こっぱみじん
ニアねーさんに足をつねられて、俺は我に返った。
「鼻で吸わない。口で細く呼吸する」
「シータ、香りを嗅ぐな。【魅了】されてしまうぞ」
俺が何か一瞬、油断して気を失っていた隙に、もう戦いは始まっていたようだ。
迷宮主の前に対峙する主に、一体の魔物の女性が歩いて行く......裸の女?
「あれ? ...なんでこんなところに...女?」
「まだ少し残っておるようじゃのう......ほれ、これで解呪できたか?」
「...樹魔っ!?」
「うむ。あの老木の半身、つまりは身体を2つに分けたのじゃろう。末端ではなく自らとは、やつも本気というところかのう?」
「そんなのんきなこと言っていて良いんですか!? たぶん、あの様子だと主だって...」
「うむ。ばっちり【魅了】が入っておるのう......だが...ふむ?」
「...主様なら大丈夫です」
「サキ!? 気持ちは分かるが、いまはそんな...」
「違うの、シータ君。【魅了】にはかかっているみたいだけれど...でも......何か、もっと違うの」
「目」
「「めっ?」」
「主の目、敵を見る目。いまの主は一定時間無敵」
「やっぱり気を失ってからが主様ですっ!」
「サキちゃん気を失わせたらダメだよっ!?」
「...もう主様には、うかつに【魅了】はかけられぬのー」
「...みんな、もっと主を大切にしてあげて下さい」
...だ、だが...!?
主がなぜか、護拳を外してしまったぞ!? それで裸の女に手を伸ばしているぞ!? 本当に大丈夫なのか!?
ティ様「やーらしー」とか喜んでいる場合じゃ...サキとユキもほっぺた膨らましている場合じゃ、ニアねーさんもジッと見ている場合じゃ...違う、目を離すなって、えっ!?
...主が魔物の女の胸に拳を当てた。
その次の、瞬間、
「「っ!!?」」
......爆散、した......だと...!?
そこにいる全員がその光景に息を呑み、固まっていた。
粉々に舞い散る、血煙ならぬ、おが屑の霧。
主を抱きしめようとした女の背中が、いや前を残して後ろがほとんど、消し飛んだ...っ!!
一撃で、決着がついちまった。
状況を理解したサキとユキが拳を握って「「主様は最強ですっ!!」」と同時に叫び、ティ様が笑い出し、ニアねーさんは尻尾を振った。
主は枯れ木に拳を添えたまま、迷宮主は悲鳴を上げている。
...サキとユキは無邪気に喜んでいるけれど、あれって、俺も訓練中にうっかり主の拳をまともに食らったら、「爆発する」ってことじゃぁないのか...!?
「大丈夫、主、無駄な殺生はしない」
ニアねーさんが俺を安心させようと言ってくれたみたいだが、その一方で、迷宮主はまだ絶叫し続け、ティ様が腹を抱えてケタケタと笑っている。
「アハハハ! なんと、なんと凄まじいことか!
あれが【拳聖】、いや、【主様】の力と技かっ?! 主様は魔法も火薬も使わずに拳で何かを爆発させてしまうのか!?
愉快、実に愉快じゃ!! あれぞまさに、『木っ端微塵』というやつじゃ!! アハ、アハハハ!!」
低いような甲高いような樹魔の声、おどろおどろしい迷宮主の叫びが29階層に木霊する。
「はぁ〜〜〜!!! わ、わ、わしのっ......わしの半身が...はぁぁぁ〜〜〜!!?」
「さぁ、主様! 早う残りも爆発させてしまえっ!!」
...邪悪な妖精が哄笑し、邪悪な樹魔が悲鳴を上げる邪悪なおとぎ話がここにあった。
「...たぶん、無駄な殺生はしない、気がする」
「...ニアねーさん、そこで言い直さないでください」
サキが拳をつきだして「ドーン!」と口まねをして、ユキが「バーンだと思うよ?」なんて言っているが、ドーンでもバーンでもどっちでも良いから練習するのはやめてくれっ!? ...あれは、あんなものは、一般人は習得しなくても良い技だっ!
そして、拳を見つめて首をかしげる主......おいおいおい、なんだその「上手くいかなかったな?」って顔は、おい!?
うまくいったら一体、本当は、どうなっちまうはずだったんだよ、おいっ!?
そしてまだなお止まぬ樹魔の悲鳴――
――強い風の吹き抜ける夜、森の方角からどこからともなく聞こえてくる奇妙な遠吠えのような音は、木の雨露や洞窟の穴に突風が吹きつける時の音だ、なんて里の年寄り達から聞いたことがある。
あれよりもずっともの悲しくて痛々しい音が、そこにひたすら響き渡った。
しかし、主が無情にも、再び歩き出す――
――夜中に里の仲間達がする怪談話。
その定番とも言える「死者の魂を連れ去る何か」、そんな話を思い出す。
闇の奥から音もなく静かにやってきて、慌てず騒がず立ち止まらずに、そのまま静かに連れ去って行くのだという......
