第01節 謎の恋文
突然、こんな手紙を出してごめんなさい。
あなたのことをずっと見つめていました。
どうしてもお話ししたいことがあって、勇気を振り絞ってペンを取りました。
放課後、学校の屋上で待っています。
放課後、誰もいない教室。
俺は今朝、自分の机に入っていた手紙を読み返していた。
何度読んでも手の震えが止まらない。
目をこすり、一文字一文字、句読点に至るまで確認する。
ま、間違いない。
ラブレター。愛の告白に違いなかった。
だが、突然舞い降りたこの僥倖をそのまま信じることはできない。
一見、清らかな乙女が書いたようなこの筆跡に、どんな邪悪なたくらみが潜んでいることか。
おそらく犯人は、この手紙で呼び出し、待ちぼうけにされたマヌケな姿を撮影して笑いものにするつもりだろう。
誰がこんなつまらない策略に引っかかるものか!
ラブレターを四つ折りにし、そっと胸元にしまい込む。
いや、これは犯人を見つけるための重要な証拠品だからな、うん。
「なにしてるの?」
ひぃ!
背後からの声に飛び上がりそうになった。
振り返らずとも、誰の声かわかる。
息を吐き、ゆっくり振り向くと、見知った少女の姿があった。
そう、ポニーテールの悪魔が。
声の主は瑞沢夏希。
生まれた時から隣の家に住む、いわゆる幼なじみってやつだ。
こいつとはずっと一緒にいたのに、お互いの恋愛感情に気づいてなかった――なんて、こそばゆくも甘酸っぱい関係などでは決してない。
今でこそ普通の女子高生のように振る舞ってはいるが、夏希は小さいころから圧倒的な武力を背景に、ガキ大将として君臨していた。
それは、まるで洛陽の都で悪逆非道の限りを尽くす董卓のよう。
背後から声をかけられただけで、震え上がるのも無理からぬこと。
「なに、さっきからブツブツ言ってんの? 危ないやつみたいよ」
暴虐の王は言った。
「な、なんでもねーよ。それより、部活はどうしたんだよ」
夏希はバスケ部のレギュラーだ。インターハイ予選も近いはず、部活が休みなわけがない。
「教室にバッシュを忘れちゃってさ」
手提げ袋を持ち上げる。
いいのだろうか?
か弱い女子生徒たちと同じコートにこいつを立たせて。存在自体がテクニカルファウルだと思うのだが。
「拓也のほうこそ珍しいじゃない。いつもはホームルームが終わったら、ソッコーで帰っちゃうのに。何か用事でもあるわけ?」
「ない! 用事なんてあるわけがない!」
首を高速で横に振る。
「大声出して怪しいわね……。何かヤマシイことでも考えてたんじゃないの?」
お前じゃあるまいし! というツッコミを呑み込む。
それにしても、相変わらず嫌なタイミングで現れるやつだ。俺の都合の悪いときに限って、エンカウント率が上がる。
「ちょっとぼーっとしてただけだ。もう帰るよ」
「ふうん」
夏希は小首を傾げ、視線を俺の胸元に注ぐ。
ったく、早く行けっての!
「どうしてずっと胸に手を当ててんの?」
し、しまったあああ!
警戒するあまり、無意識にラブレターをガードしていた。
すっとぼけた顔をしているが、俺にはわかる。その瞳の奥に、刃を構えた刺客が潜んでいることを。
マ、マズいぞ。
こいつにだけは知られるわけにいかない。
見つかったが最後、俺がラブレターをもらったという情報は、SNSを通じて、クラスメート、家族、近所のおばちゃんに至るまで、秒で広まることは確実だ。
「ちょ、ちょっと胸焼けしてな。昼メシを食いすぎたのかも。実は、それで休んでいたんだ」
とっさに苦しそうな表情をして胸をさすってみせる。
「大丈夫? たしかに顔色悪いわね。いつもにもまして青白い感じ。保健室に付き添ってあげよっか?」
近づこうとする夏希を、すばやく片手で制す。
「大丈夫だ。もうだいぶ良くなった。お前に迷惑をかけなくても一人で帰れる」
「迷惑だなんて水臭いわね。一応、幼なじみじゃない」
ちっ、やはり何か嗅ぎつけてやがるな。
不自然なまでに優しい。いつもとキャラが違う。
「本気でヤバいときは世話になるさ」
口の端を上げ、微笑んでみせた。
「そう? あんまり無理しないようにね」
「ああ、分かってる。それよりお前こそ、早く部活に行ったほうがいいんじゃないか? 練習に遅刻するぞ」
「あ、そうだった! ヤバッ」
夏希は教卓の上の掛け時計を見ると、バタバタと教室から出ていった――。
あ、危ないところだった。
ほっとして、ラブレターを胸のポケットから取り出す。
あいつに見つかったときのことを思うと、背筋が凍る思いだ。
「ああ、そうそう!」
出ていったばかりの夏希が舞い戻ってきた。
くそ、油断させといてこれかよ!
