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第75話 異世界で地方出張ってなんですか


挿絵(By みてみん)




 アルセリア王国という国を地図の上から眺めた時、最初に目へ入るのは国境線ではなく、その中央近くへあまりにも大きく根を下ろした世界樹である。


 王都アルヴェリオンという巨大都市そのものが世界樹を中心として成立している以上、政治、信仰、魔術、交通、軍事、物流のどれを辿っても最終的にはあの巨木へ行き着くため、国外の商人などはしばしばアルセリアを「世界樹の国」と呼ぶのだが、実際にそこで暮らす人々からすれば、世界樹だけを見てこの国を理解したつもりになられるのは、王都の大通りだけ歩いて地方料理まで知った顔をされる程度には雑な話だった。


 正式名称は〈アルセリア王国〉。王家に伝わる古称〈アルセリア〉は、古い言葉で「世界樹の根元へ最初に築かれた城塞国家」に近い意味を持つとされているものの、現在の王国は一つの城壁都市とその周辺だけで完結するほど小さくなく、風の大陸中央部に広大な領土を持ち、中央盆地から東西南北へ伸びた街道と河川、そして世界樹から枝分かれする巨大地脈に沿う形で、千年以上もの時間をかけて異なる土地、異なる暮らし、異なる常識を抱え込んできた。


 王都アルヴェリオンを中心とする〈中央王樹圏〉には、世界樹をはじめ、広大なセイル平原、王都近郊の農村群、ラグメル、クルム村、そして現在では王国中枢でも警戒対象となっている星の塔などが存在し、政治、学術、宗教、軍事、商業の中心が集まっている。王国人口のおよそ四分の一が中央王樹圏とその周辺へ集中しているため、王都暮らしの人間にはこの地域こそがアルセリアそのものに見えやすいのだが、西へ向かえば「王国の胃袋」と呼ばれる〈西穀地方〉があり、緩やかな丘と平野へ小麦、豆、葡萄、油菜の畑がどこまでも続き、翠桐や黄棘の騎士が農業用水路と魔獣被害の両方へ頭を悩ませている。さらに北へ進めば、鉱山、雪原、針葉樹林が広がる〈北嶺地方〉へ入り、冬になれば昨日まで存在した道が翌朝には雪の下へ消え、「春までは村一つが一つの国になる」と冗談とも本気ともつかない言葉で表現される土地が続く。そこでは北方砦群と青薔の軍事拠点が街より目立つことさえあり、王都の騎士が礼装の襟を正している頃、地方兵は凍った扉を蹴り開けるところから一日を始めていた。


 南へ向かえば景色はまた変わる。河川、湿地、運河、果樹園が複雑に入り組む〈南河地方〉では、水運が道路と同じかそれ以上に重要で、銀桂、翠桐、蒼菫の地方支部が治水術式と災害救助の両方を担い、大雨の季節には犯罪者より川の水位を睨んでいる時間のほうが長い。一方、大陸南東の沿岸部へ行けば、海外交易の玄関口となる〈南東海岸地方〉があり、そこでは港湾都市へ異国の船が並び、王都より多種多様な言語、衣服、食文化が混ざり合っている。反対側の〈西南荒地地方〉では、水も木陰も大型魔獣も公平に人間へ優しくなく、「国家の法律より先に生き残る方法を覚える」と言われるほど土地そのものが厳しい。アスカ・カグラードの故郷ベルガント集落も、その文化圏の北縁へ連なる地域にあった。


 そして王国の東側には、それらのどことも少し違う地域が広がっている。


 〈東霞地方〉。


 東を高山、南東を海、中央部を巨大な湖と無数の河川に囲まれ、世界樹から東へ伸びた地脈と豊富な地下水脈が複雑に交差する土地である。この地域は王国の支配が弱いわけでも、中央へ反抗的なわけでもない。それでも文化的な独立性は非常に強く、同じアルセリア王国の民でありながら、建物、衣服、宗教、食事、武器、言葉の訛りに至るまで、王都とは異なるものが数多く残されていた。


