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第17節 拓也、小早川邸へ(前)

日曜日、俺は早起きして、鏡と格闘していた。


髪を七三に分け、ジェルでがっちり固め、白いシャツにグレーのスラックスを穿く。あんな豪邸にお呼ばれするんだ、ドレスコードってものを意識しとかないとな。


「たくやーー。夏希ちゃん来たわよーー」廊下のほうから母さんの声がする。


「わかった。今行くー」


ネイビーのジャケットを羽織る。

おっと、ハンカチを忘れちゃいけない。


あの後、なんか夏希まで一緒に来るって話になってしまった。昨日は女子バスケ部のインハイ予選1回戦。今日は休養でオフらしい。


ちなみにこっそり試合を観戦した。ダブルエースの威力は凄まじく、ダブルスコアで大勝。チアデビュー待ったなし!


玄関に行くと、夏希と母さんが楽しげに喋っていた。波長が合うらしく、昔から仲がいい。


「なにそのカッコ。七五三?」


俺を見るなり、二人は腹を抱えた。ふん。笑いたきゃ笑え。夏希はネイビーのTシャツにストレートデニムというラフな格好。後悔するのはお前のほうだ。


「今日は二人そろって、どこへデート?」


「ちがうから」「デートじゃないです」


母さんの軽口はサラッと受け流す。夏希が大のお気に入りなので、俺たちが一緒だと、やたらこういうことを言いたがるのだ。


「それじゃあ、いってくる」


「いってらっしゃい。車に気をつけてね」


「ガキじゃあるまいし。大丈夫だよ」


「ああ。夏希ちゃんと一緒だから、つい、ね」


母さんはニコニコしている。そういや、こいつと一緒に出掛けるのって久しぶりだな。


「それじゃあ、おばさん。いってきまーす」


二人そろって家を出た。


夏希の家の前を通りすぎようとすると、「ワン!」夏希ん家の飼い犬のクウが、散歩に連れてけと言わんばかりに前足で柵をカリカリする。


「悪い、今日はちょっとおでかけなんだ」


夏希がクウの前まで近づくと、しゃがみ込んで頭をわしゃわしゃ。

クウは尻尾をぶんぶん振りながら、名残惜しそうにこっちを見送ってくれた。


「それで、あやのんの家まで、どれくらいかかるの?」


「んー。1時間ちょっとかな」


今から出たら12時前には着くだろう。お昼は食べてこなくていいって話だ。


フフフンと夏希は鼻歌交じりで歩きだした。昨日の大勝に気を良くしているか、彩乃の家のご馳走に期待しているのだろう。だが、浮かれていられるのも今のうちだ。


電車に揺られ、最寄り駅に降り立つ。


「へー。ここがあやのんの町かあ。静かないいところね」


夏希は遠くを見るみたいに額に手のひらを当て、周囲をぐるぐる見回す。


「ほら、さっさと行くぞ」


「ちょっと。こっちは道わかんないんだから、一人でいかないでよ」文句を言いながら追いかけてくる。


夏希は道も知らないくせに俺を追い抜き、どんどん先を歩む。かと思うと、急に立ち止まってはソワソワと視線を泳がせ、物珍しそうにあたりを観察している。まったく小学生か。


「それにしても、この辺ってホント大きなお家が多いのね。ひょっとして、あやのんのお家もこんなカンジ?」


「まあな」


ホントはもっとデカいけど。言うとビビりそうだから黙っておく。


「あやのん、やっぱりイイトコのお嬢様だったんだ……。あたしってば、こんな格好で浮かないかな?」


夏希はTシャツの胸元を引っ張る。


「んー。別にいいんじゃねーの? お前がスカートを履いてるほうが違和感あるぞ」


「そっかー。だよねー」


背中を激しく殴打された。


そうして歩き続けるうちに彩乃の家が見えてきた。何度見ても立派だ。


「え……。ひょっとして、あのお屋敷なの?」


夏希の問いに答えず、無言で歩く。そして門の前で立ち止まった。引き返そうとする夏希の腕を掴む。


「待て、どこへ行く――」


「こんなの聞いてないわよ! 一番大きいじゃない!」


「ここまで来たんだ。潔く覚悟を決めろ! プレッシャーに強くなるための特訓だと思え」


「プレッシャーの種類がちがうでしょ!」


揉めていると、声を聞きつけたのか彩乃が姿を見せた。


「拓也くん、なっちゃん。いらっしゃい」


彩乃は白いブラウスに青のロングスカート。アクセサリーはひとつもなし。少し地味めだけど、清潔感たっぷりで彼女らしい。


ていうか、むしろ浮いてるのは俺のほうでは?