...ただし、今回はもう、魔物と俺達が、あべこべだ。いや、魔王だから合っているのか? ...いつもにも増して訳が分からねぇ。
悲鳴はやまない、魔王は止まらない、そして......
「ふむ、そろそろ頃合いかの...」
やれやれしかたない、とティ様がため息をついたその瞬間、突風が抜けたと思ったら、それはサキとユキの二人だった。
そして主に突撃!? ...いや、飛んで抱きつい...いや、あんなのはもう「攻撃」だぞ!? それこそ樹魔が相手ならばへし折れていてもおかしくない! あれを後ろから食らっても倒れない主もどうかしているっ!
...その後を、ニアねーさんもテーっと追いかけて、飛びついた。うん、あっちなら俺でも耐えられる!
そして、小鬼と猫まみれになった主が、樹魔の主に言った。
その声はもう、いつもの主のものだった。
「...お前はここを通行止めにするのが仕事なのだろう。
にも関わらず、つい最近、お前は人族の軍勢を気まぐれに素通りさせたのだろう? ならば俺達も通った所で今更だ......今回は運が無かったと思って、せいぜい今後は誰も通さぬように精進するが良い」
「き、貴様になど言われずとも...」
いや主、そいつの仕事は逆走を止めるのであって、俺達を止めるのは「業務外」だったはずだぜ?
それに、そいつは俺達を殺すつもりだったんだ、俺達だってここでこいつを見逃してやらなくたって良いと思うんだが...
だけど、主は迷宮主に対して、怒気をはらんだ低い声で言い放った。
「...だが、お前の気まぐれが誰かの運命を弄ぶのならば、俺が気まぐれにお前を狩る。 ...もう、どこにどう隠れようが、この【徘徊する逢魔】からは、逃れられると思うなよ...!!」
「ヒィッ!?」
...逆走でひどい目にあった俺達のために、あるいは23階層で絶命したあいつらのための警告。きっと、ただの脅しなんかじゃない、主の「転移門の場所を嗅ぎつけるスキル」やニアねーさんの魔法の力からは、本当にどこに隠れようが逃げ切ることはできないのだろう。
「...やれやれ、主様も甘いのう」
...そうは言うが、頃合いだと言って止めに入ったティ様だって同じだ。
ティ様はあの迷宮主を嫌っちゃいるが、それでも引き際を心得ているのだろう......これこそが女王の風格ってやつなんだと思う...
「...だが、わらわはもう、次まで待つつもりなど毛頭無いがのぅ?」
あれっ!? ティ様、あんた一体なにするつもりだっ!?
ゾッとした俺は思わずティ様の方に振り返ると――その後ろ、はるか木々の向こうにチラっと見えたその影は――
――あの夜、骸骨の旦那と一緒に、一生懸命俺を慰めようとしてくれていた、蔦ボウズの旦那の丸い影がっ――
「...シータ、どうした? そっちには何もおらぬじゃろう?」
「ティ様、あんた――」
「――な、に、も、お、ら、ぬ、じゃろう? ...案ずるなシータ、悪いようにはせぬ。フフフ」
それは「誰にとっての」悪いようにはせぬなんだっ!?
そうだ、そもそも「いたずら好きの妖精」達の、その「女王」なんだこの人はっ!
主が口をヘの字に曲げて俺達のやりとりを見て、ティ様が笑ってごまかして、樹魔の主は悲鳴を上げて、そして俺は......たぶん、笑って、ごまかせていなかったと思う。
----------
美しい裸の女が俺に近づいてきた。
どこかで見たことがあるような無いような、どこかのオークのお店で見た美人さん達の平均でも取ったような、何かの画面越しに見たアイドルか女優か何かの、有名で人気の何かのような、はっきり見えているのにぼやけた感じがもどかしい...
...CGでも仮想でも無く三次元の女のはずなのに......そう、とても「良く出来ている」。
なぜなら、呼吸の無い生き物は、人ではない。
その女の形をした何かは既に俺の間合いの中。
そして、女からざわざわと伸びた腕が、ゆらめく芳醇な甘い香りが、俺を抱きしめるように優しく包み込んでいた。
その「脅威」に対して、無意識に右手が伸びていた。
...その女の胸......木の幹に右手を押し当てた光景を、俺は思い出した――
――似たような光景。これは前世の記憶だ。
かつて、祖父がこうやって、木に手を添えて、俺に見せた。
俺はあの時は、木に触れて、軽く押しただけのように見えたけれど...――
――祖父が発した勁が幹を枝葉をざわめかせ、
その一斉に舞い落ちる紅葉はまるで、
祖父を祝福するかのように――
「――...俺はまだまだなようです、祖父...」
同じようにやったつもりが、爆発した。
あっれぇー?
なんだか艶めかしい気がしたはずの木の雨露や曲線美は、すでに物言わぬ枯れ木へと朽ち果てて、「もう片方の木」から変な悲鳴のような音が鳴り響いている。
一体、何が、なんなんだ...?
サキとユキ、そしてニアが俺の背中に襲いかかっきたのを合図に、俺は我に返った――