 東霞地方で最も大きな行政区の一つが〈ヤシロ州〉であり、その州都が〈燈ヶ京――ヒガシノミヤ〉である。人口はおよそ十二万から十五万人、周辺集落を含めれば王国東部でも最大級の都市となる。巨大な湖と山地の間へ挟まれた盆地へ築かれ、町の中央には〈鏡河〉と呼ばれる幅広い川が流れ、その両岸を木造家屋、商家、倉庫、茶屋、依代社、橋、細い水路が埋めている。山側へ目を向ければ地方最大の依代社〈天風大社〉があり、川沿いには商業地〈鏡河町〉、門前町である〈社前町〉、薄い片刃武器〈霞刀〉を鍛える職人が集まる〈刀鍛町〉、温泉宿と療養施設が坂へ連なる〈湯煙坂〉、水運と漁業の拠点〈舟倉町〉、さらに都市東部には地方防衛と広域救難の中枢である〈東衛郭〉が置かれている。


 燈ヶ京の町並みには、王都から来た人間が少し戸惑うだけの理由がある。世界樹から伸びる東方地脈と地下水脈が交差するため、この地域では小さな地殻振動が頻繁に発生し、重い石壁を積み上げる建築よりも、揺れを逃がす木造建築、組木、柔軟な柱、軽い瓦を利用する建築技術が発達した。さらに夏は暑く湿度が高く、冬には水分を含んだ重い雪が降るため、通気性のよい高床、深い軒、引き戸、竹や葦の間仕切り、薄く加工した紙を張った軽量建具が生活上きわめて合理的だった。そこへ加わるのが、東霞独特の〈依代信仰〉である。


 東霞では、泉、古木、岩、橋、滝、峠といった小さな土地そのものに微弱な魔力反応が生じることが多い。中央神殿庁の体系では土地霊素、自然精霊、局地的地脈反応など複数の分類へ分けられている現象を、東霞の人々はもっと生活に近い言葉で、「場所にも気持ちがある」と捉えてきた。そのため土地の魔力が強く現れる場所へ〈依代社〉を築き、境界へ〈境門〉を立て、鈴を鳴らし、願いを書いた札を結び、〈社守〉と呼ばれる者が日々その場所を整える習慣が生まれている。王国神殿庁の正式教義とは完全には一致しないものの、千年近く続いた地方慣習を今さら全面否定しても住民が困るだけなので、中央側も「地方伝統信仰」として半ば制度の中へ取り込んでおり、天風大社で祀られる〈風御主〉が神なのか、大地脈と風の精霊現象を人格化したものなのかについては、神殿庁の学者たちが何百年も議論している割に決着していなかった。


 結果として燈ヶ京では、木造二階建ての家、格子戸、紙窓、軒先へ下げられた風鈴、竹垣、吊り灯籠、編み床、薄い羽織物、腰から下へ大きく広がる作業着、霞刀、白珠穀を蒸した飯、魔豆を発酵させた濃い調味料、串へ刺した穀粉菓子、川魚の炙り焼き、湯屋といった文化が当たり前のように並んでいる。そのどれも成立過程は東霞固有の環境、魔術、宗教、産業に根差しており、単に王都とは異なる風変わりな地方文化というわけではなく、この土地で暮らす人々が何百年もの時間をかけ、雨の多い気候や豊富な森林、複雑に枝分かれする地脈、土地ごとに性質を変える微弱な魔力現象と折り合いをつけながら築き上げてきた、一つの完成した生活様式だった。


 そして、それほど異なる暮らしが同じ国の中で成立しているという事実は、アルヴェリオン王国という国家がいかに広大であるかを、何より分かりやすく物語っている。


 世界樹の根元に築かれた王都アルヴェリオンを中心として、その領域は北の雪深い山岳から南の大河流域、西の乾いた高原、東霞の湿潤な森林と盆地に至るまで広がり、土地が変われば気候が変わり、食べ物が変わり、信仰が変わり、使われる魔術も、そこに棲む魔獣も、起こり得る災害の種類さえ変わる。当然、王都で通用する仕組みをそのまま地方へ持ち込めばすべて解決するほど、国土というものは素直にできていない。中央がどれほど優秀であろうと、距離だけは命令一つで縮んではくれないのである。


 王国がこれほど広ければ、当然ながら王都の王樹十二華騎士団だけですべての事件を処理することはできない。王都から北嶺の山村へ騎士を派遣したところで、到着した頃には雪崩が終わっているどころか、村人が自力で道を掘り直し、派遣された騎士を逆に泊める羽目になる。南河地方の堤防が破れたという報せを受けてから蒼菫や翠桐を王都から出していては遅く、東霞で魔獣が街道へ出た場合も、馬を走らせて数日後に「助けに来ました」と言われたところで、現地住民からすれば「今ですか」という話になる。


