんだ。その胸にはバスケットボールが抱えられている。


彼女は夏希のところまで行くと両手でボールを持って突き出した。


「あの。よかったらバスケを教えてもらえませんか? 今度授業でバスケの試合をするんです」


「おっ、いいねえ~。食後の腹ごなしにちょうどいいし」


夏希は二つ返事で答えた。


俺たちは紗南ちゃんと一緒に部屋を出て玄関のほうへと向かう。


「おねーちゃん、みんなでちょっとお庭に出ているからねー」


廊下の先から台所があるらしい方に向かって、紗南ちゃんが大声で呼びかけた。


「うん、わかったー」と彩乃の返事が微かに聞こえる。


俺たちのほうまで戻ってくると、紗南ちゃんはニッコリ笑って、元気よく玄関の戸を開いた。


「いきましょー」




ダム。ダム。ダム。紗南ちゃんが器用にボールを操りながら左右にドリブルすると、夏希は手を叩いて上手い上手いと褒め称えた。


「へへ、ありがとーございます!」


俺は二人の練習を少し離れたところから、両腕を組み監督気取りで見守る。こんな格好じゃなければ参加するんだが。


「それだけ出来たら十分、十分。あたしが教える必要なんてないって」


紗南ちゃんは首を大きく振った。


「こんなんじゃダメなんです。対戦相手のクラスにはミニバスをやっている子がいるから。もっと上手にならないと! その子に負けたくないんです!」


どうやらかなりの負けず嫌いらしい。


「ほほう。それじゃあ、ひとつ必殺技を伝授してあげようじゃない。ボールを貸して」


「はい! よろしくお願いします!」


審判にバレないように肘をくらわす方法とか教えるんじゃないだろうな……不安だ。


ボールを受け取ると、夏希は腰を落としてドリブルをはじめる。


「よーく、見ててね」


夏希はペースを変えながら左右にボールをつく、そしてすばやく大きく右側に踏み込むと、瞬時に反対側に切り返し、一瞬で紗南ちゃんを抜き去った。


「どう。こんな感じ」


「わ、すごい、すごいです! なんていう技なんですか?」


「クロスオーバー。視線でフェイクを何度も入れて相手をゆさぶるのがコツね。ほらっ、もう一度やるから見ていて」


小学生の体育でそんなの教えてどうすんだ……。


夏希はさっきよりはゆっくりめにドリブルすると、今度は右側に抜いていった。


「じゃあ、やってみて」ボールをバウンドパスする。


見よう見まねで紗南ちゃんはドリブルをはじめる。


「ディフェンスに取られないようにボールは低くして。あと踏み込むときは内側に体重をかけてね、切り返しやすいように」


「は、はい! わかりました!」


さすがにいきなり上手くはいかないようで、動きがちょっとぎこちない。


砂利を踏む音がして振り返ると片付けを終えた彩乃がやってきた。


「あ、なっちゃんにバスケを教えてもらっているんだ」


「あんな教え方で大丈夫か疑問だけどね」


「そんなことないよ。なっちゃんは親切で丁寧だから、きっと教えるのは上手だと思うな」


親切? 丁寧? 夏希を表現する言葉としては間逆じゃないか?


「でも、あの子ったら、いつの間にバスケットボールなんか借りてきたんだろ?」


「え? あのボール前からあったんじゃないの?」


「ううん、見たことないから借りてきたんだと思う」


うーん、さすが紗南ちゃん。用意がいいというか、ちゃっかりしているというか……。


「紗南がんばってー」彩乃が声援を送ると、紗南ちゃんは片手をあげて応える。


でも、いいところを見せようと力んじゃったのか、ボールを自分の足に当ててしまった。跳ね返ったボールがこっちのほうに転がってくる。


俺はその方向に動いてボールをキャッチし、ボールを追ってきた紗南ちゃんに手渡す。


「すみません。ありがとーございます」


紗南ちゃんはボールを胸に抱えながら、深々と頭をさげた。そして、そっとささやく。


「今のうちです。二人きりになるチャンスですよ」


「え!?」


ビックリして聞き返すが、紗南ちゃんはニコリとしただけで、踵を返す。


後ろ姿のままグッと親指を立てて戻っていった。


まさか、それでボール借りてきたとか? 


……気をまわしすぎ。


しかし、頑張れといわれても、どうすればいいのやら。彩乃のほうを見ると、夏希のそばで楽しげに話をしていた。


「ごめんね。せっかくのお休みなのに、紗南に付き合わせちゃって」


「いや、紗南ちゃんは筋がいいから、教えていて楽しーよ」


「そう? ならよかった」


そこにボールを抱えた紗南ちゃんが加わった。


「あの、夏希さん。もう一度やってみせてもらえませんか? まだ、感じがつかめなくて」


「オッケー。じゃあ、ボールを貸して。たくやー、そこに立ってディフェンス役やってよ」


「しゃーねーなあ」


一瞬ジャケットを脱ぐか迷ったが、着たままで夏希が指差す場所に腰を低くして立つ。


「じゃあ、見ていて」


夏希がダムダムとボールをつきながら向かってくる。なんだかすげー懐かしい。こいつの練習には散々つきあわされたもんだ。


夏希は俺の正面までくると、ドリブルに緩急をつけ、チラリと左に視線を向けた。そりゃフェイクだろ。夏希は大きく左側に一歩踏み出し、即座に切り返す。


ほら、読みどおり! だが、頭ではわかっていても体がついていかない。あっという間に切れ味鋭いクロスオーバーで抜かれてしまった。


「まーざっと、こんなもんよ」


夏希は得意げにボールを指の上でクルクル回転させる。


スゴイスゴイと小早川姉妹が拍手を送った。


「うーん。わたしに出来るでしょうか?」


「練習すればね。つきあうから頑張ろ」


「はい!」


紗南ちゃんは元気よく答えると、夏希からボールを受け取り練習を再開する。


「あやのん。しばらく紗南ちゃんと練習しているから二人は家の中でほかのことをしてて。ここにいたら暑いでしょ?」


「え、いいよ。見ているから」


「あとで上手くなったのを見せてビックリさせたいからさ。ね?」


夏希が目配せすると、紗南ちゃんは示し合わせていたかのように大きくうなずいた。


「ほら、紗南ちゃんもそうだって」


二人が俺たちに気をつかっているのは明らかなだけに、彩乃は困り顔で俺を見た。せっかく二人がくれたチャンスだ、ありがたく頂戴しよう。


「たしかにこの格好だと暑いから、中で涼ませてもらってもいいかな?」


「あ、うん。だったら中で冷たいものでも用意するね。なっちゃんたちは?」


「今はまだいいよ」


「わたしも後でー」


「そ、そう? じゃあ、拓也くん行きましょ。なっちゃん、紗南のことよろしくね」


「うん、任せといて」


「紗南ちゃん、がんばってね」


「はい! がんばりまーす!」


俺たちはそう言い残してお屋敷のほうへと歩く。少し振り返ると、夏希と紗南ちゃんが拳を突き上げてエールを送っていた。


き、期待が重い……。

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