「拓也くん。今日はパリッとしてて、すごく決まってるね」


「そ、そうかな?」


「えー。なんか間が抜けてない? 気合い入り過ぎて見事に空回ってるカンジ」


少し余裕が出たのか夏希が軽口を叩く。


「ううん。そんなことない。とっても素敵だよ。さあ、入って」


招かれて門をくぐる。


中は、外から見えていた以上に広かった。手入れの行き届いた美しい日本庭園が続き、松の木が外壁を囲むように植えられている。大きな池まであって、時代劇のセットそのものだ。


門をくぐった途端、さっきの余裕は吹っ飛んだらしく、夏希の顔はメチャクチャ強張っている。もっとも俺もカチンコチン、ロボットみたいなカクカク動作になってしまう。


「り、立派なお家ね。それにすっごく広い……」


「ありがとう。でも、平屋だから中はそれほど広くはないんだよ」


いや、平屋ってのがまた贅沢っていうか。


「今日はお家の人はみんないるの?」


心の準備のために訊いてみる。


「ううん。お父さんは仕事で、おじいちゃんとおばあちゃんは旅行に行ってるから、お母さんと妹だけだよ」


少し、ほっとした。


ガラガラと音を立て、彩乃が玄関の戸を大きく開く。


「お、お邪魔します……」


彩乃に促され、俺たちは緊張の面持ちで建物の中へと踏み入った。


古い木の家特有の匂いがする。といってもカビた匂いではない。どこか懐かしい、とても落ち着く空気だ。中は広く、日の光に照らされた廊下がずっと奥の方まで続いている。


「お母さん。お友達が来たよー」


玄関先から彩乃が俺たちの到着を告げると、廊下の中ほどにある部屋の障子が引かれ、和服姿の女性が現れた。その人はしゃがみ込んで障子を閉め直すと、静々とこっちに向かって来た。


どう見ても歳は三十代前半くらいにしか見えないが、この女性が彩乃のお母さんなのだろう。彩乃をぐっと大人っぽく、艶っぽくした感じだ。普段から和服姿だなんて、華道か茶道でもやっているのか?


女性は俺たちの近くで立ち止まり、微笑みながら「いらっしゃい」と、丁寧におじぎをした。俺と夏希も釣られるように頭を下げる。


「あなたが佐藤くんで、あなたが瑞沢さんね。初めまして。いつも娘がお世話になっています」


「こ、こちらこそ。この度はお招きに預かり、ありゃがとうございます」


ちょっと噛んでしまった。


「バカ」夏希が小声で言う。


そんな俺たちの様子を見て、彩乃のお母さんはふふふっと柔らかな笑みを浮かべた。


笑われてしまった……。ああ、第一印象から失敗したあ。


「ごめんなさい。そうじゃないの。この子がお友達を家に呼ぶなんて初めてなものですから、つい嬉しくて」


「もーーーー。お母さん。余計なことは言わないで!」


すると今度は彩乃が顔を真っ赤にして叫んだ。初めて見る彩乃の子どもっぽい姿だった。


「ごめんごめん」


彩乃のお母さんはなだめるように言うと、壁際のスリッパ立てからスリッパを取り出し、俺たちの方に向けてそっと差し出した。その立ち居振る舞いはとても流麗で見惚れてしまう。本当に上品な人っていうのはこういう人なんだなあ。きっと彩乃の所作が普段から綺麗なのも、お母さんの影響だろう。


「さあ、入ってください。食事も用意していますので」


「お邪魔します」


俺たちは靴を脱いで、スリッパに履き替えた。


「彩乃、ご案内して」


「うん。拓也くん、なっちゃん、こっちだよ」


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