 そのためアルセリア王国の主要都市には、〈王樹騎士団地方支部〉が置かれている。


 地方支部の聖騎士は、王都十二華の簡易版ではない。彼らは〈地方常任聖騎士〉と呼ばれ、十二華のように高度な専門技能へ特化するのではなく、その地域で起こりうる問題へ幅広く対応することを求められている。魔物災害、大規模犯罪、術式事故、街道護衛、要人護送、地脈異常、祭礼警備、山崩れ、洪水、火災、古代遺物発見時の初期封鎖、さらに専門部隊が到着するまでの現場維持まで、仕事の種類だけを並べると、一つの組織へ担当させてよい量なのか少々不安になる範囲を受け持っている。


 王国の制度上、通常軍は戦争と広域防衛、都市衛兵は日常的な治安維持、冒険者ギルドは依頼単位の危険対応、地方行政は住民生活と法務、神殿は祭祀と一部の医療・呪染案件を担当している。地方支部はその全部の間へ入る。


 何か大変なことが起きた時、とりあえず最初に呼ばれる聖騎士。


 非常に簡潔に言えば、そういう職場だった。


 地方支部と十二華の違いは格の上下ではなく、専門性の方向にある。未知の呪染が発生すれば地方支部が区域を封鎖して蒼菫や黒蓮へ連絡し、大型魔獣が現れれば住民の避難を始めた上で黄棘へ応援を要請し、国境問題なら青薔へ引き継ぐ。地方支部が救急医兼かかりつけ医だとすれば、十二華は専門医に近く、どちらか一方だけでは王国という巨大な患者を診ることはできない。王都から派遣された十二華騎士であっても、現地へ入れば原則として地方支部との連携が義務づけられている。地図に載っていない近道、毎年崩れる斜面、祭りの日だけ人が集中する橋、魔獣が出る時間、地元住民が信用する人物、逆に絶対に話を通してはいけない人物――そうした情報は書類より先に土地の人間が知っているからだった。


 そして、十二華騎士が自分たちの専門性だけを世界の常識だと思い始めないよう、王樹十二華総監院では毎年〈王樹地方連携実務巡回〉という制度を実施している。


 通称、〈合同巡任〉。


 複数の華から五人から七人程度を選び、一か月から三か月ほど地方支部へ送り込み、現地の聖騎士と同じ建物で働き、同じ巡察へ出て、同じ食堂で飯を食い、必要なら同じ泥へ足を突っ込ませる制度である。表向きの目的は新人教育、地方交流、隊間連携。制度設計側の本音はもう少し現実的で、専門性が高すぎる十二華の騎士へ定期的に「あなたたちの常識は、王国全体の常識ではありません」と思い出させることにあった。


 白華へ長く所属すれば、何でも守ることを先に考えるようになる。黒蓮にいれば、何でも調べなければ気が済まなくなる。紅椿は突破口を見ると突っ込みたくなり、青薔は住民の井戸が壊れた話まで戦術地図へ置きかねない。どれも専門部隊としては正しい一方、地方支部の人間からすると「その議論、あとにして今この荷車押してください」という状況は普通にある。


 そういうわけで。


「――合同巡任だ」


 リディア・アルヴェインが机の向こうでそう言った時、壁山とおるは、自分の人生にはまだ知らない種類の労働制度が残されていたのか、とでも言いたげな顔をしていた。


「……合同、何です?」


「合同巡任。正式名称は王樹地方連携実務巡回」


「正式名称を聞いたことで不安が増えました」


「なぜだ」


「名前の長い制度って、だいたい説明を聞くと仕事が増えるので」


 白華隊舎の執務室には、昼前の穏やかな光が窓から差し込んでいた。机の上には報告書、訓練予定表、地方支部の配置図、旅程表らしき紙束が整然と並び、その中の一冊だけがとおるの目には妙に分厚く見える。人間とは不思議なもので、自分に関係のない書類は景色として処理できるのに、「これからあなたが全部読みます」と言われそうな紙束だけは距離があっても圧を放って見えるらしい。


