10,縮む二人の距離
月日は巡り、イヴリンがロスグラン邸に来てからちょうど二か月が経過した。
イヴリンは、ヴィンセントが外出する時は見送り、毎日、夜にはその日に行ったことの報告をするといった、穏やかなやりとりを重ねていた。イヴリンの話すことは常にヴィンセントに新鮮さを与え、博識で的確な言葉をくれるヴィンセントと話すことは、イヴリンにとって一番の楽しみとなっていた。
ただ、イヴリンは、未だ『侯爵』と面会は許されていなかったが、侯爵がイヴリンを追い出すことはなく、屋敷にイヴリンがいることが当たり前になっていた。
そして今、ロスグラン領地は本格的な冬を迎える。
(王都ほど雪も降らなくて、比較的冬が過ごしやすい地域で、良かったわ…)
イヴリンは、厚手のコートと手袋で最低限の防寒をしつつ、今日も街に下りていた。
商店街や農地、集落などに頻繁に足を運び、分け隔てなく気さくに話しかけるイヴリンは、次第にロスグラン侯爵夫人として顔を知られ、領地民にも受け入れられるようになっていた。
この日は、商工会の本部での打合せがイヴリンの主な用事だ。
一か月前にヴィンセントから商工会長のオーネストを紹介してもらい、イヴリンは商店街の洋服店と共に、王都向けに、ある事業を始めていた。今日はオーネストに会いに来たわけではなく、主要な洋服店との報告会だ。数名の店主とイヴリンが商工会の一室で顔を突き合わせている。
「侯爵夫人。夫人が教えてくれた王都の洋服店に、この庶民用の洗濯できるドレスを置かせてもらってから、受注がすごく増えたんです」
一人の女性がシンプルながらも手触りの良いドレスを手にしながらイヴリンに報告する。
「それは良かったです! ね、量産できるようにしておいて良かったでしょう? 王都の貴族も財政難なところが多いから、下町近くの区画のお店では売れると思ったのよね。庶民用とは言ってもアレンジして少しフォーマルにすれば見栄えは良いし、繰り返し着られるし」
王都でも、家名はあっても財政難な貴族は多い。貴族向けのドレスは、洗濯できない素材が多く、数回しか着られない。だから、パーティーではなく、普段着であれば、何度も着られ、見栄えのする安価なドレスは需要がある。イヴリンは、そう予想して売り込んだ。
「侯爵夫人! 私のところの貸し衣装も好調ですよ」
別の洋服店の店主も手にしていた書類をイヴリンに見せる。
「うんうん。ソフィアさん、順調で良かったです。やっぱり不景気は商売チャンスなのよね。こんな短期間で結果が出るとは」
こちらはパーティー向けのドレスのレンタル事業だ。同じく経済的に余裕のない貴族を狙った事業だ。狙いが当たってイヴリンは上機嫌になる。ソフィアは、イヴリンがロスグラン領地に来たタイミングと時を同じくして開店した、できたばかりの店の店主であったが、勘が良いのか、一番成果を出していた。まだ20代前半と見られる若く細身で、栗毛のショートカットが似合うおしゃれな女性で、旦那様との結婚を機にこの領地で店を始めていたとのことだ。
(洋服事業は、あとは一番お金がある上級貴族向けの事業よね…。こればかりは社交界で有名な貴族に宣伝してもらわないと難しいわ。私に伝手はないし…。イヴリンのキャラクターを維持するために不愛想にしすぎたわ)
新たな事業を模索しつつ、洋服店との報告会を終える。
商工会を出たイヴリンは、今度は農地の視察に向かう。
(農作物に関しては、本格的には、暖かくなってきてから。…ああ、でもビニールハウスとかあるといろいろ広がるんだけどな。王都の優秀な技師だったら似たようなのが作れないかな?)
イヴリンは、ロスグラン邸で自ら植物を育てつつ、イヴリンの考えに賛同してくれるいくつかの農家で、育て方の改良や植え替えを試させてもらったり、春に向けて、斜面と日当たりを生かした新規の作付けをできる所から進めてもらっていた。侯爵にもイヴリンの事業を面白いと思ってもらえ、資金援助を受けている。
一通り農地を見まわって、順調に育っている作物を満足気に確認したイヴリンは、ロスグラン邸に戻る。
(今日で二か月か…。本当に、二か月前はこんなに楽しく過ごせるとは思ってなかった…。明日をも知れない身になると思ったのに。それもこれも、マリーやキース、領地の皆が受け入れてくれたのと…なにより侯爵と…ヴィンセントさんのお蔭…)
あの日以来、ヴィンセントが素を見せてくれることはなかったが、たまに面白そうにイヴリンを見ている視線をイヴリンは感じていた。
(何かお礼がしたいな…)
仄かに頬を紅潮させながら思案を巡らせる。
(そうだ…!)
何かを思いついたイヴリンは、帰宅したその足でキッチンに向かっていった。
◆
ヴィンセントは一通り執務室での仕事を終え、夕食を2階に運ぶため1階に降りる…と、何か良い香りが漂っていた。今日はキースが食事を作りに来る日ではないはず、と不審に思ってキッチンを除くと、イヴリンが食事を作っていた。
今まで、キースがストックしている食事の温め直しなど、準備はイヴリンがすることも多かったが、自ら料理をしたことはなかった。
(手際が良い…料理までできるなんて、本当に珍しい令嬢だな…)
などと思いながらしばらくイヴリンの様子を眺めていたヴィンセント。
イヴリンは、何か視線を感じて扉のあたりを振り向く。
「ヴィンセントさん! いらっしゃっていたんですね。声をかけてくださいよ」
と、少し怒ったようなふりをするイヴリン。
ヴィンセントの視線が自分の手元にあることに気づく。
「あ…これはですね。ええと、今日で私が来て二か月ですし、いつもお世話になっているお礼をしたくて、ヴィンセントさんと侯爵様に和食を作ったんです」
「和食?」
聞き慣れない言葉に片眉を上げるヴィンセント。
「あ…。体に良い食事、ということです」
(この世界に和食はないんだよね…。似た食材で作れたけど、前世ぶりに料理をするし、調味料とかもちょっと違うから、自信は…あまりないけど…)
イヴリンは味噌汁と、綺麗に巻かれた出し巻き卵と、炊き込みご飯と、煮物と煮魚を、少量の2人分、トレーに置くと、ヴィンセントに渡す。
「奥様の料理とは…これは、食べるのが楽しみですね」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべるヴィンセント。
(ワイルドなヴィンセントさんだ…やばい)
不意打ちに、イヴリンはドキドキし始める。
「…含みのある言い方はやめてください。美味しかったらちゃんと褒めてくださいね!」
拗ねたような発言で照れをごまかすイヴリン。
「奥様…今日、私は奥様と一緒に夕食を食べたいです。侯爵様には、あとでしっかり届けますので」
「えっ!?」
ヴィンセントの思わぬ申し出に、驚きを隠せないイヴリン。
(嬉しい…ヴィンセントさんと一緒にご飯を食べれるなんて、久しぶり。侯爵様には悪いけど…)
「ぜぜぜぜひ!」
どもりながら前のめりで答えるイヴリン。
ヴィンセントは、そんなイヴリンのことを、優しい笑みを浮かべて眺めていることに、自身でも気づいていなかった。




