9,本当のイヴリンと本当のヴィンセント
ヴィンセントがオーネストの元で情報を聞き出したその日の夜、帰宅したヴィンセントに、イヴリンは少し話がしたいと持ち掛けた。
「お忙しいところ、お時間いただきすみません、ヴィンセントさん。庭のことでお願い…というか相談がありまして」
「大丈夫ですよ、何でしょうか?」
ヴィンセントは柔和な笑みを作ると、応接室にイヴリンを誘う。
「えっと…お蔭様でだいぶ庭も整地されてきました。なので、庭づくりに取り掛かりたいと思いまして。侯爵様はどういったお庭がお好みか聞いてきていただけませんでしょうか…? どのようなお花が好きとか、どういう樹木なら植えて良いか、とか…」
ヴィンセントの顔を窺うような遠慮がちな眼差しを向けるイヴリン。
「奥様は、どんな庭にしたいのでしょうか? お伝えした通り、予算は好きに使って良いと旦那様は言っておりましたし、もともと放置していたくらいですから。旦那様は庭に興味がないと思うので、提案いただけると助かります」
その言葉を聞いて、イヴリンはキラキラと目を輝かせる。
「それでは僭越ながら…! 」
イヴリンは堰を切ったように考えていたプランを話す。事前に屋敷の書庫にあった書物や、街の園芸店や農家を見て周って領地に生育する樹木や草木の種類を調べていた。各季節を感じられるような花が咲いたり、実がなる樹木を中心に組み立てた庭を提案する。副産物(食べ物)も実るような樹木や草木もさりげなく配置。基本的に、植物の体系は転生前の世界とあまり変わらない、ということは知っていたので――改良されたものはさすがに存在しないが――プランが立てやすかった。
そのプランを黙って聞いていたヴィンセントだったが、楽しそうなイヴリンを見て、ふと疑問に思う。
(本当に心から楽しそうに見える。知識は勉強で身に着くとも、実際に体験したことがあるような具体的なプランだ)
そして、ヴィンセントは思うまま、素のままで、つい口に出してしまう。
「…公爵令嬢とは思えん」
その言葉を聞いて、ピタっと発言を止めたイヴリンは、驚いた表情でヴィンセントを凝視する。
イヴリンの反応で、ヴィンセントは、つい口に出していた事に気づく。
「失礼しました。奥様に対する物言いではございませんでした。申し訳ございません」
困ったような作った表情に戻り、ヴィンセントは頭を下げる。
「…ヴィンセントさん、もしかして、そちらが素ですか? 実は、私もこちらが素です。以前は、求められる姿になろうと、頑張って『公爵令嬢』をしていました。庭のプランも、勉強した知識だけですが、ずっとやってみたかった事なんです。
不安かもしれませんが…公爵令嬢ではない今の私に、任せてくれませんか?」
(…公爵令嬢を演じていたのは本当。植物を育てた事がないというのは嘘)
イヴリンは真剣な表情でヴィンセントに問いかける。
そんなイヴリンの言葉を、目を反らさずに受け止めるヴィンセント。
「…分かりました。侯爵様に、そのようにお願いしておきます」
「ありがとうございます!…というか、ヴィンセントさん、口調、戻っちゃいましたね。残念。気が向いたらまた素を見せてくださいね」
涼やかな目元を綻ばせ、いたずらが成功したように笑うイヴリン。黙っていると冷たく見えるイヴリンの美貌だが、笑うと途端に人懐っこい印象になる。
「…考えておきます」
そのイヴリンの笑顔に居心地の悪さを感じた――本当は照れただけなのだが――ヴィンセントは、そのまま「公爵に相談する」と言って2階へ消えていった。
イヴリンは、ヴィンセントの姿が部屋から消えるまでその背中を見つめ、姿が見えなくなると、糸が切れたように体の緊張を解き、胸に手を当て、ふーっと息を吐く。
(びっくりした…。ヴィンセントさん…ちょっと素の言葉が粗雑でドキッとしちゃった…。これが世に聞くギャップ萌えってやつなのかな…。また見たいな…)
前世でも仕事優先で、まともな恋愛をしてこなかったイヴリンは、突然のトキメキを持て余すのだった。
◆
次の日、ロスグラン侯爵から許可が出たとヴィンセントから聞き、イヴリンはマリーに付き添ってもらい、苗木を買いに街に買い出しに向かった。目当ての樹木を扱っている園芸店や種苗店で苗を調達すると、荷物は屋敷に送ってもらって、ひっそり下見に行っていた農地を訪れた。
農地に居合わせた農家のおじさんに、ロスグラン領の気候と、野菜や果物の育て方を質問しながら、イヴリンは改良方法を模索する。
(普通に育てるより、もっとこの地に合った効率的で美味しい作物ができるやり方がありそうなんだよね…。私が試して、上手くいったら領地の皆にも共有できれば良いけど…ロスグラン邸の庭でできることは限られてるよなあ…)
特徴的な農地や温暖な気候をあまり生かせていないと踏んだイヴリンは、自分の前世の経験や、転生してから王都で学んだことなどが応用できると考えた。最初は自分がなんとか生きるため、と考えていたが、自然と侯爵領全体の利益を考え始めている事に気づかないでいた。
イヴリンは意を決すると、レクチャーしてくれていた農家のおじさんに、春を見越した新たな作付けについて提案を始めた。
(…農家の方と仲良くなってから、もしこの話に乗ってくれるなら、侯爵様が出資してくれないかヴィンセントさんに相談しよう…まあ、私に自由になる資金があれば一番良いんだけど…実家の援助は無理だし)
ひとしきり農家のおじさんに話をすると、意外にも「面白そう」と反応は色良かった。イヴリンの提案した方法が理にかなっていると思ったようである。
イヴリンは、再来を約束して農地を離れる。
(…冬に入るし、農業はひとまず今できるのはこのくらいで。あとは洋裁のお店と工房も今日行けたら…)
夢中な様子のイヴリンを、マリーは にこやかに見守っていた。