「毎年行われている制度だ。複数の華から隊員を出し、地方支部で一定期間共同勤務を行う」


「一定期間というのは」


「今回の第十九班は六週間だ」


「六週間」


 とおるは一度だけ瞬きをした。


「四十二日?」


「そうとも言う」


「言い方を変えても短くならないんですね」


「暦はそういうものだ」


「異世界まで来て、暦の融通の利かなさを再確認することになるとは思わなかった」


 リディアはいつものように冗談を真正面から受け止めることも笑い飛ばすこともなく、机の上から一枚の書類を持ち上げた。


「最初の二週間は地域理解、支部勤務、巡察、住民対応。三週目から四週目にかけて通常任務への混成参加。五週目は地方独自案件への同行。最終週は評価、報告、帰還準備が予定されている」


「それ、合同任務というより」


「巡任だ」


「地方出張ですよね」


「出張?」


「仕事のために遠いところへ行って、何週間か現地で働いて、最後に報告書を書いて帰ってくるやつです」


 リディアは数秒考えた。


「概ね合っている」


「合ってほしくなかった」


 とおるは椅子の背へ少しだけ身体を預けた。クルム村から王都へ来た時点で十分遠くまで来たつもりだったし、王都で騎士団に所属した時点で自分の人生から「地方へ長期派遣される会社員」のようなイベントは永久に消えたものだと思っていた。剣と魔法の世界に転移して三年、魔物と戦い、世界樹の根へ触れ、正体不明の古代剣まで預かることになった末に待っていたのが六週間の地方出張というのは、物語の方向性として何か間違っている気がしないでもない。


「ちなみに、どこへ?」


 嫌な予感を抱きながら尋ねる。


「東霞地方、ヤシロ州」


「遠い?」


「遠いな」


「即答」


「王都から東方街道を使い、通常の馬車なら十日以上。今回は騎士団用の長距離便と一部の転送中継を利用するため、移動は四日程度を見込んでいる」


「四日」


「帰りも同程度だ」


「勤務時間に移動時間は含まれます?」


「何の話だ」


「忘れてください」


 とおるは視線を机へ落とした。そこには地図が広げられており、中央に王都アルヴェリオン、そのかなり東へヤシロ州という文字があり、さらに州都〈燈ヶ京〉の名が記されている。地図上の距離感だけでも、近所へ巡察に行くという雰囲気ではない。


「ミレイユも一緒ですか?」


「いや」


「え」


 反射的に顔を上げた。


「ミレイユも合同巡任へ参加するが、別班だ」


「どこへ?」


「中央王樹圏南部。王都から一日ほどの地方支部だ」


 とおるは黙った。


「……一日?」


「ああ」


「俺、四日」


「ああ」


「しかも向こう六週間」


「期間はミレイユも同じだ」


「距離の話です」


 リディアは地図を確認するように視線を落とした。


「仕方がない。班編成は総監院が全体の経験、専門、所属華、地方側の要望を調整して決める」


「交換できます?」


「できない」


「聞くだけ聞いてみました」


 少なくともミレイユなら、自分より組織生活にも遠征にも慣れているし、どこへ放り込まれても数日後には現地騎士から頼られている姿が容易に想像できる。自分の場合、四日かけて知らない地方へ到着し、知らない人間と暮らし、知らない町で住民対応をし、さらに知らない支部で六週間勤務することになる。情報を整理すればするほど、能力の〈壁〉より先に精神的な防壁を展開したくなってきた。