とっさにラブレターを後ろ手に隠す。
「ま、まだ何か忘れ物か?」
「そうじゃなくて。寄り道しちゃダメだからね。早く帰って、おとなしく寝てなさい!」
「ああ。もちろん、すぐ帰るとも!」
こくこくと首を振ると、夏希は満足げにうなずき、じゃねと小さく手を振って出ていった。
まったく、なんて心臓に悪いやつだ……あっ。
ラブレターは強く握りしめたせいで、クシャクシャになっていた。
夏希が去った教室には、再び静寂が訪れる。
涙目になりながらラブレターのしわを伸ばし、改めて読み返す。
さっきまでは「ラブレターをもらった」という人生最大の衝撃を前にして冷静に考えることができなかった。
夏希の襲来がショック療法になって、落ち着いてきた。
――評定を始めるぞ。
俺は脳内の軍師たちを呼び寄せた。
多士済々の知者が並ぶ。
「お前たち、このラブレターをどう考える?」
俺が問うと、脳内軍師の中で最高の知力を誇る諸葛亮孔明が歩み出た。
「間違いなく殿を陥れる罠と考えます」
孔明は指を二本立てる。
「根拠は二つ。第一に差出人が不明なこと」
「待て。差出人が書かれていないからといって罠とは限らないだろ。名前など適当に書いておけばいいじゃないか」
俺が異議を唱える。
「いや、偽の名前を書けば、そこから偽書と看破される危険も増します。名前など書かないほうが良いのです。相手のことは殿のほうで都合よく想像するのですから」
なるほど。孔明の言うことには一理ある。
……待てよ。
さっきの不自然なほど優しい態度、一度教室を離れたのに、また戻ってきたという奇怪な行動。
ひょっとして犯人は夏希か?
いや、違う。
首を振ってその考えを捨てた。
あいつはこういう回りくどいいたずらを仕掛けるタイプではない。
夏希でないとすると、他に考えられるのは――。
「太田か? やつならこういういたずらを嬉々としてやりそうだが」
「彼の者には犯行の機会がございませぬ。昨日は殿とご一緒に帰っており、今朝は殿より遅く登校しております。今朝見つけた恋文を机に仕込むことはできませぬ」
むむむ。俺は顎に手を当てた。
まあいい。犯人のことはとりあえず置いておこう。推理するには情報量が少なすぎる。
「根拠は二つあると言ったな。もう一つはなんだ」
「宛名についても書かれていないということです。書き忘れただけ、あるいは手紙を見咎められたときのリスクを避けた。理由はいくらでも考えられます」
孔明は白羽扇で口元を隠し、目を細める。
「中でも最も考慮すべきは、殿に宛てたものではない可能性でしょう」
「殿の机に入っていたのだから、殿に宛てた恋文と考えるのが当然ではないか」
もう一人の軍師、司馬懿仲達が口を挟む。
「間違って机に入れられた可能性は?」
孔明が切り返す。
「馬鹿な。意中の相手の机を間違えるわけがなかろう!」
「いや、他クラスの娘の場合はあり得る。根拠もある」
「根拠だと?」
「恋文の『ずっと見つめていました』という記述です。
クラス替えからまだ二か月。『ずっと』というには短すぎます。
つまり、恋心を抱いたのは高一、あるいは中学時代からと考えられるのです」
ラブレターが俺の机に入れられたのは、昨日の放課後から今朝のまだ誰も来ていない時間帯。よそのクラスの人間であれば、机を間違えることは……あるかもしれない。
「殿は品行方正。教科書やノートなど名前のわかるものを机に残されない。
その女子生徒が机の中を確認しようにも、誰の机か判断できなかったはず」
――評定終了。
くわっと俺は目を見開いた。
危ない、危ない。
もしこのラブレターを真に受けて屋上に行けば、とんだ道化になるところだった。
君子危うきに近寄らず。
ラブレターを鞄にしまい込み、椅子から悠然と立ち上がる。
いかん、目から汁が。