「第十九班は五名編成だ」


 リディアが別の紙を差し出す。


「全員、別の華から選ばれている」


「五人」


「お前以外は三年以上の現場経験がある正騎士だ」


「……俺だけ?」


「ああ」


「新人一人を経験者四人で囲む形?」


「教育上の配慮だ」


 とおるは書類を受け取りながら、そこに書かれた名前へ目を走らせた。


 第二華〈銀桂〉、ココ・アッシュホード。二十四歳。所属五年。対人調整、情報収集、遠距離支援。


 第十一華〈緋桜〉、夜月リン。二十二歳。所属四年。高速連絡、斥候、救難。東霞地方出身。


 第四華〈蒼菫〉、モモカ・リヴリー。二十六歳。所属六年。医療、生活管理、重打撃支援。


 第十華〈翠桐〉、シオン・グリーンランド。二十九歳。所属七年。地脈、構造物、生活基盤、遠距離制圧。


 そして第九華〈白華〉、壁山とおる。


 所属歴の欄だけ、そこだけ数字の単位が違うように短い。


「……俺だけ保護者四人付きじゃないですか?」


「教育上の配慮だ」


「同じ言葉で押し切ろうとしてません?」


「事実だからな」


「配慮されすぎると逆に不安になるんですけど」


「安心しろ。お前だけ特別に監視されるような任務ではない」


 とおるはそこで少しだけ眉を動かした。


「今、監視って言いました?」


「言っていない」


「今の流れだと絶対それに近い意味が」


「新人教育上の配慮だ」


「三回目」


 リディアの表情は変わらない。こういう時の彼女は、絶対に何かを知っているのに必要以上は話さない顔をするので、とおるは早々に追及を諦めた。星の塔、謎の刻印者、世界樹の主根、右目、さらに工房から預かっている正体不明の剣まで抱えた新人を、経験者四人の中へ入れる判断そのものは合理的だろう。自分が人事担当でも似たことをするかもしれない。ただし、される側になると話は別だった。


「この人たち、知ってます?」


「何人かは顔を合わせたことがあるはずだ。深く話したことはないだろう」


「モモカ・リヴリー……」


 名前を見ながら、とおるは少し首を傾げる。


「東霞の人?」


「西穀地方出身だ」


「違うんだ」


「何がだ」


「いや、ちょっと名前の響きが」


「名前で出身を決めるな」


「ごもっともです」


 リディアが追加の資料を開く。


「夜月、モモカ、シオンの三名は過去に共同戦闘経験がある。王都で年に一度行われる大規模魔獣討伐演習、通称〈レイドバトル〉で同班になっている」


「レイドバトル」


「何だ」


「急に聞き慣れた単語が出てきたので」


「昔からそう呼ばれている」


「この世界、たまに俺の知ってる言葉を不意打ちで置いてくるのやめてほしいな……」


 リディアは当然ながら意味を理解せず、そのまま説明を続ける。


「三人は連携面で問題ない。ココ・アッシュホードも銀桂で五年の経験があり、地方勤務経験が複数回ある。夜月は東霞出身なので、土地勘と地方文化への理解もある。班としてはかなり安定している」


「俺以外」


「お前も守備と領域補助では役割がある」


「正式役割は?」


「〈防衛・領域補助〉」


「思ったより普通」


「何を期待していた」


「〈正体不明の現象が起きた時とりあえず壁を挟む係〉とか」


 リディアの目がほんの少しだけ止まった。


「……ありませんよね?」


「正式役割表にはない」


「正式じゃないところにありそうな言い方をしないでください」


「考えすぎだ」


「最近の俺、考えすぎた結果だいたい何かあるんですよ」


 机の脇には、グレンから預かった灰白色の鞘の剣が置かれている。もちろん抜いてはいない。白い線も今のところ大きな変化を見せていない。それでも、地方へ六週間も持っていく以上、何かあればグレンへどう報告するのかという問題がある。


「これも持っていくんですか」


「ああ」


「いいんです?」


「グレンとは確認済みだ。主根へ近づく予定もない。お前の観察対象として預けられている以上、王都へ置いていくより携行したほうがいいという判断だ」


「旅行用の荷物として数えるには重いんですけど」


「武器だ」


「俺の武器じゃないってグレンに言われました」


「なら古代遺物だ」


「もっと嫌になりました」


 衣類、騎士団装備、報告用具、日用品、医療用品、それに正体不明の古代遺物。六週間の荷造りとして、どう考えても最後だけ浮いている。


「右目については?」


「出発前に蒼菫で再検査を受ける。第十九班にはモモカ・リヴリーがいるため、現地でも経過観察が可能だ」


「白華を出ても医療監視から逃げられないんですね」


「逃げる必要がない」


「患者側と医療側では、その辺の価値観に永遠の溝があると思います」


「埋めなくていい溝だ」


「俺が壁使いだからってうまいこと言おうとしてません?」


「言っていない」


 本当に言っていない顔なので、とおるは自分から拾ったことを少し後悔した。


「それで、向こうで何をするんです?」


「燈ヶ京支部の通常業務へ参加する」


「具体的には」


「巡察、住民対応、街道警備、魔獣対処、地脈点検、祭礼警備、災害対応、必要に応じて古代遺物の初期封鎖」


「業務範囲広すぎません?」


「地方支部とはそういうものだ」


「それ、騎士団というより何でも屋に近くないですか」


「地域の危機へ幅広く対応するのが地方常任聖騎士の役割だ」


「迷子探しも?」


「する」


「水路修理も?」


「翠桐案件ならする」


「酔っぱらいの喧嘩止めたり」


「銀桂か衛兵と連携する」


「魔獣が出たら?」


「戦う」


「洪水」


「避難誘導と堤防支援」


「祭り」


「警備」


「……本当に何でもやるな」


 クルム村でギルド依頼を受けていた頃も、薬草採取から害獣退治、柵の修理、荷物運びまで仕事の種類はかなり雑多だった。その経験を思えば多少は馴染みやすいのかもしれないが、聖騎士になった結果、業務範囲が狭まるどころか国単位で広がっているのは納得しづらい。


「燈ヶ京支部は地方支部としては大きい。聖騎士が約三十八名、準騎士が二十五名ほど、記録、医療、整備、伝令などの非戦闘職を含めれば百三十名前後だ」


「思ったより大所帯ですね」


「担当地域人口は四十万人近い。燈ヶ京だけでなく、周辺の山村、湖岸、温泉地、沿岸街道、小島まで管轄している」


「一人当たりの担当範囲を計算したくない数字だな……」


「支部長は朧坂ゲンジ。五十一歳。元青薔で、二十年前に地方支部へ転属している」


「元十二華なんだ」


「ああ。現地勤務が長い。王都の騎士を特別扱いしない人物だ」


「いい人そうですね」


「判断が早いな」


「特別扱いされるとだいたい面倒なことになるので」


「その点では安心していい。以前、王都から派遣された席官へ『花の枚数で壊れた橋は直らん』と言った男だ」


「かなり好きかもしれない」


 ここへ来て初めて、とおるの表情が少しだけ明るくなった。


「現地での最初の挨拶も、似たようなものになるだろう」


「どんな?」


「王都の花様だろうが、新入りだろうが、こっちでは同じ。迷子になった住民一人探せなければ役に立たない――以前はそう言っていた」


「やっぱり好きかもしれない」


「会ってから決めろ」


「はい」


 とおるは改めて地図へ視線を落とした。王都から東へ遠く離れたヤシロ州。その中心にある燈ヶ京。聞いたことのない土地であり、知り合いもほとんどおらず、六週間という期間も決して短くない。心の半分くらいはすでに「行きたくない」という非常に率直な札を掲げていたものの、もう半分には少しだけ別の感情が生まれている。


 王都以外のアルセリア王国。


 世界樹の根元とは違う文化。


 地方支部の騎士たち。


 知らない町。


 知らない暮らし。


 以前の自分なら、知らないというだけで距離を取ったかもしれない。それでも今は、知らないものを全部危険物として棚の向こうへ置いておくことが、少しだけ惜しいとも感じる。


 もちろん、だからといって六週間が短くなるわけではない。


「出発は?」


「五日後」


「早いな」


「準備期間としては十分だ」


「ミレイユは?」


「三日後」


「しかも俺より先に終わった気分になれる」


「終了日はほぼ同じだ」


「距離が一日なのが羨ましいんですよ」


「お前の班には東霞出身者もいる。移動上の不便は少ない」


「そういう問題では……」


 そこまで言って、とおるは諦めたように息を吐いた。


「……分かりました。行きます」


「最初からその予定だ」


「返事の余地くらいあるように見せてください」


「任務だからな」


「はい」


 書類へもう一度目を落とす。


 〈合同巡任第十九班〉。


 派遣先、東霞地方ヤシロ州。


 受入支部、王樹騎士団・東霞第一支部。


 滞在地、燈ヶ京。


 期間、六週間。


 とおるはしばらくその文字列を眺めたあと、何となく嫌な予感に似た感覚を覚えながらも、それが星の塔や謎の刻印者を前にした時の危険察知とは種類が違うことに気づいた。


 もっと身近で、もっと生活に近く、そして会社員だった頃なら予定表を開いた時に感じていたような種類の重さである。


「……リディアさん」


「何だ」


「異世界で地方出張ってなんですか」


 リディアは少しだけ考えたあと、いつも通りの真面目な顔で答えた。


「合同巡任だ」


「名前を変えても中身は変わらないんですよ」


 世界樹の根元から東へ四日。


 壁山とおるの、聖騎士になって初めての長期地方勤務が決まった。


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